千本釈迦堂 「精霊迎えと六道まいり」へ

大報恩寺は、通称の千本釈迦堂の名で知られている寺院で、鎌倉時代の1221年(承久3年)義空上人が開いた真言宗智山派に属しています。毎年、8月8日から12日にご先祖の精霊をお迎えし、16日にお送りするお盆の行事「精霊迎えと六道まいり」が行われ、私は8月12日(金)に行ってみました。

IMG_4247.jpgIMG_4276.jpg千本釈迦堂には何度か来てますが、最近では2014年(平成26年)5月6日以来だと思います。

IMG_4249.jpg8時9分に「正門」前に着きました。8時から受付されていますが、見たところ空いているようです。

IMG_4250.jpg正門を入ると正面に「本堂」があります。六道参りの受付は西側のテント内にありました。

IMG_4677.jpg受付で、塔婆に父の戒名を書いて貰い500円を納めました。それを本堂に納めます。

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幾多の戦火を免れた本堂は、1227年(安貞元年)の創建時からそのままのもであり、京都市内最古の木造建築物として国宝に指定されています。普段は本堂に入るのに有料ですが、この六道参りの期間中は自由に本堂に入ることができます。それも目的の一つでしたね。

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塔婆を納め、ご本尊と白い布につながれている迎え鐘を引きました。

IMG_4260.jpgIMG_4259.jpgIMG_4252.jpgこの六道参りの期間中は、ご本尊の釈迦如来像が御開帳されいます。お賽銭をしてお参りさせて貰いました。

IMG_4251.jpgIMG_4253.jpgこの本堂の柱には「刀傷」が残っています。なんか残っています。応仁の乱のとき、この辺りは西軍の中心部でした。その西軍の大将・山名宗全の特別の計らいもあり、この本堂が残されたと言われています。

IMG_4256.jpg本堂向かって右手には「慈雲観音菩薩像」が祀られています。無事故・交通安全の観音様だそうです。

この日は、これ以上は行けません。以前来たときは「おかめ人形展」があった筈です。

IMG_4262.jpg本堂前から「阿亀桜(おかめざくら)」と呼ばれる美しいしだれ桜が咲くんですが、見えています。

IMG_4265.jpgIMG_4266.jpg前途したとおり、幾多の戦火を免れた「本堂」は国宝に指定されています。京都市内最古の木造建築物とありました。

IMG_4264.jpg久しぶりに来たので、境内を散策しました。こちらは七福神の「布袋尊」で、厄を祓い福運を招くそうです。

IMG_4267.jpgこちらが「おかめ塚」で石造宝篋印塔です。このおかめ塚には悲しい由来があります。

寺伝によると本堂創建のとき、京の都に大工棟梁長井飛騨守高次と言う名の知れた大工がいました。その名声を聞いた義空上人は、当寺院建立の大工に高次を抜擢します。高次は多くの大工を動員して本堂の工事は順調に進んでました。しかし・・・信徒から寄進された貴重な、本堂中央の柱4本の内、1本を誤って短く切ってしまいました。借りの柱も見つからず苦悩する高次の様子をみかけた妻のおかめは、一計を案じます。「短く切ってしまった柱は元に戻せないので、他の柱も短く切ってこれに変わる柱上に斗栱(ますがた)」を載せ、長さを補うように」と提案します。思案にくれていた高次は、直ちにこの提案を受け、本堂は見事に完成します。しかし、妻おかめは、本堂の完成を見ることもなく命を絶ちます。女の知恵で落成したことが分かっては夫の恥と一切を秘すため自刃したものでした。自らの命と引き替えに夫の名誉を守った内助の功に感服した義空上人は、境内に彼女を祀るための塚を立てたものが、今日のおかめ塚と言われるものです。今日もも災難消除や夫婦円満の信仰を集め、多くの参拝者がお参り来られます。千本釈迦堂では毎年亀女の福徳を慕う人で「おかめ節分」が行われます。

IMG_4269.jpg境内の片隅で見つけた珍しい桜「御衣黄桜」です。名前の由来は平安時代に貴族が着ていた衣服が控えめで気品のある萌黄色に近い色で花の色が似ている事から名付けられたそうです。

IMG_4270.jpgIMG_4271.jpg帰りに境内西側のお堂に寄りました。このお堂は「北野経王堂願成就寺」といい、室町幕府3代将軍足利義満に謀反を企てた山名氏清を弔うために建てられたと書いてありました。

1391年(明徳2年)年守護大名の山名氏清が将軍家にそむき明徳の乱を起こしたましたが、室町幕府3代将軍足利義満に討伐されてしまいます。足利義満はその翌年、氏清とその一族、そして戦いでなくなった敵、見方の兵士を追討するため供養(北野経会)をし、北野経王堂願成就寺という三十三間堂なみの大堂を建立しました。しかし江戸時代に入り荒廃し解体縮小され小堂となった時、その遺構の木材を運んでここに縮小復元したのがこのお堂だそうです。

IMG_4272.jpgお隣には「稲荷社」で茶吉尼天尊、天上多田稲荷大明神を祀っています。

IMG_4274.jpgIMG_4277.jpg8時20分に千本釈迦堂を出て行きました。ここから北野天満宮に戻り車で帰った次第です

この翌日に私は喉に違和感を覚えるわけです。この日の午後の検査では陰性でしたので、この日の外出で他の人に感染させたことはありません。今回のコロナ感染記録は次回にアップします。

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