世界文化遺産 法隆寺「~1400年の歴史遺産を未来へ~」へ

世界文化遺産 法隆寺では、このたびクラウドファンディングを通じて支援を募られました。理由は以下の通りです。

607年(推古15年)、聖徳太子によって創建された法隆寺。18万7千㎡の境内には、現存する世界最古の木造建築群と国宝39件・138点、重要文化財と附指定を含めると約3000点もの仏教美術品が所蔵され、世界文化遺産に登録されています。聖徳太子の和の心を現代に伝え、日本人なら誰もが知る法隆寺。そんな世界に誇る日本の宝を護るためには、表には現れない苦労があります。法隆寺が国の補助を受けられるのは、国宝や重要文化財の修理の時などだけ。広範囲におよぶ通常の維持管理(境内全域の設備等の点検を含むメンテナンス、警備、宝物や建造物の日常の維持管理、樹木の管理、境内の営繕など)の費用は、参拝にお越しいただいた方々の拝観料で賄ってきました。しかし新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、年間の拝観者数が激減。通常の維持管理費を、可能な部分は先延ばしにして約50%にまで節減してきましたが、このままこの状況が続けば法隆寺を十分に護っていくことが危ぶまれます。そこで今回、クラウドファンディングを通じて皆さまからのご支援を募ることを決意いたしました。1400年の歴史遺産を護り、未来へとつなぐため、あたたかいご支援を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

結果は、2022年(令和4年)7月29日終了時、支援総額157000000円 支援者7456人 と目標の20000000円を大きく上回ったようです。私も一助になったかなぁ・・・と思っています。その返礼品が、8月27日(土)に届きました。

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特別御朱印です。法隆寺金堂の釈迦三尊像を梵字で顕した御朱印です。文字は「尺寸王身釋像」(光背銘文)聖徳太子の等身大の釈迦像という意味です。なお模様は、釈迦三尊像の光背をあらわしています。

EPSON107.jpgEPSON108.jpgあとクリアファイル礼文をいただきました。

法隆寺には2015年(平成27年)1月15日に行きました。それ以前は子供の頃に親に連れられて何度かは行ってます。その時の事を想い出しながら書いて見ます。

法隆寺には奈良定期観光バスを利用しました。集合は近鉄奈良駅前で、15名のツアー客を乗せ出発したバスは、奈良市内を東に進ます。県庁東の交差点を右折し、奈良公園の中を進んで行きます。そして左手に春日大社の一の鳥居を見て、右手に老舗の奈良ホテルを見ながら暫く南下します。バスの中ではバスガイドさんが細かく説明してくれるので、土地勘の無い私は助かりました。バスは天理市、大和郡山市を通り約40分で、法隆寺の駐車場に着きました。

法隆寺には会社の先輩と二人で回りました。コロナ禍前で外国人観光客も多かった頃です。ただ冬に来たので全体的には空いていたかなぁ・・・と記憶しています。

CIMG7892.jpg法隆寺の門前通りは、松並木が植わっています。その中をガイドさんを先頭に歩いて行くと、約3分で「南大門」(国宝)が見えて来ました。

CIMG7896.jpg室町時代に法隆寺内の対立抗争によって焼失したものを1438年(永享10年)に再建されました。この日は冬晴れで天気良かったです。

CIMG7898.jpg南大門をくぐると正面に五重塔が見えてきました。ガイドさんのあと石畳を歩いて行きます。

CIMG7899.jpgCIMG7901.jpgCIMG7903.jpg南大門から続く石畳の参道の先に「中門(国宝)」を目にします。

CIMG7904.jpgCIMG7905.jpgCIMG7907.jpg先ほどの「南大門」に比べて「中門」の方が立派です。これは飛鳥時代の特徴だそうです。奈良時代になると南大門の方が立派になっていきます。この中門には「金剛力士像」(重要文化財)が睨みをきかせています。711年(和銅4年)に造られた日本最古の金剛力士像ですが、後世の補修部分も多いそうです。

CIMG7908.jpgここまては無料で見られるエリアてす。拝観は向かって左側から入ります。その中に「拝観受付所」がありました。

法隆寺の拝観料は、大人1500 円(西院伽藍・大宝蔵院・東院伽藍共通一括料金)でした。当時は高いなぁ・・・と思いましたが、今は普通ですね。京都の春と秋の特別拝観料は1000円ですしね。バスガイドさんは拝観料が値上がりしたので、拝観者が減ったとは言われてました。

CIMG7922.jpgCIMG7923.jpgこの時、最初に「中門」前に集まってバスガイドさんから案内を聞きました。後は個々で回ったような・・・。

ガイドさんの話しで興味深かったのは「中門」の柱ですが、下から3分の1のところが最も太い胴張り(エンタシス形式が用いられているそうで、これは建物の均等をとるための工夫だそうで、古代ギリシャから伝わったとか。

CIMG7920.jpgCIMG7946.jpgEPSON004_edited-1.jpg国宝金堂」です。金堂は法隆寺で最も古い建物と言われてて現存する唯一の飛鳥建築と言われています。内部は入れなかったように記憶しています。金網越しでのお参りでした。

金堂の建築年代については諸説・議論も盛んですが670年(天智9年)の火災以前に遡る説もあります。しかし法隆寺で最も古い建造物であり、世界最古の木造建築であることには間違いありません。本尊の釈迦三尊像(国宝)は法隆寺全山の本尊です。聖徳太子の等身像といわれ、光背銘には太子の妃や子どもたちが病気平癒を発願して造られたことが記されています。脇侍の薬王菩薩(向かって右)と薬上菩薩が従い、一つの光背に三尊が収まる形式は、飛鳥時代の特徴だそうです。

金堂の壁画は、1946年(昭和21年)の火災で一部が損傷する悲劇がありました。今では阿弥陀浄土図は焼失前の写真で見ることしかありません。

CIMG7910.jpgCIMG7925.jpg次ぎに国宝五重塔」です。初層の扉は開いてます。中には入れませんが外から見ることができるようになってました。(北面だけの見学でした)

五重塔は古代インドで釈迦の遺骨(仏舎利)を納め、寺院の中心となる建物でしたが、奈良時代以降は金堂にその地位は譲ります。法隆寺は過渡期的な段階で、金堂と五重塔が並び建っているのが特徴です。高さは34.1㍍、その内の3分の1は、相輪が占めており占めています。また、一番上部(5番目)の軸部は初重の軸部の半分しかなく、とても安定感のある姿になっています。五重塔の初層の内部は、中央を世界の真ん中に聳える須弥山に見立てて、その四方に仏典の名場面を塑像群で表し、特に北面は傑作とされています。

CIMG7919.jpg次に「金堂」と「五重塔」の真ん中の奥が国宝「大講堂」で、そちらを見学です。

CIMG7934.jpg大講堂の前にある「銅灯籠」について案内がありました。桂昌院(徳川幕府3代将軍徳川家光の側室で、5代将軍徳川綱吉の生母)から贈られた灯籠で、桂昌院の名と徳川の葵の御紋があります。

CIMG7929.jpgCIMG7938.jpg国宝大講堂」です。現在の建物は925年(延長3年)に焼失したものを990年(正暦元年)に再建されました。当初は旧建築にならい8間として建てられましたが、元禄の修理に9間となり現在の形になりました。

990年(正暦元年)、回廊に囲まれてた聖域が拡大され、それまで回廊の外にあった大講堂(旧食堂)は経蔵・鐘楼とともに内側に取り込まれました。衆僧が仏法を講賛する講堂にふさわしく堂内は広く、本尊の薬師如来坐像、脇侍には月光・日光菩薩とともに祀られていますが、再建された同時期の作と言われています。

CIMG7932.jpg境内の西北角には国宝経蔵」がありました。

CIMG7941.jpgCIMG7931.jpgまた、反対側の北東角には国宝鐘楼」があり、遠目から上部に鐘があるのも分かりました。それにしても殆どの建物が国宝ですね。

CIMG7939.jpg最後に、「金堂」と「五重塔」がセットで撮れるスポットをガイドさんより案内して貰い撮りました。

CIMG7949.jpgこちらが「西院伽藍」エリアの出口です。入口と出口は別々でした。

CIMG7947.jpg出口の前に池があって石碑が建っています。誰でも知ってる正岡子規「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑でした。正岡子規が法隆寺の茶店で大和柿を食べてる時に、たまたま鐘がなった光景を詠んだそうです。

CIMG7950.jpgその池の前にあったのが国宝聖霊院」です。今回ツアーでは、法隆寺の見学時間は80分のため、ここは素通りでした。

CIMG7953.jpgCIMG7955.jpg次ぎに向かうのが大宝蔵院ですが、その前には正倉院でお馴染みの校倉造りの建物がありました。国宝網封蔵」と言います。内部に入れないので、外からの見学です。

CIMG7959.jpg網封蔵を横目に見ながら進むと突き当たりに「大宝蔵院」がありしまた。見たところ新しそうな建物です。

CIMG7961.jpgCIMG7962_edited-1.jpg1998年(平成10年)に西院伽藍に建てられた仏堂で、外観は天平時代の様式に、内部は近代的な設備を備えたつくりになっています。北側の百済観音堂を中心に西宝蔵と東宝蔵に分かれ、国宝・百済観音像など多くの国宝が納められいます。「中門」を入ると正面に「百済観音堂」が見えています。

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西宝蔵から入って、先ず国宝玉虫厨子」をじっくり鑑賞です。これは子供の頃に見た思い出が残っています。

バスガイドさんの案内で、「国宝中の国宝は是非見て下さい」と言われた国宝「百済観音像」です。百済観音堂内のガラスケース内にありました。仏像好きな私にとってはたまらない時間でした。

次に「東院伽藍」に移動します。こちらも是非見てみたい建物がありました。

CIMG7964.jpg。バスガイドんさの案内で、暫く東に向いて歩いて行きます。そしたら国宝東大門」が見えて来ました。この頃から曇って来ましたね。

CIMG7967.jpg東大門を入ると前方にお目当ての「夢殿」が見えてきました。

CIMG7970_edited-1.jpg久し振りの夢殿に期待しつつ重要文化財に指定されている「四脚門」に着きました。鎌倉中期の建物で、参拝者の出入り口になっています。本来の正門は南門ですが、不明門(あかずの門)だそうです。

CIMG8014.jpgCIMG8015.jpg四脚門を入ると「手水舎」もあります。そして正面の門が拝観入口でした。

CIMG7972.jpgCIMG7979.jpgここを入ると、懐かしの国宝夢殿」が正面に建っています。この時間帯は空いてましたし、内部も見られました。

斑鳩宮のあった地に東院伽藍の正堂として、天平時代に行信僧都により再興されました。正確な建築年代は不明ですが729年(天平11年)頃と考えられますが、鎌倉時代の補修により天平時代の当初材は柱と虹梁の一部となりました。京都太秦の桂宮院や興福寺の南円堂・北円堂など八角円堂は多多ありますか、この夢殿が最も美しく、現存最古の建築物です。中央の厨子の中には、秘仏の救世観音像(国宝・飛鳥時代)を安置。春秋には特別開帳されますが、今日は固く閉まっています。聖徳太子等身の観音像と伝えられています。そのお前立ちに聖観音菩薩像(重要文化財・平安時代)、周囲に道詮律師像(国宝・平安時代)や行信僧都像(国宝・奈良時代)なども安置されてました。

CIMG7981.jpg夢殿の南にある「礼堂」です。なお礼堂の奥に夢殿の正門にあたる南門がありますが見えません。礼堂は鎌倉時代に再建されたものです。

CIMG7983.jpgCIMG7988.jpg次ぎに北側の「絵殿舎利殿」です。横長の建物の中央に通路を造り、二つの堂になっています。向かって右側が聖徳太子の掌から出現したという仏舎利を祀る舎利殿。左が聖徳太子の伝記絵がある絵殿。1219年(建保7年)の再建。

CIMG7989.jpg写真左が「絵殿・舎利殿」、右が「夢殿の北扉」で、僧侶の方が入られたので一瞬開きました。真ん中が、次ぎに訪問した中宮寺の屋根が見えています。

CIMG7991.jpg最後に国宝鐘楼」を見つけました。1163年(応保3年)建立。スカート状の袴腰のついた鐘楼は最古の遺構だそうです。吊されている梵鐘は奈良時代のもので、中宮寺の名が刻まれてるそうです。

限定御朱印をいただいたので想い出しながら法隆寺書いてみました。子供の頃に行った思いでは、何だか怖いなぁ・・・でした。堂内が暗くて、怖い印象しか残ってません。今考えると何が怖かったのか不思議な感じです。

この記事へのコメント

2022年09月19日 18:21
言わずと知らず法隆寺。
それでも正式には聖徳宗総本山法隆寺という寺号なのですね。
その日本を代表するお寺の維持が難しくなってきたのはニュースで知りました。クラウンドファンディングをされたお一人でしたか。
頭が下がります。
私も前回訪れたのは結構前、またこの大伽藍を堪能したいです。
やはりここは見所満点ですから心構えと時間が必要ですよね。
またいつか訪問させていただきます。
壬生里
2022年09月19日 19:53
ミクミティさんへコメントありがとうございます。

法隆寺には、会社の友人と二人で奈良観光バスで巡りました。今度は個人でゆっくり巡りたいと思っています。

日本古来の建築物を未来永劫残ってくれることを願ってやみません。少しばかり一助になれば寄付されて貰いました。京都の文化財保護協会にも毎年、少しばかり寄付しています。