西国三十三ヵ所 第13番札所 大本山 石山寺へ
石山寺門前「洗心寮」でお昼をいただいたあと、西国三十三ヵ所 第13番札所 大本山 石山寺に向かいました。その石山寺に向かって歩いて行くと、当初探していた「湖舟」ありました。以前と言っても随分前に行ったので、すっかり忘れてました。
駐車場にあった石山寺境内図です。石山寺には何度か来ています。
境内には「東大門」(重文)から入ります。
ここから真っ直ぐ伸びる石畳を進む先に拝観受付所があったかと思います。
入山料600円でした。納経所は本堂内にあります。
後で天然記念物の奇岩を見ますが、こちらは「くぐり岩」と呼ばれるもので、大理石だそうで、池は天平時代のものだそうです。
石山寺は第45代聖武天皇の勅願により、747年(天平19年)東大寺創建で名高い良弁僧正(ろうべんそうじょう)によって開基されました。琵琶湖周辺の山々から切り出された木材は、東大寺建築のもので、瀬田川から宇治川を下り、奈良の都へ運ばれました。その集積の地である石山に設けられた東大寺石山院が石山寺の前身。東大寺の大仏鋳造の際、良弁僧正は金の調達を命じられ、金峰山に籠もってお祈りすると、蔵王様が現れ「近江の国の石山に観音の霊地がある」と。僧正はそのお告げを聖武天皇に伝え、皇室の持念仏であった、六寸の観音像を預かり、大きな土の観音像を造ってご本尊とされました。
奥に進み「手水舎」があって、そこから急な石段を登ることになります。
石段を登り切ると、ようやく正面に国宝「多宝塔」がみえました。
最初に見るのが「観音堂」で、こちらには西国三十三箇所のすべての観音が安置されています。
次に「毘沙門堂」(滋賀県指定有形文化財)です。堂内に兜跋毘沙門天(重文)、吉祥天、善膩師童子の三体が祀られています。
ここで正面の奇岩に注目です。「珪灰石(けいかいせき)」で、国の天然記念物に指定されています。石灰岩に花崗岩が接触したことによる熱作用で変質したもので、通常は大理石となるが、石山寺のように雄大な珪灰石となるのは珍しいのだという。この石が寺名の由来となっています。
本堂に上がる前に「蓮如堂」(重文)に寄りました。蓮如上人6歳の御影や遺品を祀るお堂です。
そして、いよいよ「本堂」です。最後に石段を登れます。
納経所は堂内にあります。HPで告知無かったようですが、内陣特別拝観(500円)されてました。予算の都合ではいりませんでした。
西国三十三ヵ所草創1300年の印入りです。散華もいただきました。
堂内は撮影禁止でした。お参りを済ませ次へと向かいます。
以前来たとき、「紫式部」の人形を見た記憶があって、探した・・・探すほどでも無かったけどありました。
本堂のお参りを済ませ順路に従って進みます。
石段を上がると、そこには重要文化財に指定されている「三十八所権現社本殿」がありました。1602年(慶長7年)の建立だそうです。
その奥には滋賀県下では珍しい校倉造りの建物は「経蔵」(重文)だそうです。国宝の淳祐内供筆聖教等が収蔵されています。
案内によると「安産の腰掛石」とあって、昔からこの岩に座ると安産すると言い伝えられています。
左が「紫式部供養塔」、右が「松尾芭蕉の句碑」で「あけぼのは まだむらさきに ほととぎす」と書いてありました。
階段を少し上がって、「珪灰石(けいかいせき)」を覗き込みます。
このエリアには国宝「多宝塔」があります。1194年(建久5年)源頼朝の建立と伝わり、須弥壇には快慶作の大日如来坐像(重文)が祀られています。
それで多宝塔の向かいに「源頼朝供養塔」(右)があるんですね。左は「亀谷禅尼供養塔」でした。
境内の一画にあった「めかくし石」で、目隠しして、この石を完全に抱けば諸願成就すると言う。
こちらは上から見た「経蔵」です。裏に供養塔がありますが案内板が無かったので不明でした。
ひっそりと佇む「若宮」で、祭神は天照大神。2002年(平成14年)12月建立。
ここに人が居たので後回しにした「月見亭」です。
ここから瀬田川が見えます。少し荒れていた月見亭は残念でした。
月見亭の後ろは平屋建ての茶室「芭蕉庵」です。元禄年間(1688〜1704)、幻住庵に滞在していた芭蕉は度々石山寺を訪れたといいます。
ここから、まだまだ上に行けますが、今日は疲れたので行きません。2007年(平成19年)3月9日に梅苑を見に来た時に上がってます。
ここは登りと下りが一方通行になっており、帰りは重要文化財に指定されている「鐘楼」側から降りて行きます。
石段を降りる途中で、天然記念物の「珪灰石(けいかいせき)」を横から撮りました。迫力ありますね。
石段を降りたら、そこには重要文化財に指定されている「御影堂」です。室町時代の建立で、内陣には弘法大師・良弁・淳祐の遺影を安置してあります。
この急な石段を降りて行きます。比叡山から三井寺、岩間寺と来たので足は疲れてきました。
帰りは「大黒天堂」から出て行くコースになっています。秘仏の拳印大黒天尊は、12年に一度、子年に開扉されるそうです。
13時3分に、この「東大門」から出て行きました。
駐車場に戻り、次の目的地である京都府宇治市にある寺院を言ってナビに入れて貰い出発しました。
駐車場にあった石山寺境内図です。石山寺には何度か来ています。
境内には「東大門」(重文)から入ります。
ここから真っ直ぐ伸びる石畳を進む先に拝観受付所があったかと思います。
入山料600円でした。納経所は本堂内にあります。
後で天然記念物の奇岩を見ますが、こちらは「くぐり岩」と呼ばれるもので、大理石だそうで、池は天平時代のものだそうです。
石山寺は第45代聖武天皇の勅願により、747年(天平19年)東大寺創建で名高い良弁僧正(ろうべんそうじょう)によって開基されました。琵琶湖周辺の山々から切り出された木材は、東大寺建築のもので、瀬田川から宇治川を下り、奈良の都へ運ばれました。その集積の地である石山に設けられた東大寺石山院が石山寺の前身。東大寺の大仏鋳造の際、良弁僧正は金の調達を命じられ、金峰山に籠もってお祈りすると、蔵王様が現れ「近江の国の石山に観音の霊地がある」と。僧正はそのお告げを聖武天皇に伝え、皇室の持念仏であった、六寸の観音像を預かり、大きな土の観音像を造ってご本尊とされました。
奥に進み「手水舎」があって、そこから急な石段を登ることになります。
石段を登り切ると、ようやく正面に国宝「多宝塔」がみえました。
最初に見るのが「観音堂」で、こちらには西国三十三箇所のすべての観音が安置されています。
次に「毘沙門堂」(滋賀県指定有形文化財)です。堂内に兜跋毘沙門天(重文)、吉祥天、善膩師童子の三体が祀られています。
ここで正面の奇岩に注目です。「珪灰石(けいかいせき)」で、国の天然記念物に指定されています。石灰岩に花崗岩が接触したことによる熱作用で変質したもので、通常は大理石となるが、石山寺のように雄大な珪灰石となるのは珍しいのだという。この石が寺名の由来となっています。
本堂に上がる前に「蓮如堂」(重文)に寄りました。蓮如上人6歳の御影や遺品を祀るお堂です。
そして、いよいよ「本堂」です。最後に石段を登れます。
納経所は堂内にあります。HPで告知無かったようですが、内陣特別拝観(500円)されてました。予算の都合ではいりませんでした。
西国三十三ヵ所草創1300年の印入りです。散華もいただきました。
堂内は撮影禁止でした。お参りを済ませ次へと向かいます。
以前来たとき、「紫式部」の人形を見た記憶があって、探した・・・探すほどでも無かったけどありました。
本堂のお参りを済ませ順路に従って進みます。
石段を上がると、そこには重要文化財に指定されている「三十八所権現社本殿」がありました。1602年(慶長7年)の建立だそうです。
その奥には滋賀県下では珍しい校倉造りの建物は「経蔵」(重文)だそうです。国宝の淳祐内供筆聖教等が収蔵されています。
案内によると「安産の腰掛石」とあって、昔からこの岩に座ると安産すると言い伝えられています。
左が「紫式部供養塔」、右が「松尾芭蕉の句碑」で「あけぼのは まだむらさきに ほととぎす」と書いてありました。
階段を少し上がって、「珪灰石(けいかいせき)」を覗き込みます。
このエリアには国宝「多宝塔」があります。1194年(建久5年)源頼朝の建立と伝わり、須弥壇には快慶作の大日如来坐像(重文)が祀られています。
それで多宝塔の向かいに「源頼朝供養塔」(右)があるんですね。左は「亀谷禅尼供養塔」でした。
境内の一画にあった「めかくし石」で、目隠しして、この石を完全に抱けば諸願成就すると言う。
こちらは上から見た「経蔵」です。裏に供養塔がありますが案内板が無かったので不明でした。
ひっそりと佇む「若宮」で、祭神は天照大神。2002年(平成14年)12月建立。
ここに人が居たので後回しにした「月見亭」です。
ここから瀬田川が見えます。少し荒れていた月見亭は残念でした。
月見亭の後ろは平屋建ての茶室「芭蕉庵」です。元禄年間(1688〜1704)、幻住庵に滞在していた芭蕉は度々石山寺を訪れたといいます。
ここから、まだまだ上に行けますが、今日は疲れたので行きません。2007年(平成19年)3月9日に梅苑を見に来た時に上がってます。
ここは登りと下りが一方通行になっており、帰りは重要文化財に指定されている「鐘楼」側から降りて行きます。
石段を降りる途中で、天然記念物の「珪灰石(けいかいせき)」を横から撮りました。迫力ありますね。
石段を降りたら、そこには重要文化財に指定されている「御影堂」です。室町時代の建立で、内陣には弘法大師・良弁・淳祐の遺影を安置してあります。
この急な石段を降りて行きます。比叡山から三井寺、岩間寺と来たので足は疲れてきました。
帰りは「大黒天堂」から出て行くコースになっています。秘仏の拳印大黒天尊は、12年に一度、子年に開扉されるそうです。
13時3分に、この「東大門」から出て行きました。
駐車場に戻り、次の目的地である京都府宇治市にある寺院を言ってナビに入れて貰い出発しました。
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