西国三十三ヵ所 第10番札所 明星山 三室戸寺へ
石山寺の駐車場を13時10分頃に出て、次に高速道に乗るため石山ICから京滋バイパスに入りました。車は宇治トンネル(全長4313㍍)を出て直ぐの宇治東ICで高速を降り宇治市内に向けて車を走らせると東へ緩やか坂道を登って行くと13時29分に目的地に着きました。この日、最後の訪問は西国三十三ヵ所 第10番札所 明星山 三室戸寺でした。
駐車場は、ガラガラでした。1台も止まってません。

拝観受付所で拝観料500円を納め参道を進みます。
受付を済ませて参道を歩くと左手には萩の花が綺麗に咲いてました。
次に右手には岡井省二の句碑があって、「あぢさゐの色をあつめて虚空とす」と書いてあります。
参道を歩くと2015年(平成27年)6月12日以来の「山門」をくぐります。

三室戸寺は、ツツジやアジサイが見事です。最近は枝垂れ梅の庭園も造られました。ただ、この時期は何も咲いてないので庭園には行きません。
ここから石段を登りますが、正直病み上がりで足は疲れてて、この石段はキツかったです。
やっとの思いで階段を登り切りフラフラに。正面に本堂、左手に納経所がありました。
納経所から声掛けられ、「御朱印はお参りのあとにしてください」と。息が上がっているので、先に御朱印でもと思いましたが、仕方ないですね。
こちらは「宇賀神」です。「耳を触れば福がくる、髭を撫でると健康長寿、しっぽをさすれば金運がつく」と書いてあったので、その通りしました。
近づくと水が出る「手水舎」です。
手前には蓮の花が咲きますが、もう見頃過ぎです。このあと「本堂」にお参りしました。
715年(宝亀元年)第38代天智天皇の皇孫白壁皇子(後の第49代光仁天皇)が観音様の出現を夢枕に感じ、遣いをやったところ、宇治山の奥の岩淵という滝壺一丈もある大きな千手観音が現れた。急いで滝壺に飛び込むと、どこからかともなくひとひらの蓮華が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じたという。光仁天皇がその観音像を宇治の離宮に安置し、奈良大安寺の行表法師を開山として創建したのが「御室戸寺」で、その後、光仁・花山・白河の離宮となったので、「御」を「三」に変え「三室戸寺」となった。

平安時代以降は、天皇や貴族の崇敬を集め栄えましたが、度々の戦火により焼失し、現在の「本堂」は文化年間(1804~1818)に再建されたものです。
お参りのあと「賓頭盧尊」にもお参りしました。後ろには「賓頭盧絵馬」を掛けるようになっています。
本堂前には「勝運の牛」があって、牛の口の中にある玉を触ると勝運がつくと伝えられているので、私も触りました。

本堂の東には「阿弥陀堂」があります。親鸞の父日野有範(ひのありのりの)墓だと伝えられています。
次に「鐘楼」に寄りました。その奥に立て札があったので行ってみます。
そこには「浮舟の古蹟」と刻まれた石碑がありました。寛保年間(1741~1744)に「浮舟古跡社」を石碑に改めたもので、その折古跡社のご本尊「浮舟観音」はこちらに移され、今に浮舟念持仏として伝えられています。

こちらは「願い地蔵」と言って、叶えたいお願いを木札に書き吊します。(志納500円)
それで一番奥にある「三重塔」(府指定文化財・江戸時代)までやって来ました。


本堂まで戻ってきて「福徳菟」に寄りました。この中に球体が入っていて卵型です、この石を立てると、運気が上昇すると言われています。
最後に納経所に行く前に「芭蕉の句碑」に寄りました。「山吹や宇治の焙炉の匂ふとき」と書いてあります。
「納経所」です。今日は、いろいろ回ったので、もうヘトヘトでした。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。





帰りも庭園に寄りませんでした。疲れ切りました。14時頃に駐車場に戻り帰路へ。
帰りは、ほぼ北上し主な名所では、萬福寺の前を通り、JR木幡駅や六地蔵駅を通り、勧修寺の前も通りました。そのまま北上し国道1号線を左折し、葛野大路通りまで西に進み、その交差点を右折し四条通りまで北上します。そして段町の交差点を右折し、太秦広隆寺の前を通り丸太町通りに出て西に進み帰りました。友人の家は太秦広隆寺の近くなんですけど家まで送ってくれました。天気はイマイチでしたが楽しかったです。










納経所から声掛けられ、「御朱印はお参りのあとにしてください」と。息が上がっているので、先に御朱印でもと思いましたが、仕方ないですね。



715年(宝亀元年)第38代天智天皇の皇孫白壁皇子(後の第49代光仁天皇)が観音様の出現を夢枕に感じ、遣いをやったところ、宇治山の奥の岩淵という滝壺一丈もある大きな千手観音が現れた。急いで滝壺に飛び込むと、どこからかともなくひとひらの蓮華が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じたという。光仁天皇がその観音像を宇治の離宮に安置し、奈良大安寺の行表法師を開山として創建したのが「御室戸寺」で、その後、光仁・花山・白河の離宮となったので、「御」を「三」に変え「三室戸寺」となった。
















御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。






帰りは、ほぼ北上し主な名所では、萬福寺の前を通り、JR木幡駅や六地蔵駅を通り、勧修寺の前も通りました。そのまま北上し国道1号線を左折し、葛野大路通りまで西に進み、その交差点を右折し四条通りまで北上します。そして段町の交差点を右折し、太秦広隆寺の前を通り丸太町通りに出て西に進み帰りました。友人の家は太秦広隆寺の近くなんですけど家まで送ってくれました。天気はイマイチでしたが楽しかったです。
この記事へのコメント