西国三十三ヵ所 第24番札所 紫雲山 中山寺へ
阪急総持駅を8時26分に出る天下茶屋行きに乗り、一駅先の茨木市駅で降り、次に来る快速急行を待ちます。快速急行は8時33分発ということで5分ホームで待ちました。茨木市駅に着いた電車は、当然のことながら混んでます。途中淡路駅で止まりましたが、現在高架工事中なんですね。毎日利用していた淡路駅は懐かしいです。次に停まる十三駅で宝塚線に乗り換えるために、快速急行を降りました。この十三駅も大阪に勤めていた時、毎日利用していたのに、京都線から乗り換え乗り換えホームの前方か後方か、すっかり忘れてて、電車を降りたときに想い出しました。前方でした。乗り換え時間が3分しかありませんが、十三駅は人が多いので、宝塚線のホームに地下から上がったら電車が来てました。急いで乗る時に気がついたことで、ホームドアになってましたね。ギリギリセーフで間に合って、乗った電車は急行で、豊中駅まで止まらず、豊中駅から宝塚駅まで各駅に停車します。次の目的地である阪急中山観音駅には9時16分に着きました。
中山観音駅から歩いて3分ぐらいで着くほど駅から近くの西国三十三ヵ所 第24番札所 紫雲山 中山寺が次の目的地でした。
2006年(平成18年)8月17日以来の中山寺に着きました。
中山寺は聖徳太子によって開創された古刹で、日本最初の観音霊場である。第14代仲哀天皇の妃である大仲姫命(おおなかつひめのみこと)とその子、忍熊皇子(おしくまおうじ)と麛坂皇子(かごさかおうじ)を弔うために創建された寺で、聖徳太子が彼らの墓所である紫の雲がたなびく大紫谷丘陵へ登られ、聳える三山ののうち中の山を伽藍建立の地と定め紫雲山 中山寺と名付けたという。中山寺は安産・子授けの観音様として信仰をあつめ、関白豊臣秀吉が祈願により秀頼をを授かりました。現在の伽藍は秀頼が感謝の意を込めて再建した桃山時代の代表的な建築群として知られている。
「山門」(兵庫県指定文化財)は1646年(正保3年)江戸幕府3代将軍徳川家光により再建されたもの。山門の上層内部には地蔵菩薩、閻魔王、司命、司録が祀られているようです。
山門の表側には、阿形・吽形の「仁王像」と、裏手には「獅子・狛犬」が祀られています。
山門から石段下まで続く参道の両脇には「タイタンビカス」が綺麗に咲いてました。
石段を登ると、ここからはエレベーターやエスカレーターがあるので、お年寄りなどには有難いですね。
本堂は、エスカレーターに上がった所にありますが、その前に「閻魔堂」によりました。本尊は閻魔大王、脇侍に司命・司録を従えています。
その奥は「寿老堂」です。本尊は寿老人、七福神では長寿の象徴として知られています。
私は、ここからエスカレーターに乗りました。エレベーターもあります。
「本堂」までやって来ました。本堂より、そ上の五重塔に驚きです。以前、来た時は無かったから。
本堂でお参りを済ませました。聞くと納経所は下にあるとのこと。帰りに寄ります。
聖徳太子が中山寺を創建された頃の本堂は、幾多の戦火により焼失し、現在の本堂は、1603年(慶長8年)に豊臣秀頼が父豊臣秀吉の冥福と自分の誕生の報恩のため、片桐且元を普請奉行として、再建したものです。
次の石段を上がらず、右隣へ移動します。こちらは「護摩堂」(兵庫県指定文化財)で、本尊は不動明王坐像(平安時代後期の作)だそうです。
右隣に移動し「開山堂(聖徳太子堂)」です。1997年(平成9年)の建立で、まだ新しいですね。
この先の予定を考えたら引き返す所、頑張って階段登ります。
五重塔目当てで上がって来ましたが、「大師堂」がありました。真言宗の宗祖・弘法大師を祀っているお堂です。
2006年(平成18年)8月17日に訪問した写真には写ってなかった「五重塔」です。思い切り逆光で眩しかったです。中山寺の案内によると・・・。
中山寺の五重塔は青龍塔と名付けております通り、日本ではあまり例を見ない青色であることが特徴です。これは仏の智恵と、東西南北を司る四神のうち東方を司る青龍をイメージしています。五重塔の地下には、ネパールのダルマキールティ僧院より請来された仏舎利(お釈迦様のお骨)が祀られ、また、各層の四隅には釈迦涅槃図さながらにバッタ、トンボ、龍などの生き物の飾り瓦を配しています。これは、さまざまなな生き物が一体となって、仏塔すなわち釈迦仏法を末永く護ってもらいたいという願いを表したものです。塔の内部には、中心を通る心柱を大日如来と捉え、心柱を背にして東は阿閦(あしゅく)如来、南は宝生(ほうしょう)如来、西は無量寿(むりょうじゅ)如来、北は不空成就(ふくうじょうじゅ)如来の金剛界五仏をお祀りしています。2017年(平成29年)の再建。
大師堂の前には「大師像」がありました。
ここから僅かに街並みが見えました。
2007年(平成19年)に再建された「多宝塔(大願塔)」です。こちらも初めて見る建物でした。
「多宝塔(大願塔)」の手前は「阿弥陀堂」です。堂内には阿弥陀如来が祀られています。
下に降りる前に「亥の子地蔵(北向き地蔵)」に寄りました。北向き地蔵とも呼ばれ、多くの方が無病息災を祈るお地蔵さまです。
ここから本堂の前に行かず、この階段から降りました。
納経所の前に「五百羅漢堂」に寄りました。お釈迦さまとそのお弟子である羅漢さまの像が五百体以上祀られるお堂です。
「納経所」は、こちらでした。ここで御朱印いただきました。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
中山寺を9時42分に出ました。ここはアクセスが一番良いかも知れません。京都の六角堂も同じように駅から、すごく近いです。
帰りも阪急中山観音駅から急行に乗りました。次は遠いです。藤井寺市まで行きます。
中山観音駅から歩いて3分ぐらいで着くほど駅から近くの西国三十三ヵ所 第24番札所 紫雲山 中山寺が次の目的地でした。
2006年(平成18年)8月17日以来の中山寺に着きました。
中山寺は聖徳太子によって開創された古刹で、日本最初の観音霊場である。第14代仲哀天皇の妃である大仲姫命(おおなかつひめのみこと)とその子、忍熊皇子(おしくまおうじ)と麛坂皇子(かごさかおうじ)を弔うために創建された寺で、聖徳太子が彼らの墓所である紫の雲がたなびく大紫谷丘陵へ登られ、聳える三山ののうち中の山を伽藍建立の地と定め紫雲山 中山寺と名付けたという。中山寺は安産・子授けの観音様として信仰をあつめ、関白豊臣秀吉が祈願により秀頼をを授かりました。現在の伽藍は秀頼が感謝の意を込めて再建した桃山時代の代表的な建築群として知られている。
「山門」(兵庫県指定文化財)は1646年(正保3年)江戸幕府3代将軍徳川家光により再建されたもの。山門の上層内部には地蔵菩薩、閻魔王、司命、司録が祀られているようです。
山門の表側には、阿形・吽形の「仁王像」と、裏手には「獅子・狛犬」が祀られています。
山門から石段下まで続く参道の両脇には「タイタンビカス」が綺麗に咲いてました。
石段を登ると、ここからはエレベーターやエスカレーターがあるので、お年寄りなどには有難いですね。
本堂は、エスカレーターに上がった所にありますが、その前に「閻魔堂」によりました。本尊は閻魔大王、脇侍に司命・司録を従えています。
その奥は「寿老堂」です。本尊は寿老人、七福神では長寿の象徴として知られています。
私は、ここからエスカレーターに乗りました。エレベーターもあります。
「本堂」までやって来ました。本堂より、そ上の五重塔に驚きです。以前、来た時は無かったから。
本堂でお参りを済ませました。聞くと納経所は下にあるとのこと。帰りに寄ります。
聖徳太子が中山寺を創建された頃の本堂は、幾多の戦火により焼失し、現在の本堂は、1603年(慶長8年)に豊臣秀頼が父豊臣秀吉の冥福と自分の誕生の報恩のため、片桐且元を普請奉行として、再建したものです。
次の石段を上がらず、右隣へ移動します。こちらは「護摩堂」(兵庫県指定文化財)で、本尊は不動明王坐像(平安時代後期の作)だそうです。
右隣に移動し「開山堂(聖徳太子堂)」です。1997年(平成9年)の建立で、まだ新しいですね。
この先の予定を考えたら引き返す所、頑張って階段登ります。
五重塔目当てで上がって来ましたが、「大師堂」がありました。真言宗の宗祖・弘法大師を祀っているお堂です。
2006年(平成18年)8月17日に訪問した写真には写ってなかった「五重塔」です。思い切り逆光で眩しかったです。中山寺の案内によると・・・。
中山寺の五重塔は青龍塔と名付けております通り、日本ではあまり例を見ない青色であることが特徴です。これは仏の智恵と、東西南北を司る四神のうち東方を司る青龍をイメージしています。五重塔の地下には、ネパールのダルマキールティ僧院より請来された仏舎利(お釈迦様のお骨)が祀られ、また、各層の四隅には釈迦涅槃図さながらにバッタ、トンボ、龍などの生き物の飾り瓦を配しています。これは、さまざまなな生き物が一体となって、仏塔すなわち釈迦仏法を末永く護ってもらいたいという願いを表したものです。塔の内部には、中心を通る心柱を大日如来と捉え、心柱を背にして東は阿閦(あしゅく)如来、南は宝生(ほうしょう)如来、西は無量寿(むりょうじゅ)如来、北は不空成就(ふくうじょうじゅ)如来の金剛界五仏をお祀りしています。2017年(平成29年)の再建。
大師堂の前には「大師像」がありました。
ここから僅かに街並みが見えました。
2007年(平成19年)に再建された「多宝塔(大願塔)」です。こちらも初めて見る建物でした。
「多宝塔(大願塔)」の手前は「阿弥陀堂」です。堂内には阿弥陀如来が祀られています。
下に降りる前に「亥の子地蔵(北向き地蔵)」に寄りました。北向き地蔵とも呼ばれ、多くの方が無病息災を祈るお地蔵さまです。
ここから本堂の前に行かず、この階段から降りました。
納経所の前に「五百羅漢堂」に寄りました。お釈迦さまとそのお弟子である羅漢さまの像が五百体以上祀られるお堂です。
「納経所」は、こちらでした。ここで御朱印いただきました。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
中山寺を9時42分に出ました。ここはアクセスが一番良いかも知れません。京都の六角堂も同じように駅から、すごく近いです。
帰りも阪急中山観音駅から急行に乗りました。次は遠いです。藤井寺市まで行きます。
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