西国三十三ヵ所 第5番札所 紫雲山 葛井寺へ

中山寺を9時42分に出て、阪急中山観音駅を9時45分発の急行に乗れました。それほど駅から近いと言うことです。電車は梅田まで乗り、そこからJR大阪駅に乗り換えです。大阪に勤めていた時なら迷わずに行けたと思いますが、すっかり忘れてて、案内版の通りに歩いて行くと大阪駅桜橋口から構内に入って、大阪環状線ホームに。私のメモでは内回りと記憶していたが、ホームに入ってきた電車を見ると天王寺行きは外回り。もうすぐ発車となる電車に乗り込んで、天王寺駅に10時47分に着きました。そこから近鉄阿倍野駅に乗り換えです。こちらも案内版を見て迷わずホームに着くと、準急古市行きが発車間際で、ホームに居た車掌さんに藤井寺駅に止まるか確認し乗り込み、目的の藤井寺駅には11時7分に着きました。この日、最後の訪問は西国三十三ヵ所 第5番札所 紫雲山 葛井寺です。

IMG_5293.jpg私が乗って来た電車をホームに歩きながら撮りました。そして駅を出て東に向いて歩きます。

IMG_5294.jpg2006年(平成18年)8月5日以来でしたが、覚えてました。葛井寺観音参詣道「藤井寺一番街」を南に歩くと、ほどなくして左手に「葛井寺 四脚門(西門)」があります。11時14分に着きました。

天平年間(729~749)に第45代聖武天皇より、諸国に一体ずつ千手千眼観音を祀るよう詔があり、現在ご本尊の十一面千手千眼観世音菩薩が造営された。725年(神亀2年)行基により開眼。百済からの渡来人葛井氏の氏寺として建立されました。南北朝時代に、兵火や地震により堂塔の一部を失うものの、信者らの協力により復興、現在寺の残る最古の建物は四脚門で重要文化財に指定されている。

IMG_5295.jpgIMG_5296.jpgIMG_5297.jpgIMG_5298.jpgIMG_5299.jpg西門を入って本堂に向かって歩いて行くと、最初のお堂があります。「護摩堂」でした。見てませんが、堂内中央に不動明王、左右には、千手観音と役行者の像が安置されてるそうです。

IMG_5300.jpgIMG_5301.jpg護摩堂の向かいには「手水舎」があって、このあと本堂に向かいます。

IMG_5302.jpgIMG_5303.jpgご本尊の国宝「十一面千手千眼観世音菩薩」は毎月18日がご開帳日だそうです。この日は見られませんでしたがお参りは済ませました。

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御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。こちらは金色ですね。散華もいただきました。

IMG_5304.jpg帰りは南門から出ることにします。「本堂」の全景を撮りました。

IMG_5305.jpg境内の東を見ると「釣鐘堂」があって、「非東門」でしょうか?通用口もありました。

IMG_5306.jpg少し下がると同じ東側に「専心龍乗観世音菩薩」がありました。

IMG_5308.jpgIMG_5313.jpgお隣が「大師堂」です。弘法大師像が祀られているのでしょうか?。お隣には修行中の大師像もありました。

IMG_5309.jpgIMG_5310.jpg次に参道の真ん中に「聖武天皇御寄附 寫紫雲石燈篭」があって、石碑で読めました。こちらはレプリカで本物は庭園にあるそうです。

IMG_5312.jpgこちらの松は「旗掛けの松」と呼ばれ、楠木正成が湊川の戦いで戦死した後も息子の正行、正時、正儀は戦いを続け、1347年(正平2年)に葛井寺に於いても幕府側に大勝し、この時「非理法権天」の旗を松の木に立て掛けたとの言い伝えから、このように呼ばれています。

IMG_5314.jpgさらに参道を下がると青銅製の燈籠もありました。こちらは境内図にも載ってないので、名前は分かりません。

西側の工事中の建物は「阿弥陀二十五菩薩堂」です。改修工事をされてるそうです。

IMG_5316.jpg南門の近くには「弁天池」があって、ここには休憩所もあります。今は、急いで帰りたいので寄りません。

IMG_5319.jpg近鉄藤井寺駅に行くには遠回りになりますが南大門から出ました。

IMG_5317.jpgIMG_5318.jpg南大門に仁王像が睨みをきかせています。

IMG_5320.jpgIMG_5322.jpg南大門」から出ました。2025年(令和年年)の「本尊千手観音開基1300年」に向け改修工事をされてたようで、綺麗になりましてたね。

ここを出て、西側を見ると神社があるのを、葛井寺への道順を調べていた時にみつけました。西を見ると歩いて直ぐのようです。これから向かいます。

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