西国三十三ヵ所 第16番札所 音羽山 清水寺へ
9月21日(水)は、台風14号が去り北風が入ったため、大変涼しい朝を迎えました。最低気温が18.5℃と半袖では寒いと感じたのは久しぶりです。6月15日以来、続いていた夏日が前日に解放され、この日も最高気温が24.4℃止まりでした。この涼しい朝を待ってたのが、坂道が少々きつい西国三十三ヵ所 第16番札所 音羽山 清水寺です。
清水寺には、毎年初詣に行ってました。六波羅蜜寺の次に清水寺に行くのが我が家の毎年の恒例行事にしてました。ただ、清水寺の坂道はしんどいです。それで2009年(平成21年)1月1日以来、初詣に清水寺には行かなくなりました。近年は外国人観光客が増え修学旅行生も大挙押し寄せるのと、長い間、本堂を修復工事をされていたので敬遠してましたね。この度、西国三十三ヵ所札所巡りを再開したことで、久しぶりに行って見ることにしました。ただ、夏場は暑いので、この坂道はきつい・・・それで涼しい朝になるのを待ち続け、この日に行くことに決めた訳です。

嵐電嵐山駅を6時47分発の電車に乗って嵐電天神川駅まで行き、そこで地下鉄東西線太秦天神川駅に乗り換えです。
この日は経費削減のため地下鉄東西線東山駅から清水寺まで歩くことにしました。東山三条から市バスを利用することは何度も考えました。ただ通勤通学の時間帯でバスの車内は混んでいると想像できます。混雑が苦手でそれなら歩こうかなぁと言う結論になりました。
東山駅から古川町商店街を通ります。まだ早朝のため商店は開いてませんし、学生さんも歩いてません。商店街から東大路通りに出て、南下すると・・・?。
「八坂神社西楼門」を7時37分に通過しました。そのまま南下です。
市バス清水道のバス停を通過したら松原通りを左手に東に行くと、ここから緩やかな登りが始まります。この登りが清水寺の門前まで続きます。
左手に産寧坂を通過し撮りました。この時間は空いてます。
7時54分「清水寺塔頭眞福寺大日堂」の前を通りました。膝が悪いので、痛むしバテてるし、きついです。
7時56分にやっと清水寺の正門にあたる「仁王門」(重文)前に着きました。涼しかったのに、もう汗だくです。
778年(宝亀9年)延鎮(えんちん)上人が東山の音羽の滝で、老仙人、行叡居士(ぎょうえいこじ)から授けられた霊木で観音様奉彫、庵に祀ったのが清水寺の始まりと言われている。それから2年後鹿狩りに音羽山を訪れた坂上田村麻呂は延鎮上人から殺生を戒められる。田村麻呂は夫人とともに観音信仰に目覚め、寺院建立の願いに協力を申し出ました。自らの殿舎を仏殿とし寄進。以後も十一面千手観世音菩薩を御本尊として寺院を建立し、音羽の瀧の清らかさにちなんで清水寺と名付けました。1994年(平成6年)12月「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。北法相宗(大本山)。
この時間でも数名の方が入って行かれます。先ずは「西門」(重文)横の石段を上がります。
ずっと逆行でしたが、石段を登った所で「仁王門」を撮りました。仁王門は、応仁の乱の戦火で1469年(文明元年)に焼失しましたが、1500年(明応9年)に再建され、2003年(平成15年)に解体修理されました。
ここから遠くに京都タワーが見えました。後程舞台かも見えます。
次に間近に行けませんが「鐘楼」(重文)を見ました。平安期に建造され、江戸時代中期の1607年(慶長12年)に現在の場所に再建・移築されました。
次に、三重塔」(重文)です。現在の建物は江戸時代の1632年(寛永9年)に再建されたもの。ご本尊は大日如来像が祀られてるそうです。
次に正面を通るのが「随求堂」です。1735年(享保20年)の建立。ここでは胎内めぐりを体験できますが、この時間には閉まってました。
次に三重塔と経堂の間を通ります。
正面から「経堂」(重文)です。1633年(寛永10年)の創建で、2000年(平成12年)に解体修理されました。
次に「田村堂(開山堂)」(重文)です。1633年(寛永10年)の創建。坂上田村麻呂・三善高子夫妻像が祀られています。非公開。
拝観受付所は「轟門」(重文)の中にありました。拝観料は400円でした。
8時00分、ようやく国宝「本堂」に入ります。

有名な舞台に出る前に「出世大黒天」が出迎えてくれます。このような風景は、すっかり忘れてました。

舞台には数名しか居なかったので空いてました。2008年(平成20年)2月から2021年(令和3年)3月にかけて「平成の大改修」が行われ綺麗になりました。
清水寺本堂の内陣と内々陣には立ち入ることができません。ご本尊の千手観音菩薩が祀られています。
舞台から京都市街地を見ています。天気が良いので京都タワーがはっきり見えています。
正面に重要文化財に指定されている「子安塔」が見えています。今日は、そちらまで行きません。
下を見ると「音羽の瀧」が見えています。こちらは帰りに寄ります。
あとで清水の舞台を撮るので向かう「奥の院」(重文)です。
本堂は、音羽山の断崖に建ち、1633年(寛永10年)再建の木造建築です。ご本尊は千手観音菩薩。日本古来の伝統工法による丈夫な構造で、多くの参詣者で賑わう舞台を支えています。舞台の柱組は、釘を一本も使わず、樹齢400年余の欅を縦横に通し楔で特殊な技法で地上13㍍の舞台を支えている。

清水寺の有料エリアは、これだけなんです。本堂だけなんですね。次に御朱印を貰いに納経所に向かいます。
「納経所」は8時からのため、この時間に合わせて来た訳です。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。我が家の西国三十三ヵ所巡礼の掛け軸は、ここで買いました。
余談ですが、こちらは地主神社で、まだ閉門してました。
前途したとおり無料エリアを散策です。こちらは「地蔵尊」で、詳細は不明です。
お隣が重要文化財に指定の「釈迦堂」です。堂内には釈迦如来像が祀られているそうで、1631年(寛永8年)の創建です。

次に「阿弥陀堂」(重文)です。1631年(寛永8年)の再建。法然上人25霊場第13番札所として多くの参拝者が訪れます。本尊は阿弥陀如来。


次に「奥之院」ですが、先に眺望を楽しみました。本堂が綺麗に撮れました。

重要文化財に指定されている「奥之院」です。1633年(寛永10年)の再建。平成の大修理で綺麗になりました。
帰り道と案内が出ており、子安の塔に行けるが、今日は次の予定があるので行きません。本堂に戻ります。

ここからショートカットで帰ります。石段は急ですが、降りるので問題無しです。
釘を使ってない見事な柱組を横から見られます。修復工事で綺麗になりました。それにしても、あの急な崖に建てたものです。
「音羽の瀧」に寄りました。清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった瀧です。こんこんと流れ出る清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願します。


舞台の足元に彼岸花が咲いてました。今が見頃ですね。




彼岸花が綺麗に咲いているので、それを見ながら歩いて行きます。





8時20分に仁王門前に戻って来ました。ここからは下りのため行きよりは楽できそうです。



帰りに産寧坂入口にある清水寺の境外塔頭「経書堂(きょうかくどう)」を撮りました。
帰りも松原通りを下っていき、清水道バス停から、市バス202号系統に乗り次へと向かいました。
清水寺には、毎年初詣に行ってました。六波羅蜜寺の次に清水寺に行くのが我が家の毎年の恒例行事にしてました。ただ、清水寺の坂道はしんどいです。それで2009年(平成21年)1月1日以来、初詣に清水寺には行かなくなりました。近年は外国人観光客が増え修学旅行生も大挙押し寄せるのと、長い間、本堂を修復工事をされていたので敬遠してましたね。この度、西国三十三ヵ所札所巡りを再開したことで、久しぶりに行って見ることにしました。ただ、夏場は暑いので、この坂道はきつい・・・それで涼しい朝になるのを待ち続け、この日に行くことに決めた訳です。


この日は経費削減のため地下鉄東西線東山駅から清水寺まで歩くことにしました。東山三条から市バスを利用することは何度も考えました。ただ通勤通学の時間帯でバスの車内は混んでいると想像できます。混雑が苦手でそれなら歩こうかなぁと言う結論になりました。
東山駅から古川町商店街を通ります。まだ早朝のため商店は開いてませんし、学生さんも歩いてません。商店街から東大路通りに出て、南下すると・・・?。

市バス清水道のバス停を通過したら松原通りを左手に東に行くと、ここから緩やかな登りが始まります。この登りが清水寺の門前まで続きます。



778年(宝亀9年)延鎮(えんちん)上人が東山の音羽の滝で、老仙人、行叡居士(ぎょうえいこじ)から授けられた霊木で観音様奉彫、庵に祀ったのが清水寺の始まりと言われている。それから2年後鹿狩りに音羽山を訪れた坂上田村麻呂は延鎮上人から殺生を戒められる。田村麻呂は夫人とともに観音信仰に目覚め、寺院建立の願いに協力を申し出ました。自らの殿舎を仏殿とし寄進。以後も十一面千手観世音菩薩を御本尊として寺院を建立し、音羽の瀧の清らかさにちなんで清水寺と名付けました。1994年(平成6年)12月「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。北法相宗(大本山)。




















本堂は、音羽山の断崖に建ち、1633年(寛永10年)再建の木造建築です。ご本尊は千手観音菩薩。日本古来の伝統工法による丈夫な構造で、多くの参詣者で賑わう舞台を支えています。舞台の柱組は、釘を一本も使わず、樹齢400年余の欅を縦横に通し楔で特殊な技法で地上13㍍の舞台を支えている。



御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。我が家の西国三十三ヵ所巡礼の掛け軸は、ここで買いました。

































帰りも松原通りを下っていき、清水道バス停から、市バス202号系統に乗り次へと向かいました。
この記事へのコメント
こんなに人がいない光景は写真でも見たことがありません。
本当に驚きです。贅沢な参拝ですね。
現在の清水寺は、外国人観光客が増えたので、朝から混雑しているようです。
もう、この時のような空いた写真はむりでしょうね、
ここ最近、11日を過ぎてから外国人観光客が、凄く増えて、何処に行っても混雑しています。
外国人観光客を乗せた観光バスが何台も行き来するようになりました。
もう、このような空いた写真は現在は無理ですね。