西国三十三ヵ所 第6番札所 壷阪山 南法華寺(壷阪寺)へ

9月25日(日)は台風15号が去り、北風が入ってきたからでしょうか、京都の最低気温が16.7℃、奈良の最低気温が15.5℃と大変涼しい朝でした。何故、奈良の気温かと言うと、前日に友人と打ち合わせて、この日は奈良県にある西国札所を巡ることにして、最初に西国三十三ヵ所 第6番札所 壷阪山 南法華寺(壷阪寺)から巡ることにしてたんです。

友人が自宅まで迎えに来てくれて6時30分前に出発、予定では8時30分頃に到着予定でした。今日は3連休の最終日で混雑も予測されましたが、自宅から大原野ICから京都縦貫道に入り、大山崎JCTから名神高速道路に入り、大阪府に入ります。そして吹田JCTから近畿自動車道(天理吹田線)に入り美原JCTから南阪奈道路に入り、道なりに進むと大阪府から奈良県に。羽曳野IC新庄出入口から大和高田バイパスとなり奈良県橿原市に入りました。そこからはナビの誘導もありますが、2006年(平成18年)8月14日と2007年(平成19年)3月21日に来てるので、覚えてましたし2009年(平成21年)5月1日に高取城を登城時に、壺阪寺の前は通っています。

IMG_5739.jpg8時35分に壺阪寺の駐車場に着きました。開門が8時30分からのため、明日香村で時間調整してのことです。

拝観受付所で拝観料は600円を納めます。駐車料金は500円は帰りに精算する方式でした。それでは入山します。

IMG_5740.jpg最初に見るお堂は「大講堂」です。2000年(平成12年)建立。ご本尊は弘法大師像(鎌倉時代)。しかし、内部には入らず次へと向かいます。

703年(大宝3年)に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺の中に観世音の姿を感得し、弁基は、その壺を坂の上の庵に納め、観音像を刻んで祀ったのが始まりといわれる。717年(養老元年)第44代元正天皇に奏じて御祈願寺となり、そして八角円殿が建てられ南法華寺の正式寺号を賜った。その後、観音霊場として栄え、平安時代には36堂60余坊が建ち並ぶも、4度の火災により室町時代に建てられた三重塔と礼堂が最古の建物である。

IMG_5741.jpgIMG_5743.jpg本堂に向かうため石段を上がって行くと「仁王門」をくぐります。1212年(建暦2年)建立。昭和には解体修理を行ったが、1998年(平成10年)の台風により屋根が半壊。「壷阪寺開創1300年」を期して、建立場所を現在の場所に移し、解体修理されました。

IMG_5744.jpgIMG_5745.jpgIMG_5746.jpg仁王像の前には、仁王像の下駄があります。仁王像の大きさは一丈一尺、背後からの釣金の助けなく立たれているとありましたが尺・・・分かりません😂。

IMG_5748.jpg仁王門をくぐると、また石段です。

IMG_5749.jpg上がると左手に「多宝塔」があって、ご本尊は大日如来(平安時代)だそうです。2003年(平成15年)建立で、まだ新しいですね。

IMG_5750.jpgお隣が「灌頂堂」で、ご本尊が十一面千手観音菩薩(室町時代)、豊臣秀長公像、本多俊政公像安置(安土・桃山時代)を安置。2005年(平成17年)建立と、こちらも新しいです。

IMG_5754.jpgIMG_5757.jpgIMG_5758.jpg矢印の右手は帰りに寄ることにして石段を登って本堂に向かいます。

IMG_5760.jpgIMG_5762.jpgIMG_5763.jpg階段を上がって行くと、突き当たりに「慈眼堂」が見えます。

IMG_5765.jpg慈眼堂を出たら壺阪寺で最も古い建物である「三重塔」と「礼堂」が見えました。

IMG_5766.jpg1497年(明応6年)再建の重要文化財に指定されている「三重塔」です。内部は非公開のようです。

IMG_5768.jpgこちらも室町時代の建物、1103年(康和5年)再建で、重要文化財に指定されている「礼堂」です。

IMG_5769.jpgIMG_5770.jpg礼堂から振り向いて「慈眼堂」と「三重塔」を撮りました。次に堂内に入ります。

IMG_5771.jpgIMG_5772.jpgここで靴を脱いで「礼堂」内に入ります。

IMG_5773.jpg家族が毎月病院に行き眼科を受診しているので、ここでお参りさせて貰いました。

IMG_5774.jpgIMG_5775.jpg次に「八角円堂」(本堂)に入ります。703年(大宝3年)の創建で、江戸時代に再建されました。

IMG_5776.jpgご本尊の「十一面千手観世音菩薩」です。第44代元正天皇は皇女の折、壺阪寺に詣でて眼病の治癒を祈ったと伝わります。第50代桓武天皇、第66代一条天皇も眼病を平癒された伝わっています。

IMG_5778.jpg執金剛神像」(しゅこんごうじんぞう)手に金剛杵(こんごうしょ)を持ち仏法を護る夜叉神。

IMG_5779.jpg最後に「地蔵菩薩像」にお参りし出て行きました。

IMG_5785.jpg「八角円堂」(本堂)を出て「納経所」に行きました。

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御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。

IMG_5781.jpgIMG_5782.jpgこのあと「お里沢市身投身の谷」があります。「壷坂霊験記」によると・・・?。

今より三百年以上昔、座頭の沢市は三つ違いの女房お里と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職というなんともつつましい暮らしであった。そんな沢市の胸中に一つ不安が生まれていた。というのも明けの七つ(午前四時)になると、お里が毎晩床を抜け出していたからだ。「もしや好きな男が・・・」と問いただすと、お里は沢市の目の病が治るよう、この三年もの間欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていると訴える。疑った自分を恥じる沢市はともに観音様にお参りすることにしたが、心の中は盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責める。そして、一度お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと自分の身を投げてしまうのであった。
不吉な予感であわてて戻るお里は、非常な現実に遭遇し、自らも身を投げてしまう。しかし、二人のせつない夫婦愛が、観音様の霊験により奇跡が起こり、沢市・お里は助かり、沢市の目が開眼した。本堂横手には、そのお里、沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられている谷がある。

IMG_5780.jpgここには「お里沢市の像」もあります。

IMG_5783.jpgIMG_5784.jpg八角円堂」(本堂)と「礼堂」を遠目から撮りました。

IMG_5786.jpgこちらは「めがね供養観音」です。古いめがねやコンタクトレンズは台座に奉納供養されます。

IMG_5792.jpg出口に戻る途中に「天竺渡来佛伝図レリーフ」(釈迦一代記)に寄りました。1987年(昭和62年)設置。高さ3㍍で、全長は500㍍もあります。

IMG_5797.jpgともに重要文化財に指定されている「三重塔」と「礼堂」です。

IMG_5799.jpgこちらは鎌倉時代の「宝篋印塔」です。

IMG_5800.jpg帰りは「天竺門」から出て行きます。

IMG_5801.jpgIMG_5803.jpg次に「中興堂」によりました。案内によると明治維新の廃仏毀釈で廃寺になりかけた壺阪寺を復興。伽藍復興や社会事業に尽力した人らを祀るお堂とありました。

ここで友人は、「天竺渡来大観音石像」や「天竺渡来大涅槃石像」を見に階段を登って行きました。私は膝のことを考え、ここから降りて行きます。

CIMG0700.jpg私は行ってないので2006年(平成18年)8月14日の写真です。「天竺渡来大観音石像」は、1983年昭和58年3月に開眼。全長20㍍、全重量1200㌧です。

CIMG0702.jpg正面から写真を撮って無かったようで、「天竺渡来大涅槃石像」です。1999年(平成11年)安置。全長8㍍でした。

CIMG0697.jpgここからの眺望は素晴らしいものでした。

IMG_5804.jpg私は、ここから降りて行きます。

IMG_5805.jpgIMG_5806.jpg帰りに見る予定だった「天竺渡来 大釈迦如来石像」です。2007年(平成19年)11月開眼、身丈10㍍、台座5㍍でした。
 
IMG_5807.jpgIMG_5809.jpg階段を降りてきて「天竺渡来 大石堂(納骨永代供養堂)」に寄ってみました。

IMG_5817.jpg先程上から見ていた「天竺渡来 大釈迦如来石像」を、今度は正面から見に来ました。

IMG_5821.jpgIMG_5826.jpg仁王門から出口に向かって歩いて行くと、猫が一匹毛繕いをしていたので撮らして貰いました😊。

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私が先に降りて来たので駐車場で友人を待ちました。駐車場からの眺望も良かったです。

9時20分頃に、壺阪寺の駐車場を出て行きました。次は明日香村に入ります。

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