西国三十三ヵ所 第32番札所 繖山 観音正寺へ
岐阜県関ヶ原にある「関ヶ原鍾乳洞」(定休日)を見損なったて、その代わりに「旧陸軍火薬庫」を見てから出て行き、再び関ケ原町内に入り、関ヶ原ICから名神高速道路に入りました。名神は彦根ICで降り国道8号線を彦根市から豊郷町、愛荘町、そして近江八幡市に入り、西祖蘇の交差点を右折すると新幹線高架をくぐり、あとは真っ直ぐに進みます。その交差点には「観音正寺表参道」と小さな看板は出てました。
私らは観音正寺表参道林道を利用しましたが、西祖蘇の交差点の遙か手前の「五個荘南」を交差点を右折し、「観音正寺裏参道林道」を利用するほうが絶対に良いです。理由は後程。
前途した西祖蘇の交差点を右折すると、真っ直ぐ進むと「表参道料金ゲート」があるので、そこで600円払うと手動でゲートを上げてくれます。あとは一本道の林道をぐんぐん登っていくと駐車場に着きました。ここから行けると思いきや、ここは7合目あたりで。ここから急な石段・・・この自然に積まれただけの石段の話しは後程にして、ここに来た目的は西国三十三ヵ所 第32番札所 繖山 観音正寺で、「千手観音菩薩特別御開帳」を2023年7月10日までされてました。
駐車場に車を停めて12時37分に登山開始です。ここは石段を上がると言うには酷です。
2006年(平成18年)10月15日には、今日は7合目から登りましたが、その時は、下から登りました。上醍醐は登るのに2時間かかりますが、こちらは40分ぐらいでしょう、しかし、こちらの方がきついです。その経験で、2009年(平成21年)4月9日には能登川駅からタクシーを利用。タクシーは観音正寺裏参道林道を通るので、降りてから入口まで、階段が無い平坦な山道を歩くので楽に行けました。余談ですが、この時、観音正寺から観音寺城を見ながら安土側に降りて行きました。
こま急な石段、それに一段一段が高くて歩きづらいです。ここに木札があって「三十三 昨日より今日 今日寄り明日」と書いてあります。ここは三十三ですが、一になるまで登りは続きます。
登り始めて3分、こんな急な石段見ると、引き返したくなります。
ここまで来ると、番号が「五」になりました。あともう一踏ん張りです。私は手摺りの助けを借りて登りました。
12時47分に、ようやく着きました。たった10分と思われるかも知れませんが、着いた頃にはヘトヘトでした。林道を利用するなら裏参道にするべきです。
観音正寺は、今から約1400年前、聖徳太子によって、標高433㍍の繖山の山頂に開創されました。 第33代推古天皇の御代、近江国を遍歴していた聖徳太子は湖水から浮かび出てきた人魚と出会います。 人魚は「私は永年漁師であり、殺生を業としていたため、このような姿になりました。繖山のこの地に伽藍を建て、どうか私を成仏させてください」と懇願しました。それを聞いた聖徳太子は哀れに思い、その願いを聞き入れ自ら千手観音の像を刻み、堂塔を建立されました。後に人魚は成仏し、死骸は浜辺に浮いていると太子の夢枕に報告したので、回収させて当寺に納めさせたとあり、寺にはその人魚のミイラと称するものが伝えられていたが、1993年(平成5年)の火災により本堂、ご本尊とともに焼失しました。創建当時は、寺は山頂近くに建てられましたが、戦国時代になり、ここを拠点にしていた佐々木六角氏が、ここに城を築いたため、寺は麓に移されました。観音寺城は織田信長により滅ぼされ、1597年(慶長2年)に再び山上の現在地に戻りました。
参道入口に建つ仁王像です。以前は自由に本堂まで行けましたが・・・?。
2009年(平成21年)4月9日に来た時には無かった「拝観受付所」がありました。拝観料500円と秘仏特別内陣拝観料500円を納めました。
無料だったのになぁ・・・と思いながら、参道を歩きます。左手には「茶所」がありましたが寄りません。
次に、「北向き地蔵尊」に寄りました。この地蔵尊は、一願地蔵とも呼ばれ、人に言えない苦しみを、一心に真言を唱えると願い叶うという。
本堂が近づいて来ました。左手は「書院」があって、玄関が開いてます。
こちらは「茶園」で、聖徳太子自ら刻んだご本尊千手観音菩薩の献茶用の茶園です。中央の石は釈迦牟尼仏で、人が踏み入れないよう四方に柵がしてあります。
こちらは「釈迦如来坐像(濡仏)」で、江戸時代に安置されたが、太平洋戦争中の金属類回収令によって供出されて無くなり、1983年(昭58年)に再び安置されたものです。
次に「手水舎」がありました。
その向かいの杉の大木にある祠は「杉之江大明神之洞」と書かれてました。
その先には「護摩堂」(国登録有形文化財)があって、不動明王が祀られているようです。1928年(昭和3年)建立とありました。
こちらは「地蔵堂」(国登録有形文化財)でしょう。1981年(明治14年)建立です。
そして「本堂」です。1993年(平成5年)5月22日の本堂火災により焼失し、 2004年(平成16年)に再建されました。
本堂に上がるには向かって右から靴を脱いで入ります。
本堂の横には無造作に積み上げられた石積みがあって、そこには「縁結地蔵尊」が祀られていました。
それでは本堂に上がり御朱印をいただきます。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
ここで内陣特別拝観に入ります。チケットは入口で購入しているので半券を箱に入れるだけです。
観音正寺では、1400年の間に、33年に一度「秘仏千手観世音菩薩御開帳」の儀式をされていました。それが1993年(平成5年)5月22日の本堂火災によりご本尊、秘仏千手観世音菩薩とともに焼失してしまい、33年に一度の儀式が途絶えました。だが、秘仏本尊の身代わり像「 御前立」が仏具店に預けられていて無事だったことが分かりました。その御前立が、今回の千手観音立像です。御前立はその後に返還され、寺の倉庫で2012年5月、解体された状態で見つかりました。その見つかったお前立ちを、新たな秘仏として祀るため同像を修復し、納める 厨子ずし ( 宮殿くうでん )の制作なども行ってきた。法要は火災が起きた22日に営まれ、本堂後陣に据えられた厨子の扉が開かれ、 白檀 色に塗り、 金箔きんぱく を貼るなどして装いを新たにした秘仏千手観音立像が現れたわけです。そこで、当寺では儀式を復活させ2023年(令和5年)7月10日まで御開帳されます。この御開帳は79年振りだとか。
本尊はインドの白檀で彫られた巨大な観音像で、秘仏は、そのご本尊の裏手に祀られてました。修復されたばかりで、見た目が綺麗でした。次の御開帳は33年後の2055年だそうです。
ご本尊と秘仏にお参りできたので、来て見て良かったです。秘仏公開はTwitterの情報で知りました。
ここから安土の街並みが見えます。今日はタイミングが悪く新幹線は見ることができませんでした。
この写真右側に観音寺城があります。
この繖山から眼下に広がる安土の街並みが綺麗に見えました。さすがに近江米の米所、田園風景が綺麗です。
案内はありませんが、多分、聖徳太子像と思ってます。ここの開基は聖徳太子です。
2009年(平成21年)4月9日に観音寺城は登城しました。
こちらは五個荘の街並みが綺麗に見えます。
今日は、行きませんでしたが「奥之院」に通じる石段です。あまりにも急なためロープが吊されています。
こちらが裏参道の入口です。この境内図の前が駐車場で、ごらんのように平坦な道を歩いて観音正寺入り口まで行けます。こちらの方が断然楽です。
13時5分に駐車場に向け降り始めました。
13時17分に駐車場に到着です。帰りは12分もかかりました。石段の一段づつが高いので、慎重に降りたから。友人はとっくに降りてました😊。
駐車場も5台ほど止まっています。皆さん苦労して登られたのでしょう。何回も言いますが、裏参道の林道の方が絶対に楽に行けます。こちらはお勧めできません。
13時20分頃、次の目的地に向かって出発しました。
私らは観音正寺表参道林道を利用しましたが、西祖蘇の交差点の遙か手前の「五個荘南」を交差点を右折し、「観音正寺裏参道林道」を利用するほうが絶対に良いです。理由は後程。
前途した西祖蘇の交差点を右折すると、真っ直ぐ進むと「表参道料金ゲート」があるので、そこで600円払うと手動でゲートを上げてくれます。あとは一本道の林道をぐんぐん登っていくと駐車場に着きました。ここから行けると思いきや、ここは7合目あたりで。ここから急な石段・・・この自然に積まれただけの石段の話しは後程にして、ここに来た目的は西国三十三ヵ所 第32番札所 繖山 観音正寺で、「千手観音菩薩特別御開帳」を2023年7月10日までされてました。
駐車場に車を停めて12時37分に登山開始です。ここは石段を上がると言うには酷です。
2006年(平成18年)10月15日には、今日は7合目から登りましたが、その時は、下から登りました。上醍醐は登るのに2時間かかりますが、こちらは40分ぐらいでしょう、しかし、こちらの方がきついです。その経験で、2009年(平成21年)4月9日には能登川駅からタクシーを利用。タクシーは観音正寺裏参道林道を通るので、降りてから入口まで、階段が無い平坦な山道を歩くので楽に行けました。余談ですが、この時、観音正寺から観音寺城を見ながら安土側に降りて行きました。
こま急な石段、それに一段一段が高くて歩きづらいです。ここに木札があって「三十三 昨日より今日 今日寄り明日」と書いてあります。ここは三十三ですが、一になるまで登りは続きます。
登り始めて3分、こんな急な石段見ると、引き返したくなります。
ここまで来ると、番号が「五」になりました。あともう一踏ん張りです。私は手摺りの助けを借りて登りました。
12時47分に、ようやく着きました。たった10分と思われるかも知れませんが、着いた頃にはヘトヘトでした。林道を利用するなら裏参道にするべきです。
観音正寺は、今から約1400年前、聖徳太子によって、標高433㍍の繖山の山頂に開創されました。 第33代推古天皇の御代、近江国を遍歴していた聖徳太子は湖水から浮かび出てきた人魚と出会います。 人魚は「私は永年漁師であり、殺生を業としていたため、このような姿になりました。繖山のこの地に伽藍を建て、どうか私を成仏させてください」と懇願しました。それを聞いた聖徳太子は哀れに思い、その願いを聞き入れ自ら千手観音の像を刻み、堂塔を建立されました。後に人魚は成仏し、死骸は浜辺に浮いていると太子の夢枕に報告したので、回収させて当寺に納めさせたとあり、寺にはその人魚のミイラと称するものが伝えられていたが、1993年(平成5年)の火災により本堂、ご本尊とともに焼失しました。創建当時は、寺は山頂近くに建てられましたが、戦国時代になり、ここを拠点にしていた佐々木六角氏が、ここに城を築いたため、寺は麓に移されました。観音寺城は織田信長により滅ぼされ、1597年(慶長2年)に再び山上の現在地に戻りました。
参道入口に建つ仁王像です。以前は自由に本堂まで行けましたが・・・?。
2009年(平成21年)4月9日に来た時には無かった「拝観受付所」がありました。拝観料500円と秘仏特別内陣拝観料500円を納めました。
無料だったのになぁ・・・と思いながら、参道を歩きます。左手には「茶所」がありましたが寄りません。
次に、「北向き地蔵尊」に寄りました。この地蔵尊は、一願地蔵とも呼ばれ、人に言えない苦しみを、一心に真言を唱えると願い叶うという。
本堂が近づいて来ました。左手は「書院」があって、玄関が開いてます。
こちらは「茶園」で、聖徳太子自ら刻んだご本尊千手観音菩薩の献茶用の茶園です。中央の石は釈迦牟尼仏で、人が踏み入れないよう四方に柵がしてあります。
こちらは「釈迦如来坐像(濡仏)」で、江戸時代に安置されたが、太平洋戦争中の金属類回収令によって供出されて無くなり、1983年(昭58年)に再び安置されたものです。
次に「手水舎」がありました。
その向かいの杉の大木にある祠は「杉之江大明神之洞」と書かれてました。
その先には「護摩堂」(国登録有形文化財)があって、不動明王が祀られているようです。1928年(昭和3年)建立とありました。
こちらは「地蔵堂」(国登録有形文化財)でしょう。1981年(明治14年)建立です。
そして「本堂」です。1993年(平成5年)5月22日の本堂火災により焼失し、 2004年(平成16年)に再建されました。
本堂に上がるには向かって右から靴を脱いで入ります。
本堂の横には無造作に積み上げられた石積みがあって、そこには「縁結地蔵尊」が祀られていました。
それでは本堂に上がり御朱印をいただきます。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
ここで内陣特別拝観に入ります。チケットは入口で購入しているので半券を箱に入れるだけです。
観音正寺では、1400年の間に、33年に一度「秘仏千手観世音菩薩御開帳」の儀式をされていました。それが1993年(平成5年)5月22日の本堂火災によりご本尊、秘仏千手観世音菩薩とともに焼失してしまい、33年に一度の儀式が途絶えました。だが、秘仏本尊の身代わり像「 御前立」が仏具店に預けられていて無事だったことが分かりました。その御前立が、今回の千手観音立像です。御前立はその後に返還され、寺の倉庫で2012年5月、解体された状態で見つかりました。その見つかったお前立ちを、新たな秘仏として祀るため同像を修復し、納める 厨子ずし ( 宮殿くうでん )の制作なども行ってきた。法要は火災が起きた22日に営まれ、本堂後陣に据えられた厨子の扉が開かれ、 白檀 色に塗り、 金箔きんぱく を貼るなどして装いを新たにした秘仏千手観音立像が現れたわけです。そこで、当寺では儀式を復活させ2023年(令和5年)7月10日まで御開帳されます。この御開帳は79年振りだとか。
本尊はインドの白檀で彫られた巨大な観音像で、秘仏は、そのご本尊の裏手に祀られてました。修復されたばかりで、見た目が綺麗でした。次の御開帳は33年後の2055年だそうです。
ご本尊と秘仏にお参りできたので、来て見て良かったです。秘仏公開はTwitterの情報で知りました。
ここから安土の街並みが見えます。今日はタイミングが悪く新幹線は見ることができませんでした。
この写真右側に観音寺城があります。
この繖山から眼下に広がる安土の街並みが綺麗に見えました。さすがに近江米の米所、田園風景が綺麗です。
案内はありませんが、多分、聖徳太子像と思ってます。ここの開基は聖徳太子です。
2009年(平成21年)4月9日に観音寺城は登城しました。
こちらは五個荘の街並みが綺麗に見えます。
今日は、行きませんでしたが「奥之院」に通じる石段です。あまりにも急なためロープが吊されています。
こちらが裏参道の入口です。この境内図の前が駐車場で、ごらんのように平坦な道を歩いて観音正寺入り口まで行けます。こちらの方が断然楽です。
13時5分に駐車場に向け降り始めました。
13時17分に駐車場に到着です。帰りは12分もかかりました。石段の一段づつが高いので、慎重に降りたから。友人はとっくに降りてました😊。
駐車場も5台ほど止まっています。皆さん苦労して登られたのでしょう。何回も言いますが、裏参道の林道の方が絶対に楽に行けます。こちらはお勧めできません。
13時20分頃、次の目的地に向かって出発しました。
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