西国三十三ヵ所 第31番札所 姨綺耶山 長命寺へ
観音正寺の表参道の林道を降りて行き、道なりに西に進み県道26号線(浜街道)に出ます。あとは車を北に向け走らせすると近江八幡市の市街に出ます。この辺りにはヴォーリズの建築物が点在しているので、走ってて面白いです。ラ コリーナ近江八幡の前も通りました。その県道26号線の突き当たりを左折し、さざみな街道を琵琶湖に向かって走らすと、西国三十三ヵ所 第31番札所 姨綺耶山 長命寺に着きました。
長命寺と書かれた大きな看板がありますが、ここから徒歩で来たら808段の石段を登る必要があります。ただ車の場合は林道を利用できるので、そちらに向かいました。ここは林道料金も駐車料金も無料です。車はクネクネした急な登り坂を登って行くと・・・?。
13時52分に7合目にある駐車場に着きました。
長命寺の、ご本尊は千手十一面聖観世音菩薩で、健康長寿、無病息災を授けて下さる有り難い観音様です。本堂三重塔など重文の建つ境内から琵琶湖が一望でき、西国巡礼を始め多くの参拝客でに賑わっています。1900年もの長い歴史が長命寺は、琵琶湖の風景を望める長命寺山(3333㍍)の標高250㍍の山腹にあります。寺の歴史は古く第12代景行天皇の時代に遡ります。武内宿禰(たけうちのすくね)がこの山で長寿を祈願し、300歳以上の長寿を保ち、5代もの天皇(景行・成務・仲哀・応神・仁徳)に仕えたったとう。後に聖徳太子がこの地を訪れた時、白髪の老翁が現れ「この霊木で聖像を刻み、伽藍を建立したら武内宿禰も大いに喜び、諸国万人が等しく崇敬する寺にとなるであろう。」と告げたので、大師は自ら尊像を刻み、伽藍を建立。長寿の宿禰に因み長命寺と名付けました。伽藍は、戦国時代の兵火により焼失し、現在の建物は室町時代に再建されたのです。


先程、観音正寺で、あのきつい石段を登ってきたばかりで、またこの階段です。

ようやく前方に入口にある門が見えて来ました。

駐車場から約100段の石段を登って「冠木門」に着きました。

13時57分に門をくぐり「手水舎」に着きました。本堂に行くには、もう少し石段を登ります。

左手に「書院」を見て、再び石段を登ります。


14時00分に石段を登り切りました。こちらは後程行く「本堂」です。
先に「三重塔」を見て行きます。

石段を登る手前にあるのが「閼伽井堂」で、中を覗いてみました。
「三重塔」(重文)は、1320年(元応2年)に建立。1516年(永正13年)に焼失し、1589年(天正17年)から1597年(慶長2年)にかけて再建されました。内陣には本尊の大日如来像、四天王立像が安置されています。
お隣には「護摩堂」(重文)がありました。1606年(慶長11年)に三重塔に続いて再建されました。本尊は不動明王です。

石段を降りようとしたら、遠くに琵琶湖が見えました。
その先に「琵琶湖周航の歌」の碑がありました。
「西国十番 長命寺 汚(けが)れの現世(うつしよ)遠く去りて 黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん 語れ我が友 熱き心」と書いてあります。

琵琶湖を見たあとは、いよいよ「本堂」に上がります。長命寺の本堂は、1516年(永正13年)の焼失後、1522年(大永2年)から1524年(大永4年)にかけて再建されました。内陣中央に千手観音像を中心に、左に聖観音立像、右に十一面観音立像が安置されていました。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。そして家族に健康長寿の御守りもいただきました。


御朱印をいただいたあと、堂内を見て回り、ご本尊にお参りして出て行きました。

ここまで来たので境内を見て回ります。先ずは「三仏堂」(滋賀県指定有形文化財)から。このお堂は1184年(元暦元年)佐々木秀義の菩提を弔うために、その子定綱が建立。釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来の三尊が祀られています。

「長命寺護法権現社拝殿及び渡廊下」(滋賀県指定有形文化財) 護法権現社は長命寺の護法神として開山武内宿禰を祀り、本殿は江戸時代後期の再建とみられています。三仏堂へ続く渡り廊下は、拝殿と同時聞きの建築とみらています。
次に境内の奥にある石段を登ります。

登ると奥に大きな岩があります。「修多羅岩」と書いてあって、修多羅とは、仏教用語で天地開闢天下太子孫繁栄を言います。長命寺開闢長寿大臣の武内宿禰大将軍がご神体とにっています。

ここが目的でした。「鐘楼」(重文)です。1608年(慶長13年)に再建されました。
鐘楼から降りてきて「如法行堂」に寄りました。勝運将軍地蔵尊、知恵文殊菩薩、福徳庚申尊が祀られています。
木々が覆い茂っており、ここからの眺望はイマイチでした。





14時13分に「冠木門」を出ました。帰る時には、下から上がって来られる方は居ませんでした。


14時18分に駐車場まで戻って来ました。友人が遅れて来るので、ここで少し待ちました。
駐車場のある7合目から下を見ています。下からは808段の石段を登ってきます。20分ぐらいかかるでしょう。
14時20分に長命寺の駐車場を出ました。
長命寺を出て、暫くは湖岸道路(さざなみ街道)を走ります。ほどなくして湖岸白鳥川の信号機があるので左折し浜街道を走ります。ほぼ一本道で、国道8号線を横切り弓削の交差点を右折。次に西川西の交差点を左折し、名神高速道路竜王ICから高速に入り京都東ICを目指します。名神高速道路京都東ICで高速を降り、国道9号線を西に進み山科区から京都市街地に入り、帰路につきました。
長命寺と書かれた大きな看板がありますが、ここから徒歩で来たら808段の石段を登る必要があります。ただ車の場合は林道を利用できるので、そちらに向かいました。ここは林道料金も駐車料金も無料です。車はクネクネした急な登り坂を登って行くと・・・?。

長命寺の、ご本尊は千手十一面聖観世音菩薩で、健康長寿、無病息災を授けて下さる有り難い観音様です。本堂三重塔など重文の建つ境内から琵琶湖が一望でき、西国巡礼を始め多くの参拝客でに賑わっています。1900年もの長い歴史が長命寺は、琵琶湖の風景を望める長命寺山(3333㍍)の標高250㍍の山腹にあります。寺の歴史は古く第12代景行天皇の時代に遡ります。武内宿禰(たけうちのすくね)がこの山で長寿を祈願し、300歳以上の長寿を保ち、5代もの天皇(景行・成務・仲哀・応神・仁徳)に仕えたったとう。後に聖徳太子がこの地を訪れた時、白髪の老翁が現れ「この霊木で聖像を刻み、伽藍を建立したら武内宿禰も大いに喜び、諸国万人が等しく崇敬する寺にとなるであろう。」と告げたので、大師は自ら尊像を刻み、伽藍を建立。長寿の宿禰に因み長命寺と名付けました。伽藍は、戦国時代の兵火により焼失し、現在の建物は室町時代に再建されたのです。






















「西国十番 長命寺 汚(けが)れの現世(うつしよ)遠く去りて 黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん 語れ我が友 熱き心」と書いてあります。


御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。そして家族に健康長寿の御守りもいただきました。

























長命寺を出て、暫くは湖岸道路(さざなみ街道)を走ります。ほどなくして湖岸白鳥川の信号機があるので左折し浜街道を走ります。ほぼ一本道で、国道8号線を横切り弓削の交差点を右折。次に西川西の交差点を左折し、名神高速道路竜王ICから高速に入り京都東ICを目指します。名神高速道路京都東ICで高速を降り、国道9号線を西に進み山科区から京都市街地に入り、帰路につきました。
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