名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠

谷汲山華厳寺を出て、山門の交差点を右折します。県道40号線(西美濃お茶街道)を走ります。この辺りは岐阜県揖斐川町なんでね。このあと池田ふれあい街道に変わり、ほぼ南下すると次に県道53号(伊吹ばら街道)を走り、ほどなくして関ヶ原に入りました。あの「関ヶ原の戦い」の舞台ですし、あちらこちらに古戦場の看板が出ています。今度は古戦場巡りしたくなりますね。そして2013年(平成25年)11月6日1に訪れた「関ヶ原 胡麻の郷」前を通りました。懐かしかったですが、寄りたいとは思いません。

IMG_6171.jpg10時45分に目的地に着きました。目的地は「関ヶ原鍾乳洞」でしたが・・・?。

調べたつもりがリサーチ不足で、水曜日が定休日でした😂。友人に申し訳ないことをしました😢。関ヶ原鍾乳洞は親に連れられて来た思い出があります。谷汲山の帰りに寄って貰うつもりが・・・ガックリです。このまま帰るつもりが、以外な遺蹟を見ることができました。

ここは旧陸軍火薬庫で、正式には名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠があったところでした。

IMG_6175.jpgIMG_6177.jpgIMG_6178.jpg友人は、少し入って行きましたが、私は勇気無かったです。

大正初期より昭和20年までの30年間、この区域一帯は火薬庫として使用されていました。周囲6㌔、面積は約270㌶あり、東洋一の規模だったと言われています。ここに火薬庫が造られたのは、交通の便はよく、点在する小高い丘は洞窟を築く上で都合がよいなど、立地条件に恵まれていたからです。

立哨台(りっしょうだい)
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これは戦時中火薬庫内の監視・警戒にあたる歩哨(兵士)が、昼夜を分かたず交代で立っていたボックスです。かつてこの立哨台は煉瓦造りの営門前をはじめ、庫内の主要な場所六箇所に設置されていて、火薬庫のシンボルともなっていました。前後この立哨台と洞窟だけが解体を免れ、当時を物語っています。

IMG_6176.jpg10時51分に、次の目的地に向かって出て行きました。

次の目的地は、滋賀県です。

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