西国三十三ヵ所 第26番札所 法華山 一乗寺へ
10月6日(木)の京都の最低気温は16.5℃と今季最低を記録するほど涼しいのを通り越して寒い朝を迎えました。それまでは、10月1日(土)30.9℃の真夏日を記録し、それが4日(火)まで続き、その4日が30.2℃。真夏日4日連続のあとの5日(水)に寒冷前線が通過すると気温が急降下し、その5日の最高気温22.1℃と前日より8℃も低くなるほど寒気が強まっていた・・・その翌日の朝が前途したとおり、今季最低となりました。6日(木)は当初から予定を決めていて、前々日までにJRみどりの券売機で、新幹線の座席指定券を購入してました。そして当日朝早く寒いなか出掛けたわけです。目指すは兵庫県姫路市です。
新幹線に乗るのは久しぶりです。2015年(平成31年)2月22日以来だと思います。
京都駅までJRを利用し、京都駅7時20分発のひかり531号に乗り、姫路には8時3分に着く予定です。
発車した京都市の天気は曇ってました。姫路はどうでしょうか?。予報は良かったですが・・・。
8時3分に着きましたが、姫路から出るバスの時刻が9時00分で、姫路の待合室で40分座って待ちました。姫路駅を発着する新幹線が少なくて・・・次の新幹線なら9時を回ってしまうので、仕方ないかと。新快速を利用するなら京都駅6時53分発で、姫路駅には8時32分に着くのがありますが、所用時間が99分です。新幹線が40分・・・1時間近く余計に超混雑している電車で乗る考えは無かったですね。
姫路駅北口ターミナル14番乗り場からバスは出ます。15分前に行き待ってました。
事前に神姫バスの時刻表を入念に調べました。目的地は西国三十三ヵ所 第26番札所 法華山 一乗寺で、9時00分に出たバスは9時37分に着きます。そして帰りのバスが法華山一乗寺を10時8分に出るバスで、目的地に居られる時間が31分です。バスは時間通りに着かない可能性もあるので、着いたら直ぐに御朱印と散華を貰う作戦をたてました。10時8分を乗れなかったら、次が11時38分までバスはありません。
結果・・・姫路駅北口14番乗り場「社行き71号系統」9時00分発のバスは「法華山一乗寺前」に予定どおり9時37分に着きました。
650年(白雉元年)インドからやって来た法道仙人(播州清水寺や花山院の開祖)によって開山された古刹です。法道仙人はインドから紫の雲に乗って中国朝鮮を経て飛来したとされ、播磨の山中に八葉の蓮華の形をした霊峰を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したという。仙人の持ち物は、銅造聖観音像と仏舎利、宝鉢のみ。”千手飛鉢の法”を用いて、この鉢を飛ばして供養を受けていました。ある時、海上を航行する船に供養米のお布施を頼んだところ、拒絶されることがありました。すると飛び帰る空鉢にしたがって米俵は一つも残らず群雁の如く飛び去ってしまった。驚いた船師が仙人の元に訪ね過ちを悔いて米俵を返して貰った。その後、仙人が優れた修行者であることが都にも伝わり、646年(大化5年)、第36代孝徳天皇の病気を治す祈願をし、その功績により「一乗寺」の勅願を賜り、650年(白雉元年)に金堂を建立。988年(永延2年)花山法皇が行幸され、金堂を大悲閣と命名し、西国第26番札所と定め、以後、巡礼の霊場となりました。

バスを降りると直ぐの所に「拝観受付所」があるので、500円を納めます。事前に調べて500円コインを用意しておきました。
時間のこともあって迷いたくないので受付で、納経所の場所を聞きました。階段上がって本堂の中にあると確認し急いで向かいます。

ここから172段の石段を一気に上がります。


先ずは登り切ったところに「常行堂」(阿弥陀堂)がありました。第45代聖武天皇の勅願により建立。1553年(天文22年)再建。 1868年(明治元年)に再々建されました。
前回来たのが2007年(平成19年)2月21日で3回目の訪問でした。この時、本堂が工事中で、ここより上には行けなかったです。納経所も常行堂の前にプレハブが建てられ、そこで御朱印いただいた記憶があります。それで、これより上は、本当に久しぶりとなります。

次に、急いで石段を上がります。上がった所はゴールではありません。
階段を上がると右手に「法輪堂」(経蔵)があって、そこから開山堂に前回は行けましたが、現在通行止めになっていました。
法輪堂の反対側には国宝「三重塔」があります。
この塔は1171年(承安元年)の平安時代末期に建てられたもので、日本でも有数の古塔です。山腹に建っているため長い石段を登りながら下から上からも眺めることができ、上の層ほど屋根や軒出しが小さくなってて安定した調和美がよく味わえます。また最上総の屋根が波形となっているのもこの塔の特色であり、蟇股にも平泉の中尊寺金色堂と同様の平安末期建築の特徴がうかがえます。

それでは最後、本堂に向け石段を登ります。もう一踏ん張り😊。

石段の途中で「本堂」を撮りました。
本堂に入るため回り込みますが、その前に「鐘楼」(県指定文化財)があったので寄りました。1629年(寛永6年)の本堂の再建に続いて建立されました。
「本堂」です。ここで靴を脱いで上がります。納経所は堂内にあります。
本堂(金堂、大講堂、大悲閣)(重文)は、650年(白雉元年)に第36代孝徳天皇の勅願により金堂を建立。2代目の本堂は、1335年(建武2年)第96代天皇後醍醐天皇の勅願により再建され大講堂と呼ばれました。3代目は1523年(大永3年)兵火により焼失後、1562年(永禄5年)d守護赤松義裕により建立。4代目の現本堂は1617年(元和元年)の焼失により、1628年(寛永5年)姫路藩主本多美濃守忠政により建立されました。1999年(平成11年)から20年間、大解体修理工事が行われました。
本堂には横から入りました。入ると先ずはお参りし、次に納経所で御朱印いただきました。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
本堂から見た鐘楼です。御朱印終わって時計を見ると9時44分でした。まだ20分もあります。ここまでは予定どおり来ました。


本堂周りを一周(本堂の背後は通行不可)してみました。上から見る三重塔綺麗です。

9時45分に本堂を出ました。あとはバスの時間まで、ゆっくり見て行きます。
本堂から降りると、「手水舎」がありますが水は出ないようです。
本堂を回っているときに見えていた洞を見に来ました。「弁天堂」(左)「妙見堂」(右)ともに(重文)と書いてありました。
こちらは「行者堂」です。江戸時代の建物。仁明天皇御願により創建。役行者及び前鬼後鬼の木像が祀られています。

再び「本堂」まで戻って来ました。これから下ります。
ここを行くと奥之院に行けます。150㍍だそうです。今日は行きませんが、2007年(平成19年)2月21日に来た時は行ってました。本堂に行けなかったからね。


9時50分に「法輪堂」(経蔵)まで戻って来たら、奥之院に通じる柵が開いてました。

2007年(平成19年)2月21日の時は本堂より上は工事中で行けなかったので、多分、ここから「開山堂」に行ったのでしょう。その時の写真です。
法華山一乗寺開基、法道仙人を祀っています。1667年(寛文7年)の建立で、龍・獅子・竹に雀・紅葉に鹿・栗鼠、葡萄などの建築彫刻を施した上質の建物です。

石段を降りて行くと「常行堂」(阿弥陀堂)が見えて来ました。




9時54分に下に降りてきました。帰りのバスの時間には余裕があります。間に合いましたね😊。
下まで降りてくると、太子堂と矢印が出ていたので、そちらに向かいます。
こちらが「太子堂」です。見たところ、新しい建物のように見えます。聖徳太子が祀られているのでしょう。

看板には放生池も書いてありましたが、帰りのバスのことも考え、ここで引き返しました。
拝観受付所まで戻ってくると「宝物館」が見えました。2週間前に往復葉書で申込みと書いてありましたが、ここは行けないですね。
9時57分に出て行きました。余裕で間に合いました。
こちらが行きに降りた法華山一乗寺前バス停です。
こちらが帰りに乗る法華山一乗寺前バス停です。
バス停から法華山一乗寺の入口を撮りました。バスを降りて直ぐにの所に法華山一乗寺はあります。
帰りのバスも、ほぼ時間通り来ました。法華山一乗寺バス停前を姫路駅北口行き71号系統10時8分の発車し、姫路北口ターミナルに10時49分に着く予定です。
姫路に来たら白鷺城と言われる姫路城に行くべきでしょう。ただ姫路城を見るには1日かかるので、今日は行き帰りに車窓から楽しみました。
新幹線に乗るのは久しぶりです。2015年(平成31年)2月22日以来だと思います。


8時3分に着きましたが、姫路から出るバスの時刻が9時00分で、姫路の待合室で40分座って待ちました。姫路駅を発着する新幹線が少なくて・・・次の新幹線なら9時を回ってしまうので、仕方ないかと。新快速を利用するなら京都駅6時53分発で、姫路駅には8時32分に着くのがありますが、所用時間が99分です。新幹線が40分・・・1時間近く余計に超混雑している電車で乗る考えは無かったですね。
姫路駅北口ターミナル14番乗り場からバスは出ます。15分前に行き待ってました。
事前に神姫バスの時刻表を入念に調べました。目的地は西国三十三ヵ所 第26番札所 法華山 一乗寺で、9時00分に出たバスは9時37分に着きます。そして帰りのバスが法華山一乗寺を10時8分に出るバスで、目的地に居られる時間が31分です。バスは時間通りに着かない可能性もあるので、着いたら直ぐに御朱印と散華を貰う作戦をたてました。10時8分を乗れなかったら、次が11時38分までバスはありません。

650年(白雉元年)インドからやって来た法道仙人(播州清水寺や花山院の開祖)によって開山された古刹です。法道仙人はインドから紫の雲に乗って中国朝鮮を経て飛来したとされ、播磨の山中に八葉の蓮華の形をした霊峰を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したという。仙人の持ち物は、銅造聖観音像と仏舎利、宝鉢のみ。”千手飛鉢の法”を用いて、この鉢を飛ばして供養を受けていました。ある時、海上を航行する船に供養米のお布施を頼んだところ、拒絶されることがありました。すると飛び帰る空鉢にしたがって米俵は一つも残らず群雁の如く飛び去ってしまった。驚いた船師が仙人の元に訪ね過ちを悔いて米俵を返して貰った。その後、仙人が優れた修行者であることが都にも伝わり、646年(大化5年)、第36代孝徳天皇の病気を治す祈願をし、その功績により「一乗寺」の勅願を賜り、650年(白雉元年)に金堂を建立。988年(永延2年)花山法皇が行幸され、金堂を大悲閣と命名し、西国第26番札所と定め、以後、巡礼の霊場となりました。


時間のこともあって迷いたくないので受付で、納経所の場所を聞きました。階段上がって本堂の中にあると確認し急いで向かいます。





前回来たのが2007年(平成19年)2月21日で3回目の訪問でした。この時、本堂が工事中で、ここより上には行けなかったです。納経所も常行堂の前にプレハブが建てられ、そこで御朱印いただいた記憶があります。それで、これより上は、本当に久しぶりとなります。



法輪堂の反対側には国宝「三重塔」があります。
この塔は1171年(承安元年)の平安時代末期に建てられたもので、日本でも有数の古塔です。山腹に建っているため長い石段を登りながら下から上からも眺めることができ、上の層ほど屋根や軒出しが小さくなってて安定した調和美がよく味わえます。また最上総の屋根が波形となっているのもこの塔の特色であり、蟇股にも平泉の中尊寺金色堂と同様の平安末期建築の特徴がうかがえます。






本堂(金堂、大講堂、大悲閣)(重文)は、650年(白雉元年)に第36代孝徳天皇の勅願により金堂を建立。2代目の本堂は、1335年(建武2年)第96代天皇後醍醐天皇の勅願により再建され大講堂と呼ばれました。3代目は1523年(大永3年)兵火により焼失後、1562年(永禄5年)d守護赤松義裕により建立。4代目の現本堂は1617年(元和元年)の焼失により、1628年(寛永5年)姫路藩主本多美濃守忠政により建立されました。1999年(平成11年)から20年間、大解体修理工事が行われました。

御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。

















法華山一乗寺開基、法道仙人を祀っています。1667年(寛文7年)の建立で、龍・獅子・竹に雀・紅葉に鹿・栗鼠、葡萄などの建築彫刻を施した上質の建物です。

















姫路に来たら白鷺城と言われる姫路城に行くべきでしょう。ただ姫路城を見るには1日かかるので、今日は行き帰りに車窓から楽しみました。
この記事へのコメント
2006年に来た時は本堂が工事中で入れなかったので、今回行けて良かったです。
姫路城も、城好きなんで、今度一日かけてゆっくり登城したいと考えています。やっぱり姫路は、白鷺城を見ないとね。( ^_^)