西国三十三ヵ所 第26番札所 書寫山 圓教寺へ
書写山ロープウェイの山上駅を降りて外に出ても、そんなに寒くはありません。この辺りは展望台もあるので、帰りに時間があればゆっくり散策しようと思い先を急ぎました。
ここで拝観料(入山料)500円を納めます。ここからお堂前までマイクロバスに乗ることができますが、その場合は1000円となりますが、私は500円だけにしました。
この日久しぶりに訪れたのは西国三十三ヵ所 第26番札所 書寫山 圓教寺です。
書寫山 圓教寺(えんぎょうじ)は966年(康保3年)に性空上人(しょうくうしょうにん)が草庵を結んだことに始まります。標高371㍍の書写山山上に位置する圓教寺は、閑静な山内に数多くの堂塔が立ち並ぶ様は「西の比叡山」とも呼ばれる天台宗の古寺です。かつて書写山は、世俗を断ち、欲にまみれた人間の「六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)」を清浄し、正しく生きるために人々が登ったそうです。性空上人も六根清浄の悟りを書写山で得られ「六根清浄の証悟の聖」と証されたといいます。やがて桜の霊木に生木のまま如意輪観音を刻み、その上に魔尼殿(本堂)を建立しました。しかし、1492年(延徳4年)に焼失。再建されるも1921年(大正10年)に焼失し、1933年(昭和8年)に再建されたのが現在の魔尼殿です。江戸時代には姫路藩主の本多、榊原、松平の各家に手厚く保護され、西国巡礼で賑わいました。
11時36分に登山開始です。登山と言っても緩やかな坂道がずっと続く訳ですが・・・。
最初に見る鐘楼は「慈悲の鐘」と呼ばれ、1992年(平成4年)10月に創建されました。
以前の記憶が無かったので、こんなに坂道がきついとは思いませんでした。
以前、来た時は馬車がありましたが、今はマイクロバスに変わってました😊。
ここから姫路市内が見えました。書写山から姫路城は絶対に見えません。淡路島は見えてますね。
バスに乗れば良かったなぁ・・・と後悔しながら歩いて行くと「山門」が見えて来ました。
11時44分に「山門」に着きました。徒歩でないと山門は見られません。
「仁王門」(兵庫県指定文化財)。圓教寺の正門で、東坂の終点にあたり、これより中は聖域とされてます。門の両側に仁王像を安置し、中央が通路となっています。
仁王門から見ると、これだけの坂を登ってきたことが分かって貰えるかと思います。
西の比叡と言われるだけのことはあります。伽藍は広範囲に点在してるので、見るのは半日ぐらいかかります。
魔尼殿まで、あと400㍍の所まで、やって来ました。
ここで非公開の「壽量院」(重文)。1174年(承安4年)に後白河法皇が円教寺に1週間にわたって参詣されたという特別な格式を誇っています。
次に非公開の「十妙院」(重文)の前を通りました。16歳の若さで亡くなった娘を祀るため、大名赤松満祐から委託された寺院です。
ここから急な下り坂となります。
下り切ったところにあった「護法石」(弁慶のお手玉石)があました。昔、この石の上に乙天、若天のふたりの童子がこの石に降り立ち、寺門を守ったという伝説が残っています。
「湯屋橋」の擬宝珠は1944年(昭和19年)に戦時供出をされ、1955年(昭和30年)に旧刻銘「奉寄進 播州飾西郡書寫山圓教寺御石橋 願主 本多箕面守忠政」と刻印したのが寄進されました。
11時52分にようやく魔尼殿が見える所まで、やって来ました。ケーブルカーを降りて17分で着きました。やっぱり20分ぐらいはかかります。
階段を上がる前に「三十三所堂」に寄りました。西国三十三観音を祀るお堂です。先般訪れた谷汲山華厳寺にもありました。
深山幽谷の岩山に建つ魔尼殿に舞台造りになっています。清水寺に似てますね。
遠くから聞こえていた小学生の賑やかな声・・・ここに遠足か修学旅行か来てました。
「魔尼殿(如意輪堂)」は、圓教寺の中心部に位置します。
圓教寺の開祖性空上人が偈文を唱えているとき、一本の桜の木の周りを舞う天女を目撃しました。天女の詩は、6本の腕の如意輪観音という慈悲の菩薩が生きている木の姿で出現する様子を描写してました。偈文によると、如意輪観音は長寿と繁栄の菩薩で、いつの時代にも全ての生き物が極楽に生まれ変わることができると保証している。この理想に触発されて、性空上人は桜の木に如意輪観音のお姿を彫刻し、それをお守りするために仮のお堂を建てました。その後、970年(天禄元年)にお堂と如意輪観音を中心にして如意輪堂が建設されました。このお堂は1174年(承安4年)に後白河法皇が圓教寺を訪れ、像を見たいと要求するまで閉ざされてままで、如意輪観音像は公開されてなかったと伝わります。後白河法皇が如意輪観音像をご覧になったとき、このお堂の名である「魔尼殿」と名付けられた。
入ると入口近くに「納経所」があったので、直ぐに御朱印をいただきました。魔尼殿と書かれてますね。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
ご本尊は、如意輪観世音菩薩。外は小学生達で賑やかですが、堂内で静かにお参りさせて貰いました。
11時57分に魔尼殿を出て、下に降りました。
今日は、当初の予定では14時頃の新幹線に乗れたらなぁ・・・と思ってました。この時間なら乗れそうかなぁ・・・と思ったのは、どうしてもじゃないけど、16時までには帰りたいと思ってたからです。家の用事もあるしね。それで、今日は、この魔尼殿だけで戻ることを決めました。ここは西の比叡と呼ばれるだけに、まだまだ見所は沢山あります。特に大講堂を初めてした三つのお堂は見たかったけど仕方ないです。
魔尼殿を降りると「はづき茶屋」がありましたが寄りません。
戻りは歩きをやめて、マイクロバスに乗ることにしました。
魔尼殿から直ぐの所にマイクロバスが止まってて、運転手さんに聞くと片道だけの料金は無いとの事。
往復で500円で、片道250分と思っていたのが間違いで、運転手さんには「この坂を登れば山門やし歩いたら」と言われましたが、往復料金を払うことで乗ることにさせて貰いました。
マイクロバスは拝観受付所前に12時8分頃に着き、そこで500円をお支払いし記念品を貰いました。この時間なら12時15分のロープウェイに乗れそうで、山上駅に向かいます。
山上駅の横には「展望所」があります。行きにスルーしので、寄りました。
天気が良くないので、淡路島までしか見えません。遠く四国まで見えるそうで、少し残念です。
12時12分に入口が開いたので、ロープウェイに乗りますが、その前に山上駅から眺望を撮りました。
帰りは3人だけでした。眺望もゆっくり楽しめましたね。
12時19分に着いたので、次の神姫バスが12時34分発で、待合所で待たせて貰いました。
バスは時間どおり12時34分に出て行きました。姫路駅北口行きの8号系統で、姫路駅北口には13時5分に着く予定です。
姫路駅には時間どおり着きました。このあと「みどりの窓口」で座席指定券を買いに行きます。
姫路駅を発着する新幹線は本数が少ないので、最も早い新幹線のチケットを買えました。姫路駅13時53分発の、のぞみ110号で、京都駅には14時38分着く予定です。
姫路を13時53分の定刻に新幹線は出ました。帰る頃になって、ようやく晴れて来ましたが、遅いです😊。今日は天気はイマイチでした。
久しぶりに姫路に来ましたが、次は姫路城に行きたいです。遠目から見て綺麗になってました。その時、書寫山 圓教寺に再訪したいです。自宅には15時30分頃には帰れました。
ここで拝観料(入山料)500円を納めます。ここからお堂前までマイクロバスに乗ることができますが、その場合は1000円となりますが、私は500円だけにしました。
この日久しぶりに訪れたのは西国三十三ヵ所 第26番札所 書寫山 圓教寺です。
書寫山 圓教寺(えんぎょうじ)は966年(康保3年)に性空上人(しょうくうしょうにん)が草庵を結んだことに始まります。標高371㍍の書写山山上に位置する圓教寺は、閑静な山内に数多くの堂塔が立ち並ぶ様は「西の比叡山」とも呼ばれる天台宗の古寺です。かつて書写山は、世俗を断ち、欲にまみれた人間の「六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)」を清浄し、正しく生きるために人々が登ったそうです。性空上人も六根清浄の悟りを書写山で得られ「六根清浄の証悟の聖」と証されたといいます。やがて桜の霊木に生木のまま如意輪観音を刻み、その上に魔尼殿(本堂)を建立しました。しかし、1492年(延徳4年)に焼失。再建されるも1921年(大正10年)に焼失し、1933年(昭和8年)に再建されたのが現在の魔尼殿です。江戸時代には姫路藩主の本多、榊原、松平の各家に手厚く保護され、西国巡礼で賑わいました。
11時36分に登山開始です。登山と言っても緩やかな坂道がずっと続く訳ですが・・・。
最初に見る鐘楼は「慈悲の鐘」と呼ばれ、1992年(平成4年)10月に創建されました。
以前の記憶が無かったので、こんなに坂道がきついとは思いませんでした。
以前、来た時は馬車がありましたが、今はマイクロバスに変わってました😊。
ここから姫路市内が見えました。書写山から姫路城は絶対に見えません。淡路島は見えてますね。
バスに乗れば良かったなぁ・・・と後悔しながら歩いて行くと「山門」が見えて来ました。
11時44分に「山門」に着きました。徒歩でないと山門は見られません。
「仁王門」(兵庫県指定文化財)。圓教寺の正門で、東坂の終点にあたり、これより中は聖域とされてます。門の両側に仁王像を安置し、中央が通路となっています。
仁王門から見ると、これだけの坂を登ってきたことが分かって貰えるかと思います。
西の比叡と言われるだけのことはあります。伽藍は広範囲に点在してるので、見るのは半日ぐらいかかります。
魔尼殿まで、あと400㍍の所まで、やって来ました。
ここで非公開の「壽量院」(重文)。1174年(承安4年)に後白河法皇が円教寺に1週間にわたって参詣されたという特別な格式を誇っています。
次に非公開の「十妙院」(重文)の前を通りました。16歳の若さで亡くなった娘を祀るため、大名赤松満祐から委託された寺院です。
ここから急な下り坂となります。
下り切ったところにあった「護法石」(弁慶のお手玉石)があました。昔、この石の上に乙天、若天のふたりの童子がこの石に降り立ち、寺門を守ったという伝説が残っています。
「湯屋橋」の擬宝珠は1944年(昭和19年)に戦時供出をされ、1955年(昭和30年)に旧刻銘「奉寄進 播州飾西郡書寫山圓教寺御石橋 願主 本多箕面守忠政」と刻印したのが寄進されました。
11時52分にようやく魔尼殿が見える所まで、やって来ました。ケーブルカーを降りて17分で着きました。やっぱり20分ぐらいはかかります。
階段を上がる前に「三十三所堂」に寄りました。西国三十三観音を祀るお堂です。先般訪れた谷汲山華厳寺にもありました。
深山幽谷の岩山に建つ魔尼殿に舞台造りになっています。清水寺に似てますね。
遠くから聞こえていた小学生の賑やかな声・・・ここに遠足か修学旅行か来てました。
「魔尼殿(如意輪堂)」は、圓教寺の中心部に位置します。
圓教寺の開祖性空上人が偈文を唱えているとき、一本の桜の木の周りを舞う天女を目撃しました。天女の詩は、6本の腕の如意輪観音という慈悲の菩薩が生きている木の姿で出現する様子を描写してました。偈文によると、如意輪観音は長寿と繁栄の菩薩で、いつの時代にも全ての生き物が極楽に生まれ変わることができると保証している。この理想に触発されて、性空上人は桜の木に如意輪観音のお姿を彫刻し、それをお守りするために仮のお堂を建てました。その後、970年(天禄元年)にお堂と如意輪観音を中心にして如意輪堂が建設されました。このお堂は1174年(承安4年)に後白河法皇が圓教寺を訪れ、像を見たいと要求するまで閉ざされてままで、如意輪観音像は公開されてなかったと伝わります。後白河法皇が如意輪観音像をご覧になったとき、このお堂の名である「魔尼殿」と名付けられた。
入ると入口近くに「納経所」があったので、直ぐに御朱印をいただきました。魔尼殿と書かれてますね。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
ご本尊は、如意輪観世音菩薩。外は小学生達で賑やかですが、堂内で静かにお参りさせて貰いました。
11時57分に魔尼殿を出て、下に降りました。
今日は、当初の予定では14時頃の新幹線に乗れたらなぁ・・・と思ってました。この時間なら乗れそうかなぁ・・・と思ったのは、どうしてもじゃないけど、16時までには帰りたいと思ってたからです。家の用事もあるしね。それで、今日は、この魔尼殿だけで戻ることを決めました。ここは西の比叡と呼ばれるだけに、まだまだ見所は沢山あります。特に大講堂を初めてした三つのお堂は見たかったけど仕方ないです。
魔尼殿を降りると「はづき茶屋」がありましたが寄りません。
戻りは歩きをやめて、マイクロバスに乗ることにしました。
魔尼殿から直ぐの所にマイクロバスが止まってて、運転手さんに聞くと片道だけの料金は無いとの事。
往復で500円で、片道250分と思っていたのが間違いで、運転手さんには「この坂を登れば山門やし歩いたら」と言われましたが、往復料金を払うことで乗ることにさせて貰いました。
マイクロバスは拝観受付所前に12時8分頃に着き、そこで500円をお支払いし記念品を貰いました。この時間なら12時15分のロープウェイに乗れそうで、山上駅に向かいます。
山上駅の横には「展望所」があります。行きにスルーしので、寄りました。
天気が良くないので、淡路島までしか見えません。遠く四国まで見えるそうで、少し残念です。
12時12分に入口が開いたので、ロープウェイに乗りますが、その前に山上駅から眺望を撮りました。
帰りは3人だけでした。眺望もゆっくり楽しめましたね。
12時19分に着いたので、次の神姫バスが12時34分発で、待合所で待たせて貰いました。
バスは時間どおり12時34分に出て行きました。姫路駅北口行きの8号系統で、姫路駅北口には13時5分に着く予定です。
姫路駅には時間どおり着きました。このあと「みどりの窓口」で座席指定券を買いに行きます。
姫路駅を発着する新幹線は本数が少ないので、最も早い新幹線のチケットを買えました。姫路駅13時53分発の、のぞみ110号で、京都駅には14時38分着く予定です。
姫路を13時53分の定刻に新幹線は出ました。帰る頃になって、ようやく晴れて来ましたが、遅いです😊。今日は天気はイマイチでした。
久しぶりに姫路に来ましたが、次は姫路城に行きたいです。遠目から見て綺麗になってました。その時、書寫山 圓教寺に再訪したいです。自宅には15時30分頃には帰れました。
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