西国三十三ヵ所 第29番札所 青葉山 松尾寺へ
10月12日(水)にJR嵯峨嵐山にある「みどりの券売機」で、10月14日(金)の特急座席指定券を買いに行った所、希望していた時間の特急券が満席で買えず、やむなく希望の時間より、2時間あとの特急券を取りました。
そして当日です。目的地は、京都府北部に位置する舞鶴市です。舞鶴市には、JR特急の「まいづる」が2時間おきに京都駅から東舞鶴駅まで出ています。この特急は、全席指定席で自由席はありません。私はJR嵯峨嵐山駅を10時29分発の亀岡行きにのり、亀岡には10時40分に着きました。そして特急に乗り換えですが電車は2番ホームに着いたので、陸橋を渡って3番ホームに移動です。まいづる3号は、10時43分に発車するので、3分しかありません。特急はしだてと併結しているにで、「まいづる」は後方3車両です。ただ亀岡駅のホームには何も目印ありません。何処で待っていたら良いのか分かりませんでしたが、勘で待ってたら当たってました。乗り込むと満車状態で、アナウンスでも満車と言ってました。
西舞鶴駅に11時55分に着きましたが、京都丹後鉄道からの電車が遅れているので、4分遅れて発車。目的の東舞鶴駅には12時05分に着きました。
今日、「まいづる号」に乗って、面白かったのは、綾部駅で「特急はしだて」と切り離して、舞鶴に向かいますが、向きが反対になるんですね。綾部駅から東舞鶴駅まで座席が逆向けで走りました😊。
東舞鶴駅に降りると、予約していたタクシーに乗り込みますが、その前に「舞鶴トラベル」(駅出て右手に行って直ぐの所)さんに寄って、今日のタクシープランの料金を払いました。
この日の目的は西国三十三ヵ所 第29番札所 青葉山 松尾寺でした。松尾寺は辺鄙な所にあって、JR松尾駅から歩いて50分の山道を登ることになりますが本数が少なく2時間に1本程度です。また、 京都交通松尾寺口バス停より徒歩で約40分ですが、こちらも本数が少なく、1時間に1本もありません。それでどうやって行くか悩んでいたところ、松尾寺のHPで、舞鶴トラベルさんの2時間タクシー貸切プランを見つけ申し込んだ訳です。
タクシーは「山門」下で停めてくれました。この時、12時29分で、運転手さんからは「13時までに戻ってください」と言われたので、石段を上がります。
ここには2006年(平成18年)9月30日と2007年(平成19年)4月26日に車で来ました。最初に来た日は忘れましたが、JR松尾駅から往復徒歩でした。30歳前半で若かったから歩いて行けましたが、この歳になると無理です😂。
京都府と福井県の県境にある青葉山(標高699㍍)は若狭富士と呼ばれるほど優美な姿を見せます。しかし、古くは修験者の修行の場でした。その青葉山の中腹に建つのが真言宗醍醐派 青葉山 松尾寺です。縁起によると708年(和銅元年)唐の僧、威光(いこう)上人が祖国の霊峰馬耳山にそっくりな青葉山を発見し、中腹の松の大樹の下で修行していると馬頭観音を悟り、その場に草庵を結んでのが始まりと言われています。その霊験を伝え聞いた第43代元明天皇ず藤原武智麻呂に命じて馬頭観音を刻めさせ本堂を建立させました。また、青葉山麓に住む春日為光という漁師が、遭難した海で馬頭観音の化身という流木に救われ、その流木で馬頭観音を刻み現在の観音との説もあります。以降、寺は時の天皇の庇護のもと発展し、多くの寺坊を数えたが、戦国時代の兵火により焼失し、江戸時代に京極高知(丹後国宮津藩初代藩主)や牧野英成(丹後国田辺藩3代藩主)らの手によって復興し、今日の姿となりました。
松尾寺入口にある「仁王門」は、1767年(明和4年)の再建。2020年(令和2年)6月から2021年(令和3年)に解体修理をされ綺麗になりました。金剛力士像は現在宝物館に安置されてます。
今回、解体修理をされたので現在は宝物館に安置されている「金剛力士像」です。
「仁王門」をくぐると、納経所への矢印が出ていたので、先に御朱印貰います。あとで述べますが本堂は現在工事中でお参りできません。
「納経所」は覚えてました。ここに入り御朱印いただきました。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
ここで宝物館に入れるか尋ねました。HPでは予約要となっていたからです。聞くとOKだと言うことで、その方の案内のもと「宝物館」に向かいました。2006年(平成18年)9月30日と2007年(平成19年)4月26日に来た時は宝物館はありませんでした。
「宝物殿令和4年秋季展観」は、9月20日~11月23日まででした。拝観料800円、希望すれば案内して貰えます。
主な出陳
「一山一寧賛 菊渓筆 絹本著色如意輪観音像」(重文・鎌倉時代)、「絹本著色 孔雀明王像(重文・鎌倉時代)」、「絹本著色 終南山曼荼羅(重文・鎌倉時代)、「快慶作 阿弥陀如来坐像」(重文)、「地蔵菩薩坐像」(舞鶴市指定文化財)、「金剛力士像」等
案内していただけるようでしたが、30分で戻る約束をしていたので、お断りしました。詳しく説明していたたげたようですが・・・。
ご覧のように本堂は解体修理中です。300年来で初めての改修工事だそうで、あと5年は本堂見られません。
「本堂」は、1730年(享保15年)の再建で、京都府の重要文化財に指定されています。宝形造りという二重屋根の特異な形状です。あと5年見られないので、古写真を見てみました。
本堂左手には、京都府指定文化財の「経蔵」がありました。
更に奥には「地蔵堂」でしょうか、名札が無いので何とも言えませんが・・・?。
その奥には石碑がありましたが近くに寄ってません。誰の石碑でしょうか?。
工事の幕に覆われてますが、案内が出てるので行ってみました。「庚申堂」でした。
自然石をくり抜いたような「水盤」があって、山水でしょうか流れていました。
鐘楼の右横にある大木は、「イチョウ」です。第74代鳥羽天皇のお手植えと伝えられてます。
「鐘楼」です。
前途した「イチョウ」(舞鶴市指定天然記念物)幹の廻りが5.2㍍、樹高23㍍、樹齢/推定880年と書いてありました。
向かいに神社があったので、行ってみました。松尾寺の鎮守社かなぁ・・・と思ったら関係ないようです。「六所神社」のようです。
本堂が工事中のため仮本堂とされている「大師堂」です。本来は本堂と大師堂は、渡り廊下で繋がってました。
工事中の本堂と渡り廊下は、見たところ切り離されています。
さほど広くない境内で、下に降りることにしました。
石段を降り、宝物館の向かいに門があって、菊の御紋があります。詳しいことは分かりませんが「勅使門」でしょうか?。
帰りに宝物館の横の石碑を見てみました。「西国霊場徒歩巡礼満願記念」と書かれています。横に立て札にて説明書ありました。
12時50分に仁王門から降りて来ると、タクシーは直ぐに来てくれて乗り込みました。
タクシー専用の駐車場でしょうか、仁王門前にあるので、そこで待っていてくれてたようです。
タクシープランを申込みしたときに、行き先の希望は伝えてました。時間的には3箇所程度しか行けません。次は、事前に伝えてあった寺院に向かって貰いました。
そして当日です。目的地は、京都府北部に位置する舞鶴市です。舞鶴市には、JR特急の「まいづる」が2時間おきに京都駅から東舞鶴駅まで出ています。この特急は、全席指定席で自由席はありません。私はJR嵯峨嵐山駅を10時29分発の亀岡行きにのり、亀岡には10時40分に着きました。そして特急に乗り換えですが電車は2番ホームに着いたので、陸橋を渡って3番ホームに移動です。まいづる3号は、10時43分に発車するので、3分しかありません。特急はしだてと併結しているにで、「まいづる」は後方3車両です。ただ亀岡駅のホームには何も目印ありません。何処で待っていたら良いのか分かりませんでしたが、勘で待ってたら当たってました。乗り込むと満車状態で、アナウンスでも満車と言ってました。
西舞鶴駅に11時55分に着きましたが、京都丹後鉄道からの電車が遅れているので、4分遅れて発車。目的の東舞鶴駅には12時05分に着きました。
今日、「まいづる号」に乗って、面白かったのは、綾部駅で「特急はしだて」と切り離して、舞鶴に向かいますが、向きが反対になるんですね。綾部駅から東舞鶴駅まで座席が逆向けで走りました😊。
東舞鶴駅に降りると、予約していたタクシーに乗り込みますが、その前に「舞鶴トラベル」(駅出て右手に行って直ぐの所)さんに寄って、今日のタクシープランの料金を払いました。
この日の目的は西国三十三ヵ所 第29番札所 青葉山 松尾寺でした。松尾寺は辺鄙な所にあって、JR松尾駅から歩いて50分の山道を登ることになりますが本数が少なく2時間に1本程度です。また、 京都交通松尾寺口バス停より徒歩で約40分ですが、こちらも本数が少なく、1時間に1本もありません。それでどうやって行くか悩んでいたところ、松尾寺のHPで、舞鶴トラベルさんの2時間タクシー貸切プランを見つけ申し込んだ訳です。
タクシーは「山門」下で停めてくれました。この時、12時29分で、運転手さんからは「13時までに戻ってください」と言われたので、石段を上がります。
ここには2006年(平成18年)9月30日と2007年(平成19年)4月26日に車で来ました。最初に来た日は忘れましたが、JR松尾駅から往復徒歩でした。30歳前半で若かったから歩いて行けましたが、この歳になると無理です😂。
京都府と福井県の県境にある青葉山(標高699㍍)は若狭富士と呼ばれるほど優美な姿を見せます。しかし、古くは修験者の修行の場でした。その青葉山の中腹に建つのが真言宗醍醐派 青葉山 松尾寺です。縁起によると708年(和銅元年)唐の僧、威光(いこう)上人が祖国の霊峰馬耳山にそっくりな青葉山を発見し、中腹の松の大樹の下で修行していると馬頭観音を悟り、その場に草庵を結んでのが始まりと言われています。その霊験を伝え聞いた第43代元明天皇ず藤原武智麻呂に命じて馬頭観音を刻めさせ本堂を建立させました。また、青葉山麓に住む春日為光という漁師が、遭難した海で馬頭観音の化身という流木に救われ、その流木で馬頭観音を刻み現在の観音との説もあります。以降、寺は時の天皇の庇護のもと発展し、多くの寺坊を数えたが、戦国時代の兵火により焼失し、江戸時代に京極高知(丹後国宮津藩初代藩主)や牧野英成(丹後国田辺藩3代藩主)らの手によって復興し、今日の姿となりました。
松尾寺入口にある「仁王門」は、1767年(明和4年)の再建。2020年(令和2年)6月から2021年(令和3年)に解体修理をされ綺麗になりました。金剛力士像は現在宝物館に安置されてます。
今回、解体修理をされたので現在は宝物館に安置されている「金剛力士像」です。
「仁王門」をくぐると、納経所への矢印が出ていたので、先に御朱印貰います。あとで述べますが本堂は現在工事中でお参りできません。
「納経所」は覚えてました。ここに入り御朱印いただきました。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
ここで宝物館に入れるか尋ねました。HPでは予約要となっていたからです。聞くとOKだと言うことで、その方の案内のもと「宝物館」に向かいました。2006年(平成18年)9月30日と2007年(平成19年)4月26日に来た時は宝物館はありませんでした。
「宝物殿令和4年秋季展観」は、9月20日~11月23日まででした。拝観料800円、希望すれば案内して貰えます。
主な出陳
「一山一寧賛 菊渓筆 絹本著色如意輪観音像」(重文・鎌倉時代)、「絹本著色 孔雀明王像(重文・鎌倉時代)」、「絹本著色 終南山曼荼羅(重文・鎌倉時代)、「快慶作 阿弥陀如来坐像」(重文)、「地蔵菩薩坐像」(舞鶴市指定文化財)、「金剛力士像」等
案内していただけるようでしたが、30分で戻る約束をしていたので、お断りしました。詳しく説明していたたげたようですが・・・。
ご覧のように本堂は解体修理中です。300年来で初めての改修工事だそうで、あと5年は本堂見られません。
「本堂」は、1730年(享保15年)の再建で、京都府の重要文化財に指定されています。宝形造りという二重屋根の特異な形状です。あと5年見られないので、古写真を見てみました。
本堂左手には、京都府指定文化財の「経蔵」がありました。
更に奥には「地蔵堂」でしょうか、名札が無いので何とも言えませんが・・・?。
その奥には石碑がありましたが近くに寄ってません。誰の石碑でしょうか?。
工事の幕に覆われてますが、案内が出てるので行ってみました。「庚申堂」でした。
自然石をくり抜いたような「水盤」があって、山水でしょうか流れていました。
鐘楼の右横にある大木は、「イチョウ」です。第74代鳥羽天皇のお手植えと伝えられてます。
「鐘楼」です。
前途した「イチョウ」(舞鶴市指定天然記念物)幹の廻りが5.2㍍、樹高23㍍、樹齢/推定880年と書いてありました。
向かいに神社があったので、行ってみました。松尾寺の鎮守社かなぁ・・・と思ったら関係ないようです。「六所神社」のようです。
本堂が工事中のため仮本堂とされている「大師堂」です。本来は本堂と大師堂は、渡り廊下で繋がってました。
工事中の本堂と渡り廊下は、見たところ切り離されています。
さほど広くない境内で、下に降りることにしました。
石段を降り、宝物館の向かいに門があって、菊の御紋があります。詳しいことは分かりませんが「勅使門」でしょうか?。
帰りに宝物館の横の石碑を見てみました。「西国霊場徒歩巡礼満願記念」と書かれています。横に立て札にて説明書ありました。
12時50分に仁王門から降りて来ると、タクシーは直ぐに来てくれて乗り込みました。
タクシー専用の駐車場でしょうか、仁王門前にあるので、そこで待っていてくれてたようです。
タクシープランを申込みしたときに、行き先の希望は伝えてました。時間的には3箇所程度しか行けません。次は、事前に伝えてあった寺院に向かって貰いました。
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