旧粉河村の総鎮守と同時に粉河寺の鎮守でもある粉河産土神社へ

粉河寺で御朱印をいただいて、境内を散策していると、本殿の奥に鳥居があって、石段を上がって行くと本殿があるように見えました。せっかく遠路ここまで来たので寄って行くことに。

IMG_7035.jpg初めて行くように思えたんですが。帰って昔の写真を確認すると行ってました😂。

この日、見つけた神社は、旧粉河の鎮守で粉河寺内の鎮守でもある粉河産土神社(こかわうぶすなじんじゃ)でした。

IMG_7032.jpgIMG_7031.jpg石段下には「たのもし乃みや」と社号標があります。

IMG_7033.jpg石段横には「粉河祭礼渡御式縁起」が書かれていたので、読んでから石段を上がりました。

当神社は770年(宝亀元年)、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古(おおとものくじこ)が粉河寺を創始するに際し、孔子古の子息大伴船主が鎌垣庄内各村の氏神を勧請して祀ったのが始まり、現在は粉河郷の総社である。粉河祭は、この産土神社の祭で、渡御が古式に従い行われる。江戸中期の建築になる春日造の華麗な社殿。背後の山は風猛山と呼ばれ、経塚が出土している。

IMG_7029.jpg石段を上がると右手に「手水舎」がありました。

IMG_7028.jpgその反対側には「おんどり石」がありました。案内版には・・・?。

鎌倉時代に元寇がやって来たとき、元寇の大軍を前に日本の武士たちは勇敢に戦ったが、大苦戦で退去を余儀なくれさた。その際に、当社の祭神の祭神丹生大明神が鶏に乗り現地に赴き神力で大風を吹き起こした。元寇の軍船はほとんど難破して全滅した。しわゆる「神風」で敵を退けたのである。この鶏が石となって産土神社の境内に座り続け神社を守護している。

IMG_7030.jpg帰りは、この階段から降りないので撮っておきました。

IMG_7026.jpgこの神社で飼われている「黒猫のタンゴ」ちゃんです。リードで繋がれており毛繕いしてました。

IMG_7025.jpg
猫ちゃんの横にも「手水舎」ありました。今日は涼しいので水分補給してなかったですね。

IMG_7023.jpgIMG_7024.jpgIMG_7019.jpgIMG_7021.jpg紀の川市指定文化財の「粉河産土神社」の建造物、本殿2棟、天福社一棟が、その対象です。

主祭神は、本殿の第一殿には天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が祀られて天の神です。五穀豊穣の神、農業の神、天照大御神の子。第二殿には丹生津比賣命(にうつひめのみこと)が祀られており地の神です。災いを祓い退け一切を守り育てる女神、天照大御神の妹という説。配祀神には、大伴孔子古命(おおとものくじこのみこと)、大伴船主命(おおともふなぬしのみこと)の親子が祀られています。あと、境内社に大神社、須佐神社、熊野神社、吉野神社、天福神社、五社神社(北野神社 多賀神社 日吉神社 一言主神社 楠神社)、 護國神社、白山神社、稲荷神社があります。

IMG_7022.jpg
EPSON139.jpg

ここに「社務所」があったので、寄ってみました。聞くと書き置きの御朱印が合ったので、いただきました。

IMG_7018.jpg坂道を下って、もとの粉河寺の境内に入ってきました。これから粉河駅まで戻ります。

IMG_7037.jpg先程は正面から見た名勝庭園を裏手から見ています。

IMG_6991.jpgIMG_7052.jpg再び重要文化財に指定されている「中門」から出て行きます。

IMG_7055.jpgIMG_7058.jpgIMG_6974.jpgIMG_7062.jpgIMG_7063.jpg帰りも長い参道を歩いて戻ります。大門まで来ると手前に「四つのテスト」と書かれた石碑がありました。

「1.真実かどうか、 2.みんなに公平か、3.好意と友情を深めるか、 4.みんなのためになるかどうか、言行はこれに照らしてから行うべし」と書かれてました。

IMG_7066.jpg多分、もう来ないかも知れないので、この「大門」見納めです。

IMG_7064.jpg大門を出て左手に「粉河蛭子神社」がありましたが、先を急ぐので寄りません。

IMG_7071.jpgIMG_7069.jpg帰りも御神木の前を通りました。ただ寄りません。

IMG_7073.jpgIMG_7074.jpgIMG_7075.jpgIMG_7076.jpg太陽の光を正面から浴びながら、前方にようやく粉河駅が見えて来ました。次の電車は11時1分に出るので、余裕で間に合いました。

次回は、帰路の模様を紹介します。

この記事へのコメント