西国三十三ヵ所 第4番札所 槇尾山 施福寺(槇尾寺)へ
先週、和歌山県の粉河寺に行ったので、西国三十三ヵ所巡礼(番外札所も含めて)も、残り二箇所となりました。この日は西国三十三ヵ所巡礼の中でも難所と言われる西国三十三ヵ所 第4番札所 槇尾山 施福寺(槇尾寺)に行った訳です。
余談ですが、難所と言えば、一番の難所は「第11番 上醍醐 准胝堂」でしたが、落雷による火災のため准胝堂が焼失したので、現在は下伽藍で御朱印をいただけるので、難所は解消されています。次に「第32番 観音正寺」ですが、林道の開通により、こちらも難所は解消されました。残された難所は、車では絶対に行けない槙尾山 施福寺だけでしょうね。
施福寺は槙尾山の中腹に建つ、標高530㍍の位置にあります。寺の創建は古く、仏教が伝来してまもなく、第29代欽明天皇の命をうけて、播磨国の行満上人が弥勒菩薩をご本尊として創建し航海安全祈願の道場として発展しました。役行者小角(おずみ)は、法華経二十八品を書写して葛城の峰々に分けて納めたといわれ、ここ如法峯には「巻の尾」を納めたので、槙尾(巻尾)山と呼ばれるようになりました。771年(宝亀2年)には行基のの高弟法海(ほうかい)大師が和泉大津の浦に浮かび上がる千手観音を感得し、その姿をを刻んで本尊としてました。それが西国観音霊場の本尊千手観世音菩薩です。平安時代には奈良大安寺の高僧勤操が居住し、その高徳を慕って訪れた弘法大師が、ここで得度受戒し仏門に入ったと言われています。天正年間には大伽藍を誇りましたが、織田信長の焼き討ちに遭い伽藍はほぼ焼失し、現在は天台宗となり、本堂などひっそと佇む閑かな山寺となりました。
9時53分に「入山受付所」で、入山料500円を納めます。今年の9月1日より入山料が必要となりました。
オレンジバスを降りてから、ここまで登りが続いています。石段ではありませんが、それが結構きつい坂道でしたが、これはほんの序章に過ぎません。
少し前傾姿勢で、この坂道を登って行きます。
「八丁」と書かれた石碑が参道脇にあります。これが登りの目安となりました。1丁は約110㍍です。
既に、降りて来られる方も居るので、すれ違いの時に、挨拶をしながら進みます。
六丁と書かれた石碑の向こうに「十三重石塔」がありました。云われわかりません。
豊臣秀頼が寄進した言われる「仁王門」前に9時58分に着きました。ただ、この先が長かった・・・。
仁王門に安置されている「金剛力士像」を見て、先を急ぎます。
仁王門の裏手には何もありません。四天王でも安置されていたのでしょうか?。
この先に休憩所がありましたが、ここでは休みません。次のコミュニティバスが来るまで2時間もあるので、今日はゆっくり登ります。
10時1分に「五丁」の石碑まで来ました。まだ半分も来てません。
これまで、ずっと登りでしたが、ここからは急な登りが、ずっと続きます。
何故か、前方に建物が見えて来ました。ゴール?。
参道の両脇にある石積みは、かつて塔頭寺院のがあった跡。最盛期には970もの建物があったとされています。
10時5分に、謎の建物前を通過です。以前来てるので、そんなに早く着かないでしょう😊。
この先の登りが見えます。降りて来られる方に、残りどれくらいか聞きながら頑張りました。
10時10分に、この先にベンチが見えたので、ここで休憩。来ていたジャンバーを鞄に入れ、腕を巻くって汗を拭い、再び登り始めました。
10時12分に「二丁」の石碑前を通過しました。
ここの石段は急でした。そのためでしょうか、先に登られていた方が休憩されました。
10時16分に「一丁」の石碑前を通過しました。
10時19分に「弘法大師御剃髪所跡」の石碑が残る「愛染堂」を通過しました。こちらは帰りに寄ります。
最後に待ち構えている148段の石段です。
途中に「弘法大師御髪堂」がありますが、こちらも帰りに寄ります。
10時22分に、やっと本堂前に上がって来ました。登り始めて31分で到着です。
いつもなら、直ぐに本堂に行き御朱印貰いますが、迎えのコミュニティバスが12時まで来ないので、ここを11時15分頃に降りる予定にしてました。まだ、たっぷり時間があるので、先に休憩です。
ベンチに座って、「本堂」を撮りました。オレンジバスで来られた方も次々と上がって来られ、休憩されてました。
本堂の向かって右側に「観音菩薩立像」などがありましたが、詳細は分かりません。
こちらは石碑に「智慧如来」と書いてありました。
その向かいにも大きな「観音立像」が祀られてましたが、詳細は不明です。
境内からは葛城連山が眺められます。手前が岩湧山、東に金剛山だそうです。私は、どの山がそうなのか分かりません😂。
こちらが「バイオトイレ」です。水が出ないのが不思議なトイレでした。
こちらが「観音堂」で、内部を覗けました。西国各札所のミニ本尊が並んでいるようです。
本堂に上がる前に海運会社が寄贈した「馬の銅像」を見ました。
これは、西国三十三ヵ所札所巡礼中興の祖である花山法皇の逸話によるものです。平安時代粉河寺から施福寺に向かう山中で、道に迷った花山法皇を馬の嘶きが導いたとと言われる伝承によるものです。
もう、そろそろ本堂に上がっても良いでしょう。汗も引いて、呼吸も整ったので、靴を履いたまま上がりました。つづく。
余談ですが、難所と言えば、一番の難所は「第11番 上醍醐 准胝堂」でしたが、落雷による火災のため准胝堂が焼失したので、現在は下伽藍で御朱印をいただけるので、難所は解消されています。次に「第32番 観音正寺」ですが、林道の開通により、こちらも難所は解消されました。残された難所は、車では絶対に行けない槙尾山 施福寺だけでしょうね。
施福寺は槙尾山の中腹に建つ、標高530㍍の位置にあります。寺の創建は古く、仏教が伝来してまもなく、第29代欽明天皇の命をうけて、播磨国の行満上人が弥勒菩薩をご本尊として創建し航海安全祈願の道場として発展しました。役行者小角(おずみ)は、法華経二十八品を書写して葛城の峰々に分けて納めたといわれ、ここ如法峯には「巻の尾」を納めたので、槙尾(巻尾)山と呼ばれるようになりました。771年(宝亀2年)には行基のの高弟法海(ほうかい)大師が和泉大津の浦に浮かび上がる千手観音を感得し、その姿をを刻んで本尊としてました。それが西国観音霊場の本尊千手観世音菩薩です。平安時代には奈良大安寺の高僧勤操が居住し、その高徳を慕って訪れた弘法大師が、ここで得度受戒し仏門に入ったと言われています。天正年間には大伽藍を誇りましたが、織田信長の焼き討ちに遭い伽藍はほぼ焼失し、現在は天台宗となり、本堂などひっそと佇む閑かな山寺となりました。
9時53分に「入山受付所」で、入山料500円を納めます。今年の9月1日より入山料が必要となりました。
オレンジバスを降りてから、ここまで登りが続いています。石段ではありませんが、それが結構きつい坂道でしたが、これはほんの序章に過ぎません。
少し前傾姿勢で、この坂道を登って行きます。
「八丁」と書かれた石碑が参道脇にあります。これが登りの目安となりました。1丁は約110㍍です。
既に、降りて来られる方も居るので、すれ違いの時に、挨拶をしながら進みます。
六丁と書かれた石碑の向こうに「十三重石塔」がありました。云われわかりません。
豊臣秀頼が寄進した言われる「仁王門」前に9時58分に着きました。ただ、この先が長かった・・・。
仁王門に安置されている「金剛力士像」を見て、先を急ぎます。
仁王門の裏手には何もありません。四天王でも安置されていたのでしょうか?。
この先に休憩所がありましたが、ここでは休みません。次のコミュニティバスが来るまで2時間もあるので、今日はゆっくり登ります。
10時1分に「五丁」の石碑まで来ました。まだ半分も来てません。
これまで、ずっと登りでしたが、ここからは急な登りが、ずっと続きます。
何故か、前方に建物が見えて来ました。ゴール?。
参道の両脇にある石積みは、かつて塔頭寺院のがあった跡。最盛期には970もの建物があったとされています。
10時5分に、謎の建物前を通過です。以前来てるので、そんなに早く着かないでしょう😊。
この先の登りが見えます。降りて来られる方に、残りどれくらいか聞きながら頑張りました。
10時10分に、この先にベンチが見えたので、ここで休憩。来ていたジャンバーを鞄に入れ、腕を巻くって汗を拭い、再び登り始めました。
10時12分に「二丁」の石碑前を通過しました。
ここの石段は急でした。そのためでしょうか、先に登られていた方が休憩されました。
10時16分に「一丁」の石碑前を通過しました。
10時19分に「弘法大師御剃髪所跡」の石碑が残る「愛染堂」を通過しました。こちらは帰りに寄ります。
最後に待ち構えている148段の石段です。
途中に「弘法大師御髪堂」がありますが、こちらも帰りに寄ります。
10時22分に、やっと本堂前に上がって来ました。登り始めて31分で到着です。
いつもなら、直ぐに本堂に行き御朱印貰いますが、迎えのコミュニティバスが12時まで来ないので、ここを11時15分頃に降りる予定にしてました。まだ、たっぷり時間があるので、先に休憩です。
ベンチに座って、「本堂」を撮りました。オレンジバスで来られた方も次々と上がって来られ、休憩されてました。
本堂の向かって右側に「観音菩薩立像」などがありましたが、詳細は分かりません。
こちらは石碑に「智慧如来」と書いてありました。
その向かいにも大きな「観音立像」が祀られてましたが、詳細は不明です。
境内からは葛城連山が眺められます。手前が岩湧山、東に金剛山だそうです。私は、どの山がそうなのか分かりません😂。
こちらが「バイオトイレ」です。水が出ないのが不思議なトイレでした。
こちらが「観音堂」で、内部を覗けました。西国各札所のミニ本尊が並んでいるようです。
本堂に上がる前に海運会社が寄贈した「馬の銅像」を見ました。
これは、西国三十三ヵ所札所巡礼中興の祖である花山法皇の逸話によるものです。平安時代粉河寺から施福寺に向かう山中で、道に迷った花山法皇を馬の嘶きが導いたとと言われる伝承によるものです。
もう、そろそろ本堂に上がっても良いでしょう。汗も引いて、呼吸も整ったので、靴を履いたまま上がりました。つづく。
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