西国三十三ヵ所 第4番札所 槇尾山 施福寺(槇尾寺)「秘仏馬頭観音」特別拝観へ
西国三十三ヵ所 第4番札所 槇尾山 施福寺(槇尾寺)にお参りするため、険しい山道を約30分かけて登り切り、暫く休憩してました。途中で、ジャンバーを脱ぎましたが、休憩中に寒くなってきたので再び来て、呼吸を整え本堂に上がることに。
10時33分に「本堂」に上がり、堂内向かって右手にある「納経所」で御朱印いただきました。
遠路遙々、ここまで登ってきたので、西国の御朱印2種いただきました。御朱印は、ともに「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
納経所には、ご住職と奥様でしょうか?話しかけてこられました。特に、月末まで馬頭観音像が公開されているので、内陣拝観を勧められました。最初から入るつもりで来たので、もちろんお願いしました。拝観料は500円で、私は初めて堂内に入ります。
堂内の左側から靴を脱いで入ります。入る時に確認しましたが、撮影もOKと聞きました。もちろん撮ります😊。
最初に見たのが、「足腰を守る花山法皇足守の馬頭観音」でした。花山法皇が当寺への道のりで大変難儀されたそうで、馬頭観音に助けられ無事槙尾山施福寺に参拝できたそうです。納経所で、「日本で唯一足裏を見せた馬頭観音」を是非お参りしてほしいと言われて、その通りでしたね。足裏見えました😊。
そして本堂内陣の中央に本尊の「弥勒菩薩座像」、両側には左に「十一面千手千眼観世音立像」、右に「文殊菩薩立像」が安置されています。なお、この「十一面千手千眼観世音立像」が西国三十三ヵ所札所本尊となります。
十一面千手千眼観世音立像は、毎年5月1日~15日に開扉法要をされるそうです。
周りには「四天王」が守っています。持国天(東方(・増長天(南方)・広目天(北方)・多聞天(北方)でしょう。
次に、悪い方角を良い方角に変えてくれるという日本唯一の「方違大観音」です。古来から転宅、転勤、結婚、家の新築、旅行などでお参りされてきました。
次に、本堂内陣の裏手に回ります。
先ずは「伝教大師空海坐像」と後方には、多くの仏像があって「眷属二十八分衆」です。一つでけ名札があって「槙尾大黒天」と書いてありました。
反対側には、天台宗開祖「伝教大師最澄像」が安置されてました。
本堂裏手の奥の中央に「元三大師坐像」が、左に「槙尾不動尊」、右に「槙尾弁財天」が祀られています。
奥の「十一面観音立像」が厨子の中に安置されています。
こちらの仏像は、涅槃仏だと思ったですが、案内には「なで仏」と書いてありました。もちろん撫でてきました。
このあと、納経所に行き、頼んであった朱印帳を受取ました。そのとき寺の方より「秘仏馬頭観音見て貰いましたか?本堂裏のライトで照らしてあったたの」と聞かれ、それが馬頭観音かどうか、再度確かめに入りました。それが、普段は秘仏で見られない「馬頭観音像」でした。
西国三十三ヵ所のHPでは11月30日までと書いてありましたが、この日聞いたお寺の方には10月末までの公開と聞きました。どっちが正解?。
納経所に戻り、新たに馬頭観音の御朱印も、いただきました。
10時53分に本堂を出ました。結構長いこと、堂内でゆっくりさせて貰いました😊。
11時6分に下山開始です。膝に持病があるので、下りの方が膝に負担がかかるので、ゆっくり降りて行きます。
行きにスルーした「弘法大師御髪堂」に寄りました。ただ、お堂の扉は閉まってて見られません。弘法大師が剃髪得度したときの髪が納められてます。
行きにスルーした「愛染堂」にも寄りました。堂内には何もありません。弘法大師が20歳のとき得度受戒したお堂です。
行きの時も気づいてましたが、ここから和泉市や泉大津市、そして大阪湾まで綺麗に見えました。
ズームすると、大阪湾の対岸にある神戸の街並みまで見えてました。
眺望を楽しんだあと、11時16分に下山を開始しました。
11時24分に、行きでジャンバーを脱いで休憩をしたベンチまで、戻ってきました。
私が下って行くと、下から数組の方が登ってこられます。すれ違いに挨拶をして、「あともう少し」とか「もう半分まできてます」とか「まだ序盤です」とか言って笑って擦れ違ってました😊。
11時32分に、行きは気づかなかった「弘法大師 姿見の井戸」を撮りました。
11時38分に「仁王門」まで、戻って来ました。
11時44分に、「入山受付所」まで戻りました。38分もかかりましたね、最後は少し焦りました。
帰りのオレンジバスが12時00分に出るので、少し焦りましたね。まだ少し時間があるので、満願滝を見て行きます。つづく。
10時33分に「本堂」に上がり、堂内向かって右手にある「納経所」で御朱印いただきました。
遠路遙々、ここまで登ってきたので、西国の御朱印2種いただきました。御朱印は、ともに「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
納経所には、ご住職と奥様でしょうか?話しかけてこられました。特に、月末まで馬頭観音像が公開されているので、内陣拝観を勧められました。最初から入るつもりで来たので、もちろんお願いしました。拝観料は500円で、私は初めて堂内に入ります。
堂内の左側から靴を脱いで入ります。入る時に確認しましたが、撮影もOKと聞きました。もちろん撮ります😊。
最初に見たのが、「足腰を守る花山法皇足守の馬頭観音」でした。花山法皇が当寺への道のりで大変難儀されたそうで、馬頭観音に助けられ無事槙尾山施福寺に参拝できたそうです。納経所で、「日本で唯一足裏を見せた馬頭観音」を是非お参りしてほしいと言われて、その通りでしたね。足裏見えました😊。
そして本堂内陣の中央に本尊の「弥勒菩薩座像」、両側には左に「十一面千手千眼観世音立像」、右に「文殊菩薩立像」が安置されています。なお、この「十一面千手千眼観世音立像」が西国三十三ヵ所札所本尊となります。
十一面千手千眼観世音立像は、毎年5月1日~15日に開扉法要をされるそうです。
周りには「四天王」が守っています。持国天(東方(・増長天(南方)・広目天(北方)・多聞天(北方)でしょう。
次に、悪い方角を良い方角に変えてくれるという日本唯一の「方違大観音」です。古来から転宅、転勤、結婚、家の新築、旅行などでお参りされてきました。
次に、本堂内陣の裏手に回ります。
先ずは「伝教大師空海坐像」と後方には、多くの仏像があって「眷属二十八分衆」です。一つでけ名札があって「槙尾大黒天」と書いてありました。
反対側には、天台宗開祖「伝教大師最澄像」が安置されてました。
本堂裏手の奥の中央に「元三大師坐像」が、左に「槙尾不動尊」、右に「槙尾弁財天」が祀られています。
奥の「十一面観音立像」が厨子の中に安置されています。
こちらの仏像は、涅槃仏だと思ったですが、案内には「なで仏」と書いてありました。もちろん撫でてきました。
このあと、納経所に行き、頼んであった朱印帳を受取ました。そのとき寺の方より「秘仏馬頭観音見て貰いましたか?本堂裏のライトで照らしてあったたの」と聞かれ、それが馬頭観音かどうか、再度確かめに入りました。それが、普段は秘仏で見られない「馬頭観音像」でした。
西国三十三ヵ所のHPでは11月30日までと書いてありましたが、この日聞いたお寺の方には10月末までの公開と聞きました。どっちが正解?。
納経所に戻り、新たに馬頭観音の御朱印も、いただきました。
10時53分に本堂を出ました。結構長いこと、堂内でゆっくりさせて貰いました😊。
11時6分に下山開始です。膝に持病があるので、下りの方が膝に負担がかかるので、ゆっくり降りて行きます。
行きにスルーした「弘法大師御髪堂」に寄りました。ただ、お堂の扉は閉まってて見られません。弘法大師が剃髪得度したときの髪が納められてます。
行きにスルーした「愛染堂」にも寄りました。堂内には何もありません。弘法大師が20歳のとき得度受戒したお堂です。
行きの時も気づいてましたが、ここから和泉市や泉大津市、そして大阪湾まで綺麗に見えました。
ズームすると、大阪湾の対岸にある神戸の街並みまで見えてました。
眺望を楽しんだあと、11時16分に下山を開始しました。
11時24分に、行きでジャンバーを脱いで休憩をしたベンチまで、戻ってきました。
私が下って行くと、下から数組の方が登ってこられます。すれ違いに挨拶をして、「あともう少し」とか「もう半分まできてます」とか「まだ序盤です」とか言って笑って擦れ違ってました😊。
11時32分に、行きは気づかなかった「弘法大師 姿見の井戸」を撮りました。
11時38分に「仁王門」まで、戻って来ました。
11時44分に、「入山受付所」まで戻りました。38分もかかりましたね、最後は少し焦りました。
帰りのオレンジバスが12時00分に出るので、少し焦りましたね。まだ少し時間があるので、満願滝を見て行きます。つづく。
この記事へのコメント
大阪府の山間にもこういった由緒ある古刹が幾つかあるのですね。
その伽藍の風合いや仏様の様相に、歴史と格式を感じます。
やはり秘仏の迫力が凄い。ご覧になられて良かったです。
見応え、登りごたえがあるでしょうね。
電車の旅の様子も楽しませていただきました。
京都から電車やバスを乗り継いでやって来ました。
西国三十三ヵ所札所巡りの中でも難所と言われるだけのことはありました。登りきつかったです。
関東では板東何箇所か忘れましたが、札所巡りあるんですね。
西国三十三ヵ所札所巡りも、残り一箇所となりました。