空襲による焼失後 忠実に復元された名古屋城本丸御殿へ

名古屋城本丸御殿は、2018年(平成30年)6月から公開を始められ、私は初めて御殿内に入ります。幸運にも、この日の最初の訪問者は私で、この時、9時5分でした😊。

名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により1615年(慶長20年)に建てられました。1634年(寛永11年)には将軍のお成御殿として上洛殿が増築され、格式高き御殿として知られていましたが、1945年(昭和20年)の空襲で天守閣とともに全焼しました。名古屋市では、2009年(平成21年)1月から本丸御殿の復元に着手し、2013年(平成25年)5月には入口にあたる玄関、謁見の場である表書院などの公開が開始されました。本丸御殿の復元にあたっては、主要な木材に木曾檜を使用するとともに、継手・仕口により木材を組み立てる伝統工法を採用しています。また障壁画についても、狩野派の絵師たちが用いた技法や素材を分析し、復元模写により当初の色彩を再現しています。復元された建物と、色鮮やかな障壁画、そして金色に輝く飾金具があいまって、400年前の壮大な空間が蘇りました。

中之口部屋横出入口」から入ると、先ずは靴を下駄箱に預けます。鞄もロッカーに入れるか、身体の正面に持つかと言われ、ロッカーに入れずに先を急ぎます。後続の団体さんが来られたら、ゆっくり見られないので😊。

IMG_7456.jpg見学は一方通行のようで、案内に従って進みます。

IMG_7457.jpgIMG_7468.jpg最初に見るのは「大廊下」です。玄関と奥を結ぶ重要な通路で、幅は3間(約6㍍)に及びます。

IMG_7460.jpgIMG_7467.jpg次に、外から見ていた「玄関」で、「玄関一之間」から見学です。二条城の二の丸御殿と同様に、室内に入れないのが残念です。

IMG_7462.jpgIMG_7463.jpgIMG_7464.jpg次に「玄関二之間」の見学です。写真的には柱が邪魔ですね😊。

IMG_7465.jpgここで、Uターンして「表書院」に向かいます。

IMG_7471.jpg表書院では最初に「表書院三之間」から見て行きます。

表書院はも江戸時代は広間と呼ばれ、藩主と来客や家臣との公的な謁見に用いられてました。一番奥に位置する上段之間は、床や付書院を備えるとともに、床も一段とたかくしており、藩主の座として使われました。

IMG_7474.jpgIMG_7475.jpg次に「表書院二之間」です。

IMG_7477.jpg次に案内にも書いてあった「表書院一之間」で、奥に「上段之間」があります。

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上段之間」の天井は、一段高く造られています。格式の高さが分かりますね。

IMG_7484.jpg室内に入って、殿様気分を味わいたいけど、廊下側からしか見られません。

IMG_7486.jpgIMG_7487.jpg次に案内に従って廊下を歩いて今と「対面所納戸一之間」がありました。

対面所は、藩主と身内や家臣との私的な対面や宴席に用いられました。上段之間・次之間には、四季の風物や名所が、多くの人物とともに描かれています。

IMG_7488.jpgIMG_7489.jpgIMG_7490.jpg次が「対面所次之間」です。

IMG_7492.jpgIMG_7493.jpg対面所の最後が「対面所上段之間」でした。

IMG_7497.jpg対面所上段之間の奥が廊下で「鷺之廊下」と呼ばれています。

鷺之廊下は、対面所と上洛殿を結ぶための廊下で、1634年(寛永11年)に上洛殿と共に増築されました。長押の上まで障壁画が描かれるのが寛永期の特徴です。将軍や藩主はここを通り上洛殿へ向かいました。

IMG_7498.jpg次に廊下を進み、左手に曲がって「上洛殿」に向かいます。

1634年(寛永11年)の三代将軍家光の上洛に合わせて増築された御成御殿です。江戸時代には御書院・御白書院と呼ばれてました。本丸御殿で最も格式の高い建物であり、室内の装飾は狩野派による襖絵・天井板絵、きらびやかな彫刻欄間、飾金具など、細部まで贅の限りが尽くされました。中でも、狩野探幽によって描かれた「帝鑑図」や「雪中梅竹鳥図」などは、傑作とされています。

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最初に見るのが「上洛殿三之間」(21畳)です。

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次が「上洛殿二之間」(22畳)です。

IMG_7509.jpgIMG_7510.jpgIMG_7511.jpg次が「上洛殿一之間」(18畳)です。3代将軍家光のために増築されただけに、廊下も絢爛豪華です😊。

IMG_7513.jpgIMG_7514.jpgIMG_7515.jpg最後が「上洛殿上段之間」です。本物は、空襲により焼失してますが、ここに家光公が座られたのでしょう。

IMG_7519.jpgIMG_7522.jpg次に、元来た廊下を通って「梅之間」に行きました。

梅之間は、将軍をもてなす役割に任じられた尾張上級家臣の控えの間として使われた部屋です。上洛殿と共に1634年(寛永11年)に増築されました。

IMG_7523.jpgIMG_7525.jpg次に梅之間の対面にあったのが「上御膳所」です。

上御台所で調理されて運ばれた料理を、長囲炉裏で温め直し、上段に揃えられた御膳・器に盛りつけて、来訪した将軍のもとへ運びました。長囲炉裏がある膳御場の天井には煙出があります。

IMG_7527.jpgこちらは「上御膳所御上段」です。

IMG_7530.jpg次の「孔雀之間」では、菊切り花展の催しされてました。あっさり見て出て行きました。

IMG_7531.jpgIMG_7533.jpgそして、再び「対面所納戸一之間」まで戻ってきました。ただ、一方通行のため次に「下御膳所」に向かいました。

IMG_7534.jpgこちらは募金箱です。「名古屋城天守閣木造復元募金箱」でした。

IMG_7536.jpgこちらのプレートは、「夢童由里子氏記念銘板」とありました。

IMG_7537.jpgIMG_7538.jpg最後が「下御膳所」でした。

下御膳所は、長囲炉裏が備えられており、料理の配膳や温め直しのための建物だと考えられています。天井には煙出しがあります。

IMG_7539.jpgIMG_7540.jpgここを抜けると「中之口部屋横出入口」に出ました。もう一周しても良かったかもですが、下駄箱に行き、靴を履いて9時20分に出て行きました。

※現在、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、「湯殿・黒木書院」は閉館してますが、令和4年11月12日~令和4年11月20日には特別公開されました。

予定では、ここ名古屋城を10時から10時30分までに出て行ったら良いので、まだまだ散策します。つづく。

この記事へのコメント

2022年12月04日 18:22
名古屋城本丸御殿、やはり絢爛豪華ですよね。
しかも新しい!
私が中に入ったのは、2015年でした。第一期工事が終わって間もなく。
ヒノキの香りが立ち込めていました。今はどうですか。
それから、第二期工事、第三期工事とあって、2018年に全部の工事が完成したのです。だから、私は最初の方しか見ていないんですよね。
次回は、全部見て回りたいです。見応えがあるでしょうね。
壬生里
2022年12月05日 15:51
ミクミティさんへコメントありがとうございます。

檜の匂いですが、私は感じなかったです。マスクをしているためでしょうか。
私も「湯殿・黒木書院」には入れなかったので、また、再訪したいです。
さすがに、御三家筆頭格だけに、豪華絢爛でしたね、見てて飽きないです。
二条城の二の丸御殿には、何度も入ってますが、また違った趣がありました。
木造で天守閣再建計画があるようで、早く見てみたいものですね。