城郭として国宝第一号に指定された名城 特別史跡 名古屋城へ
復元された名古屋城本丸御殿を見たあと、まだ時間があったので、城内を散策することにしました。
さすが、徳川御三家筆頭の天守閣だけに雄大です。かさねがさね空襲で焼失したのが残念です。
こちらが「名古屋城本丸御殿ミュージアムショップ」で、寄ってみました。このあと、二箇所回る予定にしていたので、ここで土産物は買いません。
名古屋城限定のジグソーパズルがあればと思いましたが無かったです。プラモデルなどありましたが・・・。
すっかり忘れてましたが、小天守から入るですね。このあと乗ったタクシーの運転手さが「文化庁の許可が下りないから」と、木造での復元計画が進まないことを言われてました。
手前が「本丸御殿」と、奥が「天守閣」です。
こちらは「東一之門跡」です。ここにかつて搦手門の枡形の内門がありました。
1612年(慶長17年)頃の建造で、東一之門の構造は屋根入母屋造り本瓦葺、上層は総塗籠造り右脇小門の開戸付きの櫓門でした。西側と北側の石垣上には、多門櫓が隙間なく建てられていたようです。門と多門櫓で取り囲んで出入口を守る、枡形虎口が形成されていました。多門櫓は1891年(明治24年)の濃尾地震で大破し、取り壊され再建されませんでした。表一之門とは殆ど同じ構造でした。東一之門と東二之門は、1945年(昭和45年)の空襲で焼失してしまいました。
この巨石は「清正石」で、この石は覚えてました。
名古屋城で最大の石垣石材。ここ本丸搦手枡形の石垣は黒田長政の担当であったが、巨石であるがゆえ普請の名手加藤清正が積み上げたと伝えられています。
この門はくぐりませんでしたが、重要文化財に指定されている「旧二之丸東二之門」です。
本来は東鉄門という二之丸東の枡形外門で、現在の東側にありました。1963年(昭和38年)二之丸に愛知県体育館が建設されるにあたり解体され、1972年(昭和47年)に現在地に移築されたものです。
門をくぐらず戻ります。遠くから見た「清正石」と「東一之門跡」です。
この時、9時26分でしたが、本丸御殿への入場には行列できてません。団体さん居たけどスムーズに入れてますね。
逆光で眩しかったけど、内側から見た重要文化財に指定されている「東南隅櫓」です。2008年(平成20年)11月13日には特別公開されるので入った記憶があります。
古名は辰巳櫓。かつては西側と北側に多門櫓が続いていました。1953年(昭和27年)の解体修理により、木曾の木材が用いられており、1707年(宝永4年)に修理され、明治になり江戸城の鯱が取り付けられたことが明らかにされました。
本丸を出るのに、再び「本丸表一の門跡」を出ます。
そして「本丸表二の門」もくぐり、本丸を出ます。
門を出て左手には「清正の石曳き」があのます。
1610年(慶長15年)加藤清正が徳川家康に願い出て、大小の天守閣の石垣工事を施工しました。清正は巨石を修羅に乗せて運ぶとき、石の上に乗り、気勢を上げたと伝えられ、世に「清正の石曳き」と言われています。
そのまま東に行けば「二之丸庭園」がありますが、今日は行きませんでした。それで西側に戻ります。
行きは先を急いだのでスルーした重要文化財に指定されている「西南隅櫓」です。
1612年(慶長17年)頃に建てられ、未申櫓(ひつじさるやぐら)と呼ばれてました。外観二重、内部三階建ての珍しい形態です。二階の西、南面に張り出しがあり、この下に石落としがあります。床に開閉式の穴があり、石垣に接近した敵兵を銃撃する仕掛けでした。櫓は明治後期から大正期頃に、自然災害で倒壊したが、1923年(大正12年)宮内省により、古材を用いて再建されました。そのため鬼瓦に菊の御紋が見られます。
大天守と小天守を連結する櫓台は、高い土塀で囲まれ弊の軒に鋭い穂先がぎっしりと並べられています。大天守に敵の侵入を防ぐもので「剣塀」と言われています。
その向かいに立て札があって「鵜の首」とかいてありました。意味が・・・?。
鵜の首とは、堀を内側に入れ込み道幅を狭くした部分。本丸の周囲には、大手・搦手など五箇所に鵜の首があり、本丸への敵の侵入をはばんでいた。
この日は、ここで引き返しました。2008年(平成20年)11月13日に、ここから奥にある「御深井丸」に行ってたので、写真載せることにしました。
重要文化財に指定されいる「西北隅櫓」です。
別名を戌亥隅櫓とも清須櫓とも呼ばれる屋根三層、内部三階で、最上階は入母屋造り本瓦葺。一階の外壁の西面・北面の出張った落狭間(石落とし)を設け、屋根を千鳥波風にして擬装しています。現存する他の隅櫓と違って、内側の東面・南面にも千鳥波風を設け荘重で安定感があります。
ここに何気なく置いてある石は「天守閣基礎石」です。
ここにある石は旧国宝名古屋城天守閣の基礎土台石です。1959年(昭和34年)に、天守閣再建のとき、ここへ移したものです。
御深井丸を出るのは「不明門」からです。
空襲による焼失後に再建された門で、多門櫓の下をくぐる埋門です。本丸御殿の大奥に通じる秘門で、常に鍵が厳重にかけられていたことから「あかずの門」とも呼ばれていたようです。この門の塀外部軒桁には防護機能として、忍び返しにした「剣塀」が設けられています。1978年(昭和53年)に原形どおり再建されました。
再び、11月9日(水)に戻ります😊。天守閣と鵜の首を見たあと、正門へと戻ります。
正門から戻る前に、2008年(平成20年)3月8日には無かった「西の丸御蔵城宝館」に向かいます。
入るのに料金は要りません。写真も自由に撮れるそうで、寄って行くことにしました。
入ると「祝開館一周年記念」のクッキーを貰いました😊。
館内は、名古屋城の歴史を詳しくパネルを使って案内されていました。
館内をサッと見て、出て行きました。興味深いものは無かったですね😊。
ここから天守閣が見えたので、撮ってみました。このあと正門へ向かいます。
9時45分に「正門」から出て行きました。振り返り開いている「正門」を忘れずに撮っておきました。
ここにはかつて、榎多門と呼ばれる櫓門がありました。南側に「冠木門」と呼ばれる外門、北側と西側の石垣上には多門櫓が建てられていました。内門の榎多門と合わせて、防御力の高い城郭の出入口である、枡形虎口が形成されていました。榎多門は1891年(明治24年)の濃尾地震で大破し、代わりに1911年(明治44年)に、旧江戸城から蓮池門が移築され、石垣も組み直されました。国宝に指定されていましたが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失し、現在の正門は1959年(昭和34年)に、旧蓮池門を鉄筋コンクリート造りで、外観復元したものです。
この正門前にタクシー乗り場があって、1台だけ止まってました。それで、そのタクシーに乗り込んだので、ここから歩いて5分ぐらいの所にある銅像を見ることができませんでした。
名古屋能楽堂の前にある「加藤清正像」です。行きのタクシーの中から見てました。
次の目的地では、地下鉄を乗り換えれば行けますが、帰る時間のことを考えて、当初からタクシーの利用を考えていました。1台でも止まっていてくれて助かりました😊。つづく。
さすが、徳川御三家筆頭の天守閣だけに雄大です。かさねがさね空襲で焼失したのが残念です。
こちらが「名古屋城本丸御殿ミュージアムショップ」で、寄ってみました。このあと、二箇所回る予定にしていたので、ここで土産物は買いません。
名古屋城限定のジグソーパズルがあればと思いましたが無かったです。プラモデルなどありましたが・・・。
すっかり忘れてましたが、小天守から入るですね。このあと乗ったタクシーの運転手さが「文化庁の許可が下りないから」と、木造での復元計画が進まないことを言われてました。
手前が「本丸御殿」と、奥が「天守閣」です。
こちらは「東一之門跡」です。ここにかつて搦手門の枡形の内門がありました。
1612年(慶長17年)頃の建造で、東一之門の構造は屋根入母屋造り本瓦葺、上層は総塗籠造り右脇小門の開戸付きの櫓門でした。西側と北側の石垣上には、多門櫓が隙間なく建てられていたようです。門と多門櫓で取り囲んで出入口を守る、枡形虎口が形成されていました。多門櫓は1891年(明治24年)の濃尾地震で大破し、取り壊され再建されませんでした。表一之門とは殆ど同じ構造でした。東一之門と東二之門は、1945年(昭和45年)の空襲で焼失してしまいました。
この巨石は「清正石」で、この石は覚えてました。
名古屋城で最大の石垣石材。ここ本丸搦手枡形の石垣は黒田長政の担当であったが、巨石であるがゆえ普請の名手加藤清正が積み上げたと伝えられています。
この門はくぐりませんでしたが、重要文化財に指定されている「旧二之丸東二之門」です。
本来は東鉄門という二之丸東の枡形外門で、現在の東側にありました。1963年(昭和38年)二之丸に愛知県体育館が建設されるにあたり解体され、1972年(昭和47年)に現在地に移築されたものです。
門をくぐらず戻ります。遠くから見た「清正石」と「東一之門跡」です。
この時、9時26分でしたが、本丸御殿への入場には行列できてません。団体さん居たけどスムーズに入れてますね。
逆光で眩しかったけど、内側から見た重要文化財に指定されている「東南隅櫓」です。2008年(平成20年)11月13日には特別公開されるので入った記憶があります。
古名は辰巳櫓。かつては西側と北側に多門櫓が続いていました。1953年(昭和27年)の解体修理により、木曾の木材が用いられており、1707年(宝永4年)に修理され、明治になり江戸城の鯱が取り付けられたことが明らかにされました。
本丸を出るのに、再び「本丸表一の門跡」を出ます。
そして「本丸表二の門」もくぐり、本丸を出ます。
門を出て左手には「清正の石曳き」があのます。
1610年(慶長15年)加藤清正が徳川家康に願い出て、大小の天守閣の石垣工事を施工しました。清正は巨石を修羅に乗せて運ぶとき、石の上に乗り、気勢を上げたと伝えられ、世に「清正の石曳き」と言われています。
そのまま東に行けば「二之丸庭園」がありますが、今日は行きませんでした。それで西側に戻ります。
行きは先を急いだのでスルーした重要文化財に指定されている「西南隅櫓」です。
1612年(慶長17年)頃に建てられ、未申櫓(ひつじさるやぐら)と呼ばれてました。外観二重、内部三階建ての珍しい形態です。二階の西、南面に張り出しがあり、この下に石落としがあります。床に開閉式の穴があり、石垣に接近した敵兵を銃撃する仕掛けでした。櫓は明治後期から大正期頃に、自然災害で倒壊したが、1923年(大正12年)宮内省により、古材を用いて再建されました。そのため鬼瓦に菊の御紋が見られます。
大天守と小天守を連結する櫓台は、高い土塀で囲まれ弊の軒に鋭い穂先がぎっしりと並べられています。大天守に敵の侵入を防ぐもので「剣塀」と言われています。
その向かいに立て札があって「鵜の首」とかいてありました。意味が・・・?。
鵜の首とは、堀を内側に入れ込み道幅を狭くした部分。本丸の周囲には、大手・搦手など五箇所に鵜の首があり、本丸への敵の侵入をはばんでいた。
この日は、ここで引き返しました。2008年(平成20年)11月13日に、ここから奥にある「御深井丸」に行ってたので、写真載せることにしました。
重要文化財に指定されいる「西北隅櫓」です。
別名を戌亥隅櫓とも清須櫓とも呼ばれる屋根三層、内部三階で、最上階は入母屋造り本瓦葺。一階の外壁の西面・北面の出張った落狭間(石落とし)を設け、屋根を千鳥波風にして擬装しています。現存する他の隅櫓と違って、内側の東面・南面にも千鳥波風を設け荘重で安定感があります。
ここに何気なく置いてある石は「天守閣基礎石」です。
ここにある石は旧国宝名古屋城天守閣の基礎土台石です。1959年(昭和34年)に、天守閣再建のとき、ここへ移したものです。
御深井丸を出るのは「不明門」からです。
空襲による焼失後に再建された門で、多門櫓の下をくぐる埋門です。本丸御殿の大奥に通じる秘門で、常に鍵が厳重にかけられていたことから「あかずの門」とも呼ばれていたようです。この門の塀外部軒桁には防護機能として、忍び返しにした「剣塀」が設けられています。1978年(昭和53年)に原形どおり再建されました。
再び、11月9日(水)に戻ります😊。天守閣と鵜の首を見たあと、正門へと戻ります。
正門から戻る前に、2008年(平成20年)3月8日には無かった「西の丸御蔵城宝館」に向かいます。
入るのに料金は要りません。写真も自由に撮れるそうで、寄って行くことにしました。
入ると「祝開館一周年記念」のクッキーを貰いました😊。
館内は、名古屋城の歴史を詳しくパネルを使って案内されていました。
館内をサッと見て、出て行きました。興味深いものは無かったですね😊。
ここから天守閣が見えたので、撮ってみました。このあと正門へ向かいます。
9時45分に「正門」から出て行きました。振り返り開いている「正門」を忘れずに撮っておきました。
ここにはかつて、榎多門と呼ばれる櫓門がありました。南側に「冠木門」と呼ばれる外門、北側と西側の石垣上には多門櫓が建てられていました。内門の榎多門と合わせて、防御力の高い城郭の出入口である、枡形虎口が形成されていました。榎多門は1891年(明治24年)の濃尾地震で大破し、代わりに1911年(明治44年)に、旧江戸城から蓮池門が移築され、石垣も組み直されました。国宝に指定されていましたが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失し、現在の正門は1959年(昭和34年)に、旧蓮池門を鉄筋コンクリート造りで、外観復元したものです。
この正門前にタクシー乗り場があって、1台だけ止まってました。それで、そのタクシーに乗り込んだので、ここから歩いて5分ぐらいの所にある銅像を見ることができませんでした。
名古屋能楽堂の前にある「加藤清正像」です。行きのタクシーの中から見てました。
次の目的地では、地下鉄を乗り換えれば行けますが、帰る時間のことを考えて、当初からタクシーの利用を考えていました。1台でも止まっていてくれて助かりました😊。つづく。
この記事へのコメント
改めて読ませて頂くと流石に広くて豪華。
徳川家御三家筆頭の重みを感じます。
それにしても壬生里さん フットワークが良いですねぇ。
前回、名古屋城に行ったとき、本丸御殿再建に向け、少しばかり募金しました。
それで、再建なって直ぐにでも行きたかったですが、ようやく見ることができ満足です。
期間限定公開の湯殿書院は、開いて無かったので、こちらも是非見たいので、再訪したいです。( ^_^)
それにしてもいい天気。
天守はもちろんですが、石垣も非常に美しいですよね。
今回、名古屋城を登城するため、調べると西の丸御蔵城宝館が新たに出来ていることを知りました。
この日は、二の丸庭園には時間の都合で行けませんでした。お城は広いので、今度は名古屋城だけを、ゆっくり散策します。