近世武家文化の名園 徳川園へ
名古屋城の正門を出て、タクシー乗り場からタクシーを利用して、徳川園に向かいました。名古屋城と徳川園との共通券があるのは知ってましたし、2008年(平成20年)11月13日に来た時も、共通券を購入して行った記憶があります。ただ、前途したとおり、入城する時の行列を避けるため、名古屋城には「アソビュー!」で、オンラインチケットを購入した訳です。あの団体さんを見ると、大正解でしたね😊。
タクシーは、約10分で徳川園の「大門」前に9時55分に着きました。約10分でしたが、車内での運転手さんとの会話が弾みました😊。珍しく私から話しかけると、楽しい会話が広かった訳です😊。
江戸時代には、尾張徳川家2代藩主徳川光友の隠居所として1695年(元禄8年)に造営された「大曽根下屋敷」で広大な別邸でした。光友の死後、別邸は家老の成瀬・石河・渡辺の三家に下附され幕末まで使用されましたが、明治維新後には再び尾張徳川家の所有となりました。1931年(昭和6年)尾張徳川家19代徳川義親は、邸宅と庭園を名古屋市に寄付。名古屋市はその後、改修整備を行い、翌年「徳川園」として一般に開園しました。しかし、第二次世界大戦による空襲を受け、建物や樹木などが「表門」を残し焼失してしまいます。戦後、現代的な都市公園として、市民に利用されていた徳川園は、2001年(平成13年)から日本庭園として再整備し、2004年(平成16年)に近世武家文化の環境にふさわしい池泉回遊式庭園として開園しました。
黒門を入って正面に「蓬左文庫」があって、別途有料で入れますが、予約拝観が優先されるので今日は入りません。
こちらは以前入ったことがある「徳川美術館」です。共通券もありますが、こちらも入りません。
9時56分に「黒門口」から、入園料300円を払って入ります。帰りは「大曽根口」から出るので、こちらには戻らないです。
ここの受付の人が、とても親切で話し方も丁寧に話され、入園した私が恐縮するほどです😊。
受付を済ませ、橋を渡ると右手に「門地石」と書かれた巨石がありましたが、そのまま進みます。
次に「虎仙橋」があって、虎の尾に架かる檜造りの木橋です。5㍍下に渓流を見下ろし、下流に龍仙湖を望みます
この先を降りて行くと「虎の尾」が見られます。深山幽谷の山水画を思わせるような渓谷美を表現しており、もみじの木々を縫って龍仙湖へと濯ぎます。
案内図もありました。2008年(平成20年)11月13日に来てますが、ほぼ覚えてません。ただ、帰ってから、この案内図を詳しく見ておくべきと後悔しています😂。
龍仙湖に出たら、時計回りで池を巡ります。左手に「龍門の瀧」があったので撮りました。
龍門瀑ともいわれ、鯉が滝を登りきって竜となったという登竜門伝説に基づく滝の一形式です。尾張家江戸下屋敷跡地にあった滝の石を使用し、徳川園に再現しました。
天気が良いので、青空に「龍仙湖」が映えます。
海に見立てた水面の周りに見どころを配する池泉回遊式庭園の中心的存在で、地下水を水源としています。黒松を背にして浮かぶ島々、巨石に懸かるもみじ、水際を渡る飛石、突き出す砂嘴、舟小屋のある渡し場などを巡りながら楽しむことができます。
この巨石は「恵那石」と書いてありました。
京都の庭園のように、木々で周りビルを隠せば良いのになぁ・・・と思いながら、歩いて行きました。
「龍仙湖」は池を海に見立てており、池泉内には、篠島、日向賀島、佐久島を連想するもので、この写真の島は「亀島」と言われています。亀は長寿やいつぞ句の永遠の繁栄を祈念し縁起物として日本庭園には好まれています。
龍仙湖を半周して、「大曽根口」まで来ました。まだ半周のため、ここでは出ません。
ここでは、鯉の餌をやれます。2008年(平成20年)11月13日に来た時は、やりました。今日は見てるだけ😊。
この太鼓橋は「西湖堤」と呼ばれるもので、白楽天、蘇東坡など、古くから文化人の憧れの景勝地である中国杭州の西湖の湖面を直線的に分ける堤防を縮景したものです。
それで・・・龍仙湖を一周してきました。案内図を良く見たら、「大曽根の瀧」や「四睡庵」があったのに、行かなかったので後悔している訳です。2008年(平成20年)11月13日にも行って無いので、ダブル後悔です😂。
1周目は右に行きましたが、2周目は左に行きます。
この巨石は「赤玉石」と書いてありました。
紅葉が色づいてます。もう少ししたら絶好の赤色になるでしょう。
そのまま進むと茶室「瑞龍亭」が合ったので寄りました。ただ内部は閉まってて見られません。
尾張徳川家2代藩主徳川光友の諡號(しごう)「瑞龍院」から名づけられた小さな茶室で、龍仙湖の彼方に西湖堤を眺望することができます。織田有楽斎を始祖とし、かつては尾張徳川家で重用された尾州有楽流に因み、有楽好みの様式を取り入れています。
a茶室の周りには「蹲踞」や「四阿」もありました。
大曽根口に向かって歩いて行くと、この辺りは「牡丹園」のようです。
大曽根口近くにあった「光悦灯籠」です。本阿弥光悦のことでしょうね、知らんけど😊。
この巨石は「篠島石」と書いてありまた。篠島は、三河湾に浮かぶ離島で、会社の旅行で40年ぐらい前に泊まったことがあります。
10時14分に「大曽根口」から出て行きました。
JR大曽根駅も以前利用したかと思いますが、全く記憶ありません。念のため、受付の方に行き方を聞いて出発しました。つづく。
タクシーは、約10分で徳川園の「大門」前に9時55分に着きました。約10分でしたが、車内での運転手さんとの会話が弾みました😊。珍しく私から話しかけると、楽しい会話が広かった訳です😊。
江戸時代には、尾張徳川家2代藩主徳川光友の隠居所として1695年(元禄8年)に造営された「大曽根下屋敷」で広大な別邸でした。光友の死後、別邸は家老の成瀬・石河・渡辺の三家に下附され幕末まで使用されましたが、明治維新後には再び尾張徳川家の所有となりました。1931年(昭和6年)尾張徳川家19代徳川義親は、邸宅と庭園を名古屋市に寄付。名古屋市はその後、改修整備を行い、翌年「徳川園」として一般に開園しました。しかし、第二次世界大戦による空襲を受け、建物や樹木などが「表門」を残し焼失してしまいます。戦後、現代的な都市公園として、市民に利用されていた徳川園は、2001年(平成13年)から日本庭園として再整備し、2004年(平成16年)に近世武家文化の環境にふさわしい池泉回遊式庭園として開園しました。
黒門を入って正面に「蓬左文庫」があって、別途有料で入れますが、予約拝観が優先されるので今日は入りません。
こちらは以前入ったことがある「徳川美術館」です。共通券もありますが、こちらも入りません。
9時56分に「黒門口」から、入園料300円を払って入ります。帰りは「大曽根口」から出るので、こちらには戻らないです。
ここの受付の人が、とても親切で話し方も丁寧に話され、入園した私が恐縮するほどです😊。
受付を済ませ、橋を渡ると右手に「門地石」と書かれた巨石がありましたが、そのまま進みます。
次に「虎仙橋」があって、虎の尾に架かる檜造りの木橋です。5㍍下に渓流を見下ろし、下流に龍仙湖を望みます
この先を降りて行くと「虎の尾」が見られます。深山幽谷の山水画を思わせるような渓谷美を表現しており、もみじの木々を縫って龍仙湖へと濯ぎます。
案内図もありました。2008年(平成20年)11月13日に来てますが、ほぼ覚えてません。ただ、帰ってから、この案内図を詳しく見ておくべきと後悔しています😂。
龍仙湖に出たら、時計回りで池を巡ります。左手に「龍門の瀧」があったので撮りました。
龍門瀑ともいわれ、鯉が滝を登りきって竜となったという登竜門伝説に基づく滝の一形式です。尾張家江戸下屋敷跡地にあった滝の石を使用し、徳川園に再現しました。
天気が良いので、青空に「龍仙湖」が映えます。
海に見立てた水面の周りに見どころを配する池泉回遊式庭園の中心的存在で、地下水を水源としています。黒松を背にして浮かぶ島々、巨石に懸かるもみじ、水際を渡る飛石、突き出す砂嘴、舟小屋のある渡し場などを巡りながら楽しむことができます。
この巨石は「恵那石」と書いてありました。
京都の庭園のように、木々で周りビルを隠せば良いのになぁ・・・と思いながら、歩いて行きました。
「龍仙湖」は池を海に見立てており、池泉内には、篠島、日向賀島、佐久島を連想するもので、この写真の島は「亀島」と言われています。亀は長寿やいつぞ句の永遠の繁栄を祈念し縁起物として日本庭園には好まれています。
龍仙湖を半周して、「大曽根口」まで来ました。まだ半周のため、ここでは出ません。
ここでは、鯉の餌をやれます。2008年(平成20年)11月13日に来た時は、やりました。今日は見てるだけ😊。
この太鼓橋は「西湖堤」と呼ばれるもので、白楽天、蘇東坡など、古くから文化人の憧れの景勝地である中国杭州の西湖の湖面を直線的に分ける堤防を縮景したものです。
それで・・・龍仙湖を一周してきました。案内図を良く見たら、「大曽根の瀧」や「四睡庵」があったのに、行かなかったので後悔している訳です。2008年(平成20年)11月13日にも行って無いので、ダブル後悔です😂。
1周目は右に行きましたが、2周目は左に行きます。
この巨石は「赤玉石」と書いてありました。
紅葉が色づいてます。もう少ししたら絶好の赤色になるでしょう。
そのまま進むと茶室「瑞龍亭」が合ったので寄りました。ただ内部は閉まってて見られません。
尾張徳川家2代藩主徳川光友の諡號(しごう)「瑞龍院」から名づけられた小さな茶室で、龍仙湖の彼方に西湖堤を眺望することができます。織田有楽斎を始祖とし、かつては尾張徳川家で重用された尾州有楽流に因み、有楽好みの様式を取り入れています。
a茶室の周りには「蹲踞」や「四阿」もありました。
大曽根口に向かって歩いて行くと、この辺りは「牡丹園」のようです。
大曽根口近くにあった「光悦灯籠」です。本阿弥光悦のことでしょうね、知らんけど😊。
この巨石は「篠島石」と書いてありまた。篠島は、三河湾に浮かぶ離島で、会社の旅行で40年ぐらい前に泊まったことがあります。
10時14分に「大曽根口」から出て行きました。
JR大曽根駅も以前利用したかと思いますが、全く記憶ありません。念のため、受付の方に行き方を聞いて出発しました。つづく。
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