紅葉の京都御所の参観へ
先日の愛知県名古屋市にある名古屋城を行ったあとは、当分、他府県には行かず、京都の紅葉巡りに専念します😊と言っても、毎年行っているお馴染みの寺院しか行きませんが😊。
11月15日(火)は、毎月一回の所用のため、京都御所の近くまで来たので、そのついでに9時から始まる参観へ京都御所行くことにしました。京都御所の参観も2022年(令和4年)4月19日(火)に来ているので、それ以来になります。
京都御苑に9時1分に着いたので、既に参観は始まっています。参観入口は「清所門」で、急いで向かいました。
清所門では、体温を測定され、鞄の中を確認されます。そして番号札を首から掛けて参観開始です。番号札は23番でした。9時2分で、23番目ということですね。

最初に見るのが「宜秋門(ぎしゅうもん)」です。かつて、ここが参観の入口でした。
京都御所の西面の中央の門で、平安京内裏の外郭門の1つ。車寄せに通じ、皇族や公卿、その他官人の出入りした門で、俗に公卿門といいます。
その向かいにあるのが「御車寄(おくるまよせ)」です。
高位の貴族などが参内した際に、儀式や天皇との対面に使用した玄関。諸大夫の間や清涼殿、小御所と廊下で繋がっています。
次に、この門を潜りますが、紅葉もありますね。
最初が「諸大夫の間」です。外からガラス越しに室内が見られます。
正式な御用で参内した公家や使用軍家の使者の控えの間として使われました。身分に応じて部屋が決まっており、建物に向かって右に行くほど身分が高く、「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と襖の絵に因んで呼ばれています。
次に「新御車寄(しんみくるまよせ)」の前に行きました。
1915年(大正4年)に大正天皇即位礼が紫宸殿で行われる際に馬車による行幸に対応する玄関として新設されたものです。天皇が御所の南側から出入りされた伝統を踏まえています。

こ新御車寄から「月華門」に行き、紫宸殿を見てみました。
平安京内裏内郭の門の一つ。紫宸殿南庭の西側にあり、日華門と対しています。
月華門の南側に「武徳門」がありました。次に行く「承明門」が見えています。
「承明門」から見た、紫宸殿です。この前に人が多かったので門の全景は断念しました😂。
平安京内裏の内郭12門の一つ。外郭門の建礼門に相対し、紫宸殿の南正面にあたる門で、中央は天皇のみが通行されました。東西にそれぞれに5間離れて長楽、永安の2門が配置され、兵衛府が警備にあたっていました。
承明門の対面にあるのが「建礼門(けんれいもん)」です。
京都御所南面にある正門です。かつては即位の礼など紫宸殿で行われる儀式の時には開かれました。現在は、天皇・皇后両陛下や外国の国家元首が通る時だけ使用される格式の高い門です。
承明門の東側の「長楽門」から、紫宸殿の南庭に入ります。

紫宸殿は、まもなく始まる「京都御所 宮廷文化の紹介」<令和4年秋>では、間近で見られますが、普段はここまでです。天気が良いので紫宸殿映えました😊。
1855年(安政2年)の再建。即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿であり、京都御所の象徴ともいえる存在です。第123代大正天皇・第124代昭和天皇の即位礼もここで行われました。階段脇には,東に左近の桜、西に右近の橘があり、前面には白砂の南庭が広がり、建物と同様に庭も重要な役割を果たしています。
この日は、パネルがあって、京都御所の正殿として、1868年(慶応4年)に第122代明治天皇が公家や大名を前に新政府の指針「五箇条の御誓文」を示したことが書かれていました。
南庭は「延政門」から出ます。
南庭の延政門を出て、今日は「建春門」の近くまで行ってみました。ここには誰も来られません。
平安京内裏の外郭門の一つ。内裏東側の正門で内郭宣陽門(せんようもん)に相対しています。
わざわざ「建春門」まで来たのは、この近くの紅葉が綺麗だったので行って見た訳です。
こちらは「春興殿(しゅんこうでん)」です。この角度から写真撮ったのは初めてでしょう。
1915年(大正4年)大正天皇即位礼に際し、皇居から神鏡を一時的に奉安するために建てられたものです。昭和天皇の即位礼でも使用されました。内部は板敷で、外陣・内陣・神鏡を奉安する内々陣に分かれています。
春興殿から見た「日華門」(左)と「宣陽殿(ぎようでん)」です。
日華門は平安京内裏内郭門の一つ。紫宸殿南庭の東側にある門で、西側の月華門と相対しています。
春興殿の前を通り案内に従って進み、「清涼殿(せいりょうでん)」の方向に向かいます。

左が紫宸殿の裏手にあたります。正面には青空に「下弦の月」が見えています。
「清涼殿」の屋根の上にも「下弦の月」が見えてます。
清涼殿は、平安時代中期(10世紀中頃)以降、天皇の日常の住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われました。1590年(天正18年)に御常御殿にお住まいが移ってからは、主に儀式の際に使用されました。伝統的な儀式を行うために、平安時代中期の建築空間や調度が古制に則って伝えられています。

清涼殿の向かって左に「漢竹」、右に「呉竹」が植わっています。


清涼殿から、次に案内に従って進みます。次から庭園を見ることになり紅葉が期待できるかなぁ?。


門を入ると右手に「御池庭」が広がっています。朝は、どうしても逆行になって眩しいです。
池を中心とした回遊式庭園です。右手には「欅橋」が架かっており、前面は州浜で、その中に舟着への飛び石が置いてあります。
御池庭の西側には「小御所(こごしょ)」があります。1954年(昭和29年)に焼失したため、1958年(昭和33年)に復元されたものです。
鎌倉時代以降に建てられるようになった御殿で、江戸時代は将軍や大名などの武家との対面や儀式の場として使用されました。明治維新の際に、将軍に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも有名です。上段・中段・下段の3室のまわりに広い板敷(廂)が付き、様々な儀式に対応できる実用的な建物でした。
小御所と御学問所の間の四角い庭を「蹴鞠の庭」と呼ばれ、ここで貴族が蹴鞠をされたようです。
蹴鞠とは昔の貴人の遊び。鹿革で作った鞠を数人で地面に落さないよう蹴って遊びます。、小御所と御学問所の間の四角い庭を鞠懸、また蹴鞠の庭と呼ばれています。
その「蹴鞠の庭」の北側には「御学問所(おがくもんじょ)」があります。
1613年(慶長18年)に清涼殿から独立した御殿。御読書始や和歌の会なとが行われました。1867年(慶応3年)には、この建物で明治天皇が親王・諸臣を引見され「王政復興の大号令」を発せられました。御殿での儀式では、雁の間に衣冠姿の公卿や殿上人などが列座した後、童髪に直衣姿の親王が上段の間から中段の間に入り着座されます。
手前が「御学問所(おがくもんじょ)」、「蹴鞠の庭」を挟んで「小御所(こごしょ)」を見ています。
「御池庭」の北側に、紅葉がありました。園内には入れないので、これで精一杯です。

それでは、次のエリアに行くため、「長押門(なげしもん)」から入ります。手前の紅葉は綺麗に色づいてました。





入って右手に、御常御殿の前に広がる「御内庭(ごないてい)」があって紅葉が綺麗でした。
曲折した鑓水を流して、所々に土橋や石橋を架け、灯籠や庭石を配した風雅な庭園です。
参観コースは、ここまです。「御涼所(おすずみしょ)」と、その先に吹き抜けの渡り廊下を通って、茶室「聴雪(ちょうせつ)」があるそうです。ただし非公開です。
庭園前の建物は「御常御殿(おつねごでん)」です。清涼殿内に設けられていた常御所が、1590年(天正18年)から天皇の住まいとなった所です。
清涼殿内に設けられるようになっていた常御所(つねごしょ)が、1590年(天正18年)に建物として独立したもの。天皇のお住まいであるとともに、南側には上段・中段・下段を備えて儀式や対面の場としても使われました。内部は、神器を納める「剣璽の間」、天皇が寝室として使用された「御寝の間」等15室からなっています。
御常御殿を見たあと、案内にしたがって、ここを出て行きます。

門をくぐり、「御常御殿」の南面に出ます。こちらに植わっているのは、白梅・紅梅です。
最後が「御三間(おみま)」です。七夕や盂蘭盆会など内向きの行事に使われた所です。
1709年(宝永6年)に御常御殿の一部が独立したもので、七夕などの内向きの行事に使用され、1860年(万延元年)に、祐宮(さちのみや)(後の明治天皇)が八歳の時、成長を願う儀式「深曽木の儀(ふかそぎのぎ)」がここで行われました。



9時30分に、番号札を返して出て行きました。9時30分から始まるガイドツアーに参加される方で、休憩室には人が多かったです。
ここを出て「中立売休憩所」で、家族の弁当を買って、所用先に戻りました。
京都御苑内も紅葉しているかと思いますが、時間の都合で行けなかったです。多分、仙洞御所も紅葉綺麗でしょう😊。
11月15日(火)は、毎月一回の所用のため、京都御所の近くまで来たので、そのついでに9時から始まる参観へ京都御所行くことにしました。京都御所の参観も2022年(令和4年)4月19日(火)に来ているので、それ以来になります。




京都御所の西面の中央の門で、平安京内裏の外郭門の1つ。車寄せに通じ、皇族や公卿、その他官人の出入りした門で、俗に公卿門といいます。

高位の貴族などが参内した際に、儀式や天皇との対面に使用した玄関。諸大夫の間や清涼殿、小御所と廊下で繋がっています。


正式な御用で参内した公家や使用軍家の使者の控えの間として使われました。身分に応じて部屋が決まっており、建物に向かって右に行くほど身分が高く、「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と襖の絵に因んで呼ばれています。

1915年(大正4年)に大正天皇即位礼が紫宸殿で行われる際に馬車による行幸に対応する玄関として新設されたものです。天皇が御所の南側から出入りされた伝統を踏まえています。


平安京内裏内郭の門の一つ。紫宸殿南庭の西側にあり、日華門と対しています。


平安京内裏の内郭12門の一つ。外郭門の建礼門に相対し、紫宸殿の南正面にあたる門で、中央は天皇のみが通行されました。東西にそれぞれに5間離れて長楽、永安の2門が配置され、兵衛府が警備にあたっていました。

京都御所南面にある正門です。かつては即位の礼など紫宸殿で行われる儀式の時には開かれました。現在は、天皇・皇后両陛下や外国の国家元首が通る時だけ使用される格式の高い門です。



1855年(安政2年)の再建。即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿であり、京都御所の象徴ともいえる存在です。第123代大正天皇・第124代昭和天皇の即位礼もここで行われました。階段脇には,東に左近の桜、西に右近の橘があり、前面には白砂の南庭が広がり、建物と同様に庭も重要な役割を果たしています。



平安京内裏の外郭門の一つ。内裏東側の正門で内郭宣陽門(せんようもん)に相対しています。


1915年(大正4年)大正天皇即位礼に際し、皇居から神鏡を一時的に奉安するために建てられたものです。昭和天皇の即位礼でも使用されました。内部は板敷で、外陣・内陣・神鏡を奉安する内々陣に分かれています。

日華門は平安京内裏内郭門の一つ。紫宸殿南庭の東側にある門で、西側の月華門と相対しています。




清涼殿は、平安時代中期(10世紀中頃)以降、天皇の日常の住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われました。1590年(天正18年)に御常御殿にお住まいが移ってからは、主に儀式の際に使用されました。伝統的な儀式を行うために、平安時代中期の建築空間や調度が古制に則って伝えられています。








池を中心とした回遊式庭園です。右手には「欅橋」が架かっており、前面は州浜で、その中に舟着への飛び石が置いてあります。

鎌倉時代以降に建てられるようになった御殿で、江戸時代は将軍や大名などの武家との対面や儀式の場として使用されました。明治維新の際に、将軍に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも有名です。上段・中段・下段の3室のまわりに広い板敷(廂)が付き、様々な儀式に対応できる実用的な建物でした。

蹴鞠とは昔の貴人の遊び。鹿革で作った鞠を数人で地面に落さないよう蹴って遊びます。、小御所と御学問所の間の四角い庭を鞠懸、また蹴鞠の庭と呼ばれています。

1613年(慶長18年)に清涼殿から独立した御殿。御読書始や和歌の会なとが行われました。1867年(慶応3年)には、この建物で明治天皇が親王・諸臣を引見され「王政復興の大号令」を発せられました。御殿での儀式では、雁の間に衣冠姿の公卿や殿上人などが列座した後、童髪に直衣姿の親王が上段の間から中段の間に入り着座されます。










曲折した鑓水を流して、所々に土橋や石橋を架け、灯籠や庭石を配した風雅な庭園です。


清涼殿内に設けられるようになっていた常御所(つねごしょ)が、1590年(天正18年)に建物として独立したもの。天皇のお住まいであるとともに、南側には上段・中段・下段を備えて儀式や対面の場としても使われました。内部は、神器を納める「剣璽の間」、天皇が寝室として使用された「御寝の間」等15室からなっています。




1709年(宝永6年)に御常御殿の一部が独立したもので、七夕などの内向きの行事に使用され、1860年(万延元年)に、祐宮(さちのみや)(後の明治天皇)が八歳の時、成長を願う儀式「深曽木の儀(ふかそぎのぎ)」がここで行われました。





京都御苑内も紅葉しているかと思いますが、時間の都合で行けなかったです。多分、仙洞御所も紅葉綺麗でしょう😊。
この記事へのコメント
やはり歴史と格式のある特別な空間ですからね。
紅葉は、御池庭や御内庭にありましたか。
それほど多くはないですが、奥深い緑の景観に突然燃えるような紅葉が登場するととても魅力的ですね。私も、また行きたくなります。
この日、訪れた日の3日後に、秋の特別公開があったんですが、日が合わなかったです。
この日の紅葉は、色づき初めてでしょうか、この京都御所より、京都御苑内の紅葉が見頃でした。
京都御所の参観は無料で見られるのも良いですね。