南禅寺塔頭 南陽院本堂「木島櫻谷 山水障壁画」特別公開へ
南禅寺塔頭 南陽院は通常非公開で、私は入ったことがありませんでした。この度、泉屋博古館で開催の特別展「木島櫻谷~山水夢中~」の連携企画で、南陽院本堂「木島櫻谷 山水障壁画」特別公開を周知され、私もそれで、この企画を知りました。ただ知った時には前期(11月3日~11月13日)が終わってて、後期の11月23日~12月11日の日程で、月曜日は休みのため、この日を予約した訳です。
南陽院は、総本山南禅寺の塔頭で、1910年(明治43年)第4代南禅寺派管長豊田毒湛(高源室)が開創したとされてます。通常非公開。その本堂の障壁画が近代の京都画壇を代表する存在として近年再評価が進む日本画家木島櫻谷(このしま おうこく・1877~1938)の作であることが発見され、この秋特別に公開されることになりました。本堂の5室50面にわたる障壁画は、櫻谷が最盛期を迎えた34歳の時に描かれたとみられ、山水画の代表と位置付けられます。中国的な理想の世界を日本の懐かしい風景に移し替えたような新感覚の水墨画です。
永観堂から南禅寺の境内に入りました。散りモミジが綺麗でしたね。時間があれば三門に登りたかったですが・・・。
南禅寺三門の前を通りました。まだ、紅葉・・・残ってますね。
8時51分に南陽院の前を通った時の写真です。まだ閉門されてました。
10時前に着くと、先客がお一人。そして係の方が出て来られ、予約済みと予約無しで来られた方を分けられました。
予約優先制のため、10時になると、予約済みの拝観者から入ります。玄関が狭いので、一人一人の入場です。
入る前に、注意事項を案内されます。木島櫻谷の襖絵はNG。ただし一点だけOKのものがあります。それと庭園の撮影はOKでした。
入ると「双龍図」だけは撮影OKで、皆さん撮られます。ただ、反射して見えにくいので、係の方が撮影時に扉を閉めてくれました😊。
空いている間に、「7代目小川治兵衛の庭」を見てみました。案内には、庭園名は書いて無かったので、名前は知りません。
「下間一ノ間」の襖絵は雪霽広野(せっせいこうや)」(なだらかな広野に雪が積もる様)、「下間二ノ間」は漁村晴望(ぎょそんせいぼう)(快晴の漁村の浜から、はるかに海が広がる様)、「室中の間」は渓山煙霧(けいざんえんむ)」(深山から下流へと流れ行く渓谷に霧がわき上がる様)、「上間の二ノ間」は柳塘細雨(りゅうとうさいう)(青柳が群生する水辺に小雨が降る様)、「上間一ノ間」は月夜芦江(げつやろこう)(芦原の入り江を月が照らす様)。
10時14分に南陽院を出て、地下鉄東西線蹴上駅から帰路に着きました。
南陽院は、総本山南禅寺の塔頭で、1910年(明治43年)第4代南禅寺派管長豊田毒湛(高源室)が開創したとされてます。通常非公開。その本堂の障壁画が近代の京都画壇を代表する存在として近年再評価が進む日本画家木島櫻谷(このしま おうこく・1877~1938)の作であることが発見され、この秋特別に公開されることになりました。本堂の5室50面にわたる障壁画は、櫻谷が最盛期を迎えた34歳の時に描かれたとみられ、山水画の代表と位置付けられます。中国的な理想の世界を日本の懐かしい風景に移し替えたような新感覚の水墨画です。
永観堂から南禅寺の境内に入りました。散りモミジが綺麗でしたね。時間があれば三門に登りたかったですが・・・。
南禅寺三門の前を通りました。まだ、紅葉・・・残ってますね。
8時51分に南陽院の前を通った時の写真です。まだ閉門されてました。
10時前に着くと、先客がお一人。そして係の方が出て来られ、予約済みと予約無しで来られた方を分けられました。
予約優先制のため、10時になると、予約済みの拝観者から入ります。玄関が狭いので、一人一人の入場です。
入る前に、注意事項を案内されます。木島櫻谷の襖絵はNG。ただし一点だけOKのものがあります。それと庭園の撮影はOKでした。
入ると「双龍図」だけは撮影OKで、皆さん撮られます。ただ、反射して見えにくいので、係の方が撮影時に扉を閉めてくれました😊。
空いている間に、「7代目小川治兵衛の庭」を見てみました。案内には、庭園名は書いて無かったので、名前は知りません。
「下間一ノ間」の襖絵は雪霽広野(せっせいこうや)」(なだらかな広野に雪が積もる様)、「下間二ノ間」は漁村晴望(ぎょそんせいぼう)(快晴の漁村の浜から、はるかに海が広がる様)、「室中の間」は渓山煙霧(けいざんえんむ)」(深山から下流へと流れ行く渓谷に霧がわき上がる様)、「上間の二ノ間」は柳塘細雨(りゅうとうさいう)(青柳が群生する水辺に小雨が降る様)、「上間一ノ間」は月夜芦江(げつやろこう)(芦原の入り江を月が照らす様)。
10時14分に南陽院を出て、地下鉄東西線蹴上駅から帰路に着きました。
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