散りモミジの永観堂の境内を散策
2010年(平成22年)5月22日以来の永観堂の堂内を散策したあと、多宝塔まで行きたいので、境内の散りモミジを見に散策します。
9時24分に「大玄関」から堂内を出て行きます。靴袋は「持って帰って下さい」と言われたので、鞄に入れます。
先ずは放生池周りの散策を後回しにして、多宝塔を目指します。
こちらは、先程堂内から見た「唐門(勅使門)」です。
勅使を迎える四脚形式の向唐門であり、江戸時代末期の1830年(文政13年)に再建されました。入母屋造り、檜皮葺の前後を大唐破風造に納め、軒先の木鼻に架空の動物の漠を置き、各所を雲龍や唐草の彫刻で飾っています。江戸時代末期の形式をよく示す建築です。唐門の内側には、釈迦堂前庭があり、白砂を小判形に盛って市松模様をあしらった盛砂があります。勅使はこの盛砂を踏んで身を清め入堂したといいます。
お寺の方が・・・多分、アルバイトの学生さん(知らんけど😊)・・・降り積もったモミジの葉を掃除されてました。大量のモミジの葉・・・大変な作業ですね😊。



多宝塔へは、先程堂内に入った「御影堂(大殿)」横の参道を進みます。
渡り廊下の下もくぐります。
渡り廊下をくぐると、次に石段が待っています。
先程、堂内の臥龍廊を登り開山堂から見た「鎮守社」までやって来ました。
ここからも眺望は綺麗に見えますが、多宝塔前からの方が、断然綺麗に見えます。


ここから急な石段を登ります。紅葉の最盛期では多くの方が登られるでしょう、一方通行に指定されてました。
9時30分に、頑張って「多宝塔」に着きました。これから眺望を見てみます。
1928年(昭和3年)、境内も最も高い所に、篤志家の寄付で建設された建築物。 上部は円形、下部は方形の二重塔。五重塔のように屋根の上の心柱に九輪と水煙が付いているのは珍しいといいます。

天気は曇りですが、京都市街地を一望できます。ここでズームを・・・。
ここでは案内版がありますが、地元京都なんで、見なくても分かります😊。ズームしたのは「金戒光明寺文殊塔」です。
こちらは、愛宕山です。まもなく冬が深まると山頂付近は雪景色となるでしょう。

次の予約拝観の寺院が10時からで、まだ時間があったので、休憩をしました。
私が、ここに居る間には、誰も来られませんでした。そのため、急な石段もゆっくり降りることが出来ました😊。
先の堂内からでは見えなかった「開山堂」の全景です。
降りて来て「御影堂(大殿)」に寄りました。
1912年(大正元年)に建立した総欅造の仏堂です。内陣の須弥壇に浄土宗の宗祖法然を祀っています。



次に石段を上がって行き、ここの本堂にあたる「阿弥陀堂」に行きました。
阿弥陀堂は、1597年(慶長2年)に大阪四天王寺に建立された曼荼羅堂を10年後の1607年(慶長12年)に、豊臣秀頼の命により永観堂に移築され阿弥陀堂としたものです。正面七間側面六間西向きの一重入母屋造り本瓦葺きで正面三間の向拝があります。当寺極楽の荘厳を表した内外の色彩色は素晴らしいものです。中央には「みかえり阿弥陀如来」、南脇壇には豊国神像、北脇壇には當麻曼荼羅を掛けていたと伝えられています。ご本尊の「みかえり阿弥陀如来」の制作年代は平安時代末期と考えられています。





阿弥陀堂から、再び「御影堂(大殿)」の前に戻って来ました。ここから放生池を巡ります。

御影堂から降りて来て、放生池に架かる「極楽橋」を渡ります。
極楽橋から「錦雲橋」と「弁天社」を見ています。

ここから、先程登った「多宝塔」と紅葉を撮りました。
こちらのお堂は「画仙堂」です。
1914年(大正3年)に日本画家・鈴木松僊(1848~1918)の発願によって建立されました。画仙堂には鈴木松僊が描いた「天龍図」や関口雄揮'1923~2008)が描いた障壁画「浄土変相図」があります。(非公開)





あと、境内の散策路を案内に従って巡りました。散りモミジも綺麗ですね。



9時43分に最初、境内に入って所まで戻って来ました。ここから出て行きます。
最初に、検温をしたテントが左です。そしてて正面に「総門」ですが、この日は出入りしてません。


9時47分に、南門から出ました。ここで時間取り過ぎましたね、10時開門の寺院に急いで向かいました。
永観堂を出て、南禅寺に向かいます。紅葉のピークは過ぎてしまいましたが、この日も多くの方が来られてました。



勅使を迎える四脚形式の向唐門であり、江戸時代末期の1830年(文政13年)に再建されました。入母屋造り、檜皮葺の前後を大唐破風造に納め、軒先の木鼻に架空の動物の漠を置き、各所を雲龍や唐草の彫刻で飾っています。江戸時代末期の形式をよく示す建築です。唐門の内側には、釈迦堂前庭があり、白砂を小判形に盛って市松模様をあしらった盛砂があります。勅使はこの盛砂を踏んで身を清め入堂したといいます。













1928年(昭和3年)、境内も最も高い所に、篤志家の寄付で建設された建築物。 上部は円形、下部は方形の二重塔。五重塔のように屋根の上の心柱に九輪と水煙が付いているのは珍しいといいます。








降りて来て「御影堂(大殿)」に寄りました。
1912年(大正元年)に建立した総欅造の仏堂です。内陣の須弥壇に浄土宗の宗祖法然を祀っています。




阿弥陀堂は、1597年(慶長2年)に大阪四天王寺に建立された曼荼羅堂を10年後の1607年(慶長12年)に、豊臣秀頼の命により永観堂に移築され阿弥陀堂としたものです。正面七間側面六間西向きの一重入母屋造り本瓦葺きで正面三間の向拝があります。当寺極楽の荘厳を表した内外の色彩色は素晴らしいものです。中央には「みかえり阿弥陀如来」、南脇壇には豊国神像、北脇壇には當麻曼荼羅を掛けていたと伝えられています。ご本尊の「みかえり阿弥陀如来」の制作年代は平安時代末期と考えられています。












1914年(大正3年)に日本画家・鈴木松僊(1848~1918)の発願によって建立されました。画仙堂には鈴木松僊が描いた「天龍図」や関口雄揮'1923~2008)が描いた障壁画「浄土変相図」があります。(非公開)














永観堂を出て、南禅寺に向かいます。紅葉のピークは過ぎてしまいましたが、この日も多くの方が来られてました。
この記事へのコメント
12月に入っての散りミモミジ、永観堂境内に沢山あったと思いますが、
石畳は綺麗に掃除されていますね。
日々大変な作業だと思います。
雲が広がっていますが、多宝塔からの眺めがいいです。
特徴的な愛宕山の山容は京都のどこからでも目立つし、
象徴的な存在ですね。
それにしても急な階段で、手摺使用は必須です。
極楽橋を渡ってからの境内の紅葉も見事。
最後の方は晴れてきて、景色も明るくなった様です。
永観堂も、紅葉の最盛期に行きたいんですが、もの凄い人が来るので、億劫になってしまいます。
それに交通機関も混雑するのでね。
ここは南禅寺と永観堂や、北に上がれば霊鑑寺、安楽寺、法然院なんかも紅葉の名所です。
半日かけて、ゆったりと散策したいものです。