国指定史跡「新宮城(丹鶴城跡)」へ
神倉神社を12時15分頃に出て、同じ新宮市内にある国指定史跡「新宮城(丹鶴城跡)」に行って貰いました。
熊野川河口の南岸の小高い丹鶴山に築かれた眺望の良い城跡公園。元々は源為義(平安時代末期の武将)の娘である丹鶴姫の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれています。1619年(元和5年)にそれまで地域を治めていた浅野氏に代わり、紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老である水野重仲が入城し3万5000石を領す。その後10代にわたり長い統治が続き、現在の新宮市は城下町として栄えました。城郭には港の跡を見ることができ、技術の粋を結集した石垣からも当時の国力がうかがえます。 2017年(平成29年)4月6日に日本城郭協会より「続日本100名城」に選定されました。
12時22分に「鐘ノ丸」下にある駐車場に着きました。
運転手さんの説明によると、新宮市では復元を計画されてるようで、市民の方より古写真を募集されてるようです。なかなか見つからないでしょう。
いきなり、石段を上がって行きます。運転手さんが「初めて新宮城をリクエストされました」と😊。ベテランの運転手さんも、ここにお客を連れてくるのは初めてだそうです。
そこは、広々として「鐘ノ丸」の跡です。ただ、もう少し登ります。
城内の北側から「熊野川」が見えました。ここの下は「水ノ手」が見えています。水ノ手は、熊野川に面し、港跡があります。洪水にそなえ6㍍もの石垣を築きました。
この熊野川も度々、氾濫するようなことを言われてました。紀伊半島は雨が多いからね。川向こうは三重県と聞きました。
本丸に通じる「搦手」を入ります。ここに大手門があったように思えました。
「本丸」に入りました。ここには天守閣があったのかなぁ?。
城内の東側を見ると、新宮市内が一望できました。
こちらには「与謝野寛(鉄幹)の歌碑」がありました。「高く立ち 秋の熊野の海を見て 誰ぞ涙すや 城の夕べに」と、1906年(明治39年)の訪問時に詠まれたものです。寛は新宮を2度訪れています。
「写真右に見えているのは丹鶴姫の碑」です。12世紀に丹鶴姫が、ここに丹鶴山に東仙寺を建立したが、築城の際に寺は移されました。
本丸の「出丸」から見た熊野川です。
再び「鐘ノ丸」に戻って来ました。
「続日本100名城」に選定されたようですが、スタンプ帳持って無いので、スタンプの心配は要りませんが、何処でしょうね。私は御城印には興味がありません。12時38分に、ここを出て次へと向かいました。
熊野川河口の南岸の小高い丹鶴山に築かれた眺望の良い城跡公園。元々は源為義(平安時代末期の武将)の娘である丹鶴姫の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれています。1619年(元和5年)にそれまで地域を治めていた浅野氏に代わり、紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老である水野重仲が入城し3万5000石を領す。その後10代にわたり長い統治が続き、現在の新宮市は城下町として栄えました。城郭には港の跡を見ることができ、技術の粋を結集した石垣からも当時の国力がうかがえます。 2017年(平成29年)4月6日に日本城郭協会より「続日本100名城」に選定されました。
12時22分に「鐘ノ丸」下にある駐車場に着きました。
運転手さんの説明によると、新宮市では復元を計画されてるようで、市民の方より古写真を募集されてるようです。なかなか見つからないでしょう。
いきなり、石段を上がって行きます。運転手さんが「初めて新宮城をリクエストされました」と😊。ベテランの運転手さんも、ここにお客を連れてくるのは初めてだそうです。
そこは、広々として「鐘ノ丸」の跡です。ただ、もう少し登ります。
城内の北側から「熊野川」が見えました。ここの下は「水ノ手」が見えています。水ノ手は、熊野川に面し、港跡があります。洪水にそなえ6㍍もの石垣を築きました。
この熊野川も度々、氾濫するようなことを言われてました。紀伊半島は雨が多いからね。川向こうは三重県と聞きました。
本丸に通じる「搦手」を入ります。ここに大手門があったように思えました。
「本丸」に入りました。ここには天守閣があったのかなぁ?。
城内の東側を見ると、新宮市内が一望できました。
こちらには「与謝野寛(鉄幹)の歌碑」がありました。「高く立ち 秋の熊野の海を見て 誰ぞ涙すや 城の夕べに」と、1906年(明治39年)の訪問時に詠まれたものです。寛は新宮を2度訪れています。
「写真右に見えているのは丹鶴姫の碑」です。12世紀に丹鶴姫が、ここに丹鶴山に東仙寺を建立したが、築城の際に寺は移されました。
本丸の「出丸」から見た熊野川です。
再び「鐘ノ丸」に戻って来ました。
「続日本100名城」に選定されたようですが、スタンプ帳持って無いので、スタンプの心配は要りませんが、何処でしょうね。私は御城印には興味がありません。12時38分に、ここを出て次へと向かいました。
この記事へのコメント
昔あった新宮城の城下町だったんですね。
その城跡からの見晴らしのよさは
目を見張るようですね。
新宮の街並み、熊野川、熊野灘などが
見通せて、ここに城が築かれた理由が
分かるような気がしました。
新宮城も続100名城に指定されたようですが、この日は私を含めて2組だけでしたね。
新宮市には初めて来たので、欲張ってあちこち回りました。( ^_^)