世界文化遺産 熊野三山 熊野速玉大社へ
新宮城を出て、次に世界文化遺産 熊野三山 熊野速玉大社に向かいます。しばらく走ると前方に鳥居が見えて来ました。
余談ですが、ここに着くまで、ずっと熊野速玉神社だと思ってました😊。熊野速玉大社が正式のようです。車は、熊野速玉大社の鳥居を過ぎて、奥の駐車場に12時44分に着きました。
駐車場から私は戻り、「下馬橋」を渡ります。
橋を渡った左手に「佐藤春夫の句碑」がありました。「秋晴れよ 丹鶴城址 児に見せむ」と書いてあります。佐藤先生は、丹鶴城山麓に住まれていたようです。
参道の入口に建つ朱塗りの鳥居には、扁額が架かっており「熊野権現」と書いてあります。それでは、鬱蒼とした参道を朱印帳を持って歩きます。
鳥居を入る前に、振り返って見ました。新宮城から、正面に見える道路からやって来たわけです。
鳥居をくぐると右手に末社がありました。右に「八咫烏神社」、左に「手刀男神社」です。
八咫烏神社の御祭神は、建角見命(たけつぬみのみこと)。古くから丹鶴山山麓に奉祀されていました。神武天皇の道案内をされたと古典に記載され、熊野神の使者とも言われてて交通安全、招福の御神徳が高い。
鑰宮(かぎのみや)手刀男(てぢからお)神社の御祭神は天之手刀男命(あめのてぢからおのみこと)。延喜式神名帳に紀伊国牟婁郡手刀男神社とある由緒の古い社。もと神門内に祀られていたが、嵯峨天皇の813年(弘仁4年)に勅命により現在の社近くへ遷移。武道、健康、開運の御神徳が高い。
参道を歩いて行くと、左手に「梛の御神木」が聳えてます。樹齢約1000年の大樹で、梛としては日本最大。国の天然記念物に指定されています。
「後白河法皇御撰 梁塵秘抄(りょうじんひしょう)所載」の一部が碑になっています。梁塵秘抄とは平安時代末期に編まれた歌謡集のことです。
ここで、ようやく神門が見えて来ました。
神門の前に「手水舎」に寄りました。柄杓はありませんね。
熊野速玉大社は、熊野信仰の原点、神倉山の霊石ゴドブキ岩を御神体とする自然崇拝を源として、この天ノ磐盾(あまのいわたて)の降臨された熊野三神を128年(景行天皇58年)宮殿を建て鎮祀したことから、この地を「新宮」と号しました。
12時48分に「神門」に入りました。
お参りは、本殿の手前にある「拝殿」前で行います。
拝殿に架かる扁額の文字、「日本第一大霊験所」の勅願は、第109代孝謙天皇より賜ったものです。
「本殿」は、左から「第一殿 結宮」、「第二殿 速玉宮」、第三殿~第五殿を相殿とする「上三殿」、さらに上四社と下四社ほ合わせた「八社殿」が並んでいます。
御祭神は、熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めています。
「第三殿 証誠殿」の祭神が家津美御子命(けつみみこのみこと)・国常立命(くにとこたちのみこと)です。
「第四殿 若宮」の祭神が天照大神です。
「第四殿 神倉宮」の祭神が高倉下命(たかくらじのみこと)です。
「第五殿 禅児宮」の祭神が、天忍穂耳命(あめのおしほみのみこと)、「第六殿 聖宮」の祭神が瓊々杵命(ににぎのみこと)、「第七殿 児宮」の祭神が彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、「第八殿 子守宮」の祭神が鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)です。
「第九殿 一万宮」の祭神が国狭槌命(くにさづちのみこと)、「第九殿 十万宮」の祭神が豊雲野命(とよくもぬのみこと)、「第十殿 勧請宮」の祭神が泥土煮命(ういぢにのもこと)、「第十一殿 飛行宮」の祭神が大斗之道命(おおとのぢのみこと)、「第十二殿 米持宮」の祭神が面足命(おもだるのみこと)でした。
八社殿の隣に鎮座する、こちらは「新宮神社」です。
お隣が「熊野恵比寿神社」でした。両方とも御祭神は不明です。
こちらは「東門」かなぁ?。
2004年(平成16年)7月7日「紀伊山地の霊場と参詣道」は、ユネスコの「世界遺産条約」に基づき、世界遺産に登録されました。
国歌でお馴染みの「さざれ石」が、ここにもありました。
境内の片隅には「後鳥羽上皇歌碑」がありました。「岩にむす 苔ふみならす み熊野の 山のかひある 行くすゑもがな」と詠まれました。
三重県と奈良県に囲まれた和歌山県の飛び地である北山村から、世界で唯一無二の香酸柑橘品種「じゃばら」の苗木を貰われたそうで、果実なってますね。
熊野に行幸された皇族方の回数が書いてあります。後白河法皇は33度も来られたようです。
この神域を出る前に授与所に行き、御朱印をいただきました。ここで先の神倉神社の御朱印もいただいた訳です。
「熊野牛王宝印」も合わせて、いただきました。
神域を神門から出て、滅多に来られ無いので「熊野神宝館」にも入りました。殿内は撮影禁止で、ゆっくり見学させて貰いました。
「狛犬」を撮りました。この狛犬マスクしてないですね😊。
最後は「熊野稲荷神社」となりました。ここから駐車場に戻ります。
13時13分に、運転手さんが待つ駐車場に戻りました。
次が本宮に向かいますが、こちらは和歌山県と奈良県の県境にあるほど遠いです。
余談ですが、ここに着くまで、ずっと熊野速玉神社だと思ってました😊。熊野速玉大社が正式のようです。車は、熊野速玉大社の鳥居を過ぎて、奥の駐車場に12時44分に着きました。
駐車場から私は戻り、「下馬橋」を渡ります。
橋を渡った左手に「佐藤春夫の句碑」がありました。「秋晴れよ 丹鶴城址 児に見せむ」と書いてあります。佐藤先生は、丹鶴城山麓に住まれていたようです。
参道の入口に建つ朱塗りの鳥居には、扁額が架かっており「熊野権現」と書いてあります。それでは、鬱蒼とした参道を朱印帳を持って歩きます。
鳥居を入る前に、振り返って見ました。新宮城から、正面に見える道路からやって来たわけです。
鳥居をくぐると右手に末社がありました。右に「八咫烏神社」、左に「手刀男神社」です。
八咫烏神社の御祭神は、建角見命(たけつぬみのみこと)。古くから丹鶴山山麓に奉祀されていました。神武天皇の道案内をされたと古典に記載され、熊野神の使者とも言われてて交通安全、招福の御神徳が高い。
鑰宮(かぎのみや)手刀男(てぢからお)神社の御祭神は天之手刀男命(あめのてぢからおのみこと)。延喜式神名帳に紀伊国牟婁郡手刀男神社とある由緒の古い社。もと神門内に祀られていたが、嵯峨天皇の813年(弘仁4年)に勅命により現在の社近くへ遷移。武道、健康、開運の御神徳が高い。
参道を歩いて行くと、左手に「梛の御神木」が聳えてます。樹齢約1000年の大樹で、梛としては日本最大。国の天然記念物に指定されています。
「後白河法皇御撰 梁塵秘抄(りょうじんひしょう)所載」の一部が碑になっています。梁塵秘抄とは平安時代末期に編まれた歌謡集のことです。
ここで、ようやく神門が見えて来ました。
神門の前に「手水舎」に寄りました。柄杓はありませんね。
熊野速玉大社は、熊野信仰の原点、神倉山の霊石ゴドブキ岩を御神体とする自然崇拝を源として、この天ノ磐盾(あまのいわたて)の降臨された熊野三神を128年(景行天皇58年)宮殿を建て鎮祀したことから、この地を「新宮」と号しました。
12時48分に「神門」に入りました。
お参りは、本殿の手前にある「拝殿」前で行います。
拝殿に架かる扁額の文字、「日本第一大霊験所」の勅願は、第109代孝謙天皇より賜ったものです。
「本殿」は、左から「第一殿 結宮」、「第二殿 速玉宮」、第三殿~第五殿を相殿とする「上三殿」、さらに上四社と下四社ほ合わせた「八社殿」が並んでいます。
御祭神は、熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めています。
「第三殿 証誠殿」の祭神が家津美御子命(けつみみこのみこと)・国常立命(くにとこたちのみこと)です。
「第四殿 若宮」の祭神が天照大神です。
「第四殿 神倉宮」の祭神が高倉下命(たかくらじのみこと)です。
「第五殿 禅児宮」の祭神が、天忍穂耳命(あめのおしほみのみこと)、「第六殿 聖宮」の祭神が瓊々杵命(ににぎのみこと)、「第七殿 児宮」の祭神が彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、「第八殿 子守宮」の祭神が鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)です。
「第九殿 一万宮」の祭神が国狭槌命(くにさづちのみこと)、「第九殿 十万宮」の祭神が豊雲野命(とよくもぬのみこと)、「第十殿 勧請宮」の祭神が泥土煮命(ういぢにのもこと)、「第十一殿 飛行宮」の祭神が大斗之道命(おおとのぢのみこと)、「第十二殿 米持宮」の祭神が面足命(おもだるのみこと)でした。
八社殿の隣に鎮座する、こちらは「新宮神社」です。
お隣が「熊野恵比寿神社」でした。両方とも御祭神は不明です。
こちらは「東門」かなぁ?。
2004年(平成16年)7月7日「紀伊山地の霊場と参詣道」は、ユネスコの「世界遺産条約」に基づき、世界遺産に登録されました。
国歌でお馴染みの「さざれ石」が、ここにもありました。
境内の片隅には「後鳥羽上皇歌碑」がありました。「岩にむす 苔ふみならす み熊野の 山のかひある 行くすゑもがな」と詠まれました。
三重県と奈良県に囲まれた和歌山県の飛び地である北山村から、世界で唯一無二の香酸柑橘品種「じゃばら」の苗木を貰われたそうで、果実なってますね。
熊野に行幸された皇族方の回数が書いてあります。後白河法皇は33度も来られたようです。
この神域を出る前に授与所に行き、御朱印をいただきました。ここで先の神倉神社の御朱印もいただいた訳です。
「熊野牛王宝印」も合わせて、いただきました。
神域を神門から出て、滅多に来られ無いので「熊野神宝館」にも入りました。殿内は撮影禁止で、ゆっくり見学させて貰いました。
「狛犬」を撮りました。この狛犬マスクしてないですね😊。
最後は「熊野稲荷神社」となりました。ここから駐車場に戻ります。
13時13分に、運転手さんが待つ駐車場に戻りました。
次が本宮に向かいますが、こちらは和歌山県と奈良県の県境にあるほど遠いです。
この記事へのコメント
熊野速玉大社の朱色の社殿も日差しを受けて映えますね。
惚れ惚れする境内の景観です。
ここは後白河法皇で有名ですね。
本当に歴史ある聖地だと思います。本宮大社も素晴らしいです。
いつか行ってみたいと思っています。
以前から参拝したかった世界遺産の熊野三山に行けて良かったです。今季、最強寒波が襲来し、天気は心配でしたが、南紀は天気が良かったですし、暖かかったです。
時間があれば熊野古道も少しばかり歩いてみたかったです。