世界文化遺産 熊野三山 熊野本宮大社へ
世界文化遺産 熊野三山 熊野速玉大社を出て、熊野川上流を奈良県との県境に向かって車は走って行きます。早朝、まだ暗い中出て来たので、少し眠気がさしました😊。この熊野川も度々氾濫するようで、橋の上まで川が流れたと聞いた時は、自然の恐ろしさを痛感しましたね。
熊野本宮大社には熊野速玉大社から約53分、13時56分に着きました。駐車場は「世界遺産 熊野本宮館」前にあって、着くと運転手さんが「今日は空いてるなぁ」と。いつもなら混んでるらしいです。この駐車場も止められない事が度々あるとか。運転手さんとは、ここで分かれ、私一人で世界文化遺産 熊野三山 熊野本宮大社に向かいます。
駐車場を出て、国道168号線を渡る時、横断歩道から渡ります。旅行に来て事故に遭う訳いかないから。
「一の鳥居」から境内に入ります。扁額には「熊野大権現」と書かれてました。
「一の鳥居」前の「狛犬」にはマスクを付けてます。参拝者にもマスクをつけるように書かれてました。
「熊野大権現」と書かれた幟が、参道脇に並んでいます。

本殿に行くには、ここから158段の石段を一気に登ります。



石段の途中に「手水舎」があって、八咫烏もいました。ここも柄杓はありません。

次に右手には「宝物館」がありましたが、休館中でした。滅多に来られ無いのに残念です。


14時1分に「神門」が見える所まで、やって来ました。
この時は、知らなかったことで、今、神門前の看板を読んで気づいたのは・・・神門内の神域は、記念撮影以外はNGと書いてありましたが、知らなかったので写真は撮りました。ただアップするのは遠慮します。なお、団体さんも写真撮られてましたね。気づかない人も多いのでは。記念撮影の定義が良く分かりませんが・・・?。
「神門」を内側から撮りました。
熊野本宮大社は、熊野三山(本宮・新宮・那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。三本の川(熊野川・岩田川・音無川)の中州にあたる聖地、大斎原(おおゆのはら)に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどでした。1889年(明治22年)の熊野川の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていましたが、1891年(明治24年)に上四社が現在地へ移されました。現在、大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々が祀られています。2011年(平成23年)9月、紀伊半島大水害により、当社は再び大斎原や瑞鳳殿などに大きな被害を受けました。しかし、2014年(平成26年)には瑞鳳殿が再建されるなど以前にも増した復興を遂げ、現在に至っています。
神域の一角には「和泉式部の供養塔」がありした。1239年(延応元年)8月の銘が記載されています。
神域内には歌碑があって、その文字は秩父宮勢津子妃殿下の筆で、「咲きにほふ 花のけしきを見るからに 神のこころぞ そらにしらるる」と、早春、白河上皇が熊野御幸の折り、御宝前にてお詠みになった御歌が書かれています。
拝所は四箇所あったまで、それぞれお賽銭をしてお参りさせて貰いました。小銭は家から用意してきました😊。それぞれの御祭神は以下の通りです。
「第一殿 西御前」(重文)の御祭神は、夫須美大神(ふすみのおおかみ)、「第二殿 中御前」(重文)の御祭神は、速玉大神(はやたまのおおかみ)、「第三殿 証誠殿」(重文)の主祭神は、家津御子大神(けつみこのおおかみ)、「第四殿 若宮」(重文)の御祭神は、天照大神です。
また、境内の片隅に「満山社(まんざんしゃ)」があります。この社の中には玉石が祀られており、親と子の縁を結び、夫婦の結び等、人と人との縁を結ぶ再生の玉石だそうです。
境内には4本の御神木があるそうで、その中の一つ「オダタマ」です。
神門を出て、朱印帳を最初に預けた「授与所」に行きました。
本宮の御朱印です。
書き置きの本宮の末社「真名井社」の御朱印です。本宮から離れているので行けないと思ったところ、帰りに車で通ってました😂。
真名井社には社殿はありません。井戸が御神体です。熊野の神の最初の降臨地とも伝えられおり、ご祭神は天村雲命(あめのむらくものみこと)です。新年1月7日に行われる八咫烏神事の初水は、この井戸から汲んで執り行われます。真名井とは神聖な水が湧く井戸という意味です。
末社「産田社」の御朱印です。こちらの御祭神は、伊邪那美命(いざなみのみこと)が祀られています。こちらの社殿が工事中のようで、寄れませんでした。
熊野本宮大社の御祭神(素戔嗚尊)の母神・伊邪那美命(いざなみのみこと)の荒魂をお祀りする社で、女性の護り神です。出産をはじめ、あらゆる物事を生み出す力を授かる事が出来るそうです。
神門の前に、参拝の順序がありました。主祭神が「第三殿 証誠殿」だったんですね。私は左からお参りしました。写真撮影のこともですが、最初に読むべきでした。
こちらは「旧社号標」です。平安時代初期に編纂された延喜式名帳に「熊野坐神社」と記載されています。その後「熊野本宮」という名称が定着しましたが、1871年(明治4年)「熊野坐神社」を正式社号として登録、公表しました。この社号標は、1940年(昭和15年)1月の建立で、時の総理近衛文麿公爵揮毫によるものです。
こちらには後鳥羽上皇和歌がありました。「はるばると さかしき峰を わけ過ぎて 音無川を今日みつるかな」と書いてありました。

神門の左隣には、権殿造りの「拝殿」があります。手前には八咫烏のレプリカがありました。黎明殿とも呼ばれています。
14時16分に、石段を降り始めます。



石段の途中に、行きはスルーした「祓戸大神」に寄りました。この神は神道において祓いを司る神です。本殿本宮の社殿に拝する時、ここの水で清めて行くそうです。

石段の途中に、もう一つありました。「功霊社」で、日露戦争、第二次世界大戦で戦歿された本宮町本宮出身者の御霊を祀っています。
正面に「一の鳥居」が見えました。出ても駐車場には戻りません。

国道を渡る手前にも歌碑がありました。「那智瀧の ひびきをもちて 本宮に ぬかづくわれや 生きむとぞする 登志夫」と書いてありました。
次は「大斎原(おおゆのはら)」に向かいます。洪水で流される前に社殿があったところです。


約5分で、2000年(平成12年)に建てられた巨大な大鳥居に着きました。高さ33.9㍍、幅42㍍もあります。

運転手さんの話しでは、鉄筋コンクリート製で、日本一の高さを誇っているとか。
まだまだ奥に行きます。旧社殿があった所まで。
旧中州にあった旧社殿が、ここにありました。
1889年(明治22年)の大水害で、大斎原の熊野本宮大社は多くの社殿が流されました。流失を免れた上四社三棟は現在地に移築され、ここには流失した中四社・下四社を石造りの洞二基に合祀し、祀られています。
大斎原の御朱印は、先程、本宮の授与所でいただいてました。

1971年(昭和46年)4月、大斎原に「一遍上人神勅名号碑」が建立されました。これは、熊野権現の霊告を受け、ついに独一念仏を開顕した開眼供養の碑です。
ここから再び駐車場に戻り、「世界遺産 熊野本宮館」(無料)を少し見学して、14時50分頃に出発し、次へと向かいました。
熊野本宮大社には熊野速玉大社から約53分、13時56分に着きました。駐車場は「世界遺産 熊野本宮館」前にあって、着くと運転手さんが「今日は空いてるなぁ」と。いつもなら混んでるらしいです。この駐車場も止められない事が度々あるとか。運転手さんとは、ここで分かれ、私一人で世界文化遺産 熊野三山 熊野本宮大社に向かいます。















この時は、知らなかったことで、今、神門前の看板を読んで気づいたのは・・・神門内の神域は、記念撮影以外はNGと書いてありましたが、知らなかったので写真は撮りました。ただアップするのは遠慮します。なお、団体さんも写真撮られてましたね。気づかない人も多いのでは。記念撮影の定義が良く分かりませんが・・・?。

熊野本宮大社は、熊野三山(本宮・新宮・那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。三本の川(熊野川・岩田川・音無川)の中州にあたる聖地、大斎原(おおゆのはら)に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどでした。1889年(明治22年)の熊野川の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていましたが、1891年(明治24年)に上四社が現在地へ移されました。現在、大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々が祀られています。2011年(平成23年)9月、紀伊半島大水害により、当社は再び大斎原や瑞鳳殿などに大きな被害を受けました。しかし、2014年(平成26年)には瑞鳳殿が再建されるなど以前にも増した復興を遂げ、現在に至っています。
神域の一角には「和泉式部の供養塔」がありした。1239年(延応元年)8月の銘が記載されています。
神域内には歌碑があって、その文字は秩父宮勢津子妃殿下の筆で、「咲きにほふ 花のけしきを見るからに 神のこころぞ そらにしらるる」と、早春、白河上皇が熊野御幸の折り、御宝前にてお詠みになった御歌が書かれています。
拝所は四箇所あったまで、それぞれお賽銭をしてお参りさせて貰いました。小銭は家から用意してきました😊。それぞれの御祭神は以下の通りです。
「第一殿 西御前」(重文)の御祭神は、夫須美大神(ふすみのおおかみ)、「第二殿 中御前」(重文)の御祭神は、速玉大神(はやたまのおおかみ)、「第三殿 証誠殿」(重文)の主祭神は、家津御子大神(けつみこのおおかみ)、「第四殿 若宮」(重文)の御祭神は、天照大神です。
また、境内の片隅に「満山社(まんざんしゃ)」があります。この社の中には玉石が祀られており、親と子の縁を結び、夫婦の結び等、人と人との縁を結ぶ再生の玉石だそうです。
境内には4本の御神木があるそうで、その中の一つ「オダタマ」です。

本宮の御朱印です。
書き置きの本宮の末社「真名井社」の御朱印です。本宮から離れているので行けないと思ったところ、帰りに車で通ってました😂。
真名井社には社殿はありません。井戸が御神体です。熊野の神の最初の降臨地とも伝えられおり、ご祭神は天村雲命(あめのむらくものみこと)です。新年1月7日に行われる八咫烏神事の初水は、この井戸から汲んで執り行われます。真名井とは神聖な水が湧く井戸という意味です。
末社「産田社」の御朱印です。こちらの御祭神は、伊邪那美命(いざなみのみこと)が祀られています。こちらの社殿が工事中のようで、寄れませんでした。
熊野本宮大社の御祭神(素戔嗚尊)の母神・伊邪那美命(いざなみのみこと)の荒魂をお祀りする社で、女性の護り神です。出産をはじめ、あらゆる物事を生み出す力を授かる事が出来るそうです。

こちらは「旧社号標」です。平安時代初期に編纂された延喜式名帳に「熊野坐神社」と記載されています。その後「熊野本宮」という名称が定着しましたが、1871年(明治4年)「熊野坐神社」を正式社号として登録、公表しました。この社号標は、1940年(昭和15年)1月の建立で、時の総理近衛文麿公爵揮毫によるものです。






















大斎原の御朱印は、先程、本宮の授与所でいただいてました。


ここから再び駐車場に戻り、「世界遺産 熊野本宮館」(無料)を少し見学して、14時50分頃に出発し、次へと向かいました。
この記事へのコメント
参道の杉木立が荘厳で、実の引き締まる
思いがします。でも、その後の158段の
石段上りは厳しいものがありますね。
そして、大斎原。巨大な鳥居の
存在感に圧倒される思いがしました。
今回の旅行は、西国三十三ヵ所札所巡りでしたが、熊野三山にお参りすることでもありました。
京都にも熊野神社はありますが、やっぱり本宮は違います。ここ最近でも熊野川は度々氾濫します。歴史ある社殿も流されたようですが、鳥居をくぐると、何だか空気が違うように思えました。
熊野三山の旅は、ひと月前になりますか。参道脇の幟の数や、そそりたつ杉並木の風景が厳かな感じで、流石に世界遺産の雰囲気ですね。日本一の大鳥居も見ることが出来て良かったですね。
まずこのタイトルに圧倒されます。
単独でのお参りでしたか。
この158段の階段を登るだけで、貴方は健康ですと証明されたようなもんです。
宝物館が休館は残念ですが、混雑でコロナ感染を避けるためでしょうか。
>神門内の神域は、記念撮影以外はNG
意味が解らない禁止事項です。
全て記念撮影と称してパシャパシャ撮ればいいような気がします。
ここへやってきた記念として、神門内を撮影する訳ですから。
個人でも団体でも同じだと思います。
詳しい説明で、
熊野大権現として知られているいきさつが良く分かりました。
多くの神様が祀られ宿る熊野本宮大社ですね。
巨大な大鳥居、これも凄くて、日本一とは驚きました。
今回の旅行は年末に行ったので、帰ってから家の用事がいろいろありました。( ^_^)
年末までに行きたかったので、この日程になりましたが、後日、1300年記念事業が1年延長つれたので、そんなに急ぐ必要は無かったです。
南紀は暖かく、天気にも恵まれ楽しい旅行でした。
家に要介護の母が居るので、初めて私だけで旅行に行きました。念願だった熊野三山に行きたかったてので、青岸渡寺とセットで日程を組んだ次第です。
熊野本宮の撮影禁止は、帰ってから知ったので、写真は一杯撮ってます。( ^_^)ただ、アップするのを遠慮しました。
最強寒波が到来してましたが、南紀は暖かく、天気も恵まれ、一人でしたが、楽しい旅行でした。
今度は、妻を連れて行きたいものです。( ^_^)