世界文化遺産 熊野那智大社 別宮 飛瀧神社へ
西国三十三ヵ所 第1番札所 那智山 青岸渡寺と熊野那智大社に行き、それから「見晴台」に行ったあと、車は世界文化遺産 熊野那智大社 別宮 飛瀧神社に行きました。こちらでは、那智の大瀧を間近で見ることができます。
9時58分に駐車場に着き、那智の大瀧に向かいます。
青岸渡寺で団体さんと出会したんですが、ここも一緒です。ただ私の方が早かったので、先に向かいました。
ここも世界遺産に登録されています。ここも2006年(平成18年)11月21日以来です。
その昔、日本の初代天皇とされる神武天皇東征のおり、この那智の地に上陸された神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)が、この大瀧を仰がれ大己貴神(おおなむちのかみ)を祀られてました。後に飛瀧権現と称され、今は飛瀧神社として熊野那智大社の別宮となっています。俳人高浜虚子は、「神にませばまことうるはし那智の瀧」と詠まれています。この御瀧は、那智山から湧き出る水の流れが、断崖にかかり落花する名瀑であり、国の名勝に指定され世界遺産ともなっています。一段の瀧としては落差日本一で、御瀧の高さは133㍍、銚子口の幅は13㍍、滝壺の深さは10㍍、平時の水量は毎秒一㌧と言われています。この地には、宇多上皇をはじめ百十余度の御幸があり、花山法皇は千日間の山籠もりをされ、また修験道の開祖とされる役行者の瀧行以来、ここは瀧修行の場となりました。
忘れてましたが、ここからずっと下ります。と言うことは帰りは登りなんですね。
結構な急な石段を下って行きます。私は手摺りを持って一段一段ゆっくり降りました。下りは怪我してている膝に負担かかります。
下に降りると「拝所」でお参りします。
冬になれば雨も降らないので、水量少ないです。このあと社務所に向かいました。
タクシーの運転手さんに、「ここも朱印あるよ」と教えて貰ったので朱印帳持って来ました。
社務所で「御瀧拝所舞台」の参入料300円を納めて入ります。ここに入る人は本当に少なかったです。
瀧の下の方に虹が出てました。
今から左上に見えている御瀧拝所舞台まで登ります。
「延命長寿お瀧水」です。延命長寿の水と伝えられている瀧つぼの水を飲むことも出来ますと書いてありました。
忘れてましたが、結構な急な石段を登ります。
飛瀧神社拝所に着きました。ここには観覧舞台があります。
冬型の気圧配置で、風が強かったので、瀧の水も流されています。次にもう一段高い舞台に上がります。
間近で見ると、迫力が違います。欲を言えば水量が物足りたいけど😊。
運転手さんの話しでは、まもなく年末に神職さんが、瀧の上部に架かるしめ縄張り替えられます。まさに命知らずですね。
帰りは一方通行で、決められたルートから降りて行きます。
途中に「御瀧本祈願所」があったので寄りました。御霊石が祀られています。
2011年(平成23年)紀伊半島大水害の復旧作業中、瀧もとに出現した丸石です。御瀧の清浄な水で長年磨かれ球体となったもので、御瀧の御神威が籠もるる霊験あらたかな石と考えられます。この「御霊石」を通して祈りを捧げて頂けるように御瀧本祈願所に奉安されました。
10時11分に降りて来ました。那智の大瀧を間近で見られる、有料エリアはガラガラでした。これから石段を登って出口に向かいます。
行きは下りでしたが、帰りは急な石段を登ることになります。
下から見上げると、結構な石段です。私は手摺りを持って登りました。
登ると右手に「金田徳光先生之御歌」があって、「世の中は 誠ひとつの 寶莫て 何ととのはぬ 物なかりけり」と書かれているそうです。また、右には「百尺喬杉擁巘巇 風翻素練半空垂 山中三日不知暑 巨瀑真成天下奇」と書いてありますが、意味不明です😊。
10時14分、ようやく出口が見えて来ました。
入口付近には「昭和天皇御製歌碑」があります。「そのかみに 熊野灘より あふぎみし 那智の大瀧 けふ近く見つ」と書いてあるそうです。私には文字が掠れて読めません。
10時15分に「飛瀧神社」を出ました。ここから駐車場は少し離れてますが、戻り次第、出発しました。
ここから山を降りて、勝浦の温泉街に戻りますが、その前にもう一箇所、世界文化遺産の寺院に寄っていきます。つづく。
9時58分に駐車場に着き、那智の大瀧に向かいます。
青岸渡寺で団体さんと出会したんですが、ここも一緒です。ただ私の方が早かったので、先に向かいました。
ここも世界遺産に登録されています。ここも2006年(平成18年)11月21日以来です。
その昔、日本の初代天皇とされる神武天皇東征のおり、この那智の地に上陸された神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)が、この大瀧を仰がれ大己貴神(おおなむちのかみ)を祀られてました。後に飛瀧権現と称され、今は飛瀧神社として熊野那智大社の別宮となっています。俳人高浜虚子は、「神にませばまことうるはし那智の瀧」と詠まれています。この御瀧は、那智山から湧き出る水の流れが、断崖にかかり落花する名瀑であり、国の名勝に指定され世界遺産ともなっています。一段の瀧としては落差日本一で、御瀧の高さは133㍍、銚子口の幅は13㍍、滝壺の深さは10㍍、平時の水量は毎秒一㌧と言われています。この地には、宇多上皇をはじめ百十余度の御幸があり、花山法皇は千日間の山籠もりをされ、また修験道の開祖とされる役行者の瀧行以来、ここは瀧修行の場となりました。
忘れてましたが、ここからずっと下ります。と言うことは帰りは登りなんですね。
結構な急な石段を下って行きます。私は手摺りを持って一段一段ゆっくり降りました。下りは怪我してている膝に負担かかります。
下に降りると「拝所」でお参りします。
冬になれば雨も降らないので、水量少ないです。このあと社務所に向かいました。
タクシーの運転手さんに、「ここも朱印あるよ」と教えて貰ったので朱印帳持って来ました。
社務所で「御瀧拝所舞台」の参入料300円を納めて入ります。ここに入る人は本当に少なかったです。
瀧の下の方に虹が出てました。
今から左上に見えている御瀧拝所舞台まで登ります。
「延命長寿お瀧水」です。延命長寿の水と伝えられている瀧つぼの水を飲むことも出来ますと書いてありました。
忘れてましたが、結構な急な石段を登ります。
飛瀧神社拝所に着きました。ここには観覧舞台があります。
冬型の気圧配置で、風が強かったので、瀧の水も流されています。次にもう一段高い舞台に上がります。
間近で見ると、迫力が違います。欲を言えば水量が物足りたいけど😊。
運転手さんの話しでは、まもなく年末に神職さんが、瀧の上部に架かるしめ縄張り替えられます。まさに命知らずですね。
帰りは一方通行で、決められたルートから降りて行きます。
途中に「御瀧本祈願所」があったので寄りました。御霊石が祀られています。
2011年(平成23年)紀伊半島大水害の復旧作業中、瀧もとに出現した丸石です。御瀧の清浄な水で長年磨かれ球体となったもので、御瀧の御神威が籠もるる霊験あらたかな石と考えられます。この「御霊石」を通して祈りを捧げて頂けるように御瀧本祈願所に奉安されました。
10時11分に降りて来ました。那智の大瀧を間近で見られる、有料エリアはガラガラでした。これから石段を登って出口に向かいます。
行きは下りでしたが、帰りは急な石段を登ることになります。
下から見上げると、結構な石段です。私は手摺りを持って登りました。
登ると右手に「金田徳光先生之御歌」があって、「世の中は 誠ひとつの 寶莫て 何ととのはぬ 物なかりけり」と書かれているそうです。また、右には「百尺喬杉擁巘巇 風翻素練半空垂 山中三日不知暑 巨瀑真成天下奇」と書いてありますが、意味不明です😊。
10時14分、ようやく出口が見えて来ました。
入口付近には「昭和天皇御製歌碑」があります。「そのかみに 熊野灘より あふぎみし 那智の大瀧 けふ近く見つ」と書いてあるそうです。私には文字が掠れて読めません。
10時15分に「飛瀧神社」を出ました。ここから駐車場は少し離れてますが、戻り次第、出発しました。
ここから山を降りて、勝浦の温泉街に戻りますが、その前にもう一箇所、世界文化遺産の寺院に寄っていきます。つづく。
この記事へのコメント
滝そのものがご神体というんだから、
すごい話ですね。私も昔、団体旅行で
見学した事があるんですけど、まだ高校生の
頃でしたから、どれだけ昔の話かと
言われそうです。その時は、遠くから
眺めただけで、坂や石段を上り下りした
記憶は無いので、多分、飛瀧神社までは
お詣りしてないでしょう。今訪れたら、
きっとまた違った感慨があるんでしょうね。
青岸渡寺や熊野那智大社まで行くと、那智の瀧は外せないですね。( ^_^)
私も久しぶりでしたが、頑張って石段を登りました。ただ冬場で水量が少なく、豪快さにはイマイチでしたね。
旅行に行っているとき、今季一番の寒波が来てました。ただ、南紀は天気が良くて、それに暖かかったのが何よりでしたね。
一人旅でしたが、楽しかったです。でも、次は家族と行きたいです。
那智の大滝は、冬場で水量が少なかったけど、近くで見られて良かったです。
やはりここへ行かないと。私はまだ経験していません。
こんな青空で眺めたいものです。惚れ惚れします。
やはり、古くから日本人にとって聖地だったことを感じます。
何度も眺めたいです。
青岸渡寺に行けば那智の大滝は外せないですね。
冬場で水量が少ないとはいえ、迫力あました。
この数日先に、瀧の上のしめ縄を交換されたニュースを見ました。命綱を付けた神職さんが作業されてましたが、命がけてすね。見ていて足が竦みます。( ^_^)