海のかなたにある観音浄土を目指す補陀落渡海の出発点 世界文化遺産 補陀洛山寺へ

熊野那智大社 別宮 飛瀧神社のあと、山を降りて那智勝浦町に入り、世界文化遺産 補陀洛山寺に行って貰いました。当初、ここは予定に入ってませんでしたが、今回の旅行で、いろいろ調べていると補陀洛山寺のことを知りました。それでタクシーの運転手さんに、行ってくれるように頼んだら快く承諾して貰った次第です。

4世紀にインドから渡来した裸形上人が開いた補陀洛山寺は、那智駅や那智の浜から徒歩5分のところにあり、熊野三所大神社(浜の宮王子)に隣接しています。お寺も南面に広がる浜の宮海岸は、平安時代からおよそ千年に渡って南海の果てにあると信じられていた観音浄土を目指して渡海上人が、釘付けされた船の中に座り補陀落渡海に出発したところです。御本尊である三貌十一面千手千眼観音は、平安時代後期の作で、国の重要文化財に指定されています。生きながらにして観音浄土を目指す為、約30日分の食糧を積み込み、灯りの燃料をいられら、外から釘を打ちつけて航海に出たとされています。僧侶は死の直前まで経を唱えて、観音菩薩に祈り続けられたのでしょう。

IMG_9725.jpg10時28分に補陀洛山寺の駐車場に着きました。世界文化遺産に登録されているのに、ここには誰も居ません。

IMG_9726.jpgこの本堂は、1990年(平成2年)に再建されたと聞きました。室町様式の高床式四方流宝形型だそうです。

運転手さんは「渡海船」を案内されましたが、私は空いている間に、堂内に行きたかったので、先に上がることにしました。こちらの本堂内の拝観料は無料です。そして御朱印は書いて貰えると言うことを運転手さんから聞いてました。

IMG_9727.jpgIMG_9728.jpg御本尊である三貌十一面千手千眼観音の厨子は閉まっています。遠路来たのに残念ですが仕方ないですね。

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納経所に人は誰も居ませんでしたが、運転手さんが探してくれました😊。運転手さんと顔なじみのようで助かりました😊。

IMG_9729.jpgIMG_9731.jpgIMG_9734.jpgIMG_9732.jpgこの絵の右下が補陀洛山寺で、熊野三所権現社殿と千手堂が見えます。その周囲に関があり、ここが那智山への入口となっています。

海岸には鳥居が建ち、幟と天蓋で荘巌された3人の僧侶が海へ向かっています。船に乗り、観音菩薩の住む補陀落浄土へ行こうとする補陀落渡る海の光景です。法華経護持者の修行の場をルーツとする那智山において継承され続けた、滅罪のための捨身行の一形態です。ここは補陀落浄土への出発点でした。

IMG_9742.jpg本堂は新しいので、見所は少ないので、直ぐに出ました。次に渡海船を見に行きます。

IMG_9736.jpg本物ではありませんが、渡海船を見られます。

補陀洛渡海とは、生きながらに南海の観音浄土(補陀洛浄土)をめざして行われた一種の捨身行です。平安時代から江戸時代まで20数回にわたり、那智の海岸から補陀洛山寺の住僧達が渡海しました。補陀洛山寺の中庭ある石碑に868年(貞観10年)から1722年(享保7年)までの間に行われた20回以上の補陀洛渡海が列記されていますが、最後の数回については僧侶が亡くなってから遺体を船に乗せる形で行われました。この渡海船は那智参詣曼荼羅をもとに(平成5年)熊野新聞社主、寺本静生氏によって復元されたもので、入母屋作りの帆船で四方に発心門、修行門、菩提門、涅槃門の殯(もがり)の鳥居があります。

IMG_9739.jpgIMG_9740.jpgIMG_9741.jpg運転手さんから復元されたものと聞いてました。まったく知らずに来たので、話しを聞いてショックでしたね。

IMG_9760.jpgIMG_9744.jpgこの補陀洛山寺のお隣にある「熊野三所大神社」も世界遺産と聞きました。

それなら寄って行きます。つづく。

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