臨済宗妙心派塔頭 ​養徳院 2月の月例直書き御朱印授与へ

臨済宗妙心派塔頭 ​養徳院の「2月の月例直書き御朱印授与」は、2月4日(土)、5日(日)の2日間で、私は5日(日)の朝に行きました。先月の「1月の月例直書き御朱印」は1月9日(月・祝)に行ってるので、2ヶ月連続で来た訳です。ただ、冬の妙心寺境内は大変寒いのか、御朱印は空いてました。

日曜日の朝、所用があって車で家を出て、そこから妙心寺に向かいました。妙心寺第二駐車場には9時頃に着き、養徳院へ向かいます。

IMG_0655.jpgIMG_0656.jpgIMG_0657.jpgIMG_0658.jpgIMG_0659.jpg妙心寺境内の石畳を歩いて行き、9時8分に「山門」前に着きました。

着いて、直ぐに朱印帳を出し、御朱印お願いしました。番号札は1番・・・と言うことは、まだ誰も来られて無かったようです。以前、9時の開門前に並んだのが嘘のようです。

IMG_0660.jpg御朱印が出来上がるまで、少しだけ散策です。

IMG_0661.jpgIMG_0662.jpgIMG_0663.jpgIMG_0664.jpgIMG_0665.jpg現在、本堂が工事中のため、ご本尊にお参りできないので「十三重石塔」の石仏にお参りします。

IMG_0667.jpgIMG_0666.jpgIMG_0668.jpgIMG_0670.jpgIMG_0671.jpg帯流庭」は見られました。先般の大雪による雪が、まだ残ってますね。

IMG_0672.jpgIMG_0673.jpg戻ると暫くして御朱印できました😊。御朱印の内容は、いつものようにInstagramから参照です。

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外面如菩薩(げめんにょぼさつ)」。

外面如菩薩 内心如夜叉(げめんにょぼさつ ないしんにょやしゃ)という言葉がございます。外見は菩薩のような様子で、心の中は夜叉の如く残忍邪悪であることの例えです。我々は世間体を大切にしすぎる世の中に生きており、また噂や見た目を本当に気にする生き物です。気付けば人の目を気にして自分と向き合わず、黒いものでも白と言う事だってある。最悪の場合目を背けて見ないふりをする。その様な姿勢に夜叉を感じずにはいられません。誰々の為にという考え方を否定する気は毛頭ございませんが、その言葉が自身の思いから来ることを願っています。何よりも自分がしたいから、自分がそう思うかが大切なのです。節分に心の夜叉を祓いましょう。

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鬼福同根(きふくどうこん)」。

誠に勝手ながら副住職の私自身が勝手に作りました造語です。節分の時に「鬼は外、福は内!」と声高に叫びながらいつも思っている事を言葉にしてみました。「鬼とは何ぞや?」実際に鬼を見たことはないし、鬼とは恐ろしい生き物であるという認識が刷り込まれているが幼いころからの絵本や物語からの知識でしかない。むしろ今となっては人間が鬼に見えることがある。お寺に生まれて一度だけ「お化け」を見た記憶がございます。本堂でのっぺらぼうの和尚さんを見たことが小学生の4年生の事でした。その時父である住職に泣きながら訴えると「お前の心に必要以上の怖いという思いと、うしろめたさがあったからみえたんや」と一蹴されたことを今でも思い出します。人間の思いとは凄いものです。一度嫌なことがあるとその記憶は一生ものとなります。良いことがあるとそれもまた同じ。しかしその後の印象とやらは中々引きずられることがあります。「あんなに嫌な奴がこんな良い行いをするはずがない!」「あんなに素晴らしい人がこんな悪事をするはずがない!」なんて言葉の根拠はどこにあるのか?一つの事例に固執した向き合っていない考えとしか言いようがありません。一つ言える事、様々な思いを感じることは我々に「心」という機能が存在するからです。常にコロコロと変化する中に放り出されているため中々思い通りにいかないものです。同じものを見て鬼と感じたり福と感じたり人によって様々です。様々な思いをたどればその行き着く先は「心」にあるのです。

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9時16分に、ここを出ました。思っていたより早く済みました。

ここからオマケ😊。多分、3年振りかなぁ、久しぶりにマクドナルドに寄りました。10時前だったので、朝マックでしたが、料金を見て驚き・・・と言うより、ニュースを見て分かってましたが、値上がってました。

IMG_0681.jpgIMG_0682.jpgIMG_0683.jpg3年前に比べ、随分値上がりしてますね。でも、美味しかったです。そう度々行けないですけど。

日曜日でも妙心寺は空いてましたね。これだけ寒いと外出する人も疎らなようです。

この記事へのコメント

2023年03月01日 23:06
直書き御朱印ですか。素晴らしいですね。
これは、早く出かけられたのも当然だと思います。
人の心に棲む夜叉の顔、心に響くものが
あるように思いました。ところで、私の記憶では、
「外面如菩薩 内心如夜叉」というのは、主に
女性を指して言う場合が多かった気がするんですが、
副住職さんのお話では、「女性」の語が一言もありません。
これも差別の無いようにという、今の時代
ならではの配慮なのかなと思いました。
壬生里
2023年03月04日 05:09
yasuhikoさんへコメントありがとうございます。

養徳院の副住職さんが直書きされる御朱印は、人気があって、毎月大一土曜と日曜日に実施され、多くの方が来られます。
ただ、1月も2月も京都は大変寒いので、私が行った時は、ガラガラでした。
3月は、今日の4日と5日に予定されているので、また訪問しようと思っています。