日本最古 都七福神まいり「萬福寺」へ
六波羅蜜寺を8時55分に出て、京阪清水五条駅に向かいました。この辺りは土地勘があるので、最短距離で向かいます。路地を通り五条通りに出てからは、西に進み、清水五条駅の北改札口から地下に降りました。
ホームには9時5分に着きました。ここで案内版を確認し、次に乗る電車に乗り込みます。それは清水五条駅には普通電車しか止まらないので、快速急行に乗り換えられる駅を確認していたからです。
京阪清水五条駅9時8分発の淀行きに乗り、次の七条駅に9時10分に着き、そこで降ります。これは次に来る快速急行が中書島には先に着くから。七条駅9時15分発の快速急行はプレミアムカー付きですが、もちろん利用しません😊。目的の中書島駅には9時24分に着くので、降りると向かいに止まっている宇治行きの電車に乗り込みました。これは知っていたので、直ぐに乗ると確実に座れます😊。そして中書島を9時27分に出て行った電車は、目的の黄檗駅に9時37分に着き、そこから黄檗山萬福寺に歩いて向かいました。
黄檗山萬福寺には、2014年(平成26年)7月26日と2014年(平成26年)10月28日に行って以来、来てません。久しぶりの訪問でしたが、その時はJR黄檗駅から行きましたが、今日は初めて、京阪黄檗駅から行くことにしたのは、こちらの方が近いから・・・じゃくなく六波羅蜜寺からの乗り換えが京阪の方が便利だったから😊。
9時42分に「総門」前に着きました。京阪からは電車を降りてから5分で着きます。それより、何なのか、この異国情緒あふれる風景は・・・?。
黄檗山萬福寺は1661年(寛文元年)に中国の高僧、隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師によって開創されました黄檗(おうばく)宗の大本山。隠元は中国黄檗山の住持となり、江戸時代に渡来して、1659年(万治2年)江戸幕府4代将軍徳川家綱より、この地を賜り寺を開創。以後、13代まで中国から渡来した僧侶が住持を務めた。境内は、天王殿・本堂・法堂などの建物が回廊でつながる、中国明朝様式の伽藍配置。本堂には本尊の釈迦如来と十八羅漢、天王殿には七福神の布袋尊(弥勒菩薩)を祀る。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例が無く、代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されている。
萬福寺の入口に建つ「総門」(重文)の屋根の上には、インドに原型をもつ「摩伽羅(マカラ)」という想像上の魚だそうです。
それにしても何なの・・・この飾りは・・・?と思いながら拝観受付所がある「三門」に向かうと前歩に団体さんが・・・!。
重要文化財に指定されている「三門」は、通常は上がれません。2014年(平成26年)7月26日のイベントで上がっています。その時、上には何も無かったですね。
三門は、1678年(延宝6年)建立。重層の楼門造りで、左右に裳階(もこし)、山廊が取り付けられており、一般の禅宗寺院と同じ様式ですが、より中国風が墨守されています。三門下の正面に大きな扁額がかかっています。「萬福寺」と書かれた書は、隠元禅師によるものです。
三門を入ると、団体さんは左手の「開山堂」や「松隠堂」の方へ行かれました。松隠堂は非公開のため入れないので、私は、正面に見えている「天王殿」(重文)に向かいます。
今日は「都七福神」まお参りで来ました。この天王殿の中央には都七福神の一つ、布袋尊が祀られているからです。
「布袋(弥勒菩薩)坐像」と言いい造像は、渡来仏師の范道生(はんどうせい)の手によるものです。弥勒菩薩の化身とされる布袋ですが、10世紀の中国、後梁(こうりょう)の高僧で、名は契此(かいし)、定応大師と号した実在の人物だそうです。
堂内には四天王が祀られています。向かって右手手前から「増長天立像」、そして「持国天立像」が護っています。
そして向かって左手手前から「多聞天立像」、そして「広目天立像」が護っています。
そして天王殿の背後に回ると「韋駄天立像」が祀られていました。伽藍守護神として弥勒菩薩坐像の背面に安置されています。
「天王殿」の背後を見ています。そして、次に萬福寺の本堂にあたる大雄宝殿があります。
重要文化財に指定されている「大雄宝殿」で、こちらの内部も入れます。1668年(寛文8年)の建立。「大雄」とは釈迦如来をさし、大雄宝殿は、釈迦如来を祀る堂のことです。
堂内の中央に本尊の「釈迦如来坐像」。右に「迦葉立像」、左に「阿難立像」を脇侍として安置されいます。
それを取り囲むように十八羅漢像が安置されています。禅寺の羅漢は十六羅漢が普通ですが、黄檗宗では慶友尊者(けいゆうそんじゃ)と賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)を加えて十八羅漢としています。ここの羅漢像は、中国の仏師・范道生の作です。
次が「法堂」(重文)です。ここは非公開ですが・・・?。
非公開のため閉まっている「西方丈」です。ここも2014年(平成26年)10月28日の「手しごと回廊」で入りました。
「法堂」内部は閉まってましたね。2014年(平成26年)7月26日の「萬福寺を知る夏の夕べ」で入りました。
法堂から見た「大雄宝殿」です。この前の庭で、かつて木村拓哉さん主演『宮本武蔵』(2014年(平成26年)3月15日・16日放送日)は、ここで撮影されました。
この先に「東方丈」がありますが、非公開のため閉まってました。こちらも2014年(平成26年)10月28日の「手しごと回廊」で入っています。
法堂を過ぎると「納経所」に向かいました。手前の、巨大な魚の形をした法具は「開梆(かいぱん)」と呼ばれています。人の身長ほどもある大きな魚の鳴り物は時を報せる法具として使われています。
都七福神御朱印をいただきました。こちらでも金印押して貰ってます。
納経所から、この渡り廊下を進むと、先程入った「大雄宝殿」に行けます。
こちらの鳴り物は「雲版(うんぱん)」と呼ばれるものです。禅宗寺院で庫裡(台所)または斎堂や食堂(じきどう)前に掛けられています。
その前にあったのが「斎堂(禅悦堂)」(重文)でした。1668年(寛文8年)建立。堂内には緊那羅王菩薩が祀られていますが見ることは出来ません。ここは僧侶が食事をするところです。
こちらは「鐘楼」(重文)です。1668年(寛文8年)建立。長崎の元奉行であった黒川与兵衛の寄進よって建立されました。対面する鼓楼と同じ大きさだそうです。
今日は、一つ一つのお堂を見ていく事はしません。何より境内にあるランタンが私にとっては邪魔な存在でした。私は知らずに来たんですが、1月31日(火)まで「黄檗ランタンフェスティバル 〜境内を彩る夜の特別拝観〜]が開催されてました。関西発上陸の夜を彩る異国情緒たっぷりのイルミネーションは、隠元禅師350年大遠諱の記念催事の一環として、萬福寺境内の約30カ所に中国から運ばれた大きなランタンが設置され、幻想的で美しい光景が広がっていたようです。
この時期に来たので、少しだけランタンを撮りました。夜に見るとイルミネーションに映えたでしょう。
帰る頃、「開山堂」の方を見ると、まだ他団体さんが居ました。どうもガイドさんの案内を聞いているように見えました。
10時頃に「三門」から出て行きました。
三門を出ると石碑に気づきました。「山門を 出れば日本ぞ 茶摘うた」(菊舎)。黄檗山のたたずまいに酔いしれた菊舎が、三門を出た時、門前の茶畑から茶摘うたが聞こえ、一瞬訳に返った時の句だそうです。
三門を出て「総門」が見えて来ました。そのまま出て行くつもりが、少し寄り道を。
「放生池」にもランタンがあったので寄ってみました。
黄檗ランタンフェスティバルが終わって一週間たっていのに、何時になったら片付けるのかなぁ?。このまま京阪黄檗駅に戻り帰路に着きました・・・?。
黄檗駅には10時5分に着きました。ただ10時19分発まで電車無かったので、休憩がてら待ちました😊。
当初の予定では、京阪黄檗駅から中書島駅に行き、京阪丹波橋駅から近鉄丹波橋駅に乗り換え、京都駅に行き、JR嵯峨野線で帰るつもりでしたが、京阪宇治線の六地蔵駅で下車し、地下鉄東西線六地蔵駅から帰路に着くことを思いつき、それで六地蔵駅で降りてみると・・・?。地下鉄への乗り次の案内がありません。京阪から地下鉄は離れていたんですね。スマホの地図を見ても、老眼のため見えません。適当に歩き出しても、駅が見えないので、歩いている人に聞きました。全然違う所を歩いてました。結果は、JR六地蔵駅と地下鉄六地蔵駅は隣接してますが、京阪六地蔵駅からは離れてました。いつもは地図を頭に入れて行動しますが、急に思い立ったので、地図見て無かったは失敗しましたね。
京阪六地蔵駅に10時24分に着いたのに、無事地下鉄六地蔵駅に着いたは10時38分でした。本当なら徒歩5分ぐらい行けると思います😊。
地下鉄六地蔵駅は始発です。10時45分に電車は発車しました。
いつものように太秦天神川駅に着く手前には、誰も居なくなります。太秦天神川駅には11時18分に着き、所用から帰る途中の家族が迎えに来てくれたので、無事帰路につけました😊。
次は3月7日に残りを回る予定です。天気が雨なら別ですが。今日は昼から予定があるので、回りませんでしたが、都七福神は一日で回れそうですね。
ホームには9時5分に着きました。ここで案内版を確認し、次に乗る電車に乗り込みます。それは清水五条駅には普通電車しか止まらないので、快速急行に乗り換えられる駅を確認していたからです。
京阪清水五条駅9時8分発の淀行きに乗り、次の七条駅に9時10分に着き、そこで降ります。これは次に来る快速急行が中書島には先に着くから。七条駅9時15分発の快速急行はプレミアムカー付きですが、もちろん利用しません😊。目的の中書島駅には9時24分に着くので、降りると向かいに止まっている宇治行きの電車に乗り込みました。これは知っていたので、直ぐに乗ると確実に座れます😊。そして中書島を9時27分に出て行った電車は、目的の黄檗駅に9時37分に着き、そこから黄檗山萬福寺に歩いて向かいました。
黄檗山萬福寺には、2014年(平成26年)7月26日と2014年(平成26年)10月28日に行って以来、来てません。久しぶりの訪問でしたが、その時はJR黄檗駅から行きましたが、今日は初めて、京阪黄檗駅から行くことにしたのは、こちらの方が近いから・・・じゃくなく六波羅蜜寺からの乗り換えが京阪の方が便利だったから😊。
9時42分に「総門」前に着きました。京阪からは電車を降りてから5分で着きます。それより、何なのか、この異国情緒あふれる風景は・・・?。
黄檗山萬福寺は1661年(寛文元年)に中国の高僧、隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師によって開創されました黄檗(おうばく)宗の大本山。隠元は中国黄檗山の住持となり、江戸時代に渡来して、1659年(万治2年)江戸幕府4代将軍徳川家綱より、この地を賜り寺を開創。以後、13代まで中国から渡来した僧侶が住持を務めた。境内は、天王殿・本堂・法堂などの建物が回廊でつながる、中国明朝様式の伽藍配置。本堂には本尊の釈迦如来と十八羅漢、天王殿には七福神の布袋尊(弥勒菩薩)を祀る。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例が無く、代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されている。
萬福寺の入口に建つ「総門」(重文)の屋根の上には、インドに原型をもつ「摩伽羅(マカラ)」という想像上の魚だそうです。
それにしても何なの・・・この飾りは・・・?と思いながら拝観受付所がある「三門」に向かうと前歩に団体さんが・・・!。
重要文化財に指定されている「三門」は、通常は上がれません。2014年(平成26年)7月26日のイベントで上がっています。その時、上には何も無かったですね。
三門は、1678年(延宝6年)建立。重層の楼門造りで、左右に裳階(もこし)、山廊が取り付けられており、一般の禅宗寺院と同じ様式ですが、より中国風が墨守されています。三門下の正面に大きな扁額がかかっています。「萬福寺」と書かれた書は、隠元禅師によるものです。
三門を入ると、団体さんは左手の「開山堂」や「松隠堂」の方へ行かれました。松隠堂は非公開のため入れないので、私は、正面に見えている「天王殿」(重文)に向かいます。
今日は「都七福神」まお参りで来ました。この天王殿の中央には都七福神の一つ、布袋尊が祀られているからです。
「布袋(弥勒菩薩)坐像」と言いい造像は、渡来仏師の范道生(はんどうせい)の手によるものです。弥勒菩薩の化身とされる布袋ですが、10世紀の中国、後梁(こうりょう)の高僧で、名は契此(かいし)、定応大師と号した実在の人物だそうです。
堂内には四天王が祀られています。向かって右手手前から「増長天立像」、そして「持国天立像」が護っています。
そして向かって左手手前から「多聞天立像」、そして「広目天立像」が護っています。
そして天王殿の背後に回ると「韋駄天立像」が祀られていました。伽藍守護神として弥勒菩薩坐像の背面に安置されています。
「天王殿」の背後を見ています。そして、次に萬福寺の本堂にあたる大雄宝殿があります。
重要文化財に指定されている「大雄宝殿」で、こちらの内部も入れます。1668年(寛文8年)の建立。「大雄」とは釈迦如来をさし、大雄宝殿は、釈迦如来を祀る堂のことです。
堂内の中央に本尊の「釈迦如来坐像」。右に「迦葉立像」、左に「阿難立像」を脇侍として安置されいます。
それを取り囲むように十八羅漢像が安置されています。禅寺の羅漢は十六羅漢が普通ですが、黄檗宗では慶友尊者(けいゆうそんじゃ)と賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)を加えて十八羅漢としています。ここの羅漢像は、中国の仏師・范道生の作です。
次が「法堂」(重文)です。ここは非公開ですが・・・?。
非公開のため閉まっている「西方丈」です。ここも2014年(平成26年)10月28日の「手しごと回廊」で入りました。
「法堂」内部は閉まってましたね。2014年(平成26年)7月26日の「萬福寺を知る夏の夕べ」で入りました。
法堂から見た「大雄宝殿」です。この前の庭で、かつて木村拓哉さん主演『宮本武蔵』(2014年(平成26年)3月15日・16日放送日)は、ここで撮影されました。
この先に「東方丈」がありますが、非公開のため閉まってました。こちらも2014年(平成26年)10月28日の「手しごと回廊」で入っています。
法堂を過ぎると「納経所」に向かいました。手前の、巨大な魚の形をした法具は「開梆(かいぱん)」と呼ばれています。人の身長ほどもある大きな魚の鳴り物は時を報せる法具として使われています。
都七福神御朱印をいただきました。こちらでも金印押して貰ってます。
納経所から、この渡り廊下を進むと、先程入った「大雄宝殿」に行けます。
こちらの鳴り物は「雲版(うんぱん)」と呼ばれるものです。禅宗寺院で庫裡(台所)または斎堂や食堂(じきどう)前に掛けられています。
その前にあったのが「斎堂(禅悦堂)」(重文)でした。1668年(寛文8年)建立。堂内には緊那羅王菩薩が祀られていますが見ることは出来ません。ここは僧侶が食事をするところです。
こちらは「鐘楼」(重文)です。1668年(寛文8年)建立。長崎の元奉行であった黒川与兵衛の寄進よって建立されました。対面する鼓楼と同じ大きさだそうです。
今日は、一つ一つのお堂を見ていく事はしません。何より境内にあるランタンが私にとっては邪魔な存在でした。私は知らずに来たんですが、1月31日(火)まで「黄檗ランタンフェスティバル 〜境内を彩る夜の特別拝観〜]が開催されてました。関西発上陸の夜を彩る異国情緒たっぷりのイルミネーションは、隠元禅師350年大遠諱の記念催事の一環として、萬福寺境内の約30カ所に中国から運ばれた大きなランタンが設置され、幻想的で美しい光景が広がっていたようです。
この時期に来たので、少しだけランタンを撮りました。夜に見るとイルミネーションに映えたでしょう。
帰る頃、「開山堂」の方を見ると、まだ他団体さんが居ました。どうもガイドさんの案内を聞いているように見えました。
10時頃に「三門」から出て行きました。
三門を出ると石碑に気づきました。「山門を 出れば日本ぞ 茶摘うた」(菊舎)。黄檗山のたたずまいに酔いしれた菊舎が、三門を出た時、門前の茶畑から茶摘うたが聞こえ、一瞬訳に返った時の句だそうです。
三門を出て「総門」が見えて来ました。そのまま出て行くつもりが、少し寄り道を。
「放生池」にもランタンがあったので寄ってみました。
黄檗ランタンフェスティバルが終わって一週間たっていのに、何時になったら片付けるのかなぁ?。このまま京阪黄檗駅に戻り帰路に着きました・・・?。
黄檗駅には10時5分に着きました。ただ10時19分発まで電車無かったので、休憩がてら待ちました😊。
当初の予定では、京阪黄檗駅から中書島駅に行き、京阪丹波橋駅から近鉄丹波橋駅に乗り換え、京都駅に行き、JR嵯峨野線で帰るつもりでしたが、京阪宇治線の六地蔵駅で下車し、地下鉄東西線六地蔵駅から帰路に着くことを思いつき、それで六地蔵駅で降りてみると・・・?。地下鉄への乗り次の案内がありません。京阪から地下鉄は離れていたんですね。スマホの地図を見ても、老眼のため見えません。適当に歩き出しても、駅が見えないので、歩いている人に聞きました。全然違う所を歩いてました。結果は、JR六地蔵駅と地下鉄六地蔵駅は隣接してますが、京阪六地蔵駅からは離れてました。いつもは地図を頭に入れて行動しますが、急に思い立ったので、地図見て無かったは失敗しましたね。
京阪六地蔵駅に10時24分に着いたのに、無事地下鉄六地蔵駅に着いたは10時38分でした。本当なら徒歩5分ぐらい行けると思います😊。
地下鉄六地蔵駅は始発です。10時45分に電車は発車しました。
いつものように太秦天神川駅に着く手前には、誰も居なくなります。太秦天神川駅には11時18分に着き、所用から帰る途中の家族が迎えに来てくれたので、無事帰路につけました😊。
次は3月7日に残りを回る予定です。天気が雨なら別ですが。今日は昼から予定があるので、回りませんでしたが、都七福神は一日で回れそうですね。
この記事へのコメント
萬福寺を開祖した隠元禅師が中国から来られたためか、ここは異国情緒たっぷりです。
本当は、1月中に七福神を回れば良かったですが、7日の縁日に回ることにしたわけです。
都七福神は、3月7日も回ったですが、この日は金印目当ての方が多かったですね。