第57回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 大徳寺 芳春院へ
2月22日(水)は、昨日に引き続き出掛けます。この日は大徳寺で特別公開されている芳春院と三玄院を行く予定にしていたところ、昨日、家族が所用先に傘を忘れるということで、それを帰りに取りに行くという余分な事が増えました😊。
特別拝観がともに10時開門のため、自宅を車で出て、大徳寺の中止や情に9時57分に入庫しました。そこから歩いて、この第57回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 で最大の目玉でしょう大徳寺 三玄院に行ってみると、10時になっても開門されてません。約20名ほど並ばれていました。それならと、当初の予定どおり先に芳春院(ほうしゅんいん)に行くことにしました。
芳春院には、2005年(平成17年)11月26日の紅葉の時期に一度来ています。普段は非公開で、春や秋に特別公開はされてましたが、私が行ったあと、ここは門内から撮影禁止にされたので、足が遠のいてました。ただ18年も来て無いので、この度、三玄院が特別公開されたこともあって、芳春院にも行って見ようと思った次第です。
10時1分に「如意庵・芳春院表門」前に着きました。見たところ、三玄院に比べ、断然人が少ないように思います。
表門を入り、参道を進むと左手に「芳春院盆栽庭園」が出来てました。こちらは帰りに寄るつもりです。
2005年(平成17年)11月26日のことは覚えてませんが、参道奥の左に「拝観受付所」がありました。
ここで、拝観料800円と、書き置きの御朱印代、合わせて1100円を納め「芳春院表門」へ。
臨済宗大徳寺派。大徳寺塔頭。1608年(慶長13年)、加賀藩藩祖・前田利家の正室松子(芳春院)が臨済宗の僧侶玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開山として、1599年(慶長4年)に亡くなった前田利家公の菩提を弔うため、加賀藩初代藩主前田利長、加賀藩2代藩主前田利常主とともに建立した大徳寺の塔頭で、前田家の菩提寺である。建物はその後火災に遭い、現在の建物は明治初年に建てられたもの。本堂の背後には、飽雲池(ほううんち)を前にした二重の楼閣呑湖閣(どんこかく)があり、金閣・銀閣と同様、楼閣山水庭園として名高い。呑湖閣は1617年(元和3年)に前田利家の子・利長(加賀藩初代藩主)が小堀遠州に依頼して建てたものと伝わり、金閣・銀閣・飛雲閣と並んで京の四閣と称される。池の上に架かる打月橋(だげつきょう)には、開祖玉室の筆による「打月」の二文字の額を掛けている。飽雲池には、杜若や睡蓮が美しく開花時には見事である。墓地には芳春院尼・前田利長・利常などの前田家霊屋があり、近衛家の墓もある。
前に来たとき、ここまでの参道の紅葉が綺麗でしたね。「表門」をくぐり境内へ。
入ると右手に「庫裏」が、正面に玄関があって、ここから撮影禁止になりました。ここからの写真は、2005年(平成17年)11月26日のものを使います。
庫裏を見ながら正面にある「唐門」から入り、靴を脱いで上がります。先ずは、室中の間に入り、ガイドさんの話しを聞きました。
ご本尊は中央に釈迦如来像、右に文殊菩薩、左に獅子に乗られている普賢菩薩で、いずれも冠を被っています。右に安置されているのは開山の玉室宗珀像(大徳寺第147世住職)、左に芳春院の木像を安置。そして本堂(方丈)の襖絵ですが、芳春院400年遠忌の2016年(平成28年)に日本画の竹内浩一氏が描かれた水墨画が見られました。扁額は本堂(方丈)を、1798年(寛政10年)に再建された加賀藩11代藩主前田治脩(まえだはるなが)の揮毫によるもの。
この時の記憶が定かじゃありませが、襖絵のこと覚えてません。2016年(平成28年)に完成したと言われたので、この時には無かったのは確かですね。次に南庭のお話をされました。
本堂(方丈)前の前庭は「花岸庭(かがんてい)」は作庭家・中根金作によるもの。芳春院が好んだと言われる桔梗の花が生い茂る庭で、白砂が広がる枯山水庭園です。煩悩や迷いに満ちた彼岸(彼岸)から白砂に浮かぶ岩を船に見立てて、その船に乗って海を渡って到達する悟りの世界を此岸(しがん)を表しています。山深い渓谷から流れ出る水は湖にそそぎ、大海に帰る模様を枯山水で表現されてました。
ここから見ると、電柱も何も見えません。大徳寺で最も北に位置する芳春院は、東寺国宝の五重塔の先端と同じ高さにあると聞きました。京都では高さ制限があるので、この景観は守ってほしいものです。次に本堂(方丈)の北側に移動します。
次に本堂(方丈)北側に建つ、昭堂の「呑湖閣(どんとかく)」と、禅宗では珍しい池の庭園「飽雲池(ほううんち)」の説明を受けました。
この芳春院で一番大切な方を祀るお堂が、昭堂の「呑湖閣」の上層部には、菅原道真公が祀られて、下層部には玉室宗珀の師・春屋宗園の木像が祀られているそうです。呑湖閣は非公開でした。「京の四閣」(金閣・銀閣・飛雲閣)とも称される優美な二階楼閣の呑湖閣。屋上からは比叡山を望み、その向こうの琵琶湖の水を飲み干すという意を込めて名付けられました。加賀藩初代藩主前田利長の依頼により、玉室宗珀に参禅していた医者・横井等怡(とうい)と、茶人で武将でもある小堀遠州によって建てられた呑湖閣、その前に広がる「飽雲池」と、そこに架かる「打月橋(だげつきょう)」とともに楼閣山水庭園が築かれてました。
1916年(大正5年)に完成した「書院」には、京都大学の学生であった、近衛文麿元首相が勉強をしていたと案内で聞きました。非公開でしたが、襖絵は下保昭画伯ものだそうです。
これで案内は終わり、元の本堂に戻ってきたので、これで出て行くことにしました。前の記憶もあったので、もう一周はしません。それより、盆栽庭園が見たいので出て行ったのが正解です。
特別拝観がともに10時開門のため、自宅を車で出て、大徳寺の中止や情に9時57分に入庫しました。そこから歩いて、この第57回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 で最大の目玉でしょう大徳寺 三玄院に行ってみると、10時になっても開門されてません。約20名ほど並ばれていました。それならと、当初の予定どおり先に芳春院(ほうしゅんいん)に行くことにしました。
芳春院には、2005年(平成17年)11月26日の紅葉の時期に一度来ています。普段は非公開で、春や秋に特別公開はされてましたが、私が行ったあと、ここは門内から撮影禁止にされたので、足が遠のいてました。ただ18年も来て無いので、この度、三玄院が特別公開されたこともあって、芳春院にも行って見ようと思った次第です。
10時1分に「如意庵・芳春院表門」前に着きました。見たところ、三玄院に比べ、断然人が少ないように思います。
表門を入り、参道を進むと左手に「芳春院盆栽庭園」が出来てました。こちらは帰りに寄るつもりです。
2005年(平成17年)11月26日のことは覚えてませんが、参道奥の左に「拝観受付所」がありました。
ここで、拝観料800円と、書き置きの御朱印代、合わせて1100円を納め「芳春院表門」へ。
臨済宗大徳寺派。大徳寺塔頭。1608年(慶長13年)、加賀藩藩祖・前田利家の正室松子(芳春院)が臨済宗の僧侶玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開山として、1599年(慶長4年)に亡くなった前田利家公の菩提を弔うため、加賀藩初代藩主前田利長、加賀藩2代藩主前田利常主とともに建立した大徳寺の塔頭で、前田家の菩提寺である。建物はその後火災に遭い、現在の建物は明治初年に建てられたもの。本堂の背後には、飽雲池(ほううんち)を前にした二重の楼閣呑湖閣(どんこかく)があり、金閣・銀閣と同様、楼閣山水庭園として名高い。呑湖閣は1617年(元和3年)に前田利家の子・利長(加賀藩初代藩主)が小堀遠州に依頼して建てたものと伝わり、金閣・銀閣・飛雲閣と並んで京の四閣と称される。池の上に架かる打月橋(だげつきょう)には、開祖玉室の筆による「打月」の二文字の額を掛けている。飽雲池には、杜若や睡蓮が美しく開花時には見事である。墓地には芳春院尼・前田利長・利常などの前田家霊屋があり、近衛家の墓もある。
前に来たとき、ここまでの参道の紅葉が綺麗でしたね。「表門」をくぐり境内へ。
入ると右手に「庫裏」が、正面に玄関があって、ここから撮影禁止になりました。ここからの写真は、2005年(平成17年)11月26日のものを使います。
庫裏を見ながら正面にある「唐門」から入り、靴を脱いで上がります。先ずは、室中の間に入り、ガイドさんの話しを聞きました。
ご本尊は中央に釈迦如来像、右に文殊菩薩、左に獅子に乗られている普賢菩薩で、いずれも冠を被っています。右に安置されているのは開山の玉室宗珀像(大徳寺第147世住職)、左に芳春院の木像を安置。そして本堂(方丈)の襖絵ですが、芳春院400年遠忌の2016年(平成28年)に日本画の竹内浩一氏が描かれた水墨画が見られました。扁額は本堂(方丈)を、1798年(寛政10年)に再建された加賀藩11代藩主前田治脩(まえだはるなが)の揮毫によるもの。
この時の記憶が定かじゃありませが、襖絵のこと覚えてません。2016年(平成28年)に完成したと言われたので、この時には無かったのは確かですね。次に南庭のお話をされました。
本堂(方丈)前の前庭は「花岸庭(かがんてい)」は作庭家・中根金作によるもの。芳春院が好んだと言われる桔梗の花が生い茂る庭で、白砂が広がる枯山水庭園です。煩悩や迷いに満ちた彼岸(彼岸)から白砂に浮かぶ岩を船に見立てて、その船に乗って海を渡って到達する悟りの世界を此岸(しがん)を表しています。山深い渓谷から流れ出る水は湖にそそぎ、大海に帰る模様を枯山水で表現されてました。
ここから見ると、電柱も何も見えません。大徳寺で最も北に位置する芳春院は、東寺国宝の五重塔の先端と同じ高さにあると聞きました。京都では高さ制限があるので、この景観は守ってほしいものです。次に本堂(方丈)の北側に移動します。
次に本堂(方丈)北側に建つ、昭堂の「呑湖閣(どんとかく)」と、禅宗では珍しい池の庭園「飽雲池(ほううんち)」の説明を受けました。
この芳春院で一番大切な方を祀るお堂が、昭堂の「呑湖閣」の上層部には、菅原道真公が祀られて、下層部には玉室宗珀の師・春屋宗園の木像が祀られているそうです。呑湖閣は非公開でした。「京の四閣」(金閣・銀閣・飛雲閣)とも称される優美な二階楼閣の呑湖閣。屋上からは比叡山を望み、その向こうの琵琶湖の水を飲み干すという意を込めて名付けられました。加賀藩初代藩主前田利長の依頼により、玉室宗珀に参禅していた医者・横井等怡(とうい)と、茶人で武将でもある小堀遠州によって建てられた呑湖閣、その前に広がる「飽雲池」と、そこに架かる「打月橋(だげつきょう)」とともに楼閣山水庭園が築かれてました。
1916年(大正5年)に完成した「書院」には、京都大学の学生であった、近衛文麿元首相が勉強をしていたと案内で聞きました。非公開でしたが、襖絵は下保昭画伯ものだそうです。
これで案内は終わり、元の本堂に戻ってきたので、これで出て行くことにしました。前の記憶もあったので、もう一周はしません。それより、盆栽庭園が見たいので出て行ったのが正解です。
この記事へのコメント
あるお寺さんですね。前田家の菩提寺ですか。
そんな歴史的背景も、お寺の格の高さを窺わせます。
大徳寺では、高桐院などを見学した記憶が
あるんですが、 芳春院走りませんでした。
高桐院は、長いこと拝観停止されてて、今も入ることができません。芳春院も久しぶりに来ました。残念なのは撮影禁止になったことですね。
秋には特別公開はされているので、ここの見事な紅葉は見られるかと思います。
大徳寺は禅宗寺院らしく、通常拝観している寺院も少なく、また特別拝観されても撮影には厳しいです。