日本最古 都七福神まいり「革堂(行願寺)」へ

叡山電鉄出町柳駅を出て、向かいのタクシー乗り場から、次の目的地である「革堂(行願寺)」に向かいました。革堂には、数え切れないほど来ています。西国三十三ヵ所札所巡りや洛陽三十三ヵ所札所巡りなどで来てました。街中にあるので、交通の便も良いので、今日も京阪丸太町駅から歩いて向かう予定でしたが、膝の状態が良くないこともあって、タクシーを選択した次第です。

IMG_1944.jpg11時7分にタクシーを降りました。ここに入る前に、赤山禅院で御朱印を受けていた人が出て行かれました😊。

霊麀山行願寺(れいゆうざんぎょうがんじ)と号する天台宗の寺院で、西国三十三ケ所観音霊場の第十九番の札所である。1004年(寛弘元年)行円(ぎょうえん)上人によって、一条小川(上京区)に創建された。子を孕んだ母鹿を射止めてしまったことを悔いた上人が、常にその皮の衣をまとって鹿を憐れみ、人々から皮聖(かわひじり)とも呼ばれていたことから、この寺も革堂と呼ばれるようになったといわれている。以後、人々からの厚い信仰を受け、町堂として大いに栄えたが、度々の災火により寺地を転々とし、1708年(宝永5年)の大火の後、この地に移された。現在の本堂は、1815年(文化12年)に建てられたもので、堂内には行円上人作と伝える本尊千手観音像を安置している。境内には、都七福神巡りの一つになっている寿老人神堂をはじめ、愛染堂、鎮宅霊符神堂(ちなちくれいふしんどう)、加茂明神塔などがある。また、宝物館には、若い女性の幽霊が描かれている幽霊絵馬が展示されている。

IMG_1964.jpg山門」を入った正面に本堂が見えています。

IMG_1963.jpgIMG_1947.jpg門を入ると「本堂」に靴のまま上がり、お参りしました。ご本尊の十一面千手千眼観世音菩薩像は秘仏で、御前立の千手観世音菩薩像ですが、暗くて遠くて見えないでしょう。

本堂の左手に納経所があるので、都七福神の御朱印をいただきました。これでコンプリートです。

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ここは「寿老神」です。中国の老子が天に昇ってなったという仙人の姿。三千年の長寿を保つ玄鹿を従え、人々の難を払う団扇を持っていることから、福財・子宝・諸病平癒・長寿の功徳ありといわれています。

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こちらは本堂左手にあった「開山行円(ぎょうえん)上人布教之真影」です。

IMG_1949.jpgIMG_1950.jpg都七福神で来たので、寿老人神堂に向かいますが、その手前が「愛染堂」でした。

IMG_1951.jpgIMG_1952.jpgIMG_1953.jpgそのお隣には「寿老人神堂」があり、内部を覗くと寿老人が祀られているのが見えました。

IMG_1954.jpgこちらには「七福神」が並んでいます。右から「布袋尊」「福禄寿神」「寿老人」「弁財天」「毘沙門天」「大黒天」「ゑびす神」。

IMG_1956.jpgIMG_1955.jpg境内の北側には、東に「庫裏」が、正面に、「鎮宅霊符神堂」が、その西隣には「鐘楼」があります。

IMG_1958.jpgもっとも奥には、「百体地蔵堂」や、大きな五輪塔があって、それは「加茂明神石塔」といい、石塔の中には、加茂明神が祀られています。

IMG_1959.jpgIMG_1960.jpgIMG_1961.jpgIMG_1962.jpgIMG_1966.jpg御朱印もいただいし、境内は小さいので、11時14分に「山門」から出て行きました。

ここを出て、寺町通り沿いのお店で買い物を済ませたあと、地下鉄東西線京都市役所前から11時34分発の地下鉄に乗って、太秦天神川に11時44分着き、妻の車で、目標通り12時前には帰ることができました。 

この記事へのコメント

2023年04月12日 22:47
皮聖と呼ばれた行円上人の創建された
お寺だから革堂ですか。これで「こうどう」と
読むんですね。鹿の皮を身に纏ったという
話が、とても合われ深いように思われました。
こうした歴史あるお寺さんが街中にあるのも、
さすが京都ならではですね。
壬生里
2023年04月13日 19:36
yasuhikoさんへコメントありがとうございます。

革堂は、京都市内の真ん中にあって、西国三十三ヵ所札所巡りの中でも交通の便は抜群にいいです。
こちらの革堂で、都七福神まいりの満願を達成し、ホットしました。
お正月の1月中なら、京都定期観光バスで回れますが、実際に歩いて巡ると、いろいろ知らなかったことも分かったたりして、良かったなぁと思っています。