第57回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 妙心寺 玉鳳院へ

3月10日(金)の最低気温は、12.7℃と暖かい朝を迎えました。ここ最近の高温で、4月を通り越して5月上旬並みの気候となり、梅は満開、早咲きの桜も咲き始めた次第です。

この日は、第57回「京の冬の旅」“ちょっと一服”の特典を受けるため、妙心寺にある花薗会館内の「花ごころ」に行く予定にしていました。「ちょっと一服券」を2枚貯めたので、妻を誘って行く予定も、家族の予定が早く済んだので、時間が余ったため、予定外の第57回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 妙心寺 玉鳳院に食事の前に行くこととなりました。

IMG_1969.jpg10時20分頃に、妙心寺第二駐車場に車を入れ、石畳の参道を北に上がります。

IMG_1814.jpgIMG_1970.jpg10時25分頃に「表門」から入ります。2012年(平成24年)1月17日2020年(令和2年)1月31日と過去2回来てますが、ここは撮影禁止は知ってのうえで来ました。

IMG_1971.jpg過去2回ともですが、この表門を入るとときに、「ここは撮影禁止です」と言われます。何年たっても変わって無いですね、撮影禁止は知ってます。

拝観料は800円で、これで「ちょっと一服」のスタンプが、また貯まりました😊。これで3枚貯まりましたが、今日は昼食で2枚使います。そして、御朱印も2種あったので、こちらもいただきました。

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上は、花園法皇を祀る方丈で、下は、開山の関山慧玄を祀る開山堂ですね。このあと方丈に行き、最初の案内を受けます。

玉鳳院の歴史は、1337年(建久4年)、第95代花園天皇(法皇)がこの地にあった花園御所(離宮萩原殿)を禅寺に改めたのが妙心寺の起こりで、この玉鳳院は妙心寺発祥の地であり、46もの塔頭寺院を持つ妙心寺山内で最も神聖な場所とされています。花園法皇と妙心寺開山の関山慧玄(かんざんえげん)が、ここで問答を行い、禅の教えを深められました。創建時の方丈は応仁の乱で焼失後、1656年(明暦2年)に禅宗寺院の方丈形式で再建されました。方丈内は、西から下間一の間に「麒麟図」(狩野安信筆)、下間二の間「花鳥図」(狩野安信筆)、正面南の室中「龍図」(狩野安信筆)、中央には「仏間」、その奥に「昭堂」があって、ご本尊の花園法皇像を安置、東には上間(上段の間)の一の間、上間の二の間「秋草図」(狩野益信筆)があります。上間一の間は、「拈花室(ねんげしつ)」とも呼ばれ、花園法皇の玉座がありました。

IMG_1815a.jpg仏間の「竜図」(狩野安信筆)で、表にあった看板の写真です。この奥にある花園法皇像は、遠くて暗くて全く見えません。

私は老眼ですが、遠くの視力は良い方ですが、それでも尊像があるのか無いのかも見えないです。それで、入口にパネルの写真が置いてありました。多分、仏間に入って、近くに行かないと見えないでしょうね、竜図ははっきりと見えます。レプリカじゃなく本物と説明を受けました。今回の公開期間中は、方丈屋根の檜皮葺葺き替えの工事中で、方丈から見る庭園は、工事用の足場が組まれているので、本来の姿は見えません。そのためでしょうか「上間(上段の間)一の間」に特別入室できました。普段は廊下側しか見られない「玉座」が間近で見られました。花園法皇が座られた「玉座」の上には、御位牌が置いてあって読むと「東照大権現」と書いてあります。今回「京の冬の旅」のサブタイル「徳川家康と戦国武将ゆかりの地」に因んだものでしょう。普段は、置いてないらしいです😊。

IMG_1986.jpgこのように足場が組まれているので、方丈前庭園は白砂や松に敷石が配しされただけの枯山水庭園は分かりません。私は2020年(令和2年)1月31日に見てますが、初めて来られた方は残念でしょうね。

次に、方丈と開山堂(微笑庵)を結ぶ渡り廊下にある床几に座り、ここの庭園についての案内を聞きました。

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ここからの写真は、他のサイトからの転載です。この日は、この井戸の手前まで足場が組まれてました。奥に見えているのが、豊臣鶴松公が眠る御霊屋で、後程内部を見せて貰います。

「方丈」と「開山堂(微笑庵)」の間には130坪の苔生した枯山水庭園があります。桃山時代初期の作庭で、釣瓶井戸の「風水泉」があります。開山の関山慧玄(かんざんえげん)84歳の12月12日のとき、この井戸の前に建ち、旅支度のお姿で立ったまま亡くなられたと伝わっています。ですから、この井戸は神聖な場所といえます。

次に、庭園の唐破風の唐門についての案内がありましたが、これは外から見てみます。このあとガイドさんに付いて「微笑庵(みしょうあん)」の前に行き案内を受けました。

04.jpgこの建物は、応仁の乱で焼失したた後、東福寺から1573年(天文6年)に移築された、斉内最古の建物です。

開山堂には「微笑庵」の扁額が架かっており、奥に関山慧玄(無相大師)の尊像が祀られていますが、遠くて暗くて見えません。かろうじて尊像の存在は分かりました。案内によると季節によって尊像のお召し物が違うといいます。毎日、僧侶(46ある塔頭のご住職自ら当番制で)の方が朝の3時30分と10時と15時にお供え(お食事)をしお勤めをされます。法要は、毎月1日と15日、関山慧玄の命日である12月12日にここで行われます。また、妙心寺のご住職や副住職になられる方も、ここで認証式が行われるそうです。堂内には尊像の他に、妙心寺で功績のあった高僧の位牌も祀られています。開山堂(微笑庵)前にある石灯籠は、竿(胴部)の中央部が膨らむ形で、妙心寺型と呼ばれるものです。

案内は、ここまで。「開山堂の東側に石塔(供養塔)があるので、見て行ってください。」と言われたので、ここから単独で見に行きました。

img_1473061_46054501_4.jpg左から「大雲院(織田信忠)」「総見院(織田信長)」「武田信勝(勝頼の子)」「武田勝頼(信玄の子)」「武田信玄(武田晴信)」「武田信豊(信玄の弟・武田信繁の)子」の供養塔だそうです。

案内では、武田信玄は、関山派に篤く帰依していたことから妙心寺に分骨され供養塔が建てられ、勝頼は、自害後に一条通りの辻に晒されていた首級を武田家と関わりのある妙心寺の南化玄興和尚が譲り受け、信玄供養塔の横に葬ったといいます。

次に写真が見つからなかった「祥雲院殿(御霊屋)」に行きました。豊臣秀吉の子・豊臣鶴松が亡くなられたあと、妙心寺で法要があり、こちらに祀られた。堂内には可愛い木像があってその下に埋葬されています。天井には天女の絵が描かれていました。

このあと、元に戻り方丈に戻り、室内の襖絵をもう一度鑑賞し出て行きました。ガイドさんが案内してくれた唐門は外から見られるので、忘れずに寄ります。先ずは手前の唐破風が正面にある「向唐門」から、案内によると・・・?。

IMG_1984.jpgIMG_1985.jpg壁の5本の線について、線の数で格式が分かるとの琴で、これは門跡寺院を表しています。この向唐門は、大坂の豪商淀屋辰五郎の寄進によるものだとか。 

次に開山堂前にある四脚門で、唐破風が唐破風屋根が前後(南北)に付く、重要文化財に指定されている「平唐門」です。 

IMG_1975.jpgIMG_1976.jpgIMG_1982.jpg以前は山門の南側にあって、勅使門として使われていました。元の門が応仁の乱で焼失したため、江戸時代にこちらに移築され、門には、鏃(やじり)のあとが残っています。応仁の乱での焼失を免れた現存する最古の唐門です。

IMG_1987.jpgIMG_1988.jpg今日の玉鳳院は空いてました。過去2度きてますが、その時は混雑していたので。私が訪れた時間帯がそうなのかも知れませんね。

妙心寺玉鳳院は、妙心寺発祥であり、開山の関山慧玄が立ったまま入寂された場所であったり、関山慧玄が埋葬され祀られている開山堂があったりして、妙心寺は神聖な場所として大切に守られてきたのが、今日、ここに来て改めて分かりました。撮影禁止にされているのが分かりますね。このあと、花園会館にある「花ごころ」に向かいました。

この記事へのコメント

2023年04月15日 12:17
この玉鳳院は、妙心寺発祥の地なんですね。
撮影禁止は残念ですが、狩野派の襖絵が
たくさん残っていたりして、さすが、
京の冬の旅・特別公開のコースに入ってる
だけの事はあると思いました。応仁の乱の直後の
再建ですか。よく京都では、「この間の戦争で焼失」
という時の戦争が、鳥羽伏見の戦いだったり、
応仁の乱だったりすると言われますが、
なるほどそうなんだと実感できた気がします。
2023年04月15日 20:46
今晩は。京の冬の旅が続きますねー。“ちょっと一服”の特典があるのはうれしいですね。玉鳳院の仏間の「竜図」、色あせが心配ですね。こちらでは、織田と武田の供養塔が仲良く保存されて歴史を感じますね。
2023年04月16日 21:13
妙心寺玉鳳院、こちらも趣あるいいところですね。
塀が続く石畳の道の数々に惹かれます。
応仁の乱の戦火を逃れた唐門なんて、本当に歴史ある門ですね。
ここは武田家との関係が深かったのですか。
京都にもそういうお寺があったわけですね。
更に、豊臣鶴松の御霊屋があるのですか。ひっそりと鎮座していますね。
鶴松が成人になっていたら、歴史が変わったでしょうね。
壬生里
2023年04月17日 16:01
yasuhikoさんへコメントありがとうございます。

玉鳳院は妙心寺発祥の地でもあり、神聖な空気がそこにはあります。撮影禁止にされているのも納得ですね。
ここに行けば、もう一つスタンプを貰えるので、行ったようなものです。ただ、久しぶりと、上段の間の近くまで行けると聞き、興味を引きました。( ^_^)
壬生里
2023年04月17日 16:03
ミクミティさんへコメントありがとうございます。

御霊屋に鶴松公の幼い木像が安置されています。秀吉には辛い日々だったでしょうね。
秀頼を溺愛したのも分かります。豊臣家が未来永劫を願ったのでしょう。
玉鳳院は、妙心寺発祥の地でもあり、神聖な雰囲気がありました。久しぶりに訪れましたが、来て見て良かったです。