旧嵯峨御所 大本山 大覚寺大沢池 満開の桜
大覚寺大沢池の畔には、ソメイヨシノが植わっていて、満開となると池の桜が写り込み、それは見事な光景となります。今年の京都は、24日に京都地方気象台から満開を発表されました。
京都地方気象台は24日、京都市内で桜(ソメイヨシノ)が満開になった、と発表されました。平年より11日早く、昨年よりも6日早い満開で1953年(昭和28年)の観測開始以降、最も早かったようです。これまで最も早く確認されたのは2021年(令和3年)3月26日でした。
3月29日(水)は、その大覚寺大沢池の満開の桜を見に行きました。この週の月曜日に天龍寺曹源池庭園の桜を、昨日は京都府立植物園の桜をと、3日連続の桜見です😊。
大覚寺は、明治の初めまで、代々天皇もしくは皇族や公家の方が住職を務めた格式高い門跡寺院です。
昨年、2022年(令和4年)は、4月5日に行ってます。その時は、開門の9時に合わせて来ましたが、10名ぐらいの人が並んでいました。その経験から、今年は15分前に行って見ようと思い、8時45分に着いてみとる、誰も並んでいません。そしたら、直ぐに2名の方が来られて・・・開門の9時には10名ぐらい並んでように思えました。
拝観受付所が始まる前の「大沢門」です。今年も見事な満開ですね。
8時56分に受付が始まり、大沢池のみの拝観料300円を納めます。そしてもいち早く門から入りました。今年も凄く綺麗です。
大沢池に映り込む桜が大変綺麗です。これを見るために、今年もやって来ました。
次に中門をくぐると、左手に「五大堂」が見えます。その前庭にある枝垂れ桜は遅咲きのため、咲き始めでした。
大沢池の西側からは太陽が正面に入るので逆光になります。ここから池の東側まで移動しながら桜を見ていきます。
ここ大覚寺大沢池は、第52代嵯峨天皇の離宮跡です。嵯峨天皇も、大沢池の桜を愛でられたことでしょう。花見の元祖は嵯峨天皇と言われ、812年(弘仁3年)に神泉苑で花見を行ったのが最初の記録として残っています。
私は、これから天神島に向かいます。後続の方も、好きな所へ行かれるので、ここはそんなに混まないです。
その前にビューポイントで止まります。「放生池」越しに「心経宝塔」を捉えました。桜が放生池に映り込んで綺麗です。
次に「護摩堂」の前を通ります。時代劇では、よく使われるスポットです。
次に「石仏群」の前を通ります。20基を超える如来や菩石仏石仏があって、古いものは平安時代後期の作と伝わります。
この朱塗りの橋を渡り、天神島に入ります。
ここから嵐山の山並みに桜が咲いているのが見えます。
菅原道真公を祀る天神島も桜が満開です。
この天神島(てんじんじま)には、嵯峨天皇が詠まれた漢詩「嵯峨天皇詠碑」が石碑に刻まれています。
与海公飲茶送帰山一首(空海と茶を飲みて山に帰るのを送る)
御製(ぎょせい)
道俗相分経数年(僧と俗人相別れて数年を経たり)
今秋晤語亦良縁(この秋打ち解け語り合えた事は良縁)
香茶酌罷日云暮(茶を入れては飲むのをやめ日暮れる)
稽首傷離望畑烟(頭を低くたれて別れを惜しみ帰って行く雲烟を眺める)
嵯峨天皇と弘法大師空海の仲の良さが分かります。神護寺に住む空海は、度々山を降り嵯峨天皇に会いに来たそうです。嵯峨天皇と弘法大師空海がお茶を楽しまれてて、空海が神護寺に帰るとき、嵯峨天皇が別れを惜しんで作られた漢詩だそうです。
天神島から、奥の「菊ケ島」と、手前「庭湖石」を見ています。ここから見ると大沢池周りの桜も満開ですね。
天神島から、次に向かう名勝「名古曽瀧跡」を見ています。こちらも桜が綺麗です。
天神島の出入りは、あの朱塗りの橋だけです。元に戻る前に御神木を撮りました。
これで天神島を出て行きました。入れ違いに、何組の方が天神島に入られましたね。
天神島を出て、「もみじロード」を歩きます。秋の紅葉が綺麗・・・と言いたいところ、そんなでもないです。
名勝「名古曽瀧跡」に着きました。この滝跡は、離宮嵯峨院の滝殿庭園に設けられたもので、「今昔物語」では百済河成が作庭したものと伝わり、水は早くから枯れ、石組みだけが残ったようです。
私が見たところ、ここまで来られる方は、この時間では無かったように思います。次は大沢池の東を歩きます。
これから大沢池の東を歩きますが、その前に「菊ケ島」と、その奥の「天神島」、さらにずっと奥の嵐山を見ています。
大沢池の東側を、満開の桜を愛でながら、ゆっくり散策しました。何組かの人には抜かれましたが😊。ここを抜けると大沢門の拝観受付所の横に出て来ます。
大沢門から出て行かず、再び奥に進みます。「心経宝塔」エリアの桜をまだ見てないから行ってみます。
この「心経宝塔」エリアの桜も綺麗で、見て回ります。
「聖天堂」と満開の桜です。このエリアは、この時間でも人は少ないです。
次に「大日堂」と満開の桜です。
左から、「大日堂」、「聖天堂」、「心経宝塔」と満開の桜です。
最後に、「心経宝塔」と桜をセットに撮って、このエリアを出ました。
9時35分に出口の大沢門に向かいって歩いています。この時間には入って来られる方が少なかったです。
最後に茶室「望雲亭」(通常非公開)に寄りました、ここの紅枝垂れ桜が綺麗でした。この茶室の名前の由来を聞きました。
この名の由来は、嵯峨天皇と弘法大師空海がお茶を楽しまれてて、空海が神護寺に帰るとき、嵯峨天皇が別れを惜しんで詠まれた漢詩が先程、天神島の石碑で見ました。その漢詩に由来しているようです。
9時40分に大沢門を出ました。今日はお堂エリアには入りません。
こたらがお堂エリアの入口です。車やバスで来られて方は、この前を通るので、お堂エリアの方に行かれます。
天龍寺に比べたら随分空いているように思います。ただ、普段よりは格段に多いのは間違いないですね。今日は、ここだけで帰りました。
4月14日(金)に大沢池に行き、切り絵御朱印をいただきました。大覚寺では14日(金)から16日(日)まで華道祭されてました。
この日は拝観しませんでしたが、年に2回しか行われない大沢池の「龍頭鷁首舟」を勧められましたが帰りました。また、平安絵巻さながらの献華式やお茶席も、されてましたね。
京都地方気象台は24日、京都市内で桜(ソメイヨシノ)が満開になった、と発表されました。平年より11日早く、昨年よりも6日早い満開で1953年(昭和28年)の観測開始以降、最も早かったようです。これまで最も早く確認されたのは2021年(令和3年)3月26日でした。
3月29日(水)は、その大覚寺大沢池の満開の桜を見に行きました。この週の月曜日に天龍寺曹源池庭園の桜を、昨日は京都府立植物園の桜をと、3日連続の桜見です😊。
大覚寺は、明治の初めまで、代々天皇もしくは皇族や公家の方が住職を務めた格式高い門跡寺院です。
昨年、2022年(令和4年)は、4月5日に行ってます。その時は、開門の9時に合わせて来ましたが、10名ぐらいの人が並んでいました。その経験から、今年は15分前に行って見ようと思い、8時45分に着いてみとる、誰も並んでいません。そしたら、直ぐに2名の方が来られて・・・開門の9時には10名ぐらい並んでように思えました。
拝観受付所が始まる前の「大沢門」です。今年も見事な満開ですね。
8時56分に受付が始まり、大沢池のみの拝観料300円を納めます。そしてもいち早く門から入りました。今年も凄く綺麗です。
大沢池に映り込む桜が大変綺麗です。これを見るために、今年もやって来ました。
次に中門をくぐると、左手に「五大堂」が見えます。その前庭にある枝垂れ桜は遅咲きのため、咲き始めでした。
大沢池の西側からは太陽が正面に入るので逆光になります。ここから池の東側まで移動しながら桜を見ていきます。
ここ大覚寺大沢池は、第52代嵯峨天皇の離宮跡です。嵯峨天皇も、大沢池の桜を愛でられたことでしょう。花見の元祖は嵯峨天皇と言われ、812年(弘仁3年)に神泉苑で花見を行ったのが最初の記録として残っています。
私は、これから天神島に向かいます。後続の方も、好きな所へ行かれるので、ここはそんなに混まないです。
その前にビューポイントで止まります。「放生池」越しに「心経宝塔」を捉えました。桜が放生池に映り込んで綺麗です。
次に「護摩堂」の前を通ります。時代劇では、よく使われるスポットです。
次に「石仏群」の前を通ります。20基を超える如来や菩石仏石仏があって、古いものは平安時代後期の作と伝わります。
この朱塗りの橋を渡り、天神島に入ります。
ここから嵐山の山並みに桜が咲いているのが見えます。
菅原道真公を祀る天神島も桜が満開です。
この天神島(てんじんじま)には、嵯峨天皇が詠まれた漢詩「嵯峨天皇詠碑」が石碑に刻まれています。
与海公飲茶送帰山一首(空海と茶を飲みて山に帰るのを送る)
御製(ぎょせい)
道俗相分経数年(僧と俗人相別れて数年を経たり)
今秋晤語亦良縁(この秋打ち解け語り合えた事は良縁)
香茶酌罷日云暮(茶を入れては飲むのをやめ日暮れる)
稽首傷離望畑烟(頭を低くたれて別れを惜しみ帰って行く雲烟を眺める)
嵯峨天皇と弘法大師空海の仲の良さが分かります。神護寺に住む空海は、度々山を降り嵯峨天皇に会いに来たそうです。嵯峨天皇と弘法大師空海がお茶を楽しまれてて、空海が神護寺に帰るとき、嵯峨天皇が別れを惜しんで作られた漢詩だそうです。
天神島から、奥の「菊ケ島」と、手前「庭湖石」を見ています。ここから見ると大沢池周りの桜も満開ですね。
天神島から、次に向かう名勝「名古曽瀧跡」を見ています。こちらも桜が綺麗です。
天神島の出入りは、あの朱塗りの橋だけです。元に戻る前に御神木を撮りました。
これで天神島を出て行きました。入れ違いに、何組の方が天神島に入られましたね。
天神島を出て、「もみじロード」を歩きます。秋の紅葉が綺麗・・・と言いたいところ、そんなでもないです。
名勝「名古曽瀧跡」に着きました。この滝跡は、離宮嵯峨院の滝殿庭園に設けられたもので、「今昔物語」では百済河成が作庭したものと伝わり、水は早くから枯れ、石組みだけが残ったようです。
私が見たところ、ここまで来られる方は、この時間では無かったように思います。次は大沢池の東を歩きます。
これから大沢池の東を歩きますが、その前に「菊ケ島」と、その奥の「天神島」、さらにずっと奥の嵐山を見ています。
大沢池の東側を、満開の桜を愛でながら、ゆっくり散策しました。何組かの人には抜かれましたが😊。ここを抜けると大沢門の拝観受付所の横に出て来ます。
大沢門から出て行かず、再び奥に進みます。「心経宝塔」エリアの桜をまだ見てないから行ってみます。
この「心経宝塔」エリアの桜も綺麗で、見て回ります。
「聖天堂」と満開の桜です。このエリアは、この時間でも人は少ないです。
次に「大日堂」と満開の桜です。
左から、「大日堂」、「聖天堂」、「心経宝塔」と満開の桜です。
最後に、「心経宝塔」と桜をセットに撮って、このエリアを出ました。
9時35分に出口の大沢門に向かいって歩いています。この時間には入って来られる方が少なかったです。
最後に茶室「望雲亭」(通常非公開)に寄りました、ここの紅枝垂れ桜が綺麗でした。この茶室の名前の由来を聞きました。
この名の由来は、嵯峨天皇と弘法大師空海がお茶を楽しまれてて、空海が神護寺に帰るとき、嵯峨天皇が別れを惜しんで詠まれた漢詩が先程、天神島の石碑で見ました。その漢詩に由来しているようです。
9時40分に大沢門を出ました。今日はお堂エリアには入りません。
こたらがお堂エリアの入口です。車やバスで来られて方は、この前を通るので、お堂エリアの方に行かれます。
天龍寺に比べたら随分空いているように思います。ただ、普段よりは格段に多いのは間違いないですね。今日は、ここだけで帰りました。
4月14日(金)に大沢池に行き、切り絵御朱印をいただきました。大覚寺では14日(金)から16日(日)まで華道祭されてました。
この日は拝観しませんでしたが、年に2回しか行われない大沢池の「龍頭鷁首舟」を勧められましたが帰りました。また、平安絵巻さながらの献華式やお茶席も、されてましたね。
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