臨済宗妙心派塔頭 ​養徳院 4月の月例直書き御朱印授与へ

4月2日(日)は桜を離れて、臨済宗妙心派塔頭 ​養徳院の「4月の月例直書き御朱印授与」に行きました。

妙心寺では、この日には退蔵院の枝垂れ桜が満開となってました。ただ日曜日だし、多くの花見客が来ていると思われるので、そちらには行きません。2020年(令和2年)4月6日には見事な満開を見ているのでね。

IMG_3436.jpg妙心寺の第二駐車場に車を止め、石畳の参道を歩いて行きます。ここには46もの塔頭寺院があり、その寺院に咲いている桜を見ていきます。

IMG_3437.jpgIMG_3438.jpgIMG_3439.jpgただ、外から見ると、そんなに桜は咲いてないです。ゆっくりゆっくり歩いていき養徳院に着きました。

IMG_3446.jpgIMG_3447.jpg8時57分に「山門」前に着きました。ここ最近は、9時過ぎに来ていたので、珍しい時間前です。

IMG_3445.jpg先客は1組だけ。着いて暫くしたら開門となりました。番号札は2番。待っている間に、境内を散策です。

IMG_3441.jpgIMG_3448.jpgIMG_3463.jpgIMG_3461.jpg2023年(令和5年)3月5日に来た時より、本堂再建工事は進んだように思います。

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本堂が工事中のため、ご本尊に手を合わすことができないので、この石仏「四方佛」に手を合わせます。

IMG_3451.jpgIMG_3452.jpgIMG_3453.jpgIMG_3454.jpgIMG_3455.jpgいつものように、「帯流庭」だけは見ます。本当は、もう見る所もないけどね😊。

IMG_3456.jpgIMG_3459.jpgIMG_3460.jpgIMG_3464.jpgプレハブの納経所?に戻って暫くしたら御朱印が出来ました。

EPSON090.jpgいつものように、意味はHPからの抜粋から「看白象忍辱(見よ白象の忍辱)」。

このようなお話があります。「ある国の王妃が、六牙の白象の夢を見た。王妃は、その象牙をぜひ自分のものにしたいと思い、王にその牙を手に入れたいと願った。王妃を愛する王は、この無理な願いを退けることができず、このような象を知る者があれば届け出よ、と賞金をつけて国中に触れを出した。その象はあるときひとりの猟師を危難から救ってやった。ようやく国へ帰ることのできたこの猟師は、この触れを見、賞金に眼がくらみ、恩を忘れて、六牙の象を殺そうと山へ向い毒矢を象に放った。激しい毒矢に射られて死期の近いことを知った象は、猟師の罪をとがめようともせずに、かえってその煩悩の過ちを哀れみ、猟師をその四つの足の間に入れて、報復しようとする大勢の仲間の象から守り、さらに、猟師がこの危険をおかすに至ったわけを尋ねて、彼が六つの牙を求めるためであることを知り、自ら牙を大木に打ちつけて折り、彼にこれを与えた。象は、「この布施行によって仏道修行を成就した。わたしは仏の国に生まれるであろう。やがて仏と成ったら、まず、あなたの心の中にある貪り・瞋り・愚かさという三つの毒矢を抜き去るであろう。」と誓った。深い慈しみの心です、中々真似できることではありません。ですが我々の自分勝手な見解で他を縛るような考え方を捨て、俯瞰して物事を見定める心を養えば少しは六牙の白象に近づくことが出来るのではないでしょうか。耐え忍ぶ心が大切です。

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逢花打花(花に逢えば花をたす)」。

「花に逢えば花を打し、月に逢えば月を打す」という言葉がございます。打すとは向き合うという意味です。「花より団子」花見に来たつもりが気が付けば酒と肴に執心しておりませんか?楽しい花見ではもしかするとそのような姿こそが花見と向き合って一つになっているのかもしれません。 花や月を眺めて愛でるのならばとことん向き合って愛でるべきであるというこの言葉、愚直なまでの向き合う姿勢が大切です。坐禅をする時に「静かで厳かな雰囲気のお寺が一番集中できます。」とおっしゃってくれる方がおられます。準備をして迎え入れる我々に嬉しい一言ですが、本来坐禅をするのに最適な場所などありません。自分が坐りたいを思えばそこが坐る場所なのです。例え工事の音や騒音が取り巻く環境であっても思えばそこが坐る場所なのです。 型や作法に込められた心に触れることも「花逢花打」の一つなのです。

IMG_3443.jpgIMG_3444.jpgIMG_3442.jpg9時15分頃に、ここを出て行きました。桜が満開の日曜日です。桜の観光地は大変多くの人が来ているでしょう。今日は、これだけで帰りました。

駐車場に戻る前に、退蔵院に寄ってみました。多くの方が入って行かれます。外から見ると綺麗に咲いてましたが、入りません。前途したとおり、今日は、ここだけで帰りました。

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