広沢山 遍照寺の満開の藤
広沢山 遍照寺さんのTwitterで、4月13日(木)に境内の藤が満開だと発信されました。私は4月14日(金)は通院日で、診察と薬を貰ったあと、そのクリニックから広沢池近くにある遍照寺に向かいました。
4月12日(水)は、寒冷前線が通過したあと、2021年(令和3年)5月以来の黄砂がやって来ました。京都では15時頃に視程(水平の見通し距離)が7㌔と、見通しがやや悪くなりました。この黄砂は13日(木)も続き、14日(金)朝に、通院のため出掛ける時に家から比叡山を見ると霞んでいました。まだ黄砂は去っていないようで、東山の山並みも霞んでましたね。
遍照寺は、2017年(平成29年)4月29日に「平成29年度 春季 京都非公開文化財特別公開」で、護摩堂の奥にある収蔵庫に入り、「十一面観音菩薩像」(平安時代) 、「赤不動明王坐像」(平安時代)、「聖観音立像」(平安時代末期)、「地蔵菩薩像半跏像」鎌倉時代)、「不動明王立像」(鎌倉時代)、「大黒天像」を見せて貰いました。多分、それ以来でしょう、ここに来たのは。
駐車場の入口です。「藤開花」の文字が。ここの副住職さんのTwitterで満開は確認しています。
そして反対側の看板には「春期大祭」の文字が。4月29日(土)13時からと書いてあります。多分、私は行かないです。
藤の花を目当てに来る人は、ここから入られます。私もそうでした。そして、目の前の見事な藤の花を見ることとなります。
私の前に歩いてた人も、ここに入られました。そして皆さん同じでしょうけど写真です。
ここの藤の花を見に来るのは初めてです。それにしても見事な満開で、藤の甘い香りに誘われてクマバチが来てました。
ここのは藤棚で咲かせてないので、見上げなくて良いです。
今日は、止まってませんが、駐車場の奥にも藤が咲いてました。ただ日当たりの影響でしょうか、花色がイマイチです。
せっかく、ここまで来たので境内を巡ります。
近くの「客殿」から見て行きます。こちらには「平成29年度 春季 京都非公開文化財特別公開」で入りました。
次に「護摩堂(本堂)」でお参りしました。この奥に収蔵庫があります。こちらも「平成29年度 春季 京都非公開文化財特別公開」で入りました。
護摩堂から見て右手に「寺務所」があって、ここで御朱印貰えます。ただ、いつも在宅かどうか分かりませんが。
山門までの間には、もう牡丹が咲いています。牡丹も大型連休ぐらいですね見頃は・・・。
こちらが正門の「山門」ですね。
遍照寺は、広澤山(ひろさわざん)と号する真言宗御室派の準別格本山である。平安時代中期の989年(永延3年)第59代宇多(うだ)天皇の孫にあたる、寛朝(かんぢょう)僧正が円融上皇(第64円融天皇)の御願により広沢池北方の遍照寺山麓に創建したものである。醍醐寺を中心とする小野流では庶民出身僧侶の活躍が目立ったが、仁和寺を中心とする広沢流は名門貴族出身者が多く、遍照寺はその根本道場とし名声を高めた。かつて、創建当時は、広沢池の湖畔に多宝塔、釣殿等の他、数々の堂宇が並ぶ広大な寺院でしたが、14世紀の第91代後宇多(ごうだ)天皇の頃から次第に衰退。応仁の乱で荒廃した。1633年(寛永10年)仁和寺門跡の内意により、奇跡的に難を逃れた赤不動明王と十一面観音、寛朝画像などを池裏の草堂に移して遍照寺の名跡を伝えた。1830年(文政13年)舜乗律師(しゅんじょうりっし)により復興され、昭和になって収蔵庫、護摩堂を建立。1997年(平成9年)には客殿、庫裡が新たに建ち現在の姿となった。
最後に、もう一度、綺麗な藤の花を見て出て行きました。
遍照寺の藤の花綺麗でした。これからもTwitterで、京都の開花情報のアンテナを張って置かないとね😊。遍照寺の藤の事は、まったく知らなかったので😊。
4月12日(水)は、寒冷前線が通過したあと、2021年(令和3年)5月以来の黄砂がやって来ました。京都では15時頃に視程(水平の見通し距離)が7㌔と、見通しがやや悪くなりました。この黄砂は13日(木)も続き、14日(金)朝に、通院のため出掛ける時に家から比叡山を見ると霞んでいました。まだ黄砂は去っていないようで、東山の山並みも霞んでましたね。
遍照寺は、2017年(平成29年)4月29日に「平成29年度 春季 京都非公開文化財特別公開」で、護摩堂の奥にある収蔵庫に入り、「十一面観音菩薩像」(平安時代) 、「赤不動明王坐像」(平安時代)、「聖観音立像」(平安時代末期)、「地蔵菩薩像半跏像」鎌倉時代)、「不動明王立像」(鎌倉時代)、「大黒天像」を見せて貰いました。多分、それ以来でしょう、ここに来たのは。
駐車場の入口です。「藤開花」の文字が。ここの副住職さんのTwitterで満開は確認しています。
そして反対側の看板には「春期大祭」の文字が。4月29日(土)13時からと書いてあります。多分、私は行かないです。
藤の花を目当てに来る人は、ここから入られます。私もそうでした。そして、目の前の見事な藤の花を見ることとなります。
私の前に歩いてた人も、ここに入られました。そして皆さん同じでしょうけど写真です。
ここの藤の花を見に来るのは初めてです。それにしても見事な満開で、藤の甘い香りに誘われてクマバチが来てました。
ここのは藤棚で咲かせてないので、見上げなくて良いです。
今日は、止まってませんが、駐車場の奥にも藤が咲いてました。ただ日当たりの影響でしょうか、花色がイマイチです。
せっかく、ここまで来たので境内を巡ります。
近くの「客殿」から見て行きます。こちらには「平成29年度 春季 京都非公開文化財特別公開」で入りました。
次に「護摩堂(本堂)」でお参りしました。この奥に収蔵庫があります。こちらも「平成29年度 春季 京都非公開文化財特別公開」で入りました。
護摩堂から見て右手に「寺務所」があって、ここで御朱印貰えます。ただ、いつも在宅かどうか分かりませんが。
山門までの間には、もう牡丹が咲いています。牡丹も大型連休ぐらいですね見頃は・・・。
こちらが正門の「山門」ですね。
遍照寺は、広澤山(ひろさわざん)と号する真言宗御室派の準別格本山である。平安時代中期の989年(永延3年)第59代宇多(うだ)天皇の孫にあたる、寛朝(かんぢょう)僧正が円融上皇(第64円融天皇)の御願により広沢池北方の遍照寺山麓に創建したものである。醍醐寺を中心とする小野流では庶民出身僧侶の活躍が目立ったが、仁和寺を中心とする広沢流は名門貴族出身者が多く、遍照寺はその根本道場とし名声を高めた。かつて、創建当時は、広沢池の湖畔に多宝塔、釣殿等の他、数々の堂宇が並ぶ広大な寺院でしたが、14世紀の第91代後宇多(ごうだ)天皇の頃から次第に衰退。応仁の乱で荒廃した。1633年(寛永10年)仁和寺門跡の内意により、奇跡的に難を逃れた赤不動明王と十一面観音、寛朝画像などを池裏の草堂に移して遍照寺の名跡を伝えた。1830年(文政13年)舜乗律師(しゅんじょうりっし)により復興され、昭和になって収蔵庫、護摩堂を建立。1997年(平成9年)には客殿、庫裡が新たに建ち現在の姿となった。
最後に、もう一度、綺麗な藤の花を見て出て行きました。
遍照寺の藤の花綺麗でした。これからもTwitterで、京都の開花情報のアンテナを張って置かないとね😊。遍照寺の藤の事は、まったく知らなかったので😊。
この記事へのコメント
全くしりませんでした。
普通の藤棚ではない、独特の咲かせ方が非常に印象的。
満開の房が幾つも壁から飛び出るようで魅力的ですね。
背景の木造の家との組み合わせもいい味を出しています。
私も、遍照寺の藤の花は知りませんでした。Twitterさまさまですね。
これだけ咲いていると、遠くからも甘い香りが漂い気持ち良かったです。しかし、蜂が多いのも困ったものです。