「2023年春の特別公開(自分供養・お茶席付き)」慈受院門跡へ
この日、9時30分から予約していたのは、通常非公開の慈受院門跡でした。私は、2019年(平成31年)4月28日に「平成31年度 春期京都非公開文化財特別公開」で、一度入ったことがあります。
いつから詳しい事は知りませんが、ここ最近、寺独自で特別公開を始められました。今回の公開は、「2023年春の特別公開(自分供養・お茶席付き」で、3月21日(火・祝)~6月11日(日)まで特別公開されています。ただ拝観料が5000円と、少し高額ですね。
ここの特別拝観については、昨年から知ってました。ただ、拝観料5000円がネックになって、そのうちに忘れていたところ、4月18日(火)の NHK京都「ニュース630 京いちにち」で、気象予報士の栗原めぐみさんが慈受院門跡から生中継されたのを、たまたま見たからです。雨が降る庭にキリシマツツジが満開の花を咲かせてました。それで、昨年断念したことを想いだして、予約を入れた訳です。本当は24日(月)に行きたかったけど、月曜日は拝観されていないので、考慮した結果、28日(金)9時30分を予約させて貰いました。ただ、キリシマツツジは散ってるのは分かっていたけど、躑躅は見頃かもと思ったわけです。さて結果は?。
本法寺を出て、堀川通りを少しだけ下がったところに慈受院門跡の入口があって、9時19分に着きました。
「山門」は通用門が開いてます。着くとすぐに呼鈴を押して、予約している旨を告げると、「玄関まで入ってください」と言われ進みました。
慈受院門跡(薄雲御所)は、山号を広徳山、御所号を薄雲御所といいます。1428年(正長元年)、室町幕府第4代将軍・足利義持(よしもち)の正室である日野栄子(ひのえいし)が皇室代々の菩提を弔うために創建したと伝えられます。慈受院という寺名は日野栄子の戒名である「慈受院淨賢竹庭尼大禪師」に由来します。以後、第111代後西天皇(ごさいてんのう)の皇女瑞光内親王瑞光内親王、伏見宮息女が入山すねなど代々宮家(王女・皇女)、将軍足利家・近衛家(摂関家)・花山家から交互に住持が入っていた門跡寺院として法灯を今に伝わります。慈受院の旧地は、王朝貴族の代表的な人物で栄華を誇った藤原道長が建立した法成寺の跡地でした。このお寺は極楽浄土をこの世に再現したといわれ、藤原道長の故地であることから源氏物語のゆかりの地と遺っています。また『源氏物語』第十九帖「薄雲」では、光源氏が亡くなった藤壷中宮への哀悼として「入日さす 峰にたなびく 薄雲は もの思ふ袖に 色やまがへる」と歌われています。応仁の乱(1467年~1477年)や1708年(宝永5年)の大火によって焼失し移転を重ねましたが、1919年(大正8年)に同じく日野栄子が開基の総持院を併合して、現在地に再興されました。1538年(天正11年)には、伏見宮息女が入山するなど近衛家・花山家から交互に住持が入っていた比丘尼御所(びくにごしょ)であり、今も皇室ゆかりの調度品など数多く残されています。その中には後水尾天皇の念持仏である阿弥陀如来像や和歌懐紙など、天皇家ゆかりの品々が寺宝として伝わっています。
通用門を入った所です。2019年(平成31年)4月28日以来、4年振りに門を入りました。玄関前には金木犀が植えられています。
9時20分でしたが受付して貰いました。ここで拝観料を納め、今日の拝観について説明を靴を履いたまま受けます。ここから上がらなかったのは理由があって?。
こちらは外から見た「毘沙門堂」です。特別公開では、ここの堂内に最初に入る訳です。
案内により、ここが最初の拝観となります。特にガイドさんは居ないので、自分のペースで見られるのが良いですね。写真撮影については、仏像と寺宝についてはNGです。
先の平成31年度 春期京都非公開文化財特別公開の時には非公開だったお堂に初めて入りました。
お堂の中央に第107代後陽成天皇(ごようぜいてんのう)から下賜された毘沙門天王立像が祀られています。金運・勝負運の神様の毘沙門天(父)と、右手に美と幸運の神様である吉祥天立像(母)、左手には学問の神様である善膩師童子(ぜんにしどうじ)立像(子)の親子が揃って祀られているのは珍しいとのことです。
ここを出る時に気づいたことで、お厨子の右手に小さな洞があって、そこにも小さな仏像が祀られていました。このあと、ここを出て、いよいよお堂に入ります。
ここには90分~120分は滞在可能だと聞きました。30分毎に1組しか予約を入れられないので、本当に静かにゆっくり拝観できます。最初は「茶室」から。
この茶室では「火灯窓」があって、外に咲いている小手鞠の花が綺麗に見えてました。
反対側から出てみると「梅渓」の扁額が架かってました。ここちは「茶室 梅渓」なんですね。
再び玄関に戻って、こちらに展示しある寺宝について案内を受けます。2019年(平成31年)4月28日の「春期 京都非公開文化財 特別公開」で見たような・・・?。寺宝は写真NGです。
こちらは「誓願成の間」で、最後に散華をここに下げて帰ります。この窓は「目覚めの窓」と案内を受けました。
次に「本堂」に移動しました。ここではご本尊の釈迦如来像にお参りです。
寺宝は、以前の公開でも見たことがある(殆ど覚えていない)藤原鎌足の一代記である「大職冠絵巻」に興味をひきました。それと、江戸時代前期の相国寺派の高僧が書かれた「釈迦涅槃図」など一つ一つ案内して貰い、ここでは写経をします。
写経があるのが分かっていたので、自宅にある書きやすい筆ペンを持参してきました。ただ老眼鏡を持ってくるのを忘れました😂。
写経は「懺悔文(さんげもん)」と「七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)」の短い写経をしますが、細かい字が見えませんでした・・・。
書き終わると、写経用紙のみ本堂前に納めます。下手な字で恥ずかしい限りですね。このあと庭の案内を受けました。
ここの縁側に腰を下ろしてゆっくりと「慈しみの庭」を眺めました。少人数での拝観のためゆっくり見られて良かったです。
樹齢数百年の御神木であるクスノキの大木と、その横には豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が座ったとされる出世石があります。
庭園の片隅には「白蛇弁財天」が祀られています。ここの門主は一生に一度、白蛇弁財天様の化身に出会うとされており、現在の門主も出会われたとか。
次に「謁見の間」へ移動しました。ここは門主(門跡)がお客様をお出迎えするお部屋です。
ここでの寺宝は掛け軸で、「維摩居士像(ゆいまこじぞう)」(狩野探幽筆)で、今回初公開だそうです。お釈迦様の在家弟子であった維摩居士(ゆいまこじを描いた作品でした。
次に、お菓子をいただけると言うことで書院を案内されました。
その前に、アヤメが咲いている「謁見の間」から見た「山野草の庭」を見ました。今日、咲いている花はアヤメだけでした。
この渡り廊下を通って「書院」に入ります。
書院には、2019年(平成31年)4月28日の「春期 京都非公開文化財 特別公開」でも入りました。この時は、豊臣秀頼公の産湯の道具とされる桶と水差しが展示されてましたね。
書院に入る前に「謁見の間」を撮りました。今日は天気が良かったです。
書院に入ると、直ぐにお菓子を持って来られました。お菓子は楽しみにしてましたね。
お菓子は、老舗の老松さん特製「白蛇の松」と聞きました。もちろん美味しかったです。
お抹茶は、本格的なお点前でした。緊張しましたが、「気にせずに」と言われ、遠慮なしにいただいた次第です。
お土産に書き置きの御朱印を貰えます。「天上天下 唯我独尊」と書いてありました。また、最後に散華に「自分供養」を書きます。
お番茶も、ここでいただきました。希望を言えば何処でもいただけるそうです。膝が良く無いので、椅子で良かったです。
ここの奥には授与所(売店)があります。聞くと、他にも書き置きの御朱印があるようなので見に行きました。そして、いただいたのが以下の御朱印です。
毘沙門堂のご本尊の毘沙門天と、この慈受院のご本尊の釈迦如来でした。このあと、自分供養の散華を掛けて10時8分に出ました。
10時拝観予約の方も1名来られたので、出て行ったわけです。玄関を出て「慈しみの庭」を撮ってみました。
正面に見えているのが「加藤清正の松」です。朝鮮出兵の際に加藤清正が持ち帰った松球(松ぼっくり)を秀吉に献上し、秀吉が慈受院に納めり尼君がが庭に蒔いたものとされ、成長して松の実ができると天皇へ献上して食されたと伝わるものです。現在のは2代目だそうです。
外から見た「目覚めの窓」です。秋には紅葉が綺麗でしょうね。
10時10分に、ここを出ました。
この日は所用があって、四条大宮に行く必要があったので、バスよりタクシーを選択しました。市バスでは直通がないのでGOタクシーを呼んだところ、直ぐにきたので、余裕で間に合いました。今日は、そこから嵐電に乗って帰りました。
いつから詳しい事は知りませんが、ここ最近、寺独自で特別公開を始められました。今回の公開は、「2023年春の特別公開(自分供養・お茶席付き」で、3月21日(火・祝)~6月11日(日)まで特別公開されています。ただ拝観料が5000円と、少し高額ですね。
ここの特別拝観については、昨年から知ってました。ただ、拝観料5000円がネックになって、そのうちに忘れていたところ、4月18日(火)の NHK京都「ニュース630 京いちにち」で、気象予報士の栗原めぐみさんが慈受院門跡から生中継されたのを、たまたま見たからです。雨が降る庭にキリシマツツジが満開の花を咲かせてました。それで、昨年断念したことを想いだして、予約を入れた訳です。本当は24日(月)に行きたかったけど、月曜日は拝観されていないので、考慮した結果、28日(金)9時30分を予約させて貰いました。ただ、キリシマツツジは散ってるのは分かっていたけど、躑躅は見頃かもと思ったわけです。さて結果は?。
本法寺を出て、堀川通りを少しだけ下がったところに慈受院門跡の入口があって、9時19分に着きました。
「山門」は通用門が開いてます。着くとすぐに呼鈴を押して、予約している旨を告げると、「玄関まで入ってください」と言われ進みました。
慈受院門跡(薄雲御所)は、山号を広徳山、御所号を薄雲御所といいます。1428年(正長元年)、室町幕府第4代将軍・足利義持(よしもち)の正室である日野栄子(ひのえいし)が皇室代々の菩提を弔うために創建したと伝えられます。慈受院という寺名は日野栄子の戒名である「慈受院淨賢竹庭尼大禪師」に由来します。以後、第111代後西天皇(ごさいてんのう)の皇女瑞光内親王瑞光内親王、伏見宮息女が入山すねなど代々宮家(王女・皇女)、将軍足利家・近衛家(摂関家)・花山家から交互に住持が入っていた門跡寺院として法灯を今に伝わります。慈受院の旧地は、王朝貴族の代表的な人物で栄華を誇った藤原道長が建立した法成寺の跡地でした。このお寺は極楽浄土をこの世に再現したといわれ、藤原道長の故地であることから源氏物語のゆかりの地と遺っています。また『源氏物語』第十九帖「薄雲」では、光源氏が亡くなった藤壷中宮への哀悼として「入日さす 峰にたなびく 薄雲は もの思ふ袖に 色やまがへる」と歌われています。応仁の乱(1467年~1477年)や1708年(宝永5年)の大火によって焼失し移転を重ねましたが、1919年(大正8年)に同じく日野栄子が開基の総持院を併合して、現在地に再興されました。1538年(天正11年)には、伏見宮息女が入山するなど近衛家・花山家から交互に住持が入っていた比丘尼御所(びくにごしょ)であり、今も皇室ゆかりの調度品など数多く残されています。その中には後水尾天皇の念持仏である阿弥陀如来像や和歌懐紙など、天皇家ゆかりの品々が寺宝として伝わっています。
通用門を入った所です。2019年(平成31年)4月28日以来、4年振りに門を入りました。玄関前には金木犀が植えられています。
9時20分でしたが受付して貰いました。ここで拝観料を納め、今日の拝観について説明を靴を履いたまま受けます。ここから上がらなかったのは理由があって?。
こちらは外から見た「毘沙門堂」です。特別公開では、ここの堂内に最初に入る訳です。
案内により、ここが最初の拝観となります。特にガイドさんは居ないので、自分のペースで見られるのが良いですね。写真撮影については、仏像と寺宝についてはNGです。
先の平成31年度 春期京都非公開文化財特別公開の時には非公開だったお堂に初めて入りました。
お堂の中央に第107代後陽成天皇(ごようぜいてんのう)から下賜された毘沙門天王立像が祀られています。金運・勝負運の神様の毘沙門天(父)と、右手に美と幸運の神様である吉祥天立像(母)、左手には学問の神様である善膩師童子(ぜんにしどうじ)立像(子)の親子が揃って祀られているのは珍しいとのことです。
ここを出る時に気づいたことで、お厨子の右手に小さな洞があって、そこにも小さな仏像が祀られていました。このあと、ここを出て、いよいよお堂に入ります。
ここには90分~120分は滞在可能だと聞きました。30分毎に1組しか予約を入れられないので、本当に静かにゆっくり拝観できます。最初は「茶室」から。
この茶室では「火灯窓」があって、外に咲いている小手鞠の花が綺麗に見えてました。
反対側から出てみると「梅渓」の扁額が架かってました。ここちは「茶室 梅渓」なんですね。
再び玄関に戻って、こちらに展示しある寺宝について案内を受けます。2019年(平成31年)4月28日の「春期 京都非公開文化財 特別公開」で見たような・・・?。寺宝は写真NGです。
こちらは「誓願成の間」で、最後に散華をここに下げて帰ります。この窓は「目覚めの窓」と案内を受けました。
次に「本堂」に移動しました。ここではご本尊の釈迦如来像にお参りです。
寺宝は、以前の公開でも見たことがある(殆ど覚えていない)藤原鎌足の一代記である「大職冠絵巻」に興味をひきました。それと、江戸時代前期の相国寺派の高僧が書かれた「釈迦涅槃図」など一つ一つ案内して貰い、ここでは写経をします。
写経があるのが分かっていたので、自宅にある書きやすい筆ペンを持参してきました。ただ老眼鏡を持ってくるのを忘れました😂。
写経は「懺悔文(さんげもん)」と「七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)」の短い写経をしますが、細かい字が見えませんでした・・・。
書き終わると、写経用紙のみ本堂前に納めます。下手な字で恥ずかしい限りですね。このあと庭の案内を受けました。
ここの縁側に腰を下ろしてゆっくりと「慈しみの庭」を眺めました。少人数での拝観のためゆっくり見られて良かったです。
樹齢数百年の御神木であるクスノキの大木と、その横には豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が座ったとされる出世石があります。
庭園の片隅には「白蛇弁財天」が祀られています。ここの門主は一生に一度、白蛇弁財天様の化身に出会うとされており、現在の門主も出会われたとか。
次に「謁見の間」へ移動しました。ここは門主(門跡)がお客様をお出迎えするお部屋です。
ここでの寺宝は掛け軸で、「維摩居士像(ゆいまこじぞう)」(狩野探幽筆)で、今回初公開だそうです。お釈迦様の在家弟子であった維摩居士(ゆいまこじを描いた作品でした。
次に、お菓子をいただけると言うことで書院を案内されました。
その前に、アヤメが咲いている「謁見の間」から見た「山野草の庭」を見ました。今日、咲いている花はアヤメだけでした。
この渡り廊下を通って「書院」に入ります。
書院には、2019年(平成31年)4月28日の「春期 京都非公開文化財 特別公開」でも入りました。この時は、豊臣秀頼公の産湯の道具とされる桶と水差しが展示されてましたね。
書院に入る前に「謁見の間」を撮りました。今日は天気が良かったです。
書院に入ると、直ぐにお菓子を持って来られました。お菓子は楽しみにしてましたね。
お菓子は、老舗の老松さん特製「白蛇の松」と聞きました。もちろん美味しかったです。
お抹茶は、本格的なお点前でした。緊張しましたが、「気にせずに」と言われ、遠慮なしにいただいた次第です。
お土産に書き置きの御朱印を貰えます。「天上天下 唯我独尊」と書いてありました。また、最後に散華に「自分供養」を書きます。
お番茶も、ここでいただきました。希望を言えば何処でもいただけるそうです。膝が良く無いので、椅子で良かったです。
ここの奥には授与所(売店)があります。聞くと、他にも書き置きの御朱印があるようなので見に行きました。そして、いただいたのが以下の御朱印です。
毘沙門堂のご本尊の毘沙門天と、この慈受院のご本尊の釈迦如来でした。このあと、自分供養の散華を掛けて10時8分に出ました。
10時拝観予約の方も1名来られたので、出て行ったわけです。玄関を出て「慈しみの庭」を撮ってみました。
正面に見えているのが「加藤清正の松」です。朝鮮出兵の際に加藤清正が持ち帰った松球(松ぼっくり)を秀吉に献上し、秀吉が慈受院に納めり尼君がが庭に蒔いたものとされ、成長して松の実ができると天皇へ献上して食されたと伝わるものです。現在のは2代目だそうです。
外から見た「目覚めの窓」です。秋には紅葉が綺麗でしょうね。
10時10分に、ここを出ました。
この日は所用があって、四条大宮に行く必要があったので、バスよりタクシーを選択しました。市バスでは直通がないのでGOタクシーを呼んだところ、直ぐにきたので、余裕で間に合いました。今日は、そこから嵐電に乗って帰りました。
この記事へのコメント
そんな高い所があるのですか。
それでも、自分のペースでゆったりと回れて、美しく贅沢な和の空間を独り占めできるのは魅力的ですね。
火灯窓や目覚めの窓(丸窓)のある茶室は本当に風流ですね。
撮影はできなかったと思いますが、貴重な文化財も興味深いです。
やはり素晴らしい所なのですね。
お菓子もそれを物語っているようです。
拝観料の件で、約1年考えました。( ^_^)
ただ、ここしか食べられないお菓子だったり、静かな空間を過ごせたりで、行って良かったと思ってます。
そう度々は行けないと想いますが、秋の紅葉も見てみたい気はしてます。覚えていたらの話しですが。( ^_^)