曼殊院門跡「宸殿復興 国宝 秘仏黄不動尊修復記念」へ

5月22日(月)は、久しぶりに黄砂が襲来しました。私は大型連休中に風邪(コロナかも)を引いたので、5月9日(火)の南禅寺界隈の別荘群「對龍山荘」の見学会に参加していらい、通院を覗いて何処も出掛けてませんでした。9日(火)は無理したのがたたって、その一週間は、出掛ける気力も無かったですし、家族にも感染したので、それどころじゃ無かったです。ようやく21日(日)に咳が止まったので、22日(月)に出掛けるつもりが、黄砂がやって来たので、気管支のことを考え自重、そして久しぶりに23日(火)に出掛けるつもりが、昨夜からの雨が朝になっても降り続いてました。ただ、予報ではまもなく上がると出ていたので、予定どおり以前から行きたかった曼殊院門跡宸殿復興 国宝 秘仏黄不動尊修復記念」に行きました😊。

曼殊院門跡はに、2017年(平成29年)5月3日に来て以来です。ここは紅葉の名所で、2005年(平成17年)11月28日に絶好の紅葉を見に来ていたので、今回で3回目の訪問です。

曼殊院門跡の最寄り駅は、叡山電鉄修学院駅でしょう。ただ約20分登りが続きます。現在の体力などいろいろ考えた結果、叡山電鉄出町駅前のタクシー乗り場からタクシーで向かうことにしました。2017年(平成29年)5月3日の時は、車で行きましたが、ここは道が狭いんです。ナビ通りに行ったら、とんでもなく狭い道に出て四苦八苦・・・困った記憶があります。

タクシーは何処から曼殊院に向かうのか興味がありました。タクシーは、高野川沿いを北上し北泉通りを東に入り、東大路通りを超え白川通りも超え、曼殊院通りを東に進みました。やっぱり道は狭いです。途中何名か歩いている人を抜いて行きました。曼殊院に行かれるのでしょう。車は8時50分に、勅使門前で止めて貰いました。開門まで10分もあるので手前で降ろして貰った訳です。

IMG_4940.jpgこちらが「勅使門」です。秋になれば、この辺りは真っ赤に染まります。

IMG_4941.jpgIMG_4942.jpgIMG_4993.jpg拝観受付所は、曼殊院門跡の北側にあります。早く着きすぎましたが、とりあえず向かいます。

IMG_4944.jpgIMG_4943.jpg8時52分「北通用門」に着きました。まさかの先客2名です。ただ紅葉の時の行列は、こんなもんじゃないので驚きはないです。

IMG_4946.jpg普段の拝観料は600円ですが、今日は1000円です。5月18日(木)にNHK京都「ニュース630 京いちにち」で取り上げられましたが、私は先月から知ってました。

IMG_4947.jpg開門は、9時5分でした。9時に開けて貰いたいものです。拝観料1000円と、黄不動の御朱印500円を納めて、堂内に向かいます。

IMG_4989.jpg入口は「庫裏」から入ります。ここで靴を脱いで案内に従って進むことに。堂内は撮影禁止と書かれてました。

平安時代に始まる天台宗の門跡寺院である。最澄の開基で、はじめ比叡山西塔にあって東尾(とうび)坊と称し、947年(天暦元年)に当院の住持である是算(ぜさん)国師の時、北野天満宮が造営されるとその別当寺となり以後歴代、明治の始めまで兼務した。1108~1110年(天仁年間)に学僧・忠尋座主が当院の住持であったとき曼殊院と名を改めた。その後、場所は移転したが、1480年頃(文明年間)伏見宮貞常(ふしみのみやさだつね)親王の子慈雲(じうん)大僧正が入寺して以後、門跡寺院となり、1656年(明暦2年)良尚法親王(りょうしょうほうしんのう)の時、現在地に移り、現在の建物や庭園が整えられた。良尚法親王は桂離宮を造った八条宮智仁親王の子で、父宮に似て、茶、華、書道などにひいで、当寺の建物も桂離宮に通じるものがある。本堂(重文)は大書院ともいい、寄棟造杮葺で、本尊阿弥陀如来を安置する。欄間や金具にも意匠をこらした数奇屋風の書院造である。書院(重文)は閑静亭(かんじょうてい)と号し、本堂と同形式、門跡の私堂として工夫をこらしている。茶室八窓軒(はっそうけん)(重文)は八つの窓を持つ明るい茶席で遠州流の名席、庭園(名勝)は枯山水の優雅な庭である。当寺の建物と庭はよくまとまった江戸初期の重要な文化遺産となっている。また、「黄不動」の名で知られている秘仏黄不動尊像(国宝)は現在、京都国立博物館に寄託されている。

IMG_4981.jpg先ず「庫裏」から入って、左に「箱庭」を見ます。ここはあっさり通過し次へと向かうと・・・?。

IMG_4983.jpgIMG_4982.jpg気になる鐘があったので行ってみると「谷崎潤一郎寄贈の鐘」と書いてありました。「あさゆふのかね能ひびきに吹きそえよ 我たつ杣乃やまおろし能かぜ」の張り紙も。

このまままっずく進めば、新たに出来た宸殿に行けそうです。そこに黄不動が祀られているのは知ってますが、順路は違います。次は「上之台所」で写真はありません。貴人や住職などの食事を作る台所です。

寺院には通常の台所としていわいる「庫裏」があるが、曼殊院には、送検当初より賓客をもてなすための「上之台所」が設けられた。一つの寺院に、このように二つの台所がともに残る例としては唯一ものものであり、親王が住持した門跡寺院の特徴である遺構である。

IMG_4984.jpgIMG_4949.jpgIMG_4951.jpg「上之台所」を抜けると、順路としては、次に「大書院」に入ります。いよいよ綺麗な庭園を見られます。

IMG_4952.jpgIMG_4953.jpgIMG_4954.jpg大書院に抜ける名前に「中庭」がありました。大書院に行きますが、お目当ての宸殿にいけそうです・・・行きませんが。

IMG_4985.jpg大書院」に出ると綺麗な庭園が見えました。ここの扁額は「塵慮尽」と書かれています。

書院は、1656年(明暦2年)良尚法親王(りょうしょうほうしんのう)により造営。大書院・小書院ともに杮葺りのむくり屋根。大書院では「滝の間」「十雪の間」があります。ともにの障壁画は狩野探幽筆。十雪の間」の違棚は桂離宮の桂棚と同じ仕様だそうで同時期に造られたもの。

IMG_4955.jpgIMG_4956.jpg先に建物全体を見ていきます。こちらは「小書院」の入口にある「梟の手水舎」で、下の台石は亀。傍らの石は鶴を象っています。

IMG_4957.jpg梟の手水舎から振り返って「大書院」を撮りました。

IMG_4958.jpgIMG_4959.jpg小書院」には「富士の間」と「黄昏の間」があります。小書院の奥には非公開(予約で拝観可)の茶室八窓軒」がありますが、外からは見えません。

富士の間の欄干は菊を象ったもの。元禄時代の先駆けといわれる斬新なデザイン。富士山の形をした釘隠しもあります。黄昏の間は、「上段の間(玉座)」。襖絵は狩野探幽筆。

IMG_4960.jpg庭園は枯山水庭園(名勝庭園指定)で、水流に見立てた白砂に、ここから奥には「三重塔型灯籠」と「橋石組」が見えています。

IMG_4961.jpgIMG_4963.jpg小書院の欄干は舟(屋形舟)を表現しています。白砂の真ん中に「亀島」があって、小堀遠州好みと言われている。

IMG_4964.jpgIMG_4965.jpgIMG_4966.jpgIMG_4968.jpg大書院前から「鶴島」がよく見えます。その鶴島には「五葉の松」(樹齢約400年)があって、根元には織部灯籠の形式で「キリシタン灯籠」があって、クルス灯籠か曼殊院灯籠と呼ばれています。

IMG_4967.jpgそして、いよいよ黄不動です。これだけで今日、ここにやって来たと言ってもいいほどです。何処に宸殿を造られたのかなぁ・・・と思ってました。

IMG_4987.jpg大書院から渡り廊下を進むと「宸殿」でした。2013年(令和5年)150年ぶりに復興再建しました。

IMG_4970.jpgIMG_4969.jpgIMG_4971.jpgIMG_4979.jpg宸殿に入る前に「護摩堂」を見ました。宸殿の前庭には新たに「盲亀浮木之庭」が造られました。

IMG_4988.jpgIMG_4975.jpgこの新たに造られた庭園について、由緒書きにも書いてなかったで、調べると曼殊院HPにありました。

宸殿前庭は「盲亀浮木之庭」といい、大海に住む目の見えない亀が、100年に一度息継ぎのために頭を出し、そこへ風のままに流されて来た節穴のある木片の穴に偶然頭がすっぽりはまる。それほど仏教に巡り合うこと、また人間に生まれることは難しいということを表しています。向かって左の木片を表す岩は天然記念物の木船岩です。

IMG_4976.jpgIMG_4977.jpg宸殿の手前3間に入れました。向かって右に「国宝 秘仏黄不動尊」が、そのとなりに「模写」が架かってました。暫く誰も来られ無かったので、座ってじっくり見ようと思ったら、「座らないで」と書いてあったので、慌ててたった次第です。

EPSON106.jpg
帰りに「宸殿復興 国宝秘仏不動尊修復記念」を買いました。6月30日の公開終了後は京都国立博物館に寄託され保存されます。ここで見るのは最後でしょう。もちろん撮影は禁止でした。

この仏画は、平安時代後期の12世紀頃にに描かれ、縦180㌢、幅80㌢もあります。この国宝秘仏不動尊は、大津市にある三井寺(園城寺)「国宝 黄不動の仏画」を模写したと伝わり、前身が黄色い姿で描かれたことから「黄不動」として親しまれてきました。寺では2013年(平成25年)から2年をかけて修復作業し、今後は劣化を防ぐため秘仏として京都国立博物館に寄託されます。この「国宝 黄不動」の左隣には、新たに4年の歳月をかけて作成された模写の「黄不動」も展示されており、今後は、こちらを拝観することになるのでしょう。

中央の間には、阿弥陀如来坐像(重文)が安置されてて、左の間には、左から元三大師像(重文)、大書院に祀られていた阿弥陀如来立像などが安置されてました。今後は、こちらが本堂として使用されるようですね。

IMG_4978.jpgこのあと、もう一回りして、ここを出て行きました。

EPSON107.jpg
事前に、御朱印は書き置きのみと書いてあったので、朱印帳は持参してません。黄不動さんの御朱印だけいただきました。

IMG_4990.jpgIMG_4991.jpgIMG_4945.jpg9時25分に、ここを出ました。ここを出るとき、多くの方が来られてましたね。多分、車で・・・。

IMG_4994.jpgこちらはタクシー専用の駐車場です。少しですが、ここから京都の市街地が見えました。

行きはタクシーでしたが、帰りは叡山電鉄修学院駅まで歩きます。その間に、もう一カ所寄っていきます。

この記事へのコメント