日蓮宗 本山 妙覺寺「新緑特別拝観 ~信長の茶会~」へ
5月24日(水)の朝、地面は濡れてました。明け方に雨が降ったようです。ただ、天気予報の降水確率は午前10%で、空を見たら快晴の天気が広がっています。それならと、本来の予定どおり特別拝観している寺院に向かいました。
この日、地下鉄烏丸線鞍馬口駅から徒歩で向かったのは、日蓮宗 本山 妙覺寺「新緑特別拝観 ~信長の茶会~」で、秋の紅葉は何度か行ってますが、青モミジは初めです。
ゆっくりゆっくり歩いて来たのに9時48分に「大門」前に着きました。開門は10時からです。
大門を入ると正面に「祖師堂」があります。拝観受付所は左手に進みますが、まだ時間が早いです。
通常非公開の「祖師堂」です。特別公開でも入れません。私は2018年(平成30年)1月20日に「京の冬の旅」で、入ったことがあります。
境内を散策していると「狩野元信之墓」と書かれた石標を見つけました。ただ墓所は鞍馬口通りから小川通りを下がった西側にあります。ここから歩いて5分ぐらいでしょう。
祖師堂から南を撮りました。正面に大門が見えています。まだ拝観時間前ですが、誰も来られるような雰囲気はありません。
境内東側にあった「天文法難の殉教碑」です。知らなかったので調べてみました。
「天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)」のことを日蓮宗(法華宗)では天文法難と呼ぶ。1536年(天文5年)、在俗の法華信者松本久吉が叡山学僧華王房を問答で負かした「松本問答」で面子を失った比叡山は、三塔大衆の評議で法華衆退治を決議。鴨川を挟んで合戦となり、法華宗二十一本山が焼き討ちされ下京の大半が炎上、数千人が殺害されたという。殉難者の慰霊のため、昭和初年に建てられた石碑。
まだ拝観受付所がある「庫裏」は閉まっています。
「大玄関」は開いてます。まだ時間があるので覗いて見ると・・・?。
もちろん上がることは出来ませんが、ここから見る青モミジ綺麗です。
外から見る法姿園(ほうしえん)の青モミジも綺麗です。
時間前に扉が開くのかなぁ・・・と思っていたら、9時ちょうどに開きました😊。早く着いてしまったので仕方ないけど。
入ると、左手にある拝観受付所で、拝観料800円を納めます。そしてお隣に移動し、期間限定の御朱印をお願いしました。この御朱印は帰りに受け取ります。
靴を脱いで上がります。出迎えてくれる、この衝立の絵は「絵師 木村英輝」と書いてありました。鯉と蓮が描かれてて題名は分かりません。
先ずは、「書院」に入って、「信長の茶会」を見ます。こちも興味があったので、一つ一つ見て行きます。
織田信長は20数回の京都滞在の内18回は妙覺寺に寄宿し、當山を京都での定宿所としておりました。1573年(天正元年)11月4日の上洛の際も信長は妙覺寺に宿泊し同月23日に盛大な茶会を催しました。その様子は「津田宗及茶の湯日記」に詳しく記録されています。信長はこの折、武家の正式な料理である「本膳料理」という武家のみが口にできる料理を出してます。
今回、この特別公開では、順次出された膳を現存する資料から皿や器を含め再現されてました。
「初膳」(白木木具足付) ①「雉焼き」(土器) ②「蛸」(土器) ③「鯛青鱠」(土器) ④「茎汁」(赤腕) ⑤「飯」(赤腕)
「二ノ膳」(白木木具足付) ①「うど」(土器) ②「鮓」(土器) ③「にし壺煎り」(桶) ④「鮭焼物」(角足打) ⑤「鱈汁」(赤腕) ⑥「冷汁」(赤腕)
「三ノ膳」(白木木具足付) ①「蒲焼」(亀足 土器) ②「生貝」(貝盛) ③「鯉刺身」(土器) ④「煎り酒」(土器) ⑤「うけいり汁」(赤腕) ⑥「雁汁」(赤腕)
「引き物」 ①「白鳥汁」(七度の土器) ②「鶉(うずら)焼鳥」(八寸 白木木地)
「菓子」(緑高) ①「美濃柿」 ②「むき栗」 ③「小串椎茸」 ④「煎り榧」 ⑤「金柑」 ⑥「結び昆布」 ⑦「きんとん」
パネルの説明文とともに、ゆっくり時間をかけて鑑賞させて貰いました。次に青モミジです。ここから本堂に向かいます。
本堂に入る前に、車寄せの「大玄関」に入りました。こちらには「箱庭」があって、大黒天を見ることが出来ます。
大玄関を出て、次に「本堂」に入ります。外から見ても青モミジが綺麗でした。
「本堂」に入りました。本堂前の「法姿園(ほうしえん)」には青モミジが自然のまま植えられています。
本堂に入って直ぐの所には、必ずに「斎藤道三遺言状」が展示されています。1556年(弘治2年)4月19日に我が子の、妙覚寺19世となっていた日饒(にちじょう)上人や日覚上人に宛てた手紙です。この日付の翌日に我が子、義龍と一戦を交え最後を遂げました。
ここでは仏間だけ撮影禁止です。そして、これから見て回る「御殿飾り」は、写真を撮ってSNSで広めてほしい旨、書いてありました😊。
「御殿飾り」とは、平安時代の京都御所を模した雛飾りのことだそうで、江戸時代後期から昭和にかけて、関西地方で多く見られます。案内によると・・・?。
建物の中に内裏雛を置き、側仕えの官女、庭掃除や煮炊きの役目を果たす仕丁(三人上戸)、警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を添え飾ります。当初の御殿は屋根がなく、明治・大正時代には屋根付きの御殿が出現し、豪華さや繊細さが追求されるようになりました。戦争で御殿飾りは一時姿を消しましたが、昭和中期頃に復活。金具で華やかに装飾されたきらびやかなタイプが流行しました。今回の特別拝観では、妙覺寺のお檀家の方が収集し修理されたものを展示されています。是非、SNS等で是非、お友達にご紹介くださいとありました。
青モミジを見る前にもう一つ、「多宝塔(華芳宝塔)」で、特別拝観の時しか見られません。暗くて見えませんが、この中に石塔(華芳塔)(京都府有形文化財)が納められています。夜間ライトアップでは、灯りに照らされているので、はっきりと見えます。
本堂の仏間前から見た「法姿園(ほうしえん)」です。青モミジが天気が良いので輝いています。
本堂前から「唐門」を見ています。
2019年(令和元年)11月18日以来、久しぶりに見る「法姿園」です。青モミジが思った以上に綺麗だったので、暫く座って眺めてました。
私が入ってから出て行くまで、誰も来られ無かったです。最近は静かな雰囲気を味わえなかったので良かったです。
本堂から祖師堂には渡り廊下があって、祖師堂の手前まで行けます。今度は渡り廊下から「法姿園」見てみます。
これだけ青モミジか綺麗ということは、紅葉は見事です。2018年(平成30年)11月30日に見事な紅葉は見ています。
青モミジの綺麗な「法姿園」には長く居ました。さほど広くない堂内に、こんなに長く居たのは初めてかも知れません。
帰りに受け取った御朱印・・・日蓮宗ですのお題目ですね、直書きして貰えました。
10時30分に「大門」から出て行きました。行きと同様に、地下鉄烏丸線鞍馬口駅まで行き帰路に着きました。
この辺りは本法寺、妙蓮寺、妙顕寺があります。秋のライトアップでも、そんなに混まないと思うので、また行く機会があれば寄りたいです。
この日、地下鉄烏丸線鞍馬口駅から徒歩で向かったのは、日蓮宗 本山 妙覺寺「新緑特別拝観 ~信長の茶会~」で、秋の紅葉は何度か行ってますが、青モミジは初めです。
ゆっくりゆっくり歩いて来たのに9時48分に「大門」前に着きました。開門は10時からです。
大門を入ると正面に「祖師堂」があります。拝観受付所は左手に進みますが、まだ時間が早いです。
通常非公開の「祖師堂」です。特別公開でも入れません。私は2018年(平成30年)1月20日に「京の冬の旅」で、入ったことがあります。
境内を散策していると「狩野元信之墓」と書かれた石標を見つけました。ただ墓所は鞍馬口通りから小川通りを下がった西側にあります。ここから歩いて5分ぐらいでしょう。
祖師堂から南を撮りました。正面に大門が見えています。まだ拝観時間前ですが、誰も来られるような雰囲気はありません。
境内東側にあった「天文法難の殉教碑」です。知らなかったので調べてみました。
「天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)」のことを日蓮宗(法華宗)では天文法難と呼ぶ。1536年(天文5年)、在俗の法華信者松本久吉が叡山学僧華王房を問答で負かした「松本問答」で面子を失った比叡山は、三塔大衆の評議で法華衆退治を決議。鴨川を挟んで合戦となり、法華宗二十一本山が焼き討ちされ下京の大半が炎上、数千人が殺害されたという。殉難者の慰霊のため、昭和初年に建てられた石碑。
まだ拝観受付所がある「庫裏」は閉まっています。
「大玄関」は開いてます。まだ時間があるので覗いて見ると・・・?。
もちろん上がることは出来ませんが、ここから見る青モミジ綺麗です。
外から見る法姿園(ほうしえん)の青モミジも綺麗です。
時間前に扉が開くのかなぁ・・・と思っていたら、9時ちょうどに開きました😊。早く着いてしまったので仕方ないけど。
入ると、左手にある拝観受付所で、拝観料800円を納めます。そしてお隣に移動し、期間限定の御朱印をお願いしました。この御朱印は帰りに受け取ります。
靴を脱いで上がります。出迎えてくれる、この衝立の絵は「絵師 木村英輝」と書いてありました。鯉と蓮が描かれてて題名は分かりません。
先ずは、「書院」に入って、「信長の茶会」を見ます。こちも興味があったので、一つ一つ見て行きます。
織田信長は20数回の京都滞在の内18回は妙覺寺に寄宿し、當山を京都での定宿所としておりました。1573年(天正元年)11月4日の上洛の際も信長は妙覺寺に宿泊し同月23日に盛大な茶会を催しました。その様子は「津田宗及茶の湯日記」に詳しく記録されています。信長はこの折、武家の正式な料理である「本膳料理」という武家のみが口にできる料理を出してます。
今回、この特別公開では、順次出された膳を現存する資料から皿や器を含め再現されてました。
「初膳」(白木木具足付) ①「雉焼き」(土器) ②「蛸」(土器) ③「鯛青鱠」(土器) ④「茎汁」(赤腕) ⑤「飯」(赤腕)
「二ノ膳」(白木木具足付) ①「うど」(土器) ②「鮓」(土器) ③「にし壺煎り」(桶) ④「鮭焼物」(角足打) ⑤「鱈汁」(赤腕) ⑥「冷汁」(赤腕)
「三ノ膳」(白木木具足付) ①「蒲焼」(亀足 土器) ②「生貝」(貝盛) ③「鯉刺身」(土器) ④「煎り酒」(土器) ⑤「うけいり汁」(赤腕) ⑥「雁汁」(赤腕)
「引き物」 ①「白鳥汁」(七度の土器) ②「鶉(うずら)焼鳥」(八寸 白木木地)
「菓子」(緑高) ①「美濃柿」 ②「むき栗」 ③「小串椎茸」 ④「煎り榧」 ⑤「金柑」 ⑥「結び昆布」 ⑦「きんとん」
パネルの説明文とともに、ゆっくり時間をかけて鑑賞させて貰いました。次に青モミジです。ここから本堂に向かいます。
本堂に入る前に、車寄せの「大玄関」に入りました。こちらには「箱庭」があって、大黒天を見ることが出来ます。
大玄関を出て、次に「本堂」に入ります。外から見ても青モミジが綺麗でした。
「本堂」に入りました。本堂前の「法姿園(ほうしえん)」には青モミジが自然のまま植えられています。
本堂に入って直ぐの所には、必ずに「斎藤道三遺言状」が展示されています。1556年(弘治2年)4月19日に我が子の、妙覚寺19世となっていた日饒(にちじょう)上人や日覚上人に宛てた手紙です。この日付の翌日に我が子、義龍と一戦を交え最後を遂げました。
ここでは仏間だけ撮影禁止です。そして、これから見て回る「御殿飾り」は、写真を撮ってSNSで広めてほしい旨、書いてありました😊。
「御殿飾り」とは、平安時代の京都御所を模した雛飾りのことだそうで、江戸時代後期から昭和にかけて、関西地方で多く見られます。案内によると・・・?。
建物の中に内裏雛を置き、側仕えの官女、庭掃除や煮炊きの役目を果たす仕丁(三人上戸)、警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を添え飾ります。当初の御殿は屋根がなく、明治・大正時代には屋根付きの御殿が出現し、豪華さや繊細さが追求されるようになりました。戦争で御殿飾りは一時姿を消しましたが、昭和中期頃に復活。金具で華やかに装飾されたきらびやかなタイプが流行しました。今回の特別拝観では、妙覺寺のお檀家の方が収集し修理されたものを展示されています。是非、SNS等で是非、お友達にご紹介くださいとありました。
青モミジを見る前にもう一つ、「多宝塔(華芳宝塔)」で、特別拝観の時しか見られません。暗くて見えませんが、この中に石塔(華芳塔)(京都府有形文化財)が納められています。夜間ライトアップでは、灯りに照らされているので、はっきりと見えます。
本堂の仏間前から見た「法姿園(ほうしえん)」です。青モミジが天気が良いので輝いています。
本堂前から「唐門」を見ています。
2019年(令和元年)11月18日以来、久しぶりに見る「法姿園」です。青モミジが思った以上に綺麗だったので、暫く座って眺めてました。
私が入ってから出て行くまで、誰も来られ無かったです。最近は静かな雰囲気を味わえなかったので良かったです。
本堂から祖師堂には渡り廊下があって、祖師堂の手前まで行けます。今度は渡り廊下から「法姿園」見てみます。
これだけ青モミジか綺麗ということは、紅葉は見事です。2018年(平成30年)11月30日に見事な紅葉は見ています。
青モミジの綺麗な「法姿園」には長く居ました。さほど広くない堂内に、こんなに長く居たのは初めてかも知れません。
帰りに受け取った御朱印・・・日蓮宗ですのお題目ですね、直書きして貰えました。
10時30分に「大門」から出て行きました。行きと同様に、地下鉄烏丸線鞍馬口駅まで行き帰路に着きました。
この辺りは本法寺、妙蓮寺、妙顕寺があります。秋のライトアップでも、そんなに混まないと思うので、また行く機会があれば寄りたいです。
この記事へのコメント
妙覺寺の新緑特別公開、見応えがあるなと
感心しました。緑ってなんて美しいのか、
改めて驚かされた気がします。
信長の茶会の再現も面白いですね。
妙覺寺の青モミジは、本当に綺麗でした。今まで、紅葉の時期にしか行ってなかったので、青モミジもお勧めですね。
個人的には、信長の茶会も見たかったので、行ってみて良かったです。
今、京都は何処に行っても混雑しているので、こんなに静かに見られるのは今は珍しいです。