夢窓国師が禅の理想を描いた禅宗庭園 世界文化遺産 西芳寺(苔寺)へ
6月13日(火)は、世界文化遺産 西芳寺(苔寺)をネット予約してました。この日は別途所用があって、1週間ほど前にネットで予約状況を確認すると、13日(火)の10時からしか空いてません。もうビックリ、私も、この日しか行けなかったので、慌てて押さえました😊。ネット予約を始められた2021年(令和3年)なら、前日も予約できたのにね。海外からの観光客が多いのでしょう、滑り込みセーフでした😊。
西芳寺(苔寺)には、京都バスが便利です。西芳寺(苔寺)より、ここ最近は華厳寺 鈴虫寺が人気があるので、乗客は多いですね。ただ、我が家から「苔寺 鈴虫寺行き」の直通バスがありません。それで、いったん実家に行って、そこから京都バスに乗り終点で降りました。
めったに乗らない京都バスで、帰りのバスの時刻表を写真を撮っておきました。本数はそこそこあるので、そんなに心配は要りませんね。

バスが9時17分頃に着いたので、そこからゆっくりゆっくり歩いて行きます。先ずは、西芳寺川に架かる「大歇橋(だいけつきょう)」と、その先には「総門」を撮りました。
予約した時、「一般社団法人西芳会」からメールで案内が来て、「9:30開門、11:30閉門」とありました。それで、9時30分を目標に来た訳です。それでも、まだ早いので、ゆっくり歩いて行きます。


前方に、外国人観光客が歩いています。拝観入口があるのは、もう少し先になります。

9時22分に「邀月橋(ようげっきょう)」があるので、そこを渡り「衆妙門」から境内に入ります。ただ門扉は閉まったままです。
「衆妙門」も、閉まったままです。前方に歩いていた数名は何処へ・・・?。
門の向かいに「西芳寺参拝者専用待合所」ができてました。皆さん、床几に座って待ってましたね。
私も、ここに座って、門が開くのをひたすら待ちました。待っている間に、門の方向を見ていると、歩いて来られる人、タクシーに乗って来られる人、自転車が来られる人、いろいろです。私の見立てではタクシーで来られる人が多かったように思います。ただ、この日は雨を期待したのに、晴れてました。それで、床几に座りながら日傘をさして、待つこと26分ぐらでしょうか、暑さで参りました😊。9時45分過ぎになって、やっと人が出てこられ開門されましたが、拝観の準備をされたので、実際に門が開き、受付を始められたのは9時50分でした。案内に9時30分と書かないで欲しいものです(帰ってから確認すると。10時の申込みの場合は10時開門とありました。😊)。受付の人は一人ですので当然行列になります。一列になって待ってやっと入れました。そして予約番号を言って拝観料4000円を納めます。そして記念品の筆ペンを貰いますが、私は2度目のため、別の記念品を貰いました。それが・・・?。
このシールを貰ったですが、正直な話し使い道がありません😊。筆ペンで良かったわ😊。

入ると左手に1969年(昭和44年)落成の「本堂(西来堂)」が見えます。まもなく本堂では写経を皆さんがされるので、この写真を撮れるのは今だけです。
本堂前で、由緒書きを貰います。そして「本堂内は撮影禁止です」と案内されました。2021年(令和3年)6月28日に来ているので知っていたのでスマホはポケットに入れます。そして靴を置き、玄関を上がると・・・?。
この日は人が多かったので「玄関」の写真が撮れなかったので、2021年(令和3年)6月28日のものです。入ると御朱印受付があったので朱印帳を開いて出します。御朱印代金は500円でした。
本堂に入ると、写経についての説明があります。それは個別です。祈祷済みの写経用紙のため写経が終わったら持ち帰って御守りのように手元に置いてても良いし、奉納を希望すれば仏前の経机に入れて持ち帰ります。私は後者の方を選びました。私は、書きやすい筆ペンを持参してきました。いち早く書いて、写経を奉納し、持参してきた小銭をお賽銭箱に入れご本尊の阿弥陀如来にお参りしました。そして玄関の受付に戻り朱印帳を受取り本堂を出ました。今日は、時間があったので、堂門印象画伯の襖絵も見させて貰いました。
御朱印は、見開きの直書きです。堂内は撮影禁止のため、ここを出て撮りました。
西芳寺は、山号を洪隠山といい、臨済宗の単立寺院です。1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。奈良時代、第45代聖武天皇の詔により、行基菩薩が開山した古刹で、平安時代初期には弘法大師が一時住し、鎌倉時代初期には法然上人が中興して、浄土信仰の道場として伝わります。その後、兵乱による荒廃の後、1339年(暦応2年)に第96代後醍醐天皇、室町幕府初代将軍足利尊氏の深い帰依を受けた当時の高僧であり作庭の名手でもあった夢窓國師が、この地にあった西方寺と厭離穢土寺の二つの浄土宗寺院を臨済宗寺院として再興し、名を西芳寺と改め平安様式を残す庭園跡に精神鍛錬の禅苑を築き上げた。夢窓国師自ら作庭した、枯山水石組の上段の庭と下段の庭から成る庭園は、当時既に天下の名園として名高く、室町幕府3代将軍足利義満をはじめ、ここを訪れ坐禅に励んだ人も多い。現在、35000㎡に達する庭園(国の特別名勝及び史跡)は、よく昔の面影を伝える名庭とうたわれており、120余種の青苔に一面が覆われ、広く「苔寺」の名で親しまれてて茶室「湘南亭」(重文)は、千利休の二男少庵が桃山時代に建築したもので、明治維新の際には岩倉具視が一時隠棲したこともありました。


玄関を出て、案内の通り歩いて行くと、「庭園入口」と書いてある所まで来ました。苔庭を見に来ましたが新緑も綺麗ですね。
まだ庭園に入ってませんが、苔が輝いているように大変綺麗です。さすが苔寺です。
木の切り株の上にも苔生してて、2004年(平成16年)9月28日、2021年(令和3年)6月28日と3回目の訪問ですが、ますます期待できますね。
いよいよ「庭園入口」まで来ました。建物は非公開の「庫裏」のようです。
それでは、これから苔庭に入ります。雨に濡れた苔を期待してましたが、晴れてます😂。この日の京都は最高気温が30.2℃と26日ぶりに夏日を記録するほど暑かったです。

入ると左に「観音堂」があって、拝観コースは真っ直ぐ進みます。

右手には「皇后陛下行啓記念樹」と書かれた石碑があります。多分ですが、上皇后美智子様じゃないかなぁ。皇后雅子様かも。わからない😂。
ここから石畳をゆっくり歩いて、見事な苔庭の鑑賞です。
左を見れば「金剛池」があって、2列に並んだ石が見えます。この石は「夜泊石(よどまりいし)」と言って、かつて本堂の南にあった瑠璃殿を結ぶ橋の橋脚であったらしい。
ここから見るのは、左「金剛池」、右が「黄金池」です。これから黄金池を巡ります。
ここから、池の対岸にある「潭北亭(たんほくてい)」が見えました。

黄金池の周りには、一面苔に覆われており幻想的な光景が広がります。
右手の奥に大正時代に建てられた茶室「少庵堂」が見えます。

石畳を歩いて行くと、前方に石垣が、左には黄金池に浮かぶ「朝日ケ島」が見えます。
ここまで来たら前方に「中門」が見えました。1975年(昭和50年)までの拝観者は、ここを出入りしていたと思います。

苔も綺麗ですが、新緑も綺麗です。この時間では空いているなか「中門」まで来ました。
ここに来る時、外から見た「総門」が見えました。以前は、ここが拝観入口でした。
茶室「湘南亭」(重文)が遠くに見えました。後程、じっくり見てみます。

ここから注連縄をされた石が見えました。「影向石(ようこうせき)」といい、松尾明神が老翁と化し影向した伝説があります。この石は寺の鎮守として神聖化されてるそうです。
切り株が苔生してて、そして何より静かな空間が良いです。誰も大声で話さないしね。

茶室「湘南亭」(重文)が近づいて来ました。鬱蒼とした木々の足元には苔が覆い茂ってて、昼間でも陽が差さないように思います。
ここから直接見えませんが黄金池の畔に「朝日の清水」と呼ばれる泉が湧いてるみたいです。
茶室「湘南亭」(重文)まで来ましたが、今日は晴れてて、この時間では思い切り逆光で眩しいこと眩しいこと。
明治維新の際に岩倉具視が一時隠棲し、幕府からの難を逃れたことを示す石碑が建っています。

屋根は杮葺き、池に面して入母屋造を形成し、北に張り出した月見台が特徴です。
豊臣時代に千利休の養子にして女婿の千少庵(せんのしょうあん)が桃山時代に建築したもの。千利休が豊臣秀吉より切腹を命じられた時、一時隠れ家として利用したと言われてます。


黄金池は心の字を象っており、心字池とも呼ばれてるみたいですが、禅宗寺院に多いような気がします。この辺りが「朝日の清水」だと思いますが直接には見えません。
ここから「総門」が近くに見えて来ました。まもなく庭園の南端に行きます。

この苔の厚さや艶は素晴らしいです。晴れているのが残念ですが、それでも美しいです。
この辺りは、案内図を見ると「船着場跡」のようです。
こちらが「総門」ですね。庭園の南端まで来ました。写真をたくさん撮れたので、ここから後編で😊。
参考までに、西芳寺(苔寺)では事前申込制の拝観をされており、以前は往復はがでの申込みでした。2年前からネット予約も可能になりましたが、拝観料が違います。往復はがきでの申込みは3000円、ネット予約の場足は4000円と記念品の筆ペンが付いてきます。3000円でも高いなぁ・・・と思いきや、ネット予約は4000円・・・これは、なかなか年に何回も行けないですね。
西芳寺(苔寺)には、京都バスが便利です。西芳寺(苔寺)より、ここ最近は華厳寺 鈴虫寺が人気があるので、乗客は多いですね。ただ、我が家から「苔寺 鈴虫寺行き」の直通バスがありません。それで、いったん実家に行って、そこから京都バスに乗り終点で降りました。



予約した時、「一般社団法人西芳会」からメールで案内が来て、「9:30開門、11:30閉門」とありました。それで、9時30分を目標に来た訳です。それでも、まだ早いので、ゆっくり歩いて行きます。







私も、ここに座って、門が開くのをひたすら待ちました。待っている間に、門の方向を見ていると、歩いて来られる人、タクシーに乗って来られる人、自転車が来られる人、いろいろです。私の見立てではタクシーで来られる人が多かったように思います。ただ、この日は雨を期待したのに、晴れてました。それで、床几に座りながら日傘をさして、待つこと26分ぐらでしょうか、暑さで参りました😊。9時45分過ぎになって、やっと人が出てこられ開門されましたが、拝観の準備をされたので、実際に門が開き、受付を始められたのは9時50分でした。案内に9時30分と書かないで欲しいものです(帰ってから確認すると。10時の申込みの場合は10時開門とありました。😊)。受付の人は一人ですので当然行列になります。一列になって待ってやっと入れました。そして予約番号を言って拝観料4000円を納めます。そして記念品の筆ペンを貰いますが、私は2度目のため、別の記念品を貰いました。それが・・・?。
このシールを貰ったですが、正直な話し使い道がありません😊。筆ペンで良かったわ😊。


本堂前で、由緒書きを貰います。そして「本堂内は撮影禁止です」と案内されました。2021年(令和3年)6月28日に来ているので知っていたのでスマホはポケットに入れます。そして靴を置き、玄関を上がると・・・?。

本堂に入ると、写経についての説明があります。それは個別です。祈祷済みの写経用紙のため写経が終わったら持ち帰って御守りのように手元に置いてても良いし、奉納を希望すれば仏前の経机に入れて持ち帰ります。私は後者の方を選びました。私は、書きやすい筆ペンを持参してきました。いち早く書いて、写経を奉納し、持参してきた小銭をお賽銭箱に入れご本尊の阿弥陀如来にお参りしました。そして玄関の受付に戻り朱印帳を受取り本堂を出ました。今日は、時間があったので、堂門印象画伯の襖絵も見させて貰いました。

西芳寺は、山号を洪隠山といい、臨済宗の単立寺院です。1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。奈良時代、第45代聖武天皇の詔により、行基菩薩が開山した古刹で、平安時代初期には弘法大師が一時住し、鎌倉時代初期には法然上人が中興して、浄土信仰の道場として伝わります。その後、兵乱による荒廃の後、1339年(暦応2年)に第96代後醍醐天皇、室町幕府初代将軍足利尊氏の深い帰依を受けた当時の高僧であり作庭の名手でもあった夢窓國師が、この地にあった西方寺と厭離穢土寺の二つの浄土宗寺院を臨済宗寺院として再興し、名を西芳寺と改め平安様式を残す庭園跡に精神鍛錬の禅苑を築き上げた。夢窓国師自ら作庭した、枯山水石組の上段の庭と下段の庭から成る庭園は、当時既に天下の名園として名高く、室町幕府3代将軍足利義満をはじめ、ここを訪れ坐禅に励んだ人も多い。現在、35000㎡に達する庭園(国の特別名勝及び史跡)は、よく昔の面影を伝える名庭とうたわれており、120余種の青苔に一面が覆われ、広く「苔寺」の名で親しまれてて茶室「湘南亭」(重文)は、千利休の二男少庵が桃山時代に建築したもので、明治維新の際には岩倉具視が一時隠棲したこともありました。












































参考までに、西芳寺(苔寺)では事前申込制の拝観をされており、以前は往復はがでの申込みでした。2年前からネット予約も可能になりましたが、拝観料が違います。往復はがきでの申込みは3000円、ネット予約の場足は4000円と記念品の筆ペンが付いてきます。3000円でも高いなぁ・・・と思いきや、ネット予約は4000円・・・これは、なかなか年に何回も行けないですね。
この記事へのコメント
落ち着きますー。苔の管理も大変ではないかと・・。
今の時期、暑さも飛んでしまいます。お陰様で涼しさを感じ
させてもらいました。
私が社会人になった頃から、事前申し込み制の拝観にされ、拝観料も高くなりました。そう度々は行けませんが、見事な苔を見ているだけで癒やされます。
一度、紅葉時期に行ってみたいけど、予約取るのが大変でしょう。