但馬地方を行く但馬五社 小田井縣神社へ
食事を済ませて、次の目的地である但馬五社めぐりの小田井縣神社(おだいあがたじんじゃ)に、12時18分に着きました。ナビの通り直ぐに着きましたね😊。
駐車場は、この鳥居をくぐった境内内にあるので、車を降りてから戻り撮りました。
小田井縣神社(おだいあがたじんじゃ)の御祭神は、昔沼地であった豊岡を開拓されたとされる国作大己貴命(くにつくりおおなむちのみこと)(大国主命)です。創建は、一説には、崇神天皇の御代と伝えられます。905年(延喜5年)延喜式の神名帳に「縣神社(あがたのじんじゃ)」と記載がある、いわゆる式内社です。第96代後醍醐天皇の御代に社運は隆盛を極めたと言われますが、戦国時代には、相次ぐ戦乱で社運は衰微しました。現在の春日造の社殿は、貞享年間(1684~87年)に再興され、元文年間(1736~41年)に改造を施されたものです。昭和期の円山川の河川改修による1931年(昭和6年)および1969年(昭和44年)を経て、現在の配置となりました。境内社の「柳宮神社」は、豊岡鞄のルーツである豊岡杞柳細工(柳行李)を祀っており、鞄の神様としても親しまれています。市内最大規模の「豊岡柳まつり」は例年8月1日、この「柳宮神社」の例大祭から始まります。
入口にある鳥居を入って、先に参拝するため本殿を目指します。
その前に「神門」を入ります。
神門を入って右手に「手水舎」があって、コロナ禍で撤去されていた柄杓がありました。ただ、水がチョロチョロしか出てきません。
ここの狛犬は、先の絹巻神社と同様、全国でも珍しいおしりをあげた「構え型」です。
「本殿」は奥にあって、拝所で参拝しました。御祭神は、国作大己貴命(くにつくりおおなむちのみこと)が祀られています。ここも鞄を車に置いてきたので、用意してきたお賽銭を入れることができませんでした😂。
本殿前から境内を見ています。写真では分かるように、天気が凄くいいです。地元京都市は曇り空で涼しいかったのに、豊岡市はフェーン現象で大変暑いです。
正面から見えなかった春日造の「本殿」です。逆光で眩しい・・・。それで境内社を巡ります。
最初は「稲荷社」から。御祭神は、豊遠加姫命(とよおかひめのみこと)。
お隣に移動し、「恵比須社」で、御祭神が事代主命(ことしろぬしのみこと)。
この境内社の中で特に知られているのが「柳の宮神社」です。豊岡の地場産業である鞄産業関係者から厚く崇敬されており、近年では「かばんの神様」と呼ばれています。御祭神は、五男三女神(ごなんさんにょしん)だそうです。
:境内社の最後は、「川下社」で、御祭神は祓戸四柱大神(瀬織津比咩、速開津比咩、気吹戸主、速佐須良比咩)のようです。
これで境内社を全て回ったので、次に社務所に行きます。場所は、ここに来た時に分かりました。
「社務所」は空いてました。ただ不在かどうか不安でしたが、呼鈴を押すと出てこられ安心。朱印帳に御朱印お願いしました。
ご丁寧に書いて貰ったのでしょう、約6分待ちました😊。朱印帳を渡されるとき、「今日は暑いですね」と。本当に暑かったです。
入口の鳥居脇には「出町大いと場跡の石碑」がありました。案内によると・・・?。
かつてはここから東へ100㍍ほどの先に堀川橋付近には大きな川いとがあり、城下町豊岡の北の玄関として船着場がありました。千石船の廻船も荷揚げをしたといいます。
12時35分に、ここを出ました。私は福知山駅を15時43分発「きのさき18号」を予約しています。
先輩によると、ここから1時間30分以内に福知山駅に着くので、早く帰れる切符に変更したら?と言われたましたが、チケットレスで購入していので、切符の変更は少々不安があります。そこで、福知山市内で珈琲を飲んで帰ることにしました。場所は先輩にお任せです。
駐車場は、この鳥居をくぐった境内内にあるので、車を降りてから戻り撮りました。
小田井縣神社(おだいあがたじんじゃ)の御祭神は、昔沼地であった豊岡を開拓されたとされる国作大己貴命(くにつくりおおなむちのみこと)(大国主命)です。創建は、一説には、崇神天皇の御代と伝えられます。905年(延喜5年)延喜式の神名帳に「縣神社(あがたのじんじゃ)」と記載がある、いわゆる式内社です。第96代後醍醐天皇の御代に社運は隆盛を極めたと言われますが、戦国時代には、相次ぐ戦乱で社運は衰微しました。現在の春日造の社殿は、貞享年間(1684~87年)に再興され、元文年間(1736~41年)に改造を施されたものです。昭和期の円山川の河川改修による1931年(昭和6年)および1969年(昭和44年)を経て、現在の配置となりました。境内社の「柳宮神社」は、豊岡鞄のルーツである豊岡杞柳細工(柳行李)を祀っており、鞄の神様としても親しまれています。市内最大規模の「豊岡柳まつり」は例年8月1日、この「柳宮神社」の例大祭から始まります。
入口にある鳥居を入って、先に参拝するため本殿を目指します。
その前に「神門」を入ります。
神門を入って右手に「手水舎」があって、コロナ禍で撤去されていた柄杓がありました。ただ、水がチョロチョロしか出てきません。
ここの狛犬は、先の絹巻神社と同様、全国でも珍しいおしりをあげた「構え型」です。
「本殿」は奥にあって、拝所で参拝しました。御祭神は、国作大己貴命(くにつくりおおなむちのみこと)が祀られています。ここも鞄を車に置いてきたので、用意してきたお賽銭を入れることができませんでした😂。
本殿前から境内を見ています。写真では分かるように、天気が凄くいいです。地元京都市は曇り空で涼しいかったのに、豊岡市はフェーン現象で大変暑いです。
正面から見えなかった春日造の「本殿」です。逆光で眩しい・・・。それで境内社を巡ります。
最初は「稲荷社」から。御祭神は、豊遠加姫命(とよおかひめのみこと)。
お隣に移動し、「恵比須社」で、御祭神が事代主命(ことしろぬしのみこと)。
この境内社の中で特に知られているのが「柳の宮神社」です。豊岡の地場産業である鞄産業関係者から厚く崇敬されており、近年では「かばんの神様」と呼ばれています。御祭神は、五男三女神(ごなんさんにょしん)だそうです。
:境内社の最後は、「川下社」で、御祭神は祓戸四柱大神(瀬織津比咩、速開津比咩、気吹戸主、速佐須良比咩)のようです。
これで境内社を全て回ったので、次に社務所に行きます。場所は、ここに来た時に分かりました。
「社務所」は空いてました。ただ不在かどうか不安でしたが、呼鈴を押すと出てこられ安心。朱印帳に御朱印お願いしました。
ご丁寧に書いて貰ったのでしょう、約6分待ちました😊。朱印帳を渡されるとき、「今日は暑いですね」と。本当に暑かったです。
入口の鳥居脇には「出町大いと場跡の石碑」がありました。案内によると・・・?。
かつてはここから東へ100㍍ほどの先に堀川橋付近には大きな川いとがあり、城下町豊岡の北の玄関として船着場がありました。千石船の廻船も荷揚げをしたといいます。
12時35分に、ここを出ました。私は福知山駅を15時43分発「きのさき18号」を予約しています。
先輩によると、ここから1時間30分以内に福知山駅に着くので、早く帰れる切符に変更したら?と言われたましたが、チケットレスで購入していので、切符の変更は少々不安があります。そこで、福知山市内で珈琲を飲んで帰ることにしました。場所は先輩にお任せです。
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