嵯峨 薬師寺「地蔵盆」本堂公開へ
8月24日(木)の地蔵盆には、清涼寺(通称が嵯峨釈迦堂)境内にある嵯峨 薬師寺の本堂が一般公開されます。観光寺院では無いので公開は、この一日のみで、過去に2012年(平成24年)8月24日、2013年(平成25年)8月24日、2014年(平成26年)8月24日に来てました。そして2018年(平成30年)4月20日には京都市文化観光資源保護財団主催の「嵯峨の古仏を訪ねて」で、公開され行ってます。それから5年も来て無いので、今年は行こうと考えてました。公開時間は10時から15時とHPで掲載されていたので、まだ涼しい間にと、10時過ぎに着くように家を出て向かった訳です。
家から歩いて10時3分に清涼寺(嵯峨釈迦堂)の「仁王門」から境内に入ります。この日は昼から雨降りの予報が出ており、大変蒸し蒸しする気候でした。
ここ最近、朝の気温が下がらず、22日(火)が28.5℃と全国で1位を記録しました。そして前日が28.2℃。これだけ最低気温が高かったら朝から辛いですね。
清涼寺(嵯峨釈迦堂)の境内に入りました。この日の最低気温は27.1℃、熱帯夜の25℃を大きく超えて暑い朝です。もう汗だくになっています。
清涼寺(嵯峨釈迦堂)の「本堂」です。薬師寺は、本堂の西側にあります。
正式名称は薬師寺なんですけど、奈良の薬師寺が世界文化遺産であまりにも有名なため、嵯峨をつけています。10時5分に着きました。
平安初期の818年(弘仁9年)に蔓延する疫病を憂慮した第52代嵯峨天皇が、弘法大師に命じ大師みずから薬師如来を彫り、この像が本尊の薬師如来坐像を祀ったのが始まりである。嵯峨天皇勅願の寺として大覚寺に属していたが、明治時代以降、浄土宗知恩院派に属し、清凉寺の境内の塔頭となっている。寺宝に嵯峨天皇像、阿弥陀三尊像などを伝え、もとこの寺の付近にあった福生寺の遺仏と伝える地蔵菩薩像や小野篁像を安置している。「生六道(しょうのろくどう)」と称された福正寺(現在は廃寺)は、小野篁が冥土から帰り着いたところと伝え、その出口という7基の井戸が発掘された。ただしこの井戸(大覚寺門前六道町)は間もなく埋め戻され、宅地となっている。
靴を脱いで2018年(平成30年)4月20日以来の本堂に入ります。
檀家の方が忙しそうに作業されていますが、私は先にお参りさせて貰いました。内陣厨子の中央に安置されているのが、本尊の大師自ら刻んだと伝わる「薬師如来坐像」です。像高18㌢、“心経秘鍵薬師如来”と呼ばれ、久しく厨子の中に安置され秘仏とされていました。
堂内の右川には「船上阿弥陀三尊像」が祀られておりお参りです。恵心僧都の作と伝わっています。中尊に木造阿弥陀如来坐像(像高52.3㌢ 京都市指定文化財)と脇仏として左に木造勢至菩薩坐像(像高41.8㌢ 京都指定文化財)、右に木造観音菩薩立像(像高58㌢)が安置されています。
船上と呼ばれているのは、脇仏の木造観音菩薩立像が持っているのが「櫓(ろ)」。木造勢至菩薩坐像が持っているのが「櫂(かい)」。船は火災で焼失したので、台座と光背は後付けだそうです。
次に、お堂の右側にある「木造伝嵯峨天皇坐像」を撮りました。像高42.2㌢で、京都市指定文化財です。南北朝時代の作とされ、強装束(こわしょうぞく)姿の肖像彫刻として貴重だそうです。
最後に、堂内に左側に移動します。ただ、ここは檀家さんが作業されてて、邪魔にならないように・・・?。
左側には、中央に「木造生六地蔵菩薩像」(像高80㌢、京都指定文化財)は小野篁作と伝わります。その右に「木造聖徳太子裸形立像」(像高57.6㌢、京都指定文化財)で、便宜上下半身には服を着せてますが、裸形の聖徳太子像は珍しいと聞きました。そして左に「小野篁像」(50㌢)が安置されていました。
「木造生六地蔵菩薩像」は廃寺となった福正寺の本尊でしたが廃寺に際し薬師寺に移されました。その前に「生御膳」が献じられます。七種類の野菜を使用して帆掛け船のようにしたお供えのことです。
写真は以前撮ったもので、薬師寺の前には「生の六道」(小野篁遺跡)と書かれた石碑があります。小野篁とは・・・?。
平安時代初期に小野篁は昼間は朝廷に仕え、夜は六道珍皇寺にある冥土の井戸から閻魔庁に勤めてたました。あるとき地獄に赴いた小野篁は、猛火の中で苦しむ亡者を救い、その身代わりとなって自ら焼かれた地蔵菩薩のお姿を見た小野篁はその地蔵菩薩の尊さに心を打たれ、そのお姿を彫刻し、冥土の出口にある福正寺にお祀りしたそうです。そのため“生六道地蔵菩薩像”とも称され、毎年8月24日には地蔵盆の法要が行われます。
2018年(平成30年)4月20日には京都市文化観光資源保護財団主催の「嵯峨の古仏を訪ねて」では、福正寺近くにあった「七つ井戸」の復元図がパネルでありました。30年前'起点がいつか不明)に大覚寺門前六道町の薮から発見されたのを、当時の話を元にスケッチされたもの。
先の3枚の写真は、過去のものです。庭園を見たかったけど、聞くと「遠慮して貰ってます」でした。さほど広くないので、これで出て行きます。
5年振りに来たのは御朱印あるかなぁ・・・と思い来て見たわけです。由緒書きはありましたが、御朱印は無さそうです。
由緒書きに書いてありましたが、江戸時代の寛永年間(1624~1644)に火災で焼失したようで、当時の大覚寺の宮尊性親王(後陽成天皇第五皇子)によって再建されたのが、現在の「本堂」だそうです。
薬師寺とは関係ありませんが、その東側には「豊臣秀頼公首塚」と「大坂の陣諸霊供養塔」があります。
1980年(昭和55年)に行われた大坂城三の丸跡の発掘現場から豊臣秀吉の三男で庶子豊臣秀頼公のものと思われる頭蓋骨が出土しました。その後の調査でこの骨が人為的に丁寧に埋葬されていることや、介錯の跡、周囲からの出土品(シジミやタニシの貝殻)などから考察して秀頼公のものと断定されました。そして秀頼公が再興した由縁を持つ清凉寺に首塚が造られ、ここに首が納められました。
10時11分に清涼寺(嵯峨釈迦堂)を出ました。この日は予報通り昼から雨が降り出し、夕方には大雨警報が出されるほどの雨が降りました。
帰りに寄った嵯峨豆腐の名店「森嘉」です。昨日まで盆休みされていたので、お目当ての飛竜頭が無かったのは残念でしたが、夏場だけ販売される辛子豆腐を買って帰りました。
帰って全身汗だくだったので、水シャワーを浴びゆっくりさせて貰いました。あまり家では飲まないけど、冷蔵庫に冷やしている缶ビールを飲みました。美味しかったです😊。
家から歩いて10時3分に清涼寺(嵯峨釈迦堂)の「仁王門」から境内に入ります。この日は昼から雨降りの予報が出ており、大変蒸し蒸しする気候でした。
ここ最近、朝の気温が下がらず、22日(火)が28.5℃と全国で1位を記録しました。そして前日が28.2℃。これだけ最低気温が高かったら朝から辛いですね。
清涼寺(嵯峨釈迦堂)の境内に入りました。この日の最低気温は27.1℃、熱帯夜の25℃を大きく超えて暑い朝です。もう汗だくになっています。
清涼寺(嵯峨釈迦堂)の「本堂」です。薬師寺は、本堂の西側にあります。
正式名称は薬師寺なんですけど、奈良の薬師寺が世界文化遺産であまりにも有名なため、嵯峨をつけています。10時5分に着きました。
平安初期の818年(弘仁9年)に蔓延する疫病を憂慮した第52代嵯峨天皇が、弘法大師に命じ大師みずから薬師如来を彫り、この像が本尊の薬師如来坐像を祀ったのが始まりである。嵯峨天皇勅願の寺として大覚寺に属していたが、明治時代以降、浄土宗知恩院派に属し、清凉寺の境内の塔頭となっている。寺宝に嵯峨天皇像、阿弥陀三尊像などを伝え、もとこの寺の付近にあった福生寺の遺仏と伝える地蔵菩薩像や小野篁像を安置している。「生六道(しょうのろくどう)」と称された福正寺(現在は廃寺)は、小野篁が冥土から帰り着いたところと伝え、その出口という7基の井戸が発掘された。ただしこの井戸(大覚寺門前六道町)は間もなく埋め戻され、宅地となっている。
靴を脱いで2018年(平成30年)4月20日以来の本堂に入ります。
檀家の方が忙しそうに作業されていますが、私は先にお参りさせて貰いました。内陣厨子の中央に安置されているのが、本尊の大師自ら刻んだと伝わる「薬師如来坐像」です。像高18㌢、“心経秘鍵薬師如来”と呼ばれ、久しく厨子の中に安置され秘仏とされていました。
堂内の右川には「船上阿弥陀三尊像」が祀られておりお参りです。恵心僧都の作と伝わっています。中尊に木造阿弥陀如来坐像(像高52.3㌢ 京都市指定文化財)と脇仏として左に木造勢至菩薩坐像(像高41.8㌢ 京都指定文化財)、右に木造観音菩薩立像(像高58㌢)が安置されています。
船上と呼ばれているのは、脇仏の木造観音菩薩立像が持っているのが「櫓(ろ)」。木造勢至菩薩坐像が持っているのが「櫂(かい)」。船は火災で焼失したので、台座と光背は後付けだそうです。
次に、お堂の右側にある「木造伝嵯峨天皇坐像」を撮りました。像高42.2㌢で、京都市指定文化財です。南北朝時代の作とされ、強装束(こわしょうぞく)姿の肖像彫刻として貴重だそうです。
最後に、堂内に左側に移動します。ただ、ここは檀家さんが作業されてて、邪魔にならないように・・・?。
左側には、中央に「木造生六地蔵菩薩像」(像高80㌢、京都指定文化財)は小野篁作と伝わります。その右に「木造聖徳太子裸形立像」(像高57.6㌢、京都指定文化財)で、便宜上下半身には服を着せてますが、裸形の聖徳太子像は珍しいと聞きました。そして左に「小野篁像」(50㌢)が安置されていました。
「木造生六地蔵菩薩像」は廃寺となった福正寺の本尊でしたが廃寺に際し薬師寺に移されました。その前に「生御膳」が献じられます。七種類の野菜を使用して帆掛け船のようにしたお供えのことです。
写真は以前撮ったもので、薬師寺の前には「生の六道」(小野篁遺跡)と書かれた石碑があります。小野篁とは・・・?。
平安時代初期に小野篁は昼間は朝廷に仕え、夜は六道珍皇寺にある冥土の井戸から閻魔庁に勤めてたました。あるとき地獄に赴いた小野篁は、猛火の中で苦しむ亡者を救い、その身代わりとなって自ら焼かれた地蔵菩薩のお姿を見た小野篁はその地蔵菩薩の尊さに心を打たれ、そのお姿を彫刻し、冥土の出口にある福正寺にお祀りしたそうです。そのため“生六道地蔵菩薩像”とも称され、毎年8月24日には地蔵盆の法要が行われます。
2018年(平成30年)4月20日には京都市文化観光資源保護財団主催の「嵯峨の古仏を訪ねて」では、福正寺近くにあった「七つ井戸」の復元図がパネルでありました。30年前'起点がいつか不明)に大覚寺門前六道町の薮から発見されたのを、当時の話を元にスケッチされたもの。
先の3枚の写真は、過去のものです。庭園を見たかったけど、聞くと「遠慮して貰ってます」でした。さほど広くないので、これで出て行きます。
5年振りに来たのは御朱印あるかなぁ・・・と思い来て見たわけです。由緒書きはありましたが、御朱印は無さそうです。
由緒書きに書いてありましたが、江戸時代の寛永年間(1624~1644)に火災で焼失したようで、当時の大覚寺の宮尊性親王(後陽成天皇第五皇子)によって再建されたのが、現在の「本堂」だそうです。
薬師寺とは関係ありませんが、その東側には「豊臣秀頼公首塚」と「大坂の陣諸霊供養塔」があります。
1980年(昭和55年)に行われた大坂城三の丸跡の発掘現場から豊臣秀吉の三男で庶子豊臣秀頼公のものと思われる頭蓋骨が出土しました。その後の調査でこの骨が人為的に丁寧に埋葬されていることや、介錯の跡、周囲からの出土品(シジミやタニシの貝殻)などから考察して秀頼公のものと断定されました。そして秀頼公が再興した由縁を持つ清凉寺に首塚が造られ、ここに首が納められました。
10時11分に清涼寺(嵯峨釈迦堂)を出ました。この日は予報通り昼から雨が降り出し、夕方には大雨警報が出されるほどの雨が降りました。
帰りに寄った嵯峨豆腐の名店「森嘉」です。昨日まで盆休みされていたので、お目当ての飛竜頭が無かったのは残念でしたが、夏場だけ販売される辛子豆腐を買って帰りました。
帰って全身汗だくだったので、水シャワーを浴びゆっくりさせて貰いました。あまり家では飲まないけど、冷蔵庫に冷やしている缶ビールを飲みました。美味しかったです😊。
この記事へのコメント
学生時代に京都旅行した時にお参りした
ような記憶があります。落柿舎や二尊院など、
この地区の観光メインルートからは、
少し外れた所にあるお寺さんでしたよね。
地蔵盆の日が、特別公開日になってるんですか。
境内の記憶はあまり無いんですけど、
長く秘仏とされていた貴重な仏さんが
拝めるなんて、嬉しい話ですね。
薬師寺は壬生星さんのブログでしか見たことなくて、先日まで阿弥陀信仰を書いていたおかげで、益々興味深かったです。京都でも嵯峨や東山には六道・阿弥陀思想が詰まっていますねえ。聖徳太子・空海・源信(恵心僧都)、興味の尽きない人物たちです。
聖徳太子に再像などの裸形像は幾つか見たことありますが、下半身は衣を彫ったものがほとんど、こんな風に衣を着せているのは初めて見ました@@面白いですねえ@@
小野篁・源信は六道思想には切っても切れない存在ですが
小野篁は嵯峨天皇とよく掛け合いにされていますが、一緒にいるのはやはり何とも言えないですねえ^^;流罪にまでされてるけど、実際仲はどうだったんでしょう。
小野篁と云えば、東山の六道珍皇寺で井戸を見たような気がします。
秋の観光コースでは、嵐山から天龍寺経由で、竹林の小経、大河内山荘、常寂光寺、落柿舎、二尊院、祇王寺、化野念仏寺、厭離庵、時間があれば清涼寺ですね。( ^_^)
薬師寺も年に一回の公開ですので、今年は久しぶりに行ってみました。本当は、テレビで紹介された、整備された庭園を見たかったですが、非公開では仕方ないです。
小野篁は、六道珍皇寺にある、夜毎冥府通いのため、本堂裏庭にある井戸に入って、出てきたのが、今は残ってませんが福正寺近くにあった「七つ井戸」から出てきたとか。
薬師寺は、年に一回だけ本堂が公開されるので、久しぶりに行ってみました。
嵯峨天皇の座像があるとは、やはりで由緒あるお寺であることが分かります。
檀家の方々がしっかりと守っているのですね。
それにしても、豊臣秀頼の首塚がここにあるのが凄いです。
その発掘の経緯も興味深いです。
水シャワーが気持ち良いとは、やはり関東とは違うレベルの暑さだなと思ってしまいます。
多分、今年の京都市の猛暑日は46回と、過去最高だと思います。東京も、夏日が80回を記録したそうで、何処も暑い8月、そして9月もでしたね。
薬師寺は、年に一回だけ公開されるので、久しぶりに行ってみました。最近、庭園を新たに造られたので、そこも見たかったけど、非公開で、残念でした。お寺の方に聞いて見たんですがダメでした。