「京都刀剣御朱印めぐり」豊国神社へ
「京都刀剣御朱印めぐり」の次には豊国神社に行くつもりでした。ただ少し暑さにやられたのか、体調が優れないようで、このまま三条まで行って、帰りつもりで京阪墨染駅を9時43分に発車する準急に乗りました。さいわい座れたので、車内の冷房にあたり体を冷やすと、何とか行けそうな気がしたので、七条駅に9時55分に着いたら、降りることを決断しました。また、ここまで来るのも面倒だし、それにシミュレーションでは徒歩5分程度で行けそうなこともあって、行くことにしたわけです。
豊国神社も、毎年お正月に「京都十六社朱印めくり」で来ています。正月三が日は、国宝唐門内に入れるので、2日か3日に来て御朱印をいただいています。
七条駅から歩いて10時5分に着きました。10分もかかったのと、少し登っているんですね、大変疲れました。この日の最高気温は33.6℃と猛暑日にはなりませんでしたが、湿気が多くて暑かったですね😂。
着くと体調を考えて、真っ先に社務所に向かいました。こちらの御朱印には「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」と書かれています。
「薙刀直シ刀」は、鎌倉時代に京粟田口の刀工藤四郎吉光の作と伝わる名刀。「名物骨喰藤四郎」の呼名で「享保名物帳」に登場する所謂名物刀の一口である。刀身に倶利伽羅龍や不動明王が彫刻されている美しい脇差で、斬る真似をするだけで骨まで砕いたという伝説をもち、 源頼朝から大友家、足利将軍家、豊臣秀吉・秀頼、徳川将軍家と伝来した名刀。重要文化財に指定。普段は京都国立博物館へ寄託。
豊国神社では、7月22日(土)から9月10日(日)まで「夏の特別拝観」を通常非公開の書院(恭明宮遺構)でされていたのを豊国神社のTwitterで知り、御朱印の他に特別公開も行くつもりでした。拝観料は800円と、缶バッチがついてました。
絵柄は3種類あって選べません。この豊国祭礼図特製缶バッジがついてました。
書院への入口は、こちから入ります。私は初めての書院ですが・・・。
2021年(令和3年)の「第46回 京の夏の旅」で、この豊国神社の書院が公開されました。私も行くつもりで、事前予約を済ませていたところ、新型コロナウイルスが蔓延して、途中で中止となりました。凄く、心残りでしたので2年前のリベンジを今日果たせたわけです。
ここで靴を脱いで上がります。
「書院(恭明宮遺構)」は、明治初期に、皇室歴代の位牌や念持仏を祀るとともに京都に残った宮中女官の居住施設として建てられた 恭明宮(きょうめいぐう)の遺構です。
室内はエアコンが効いてて涼しかったです。暑くてバテてたので助かりました。ここではガイドさんがスタンバイされてて、質問を聞いてくれます。
ここのは全てレプリカのため、写真撮影もOKでした。先程、御朱印をいただいた「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」も展示されてました。
「豊国祭礼図屏風」(右隻)、広大な豊国社を中心に8月14日の行事が描かれています。豊国祭礼は1604年(慶長9年)8月、豊臣秀吉公の七回忌に当たり盛大に挙行された祭礼。この右隻(うせき)側には、能楽、田楽、そして200騎の騎馬揃えの模様が描かれており重要文化財に指定されています。
「豊国祭礼図屏風」(左隻)、巨大な大仏殿を中心に置き、8月15日の「風流踊り」と16日の大仏殿内での「施餓鬼」の様子が描かれています。左隻(させき)側には、華麗に繰り広げられている風流踊りの模様が、そして仮装した人物も、南蛮人や七福神、そして筍の着ぐるみをした人など大変楽しい屏風となっています。
こちらは通常、宝物館でも見られますが、館内が暗いので、こうしてライトを当てて見やすくされていると案内で聞きました。
こちらは、案内によると初公開の「洛中洛外屏風図」(六曲一双)で、江戸時代の作。京都府福知山市足立家から奉納されたもの。右隻の中央には大きく天守閣が聳える二条城が。右側には金閣寺、北野天満宮、北野経堂などが描かれています。。左隻には右側から伏見稲荷、東福寺、豊国社、そして方広寺の大仏殿、清水寺、八坂の塔、祇園社、京都御所などが描かれていました。ただ位置関係は?がつきますね。地元の人が見れば😊。
こちらは豊臣秀頼公8歳の自筆「豊国大明神」の御神号とありました。1600年(慶長5年)に書かれたもの。妙法院より1876年(明治9年)に豊国社に返納されたもの。箱には「豊臣右府八歳筆」と読み取れますね。8歳で右大臣ですか・・・。
この兜は案内はありませんでした。お隣は「螺鈿唐花楼閣人物文(らでんからはなろうかくじんぶつもん)」刀掛台、明時代と書いてありました。
ここはエアコンの冷房が効いてて、暫く座って休憩してました。次の宝物館には冷房は無いので暑いらしいです。
10時19分に1925年(大正14年)12月に開館し秀吉公ゆかりの品々が納められている「宝物館」に入りました。10時30分には京阪七条駅に戻りたかったので、少し書院で長居しすぎましたね、電車間に合うかなぁ。
ここは何度か入っているので、あっさりです。それより聞いていたとおりエアコンないので、蒸し風呂みたいでした。
10時22分に、国宝「唐門」前で参拝し、ここを出て行きました。前途したとおり、正月三が日は、唐門内に入れます。
この唐門の左右には鯉の彫刻が施されています。鯉の滝登りを描いたもので、鯉は龍門の滝を昇り龍になると言われ、この門は登竜門として造られたものです。爛漫には左甚五郎作と伝わる大きな鶴の彫刻があります。ただ目玉が入れてません。これはあまりにも良く出来た彫刻のため目玉を入れると魂が入り何処かに飛んで行ってしまうとの伝説が残っています。
こちらを10時24分頃に出て行き、京阪七条駅9時43分発の準急に乗れました。次の目的地である三条駅には9時49分に着いて、地下鉄東西線に乗り換えです。地下鉄京阪三条を10時51分発の電車に乗ることができたので、太秦天神川駅には11時3分に着き、そこから余裕て間に合った市バスに乗って帰りました。家に着くと、全身汗だくだったので、水シャワーを浴び涼んだので、熱中症は大丈夫でしたね。曇っていたのが、本当に助かりました。次は9月1日(金)に最後の一社、建勲神社に行きます。
豊国神社も、毎年お正月に「京都十六社朱印めくり」で来ています。正月三が日は、国宝唐門内に入れるので、2日か3日に来て御朱印をいただいています。
七条駅から歩いて10時5分に着きました。10分もかかったのと、少し登っているんですね、大変疲れました。この日の最高気温は33.6℃と猛暑日にはなりませんでしたが、湿気が多くて暑かったですね😂。
着くと体調を考えて、真っ先に社務所に向かいました。こちらの御朱印には「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」と書かれています。
「薙刀直シ刀」は、鎌倉時代に京粟田口の刀工藤四郎吉光の作と伝わる名刀。「名物骨喰藤四郎」の呼名で「享保名物帳」に登場する所謂名物刀の一口である。刀身に倶利伽羅龍や不動明王が彫刻されている美しい脇差で、斬る真似をするだけで骨まで砕いたという伝説をもち、 源頼朝から大友家、足利将軍家、豊臣秀吉・秀頼、徳川将軍家と伝来した名刀。重要文化財に指定。普段は京都国立博物館へ寄託。
豊国神社では、7月22日(土)から9月10日(日)まで「夏の特別拝観」を通常非公開の書院(恭明宮遺構)でされていたのを豊国神社のTwitterで知り、御朱印の他に特別公開も行くつもりでした。拝観料は800円と、缶バッチがついてました。
絵柄は3種類あって選べません。この豊国祭礼図特製缶バッジがついてました。
書院への入口は、こちから入ります。私は初めての書院ですが・・・。
2021年(令和3年)の「第46回 京の夏の旅」で、この豊国神社の書院が公開されました。私も行くつもりで、事前予約を済ませていたところ、新型コロナウイルスが蔓延して、途中で中止となりました。凄く、心残りでしたので2年前のリベンジを今日果たせたわけです。
ここで靴を脱いで上がります。
「書院(恭明宮遺構)」は、明治初期に、皇室歴代の位牌や念持仏を祀るとともに京都に残った宮中女官の居住施設として建てられた 恭明宮(きょうめいぐう)の遺構です。
室内はエアコンが効いてて涼しかったです。暑くてバテてたので助かりました。ここではガイドさんがスタンバイされてて、質問を聞いてくれます。
ここのは全てレプリカのため、写真撮影もOKでした。先程、御朱印をいただいた「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」も展示されてました。
「豊国祭礼図屏風」(右隻)、広大な豊国社を中心に8月14日の行事が描かれています。豊国祭礼は1604年(慶長9年)8月、豊臣秀吉公の七回忌に当たり盛大に挙行された祭礼。この右隻(うせき)側には、能楽、田楽、そして200騎の騎馬揃えの模様が描かれており重要文化財に指定されています。
「豊国祭礼図屏風」(左隻)、巨大な大仏殿を中心に置き、8月15日の「風流踊り」と16日の大仏殿内での「施餓鬼」の様子が描かれています。左隻(させき)側には、華麗に繰り広げられている風流踊りの模様が、そして仮装した人物も、南蛮人や七福神、そして筍の着ぐるみをした人など大変楽しい屏風となっています。
こちらは通常、宝物館でも見られますが、館内が暗いので、こうしてライトを当てて見やすくされていると案内で聞きました。
こちらは、案内によると初公開の「洛中洛外屏風図」(六曲一双)で、江戸時代の作。京都府福知山市足立家から奉納されたもの。右隻の中央には大きく天守閣が聳える二条城が。右側には金閣寺、北野天満宮、北野経堂などが描かれています。。左隻には右側から伏見稲荷、東福寺、豊国社、そして方広寺の大仏殿、清水寺、八坂の塔、祇園社、京都御所などが描かれていました。ただ位置関係は?がつきますね。地元の人が見れば😊。
こちらは豊臣秀頼公8歳の自筆「豊国大明神」の御神号とありました。1600年(慶長5年)に書かれたもの。妙法院より1876年(明治9年)に豊国社に返納されたもの。箱には「豊臣右府八歳筆」と読み取れますね。8歳で右大臣ですか・・・。
この兜は案内はありませんでした。お隣は「螺鈿唐花楼閣人物文(らでんからはなろうかくじんぶつもん)」刀掛台、明時代と書いてありました。
ここはエアコンの冷房が効いてて、暫く座って休憩してました。次の宝物館には冷房は無いので暑いらしいです。
10時19分に1925年(大正14年)12月に開館し秀吉公ゆかりの品々が納められている「宝物館」に入りました。10時30分には京阪七条駅に戻りたかったので、少し書院で長居しすぎましたね、電車間に合うかなぁ。
ここは何度か入っているので、あっさりです。それより聞いていたとおりエアコンないので、蒸し風呂みたいでした。
10時22分に、国宝「唐門」前で参拝し、ここを出て行きました。前途したとおり、正月三が日は、唐門内に入れます。
この唐門の左右には鯉の彫刻が施されています。鯉の滝登りを描いたもので、鯉は龍門の滝を昇り龍になると言われ、この門は登竜門として造られたものです。爛漫には左甚五郎作と伝わる大きな鶴の彫刻があります。ただ目玉が入れてません。これはあまりにも良く出来た彫刻のため目玉を入れると魂が入り何処かに飛んで行ってしまうとの伝説が残っています。
こちらを10時24分頃に出て行き、京阪七条駅9時43分発の準急に乗れました。次の目的地である三条駅には9時49分に着いて、地下鉄東西線に乗り換えです。地下鉄京阪三条を10時51分発の電車に乗ることができたので、太秦天神川駅には11時3分に着き、そこから余裕て間に合った市バスに乗って帰りました。家に着くと、全身汗だくだったので、水シャワーを浴び涼んだので、熱中症は大丈夫でしたね。曇っていたのが、本当に助かりました。次は9月1日(金)に最後の一社、建勲神社に行きます。
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