新京極御朱印めぐり「染殿院(染殿地蔵院)」へ

9月18日(木)は、阪神タイガースが、18年振りに優勝し、翌日の関西ローカル番組は、阪神一色でした😊。私自身は、野球に興味が無いので、何処が優勝しようがどうでも良いのが本音です😊。ただ、本当に関西の方が全員、阪神ファンなんかなぁ・・・と思うぐらい、テレビでは盛り上がってましたね😊。

さて、野球の話しはここまでにして、9月15日(金)は、妻が所用で四条烏丸まで出掛けることが決まっていたこともあって、この日に私ら夫婦の記念日の食事をすることにしました。予約したのは随分前のことで、この日になれば多少は、涼しくなっているだろなぁと思ったところ、気象庁より、京都には暑さ指数(WBGT)が「危険」と出されました。それもそのはずで、この日の京都市の最低気温が26.6℃、最高気温が34.6℃で、大変蒸し暑かったです。もう9月の半ばというのに、異常ですよね。でも、予約したので行きましたけど・・・。

私は京都バスで四条烏丸まで行きました。着いたのが10時頃でしたが、バスの中が涼しかったので、外に出ると蒸し暑さに、予約した日を間違えたなぁ・・・と。そこから歩いて高島屋京都店に行き、少し涼みに入りました。そこで汗を拭い、水分を補給して15分ぐらい座って休憩しました。そして汗も引いたことから、この日最初に行く予定にしていた新京極御朱印めぐり「染殿院(染殿地蔵院)」に向かいました。

この日、食事に行くのに際し、新京極通りや寺町通りで、御朱印を貰える寺院を探してました。すっかり忘れてましたが、新京極通りには、「新京極御朱印めぐり」と銘打って、御朱印を貰える寺院が点在してます。そのうち何箇所かは既に行っていたので、未訪の寺院を回ることにして、朱印帳を持参して来てました。暑さと朱印帳の重さと水筒の重さ、そして汗をかくのでタオルも持参していたので、鞄の重たいこと😂。高島屋京都店を出て、四条通りを渡ります。そして新京極通りに入った左手に、小さな門がありました。そこが「染殿院((染殿地蔵院)」の入口です。知らないと、ほぼ通り過ぎてしまうでしょう。

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京都で最も賑やかな商店街が建ち並ぶ店と店との間に、入口があります。外国人観光客も気づかずに通り過ぎて行かれます。10時51分に、ここから入りました。

開基は、808年(大同3年)弘法大師空海による。平安時代初期、第55代文徳天皇の后であった藤原明子(ふじわらのあきらけいこ)は父の太政大臣藤原良房のあった屋敷である染殿第(そめどのだい)に住んでいたため「染殿后(そめどののきさき)」とよばれていました。そんな折り、四条の地蔵菩薩が子宝に御利益があるとききつけた染殿后が願掛けをしたところ懐妊し、のちの第56代清和天皇を産んだことで、宮廷における摂政関白を藤原氏が独占することが築かれた。そしてここは安産の御利益が有名となり、明子が染殿后と呼ばれていたことにあやかって「染殿地蔵」と称された。元は真言宗の寺院でしたが、足利幕府3代将軍義満が、時宗大本山金蓮寺に寄進したことで、以降は時宗金蓮寺の末寺となりました。現在の本堂は、1864年(元治元年)京都御所が大火に見舞われた時に建てられた仮の堂宇である。

IMG_7727.jpgここのHPを見ると、火曜日と水曜日は閉門されているようです。開門時間は10時から18時まで。私も、このHPで確認して来ました。

IMG_7737.jpg四条通りから入ると、正面に「本堂」が見えると思います。ただ、四条通りからは・・・?。

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甘栗の老舗「林万昌堂」の店の中から入ります。(実際は、ここに門があるので店の中というより横を通るような・・・)

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お店の中に入って、四条通りに出てみると、このような石碑が建ってました。

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石標の裏には、林万昌堂の名前も読み取れます。寄進されたようですね。

IMG_7733.jpgIMG_7734.jpgIMG_7732.jpgIMG_7731.jpgIMG_7730.jpg「堂内」の奥を見ると、厨子は閉まってて、ご本尊は見えません。調べると、ご本尊の地蔵菩薩は、空海作で2㍍の木像裸像だそうです。ただ50年に一度の御開帳のため、寺院の方も見られたことがないそうです。

次の御開帳は何時でしょうね。聞きそびれました。お堂の前にベルがあって、それを押すと奥から出て来られたので御朱印お願いしました。

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この御朱印にはQRコードがあって、帰ってからスマホでみました。こちらにはボカシ入れました。貰われてから見て下さい😊。

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10時55分に、ここを出ました。また、新京極通りに出ます。やっぱり、こんなに暑いので、歩いているのは外国人観光客ばかりです。

金蓮寺(こんれんじ)は、1928年(昭和3年)~1930年(昭和5年)に、京都市北区の鷹峯に移転し、塔頭寺院であった染殿院だけ残って現在に至っています。繁華街に残されたわけですね。このあと、次へと向かいました。

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