新京極御朱印めぐり「蛸薬師堂 永福寺」「西光寺 寅薬師」へ
2020年(令和2年)2月27日に来ている蛸薬師堂 永福寺の前を通りスルーしましたが、10月7日(土)から始まった京都十二薬師霊場特別公開で、堂内に入れました。訪問は10月13日(金)でした。
10月9日(月・祝)~13日(金)、10月16日(月)~20日(金)の9時~11時30分は、普段、祈祷の方のもの入堂でしたが、間近でお前立と十二神将を見られました。ただ、ご本尊の薬師如来の御開帳はありませんでした。
多分、次の御開帳は来年の筈ですが・・・せっかく来たので、御朱印もいただきました。拝観料は志納でしので、お賽銭箱に100円入れさせて貰いました。
1181年(養和元年)室町の林秀が、比叡山の御本尊薬師如来の夢告により与えられた伝教大師が彫られた石仏の薬師如来をおまつりした六間四面の堂を作り、永福寺と名付けられたのが始まり。善光という僧が、戒めに背き、病気の母親に好物のタコを買う孝行譚に由来し、本尊薬師如来は秘仏で、8年に1度御開帳され、前回は2016年(平成28年)でした。ここは、病気平癒の御祈祷で有名で、毎月8日10時より14時まで大般若会が勤修され、ガン封じや心身の病気平癒、諸願成就を祈願する人々の参拝が多い。この蛸薬師如来を参拝する人々で賑わった参道を蛸薬師通りと呼ぶようになりました。
次に向かったのが新京極御朱印めぐり「西光寺 寅薬師」です。
新京極通りの東側にある門に11時8分に着きました。入口は狭いので、知らなかったら通り過ぎるでしょう。
路地の奥を進むと、中門があって、それをくぐると左手にお堂がありました。
堂内は、硝子越しですがはっきりと見えます。御朱印の場合はベルを押すと、なかから僧侶の方が出て来られ、御朱印お願いしました。
本堂内は、撮影禁止と書かれてました。その内陣正面にご本尊の阿弥陀如来像や安産守護の腹帯地蔵尊像が、左手には寅薬師の薬師如来像、脇侍の日光月光菩薩と十二神将がお祀りされています。
北亀山 西光寺は通称の「寅薬師」で知られている。浄土宗西山深草派に属し、本尊は阿弥陀如来。創建年代は不詳であるが、「宮中にあった寅薬師如来像を、後仇天皇が当寺に下賜し御倉堂として開基した」という寺伝によれば、1279年(弘安2年)~1282年(弘安5年)頃の創建となる。薬師如来は、弘法大師空海の作であり、成就したのが寅の日の寅の時刻であったことから「寅薬師」と称され、参拝する多くの人々にとって身近にある寺として親しまれる中で「寅薬師」が「西光寺」の通称名となった。開運・息災の御利益により、深く信仰を集めている。また、「腹帯地蔵菩薩」は、行基菩薩の作であり、安産子授けのお地蔵さまとして信仰を集め、腹帯を授かる女性や、子授け祈願の夫婦が多く参拝される。「京都十二薬師」霊場第十一番札所、「洛陽四十八地蔵大菩薩」霊場第三十四番札所となっている。創建された頃の場所は不明であるが、1591年(天正19年)頃に豊臣秀吉による寺町整備により、現在地に移転した。当時は広大な境内を有していたが、幕末の1864年(元治元年)による「禁門の変」で、洛中一帯が焼失。明治維新後の京都の復興を画策するに際し、各寺院の境内地を徴収して1872年(明治5年)に新たに道路を開通させます。それが今の新京極通りとなった。現在の商店街の体裁がと整ったのは1877年(明治10年)の頃。新京極には現在8社寺がありますが、各社寺の門前には、新京極通りと寺町通りを結ぶ小道があり、これは新京極通り開通以前の参道を遺したものです。
外に床几があるので、座って待ちました。その間に汗を拭い、水分を補給。堂内には上がれないので、外からお賽銭をしてお参りさせて貰いました。
御朱印をいただいたら、直ぐに出ました。11時13分に出て、次へと向かいました。ただ、目と鼻の先にありますが😊。
蛸薬師堂 永福寺と同様に、「京都十二薬師霊場特別公開」で堂内に入りました。普段は入れません。ご本尊阿弥陀如来像、薬師如来像(寅薬師)を間近で見せて貰いました😊。
10月9日(月・祝)~13日(金)、10月16日(月)~20日(金)の9時~11時30分は、普段、祈祷の方のもの入堂でしたが、間近でお前立と十二神将を見られました。ただ、ご本尊の薬師如来の御開帳はありませんでした。
多分、次の御開帳は来年の筈ですが・・・せっかく来たので、御朱印もいただきました。拝観料は志納でしので、お賽銭箱に100円入れさせて貰いました。
1181年(養和元年)室町の林秀が、比叡山の御本尊薬師如来の夢告により与えられた伝教大師が彫られた石仏の薬師如来をおまつりした六間四面の堂を作り、永福寺と名付けられたのが始まり。善光という僧が、戒めに背き、病気の母親に好物のタコを買う孝行譚に由来し、本尊薬師如来は秘仏で、8年に1度御開帳され、前回は2016年(平成28年)でした。ここは、病気平癒の御祈祷で有名で、毎月8日10時より14時まで大般若会が勤修され、ガン封じや心身の病気平癒、諸願成就を祈願する人々の参拝が多い。この蛸薬師如来を参拝する人々で賑わった参道を蛸薬師通りと呼ぶようになりました。
次に向かったのが新京極御朱印めぐり「西光寺 寅薬師」です。
新京極通りの東側にある門に11時8分に着きました。入口は狭いので、知らなかったら通り過ぎるでしょう。
路地の奥を進むと、中門があって、それをくぐると左手にお堂がありました。
堂内は、硝子越しですがはっきりと見えます。御朱印の場合はベルを押すと、なかから僧侶の方が出て来られ、御朱印お願いしました。
本堂内は、撮影禁止と書かれてました。その内陣正面にご本尊の阿弥陀如来像や安産守護の腹帯地蔵尊像が、左手には寅薬師の薬師如来像、脇侍の日光月光菩薩と十二神将がお祀りされています。
北亀山 西光寺は通称の「寅薬師」で知られている。浄土宗西山深草派に属し、本尊は阿弥陀如来。創建年代は不詳であるが、「宮中にあった寅薬師如来像を、後仇天皇が当寺に下賜し御倉堂として開基した」という寺伝によれば、1279年(弘安2年)~1282年(弘安5年)頃の創建となる。薬師如来は、弘法大師空海の作であり、成就したのが寅の日の寅の時刻であったことから「寅薬師」と称され、参拝する多くの人々にとって身近にある寺として親しまれる中で「寅薬師」が「西光寺」の通称名となった。開運・息災の御利益により、深く信仰を集めている。また、「腹帯地蔵菩薩」は、行基菩薩の作であり、安産子授けのお地蔵さまとして信仰を集め、腹帯を授かる女性や、子授け祈願の夫婦が多く参拝される。「京都十二薬師」霊場第十一番札所、「洛陽四十八地蔵大菩薩」霊場第三十四番札所となっている。創建された頃の場所は不明であるが、1591年(天正19年)頃に豊臣秀吉による寺町整備により、現在地に移転した。当時は広大な境内を有していたが、幕末の1864年(元治元年)による「禁門の変」で、洛中一帯が焼失。明治維新後の京都の復興を画策するに際し、各寺院の境内地を徴収して1872年(明治5年)に新たに道路を開通させます。それが今の新京極通りとなった。現在の商店街の体裁がと整ったのは1877年(明治10年)の頃。新京極には現在8社寺がありますが、各社寺の門前には、新京極通りと寺町通りを結ぶ小道があり、これは新京極通り開通以前の参道を遺したものです。
外に床几があるので、座って待ちました。その間に汗を拭い、水分を補給。堂内には上がれないので、外からお賽銭をしてお参りさせて貰いました。
御朱印をいただいたら、直ぐに出ました。11時13分に出て、次へと向かいました。ただ、目と鼻の先にありますが😊。
蛸薬師堂 永福寺と同様に、「京都十二薬師霊場特別公開」で堂内に入りました。普段は入れません。ご本尊阿弥陀如来像、薬師如来像(寅薬師)を間近で見せて貰いました😊。
この記事へのコメント
蛸薬師ですよね。通りの名前として有名ですが、
その由来となった蛸薬師は、永福寺という
お寺さんでしたか。蛸薬師の名の由来を語る説話が
面白い気がしました。一方で、寅薬師と呼ばれるお寺さんも
あるとは…。初めて聞くのでびっくりです。
蛸薬師にしろ、寅薬師にしろ、この親しみやすい名前は
お薬師さんが庶民にまで広く信仰された事と関係ありそうですね。
ここ最近、ずっと出掛けていたのでお返事遅くなりました。
写真が撮れなかったですが、撫蛸も居ます。( ^_^) 滅多に堂内に上がれないので、良い機会でした。ご本尊は秘仏のためみられませんでしたが、それでも充分です。
この十二薬師霊場を重点的に最近巡ってました。( ^_^)