新京極御朱印めぐり「誠心院(和泉式部寺)」へ
西光寺 寅薬師で御朱印をいただいたら、新京極通りを北上し、直ぐの所にある「誠心院」に行きました。ここも新京極御朱印めぐりで、御朱印をいただけます。
ここは、和泉式部ゆかりの寺として、以前から知ってました。この日、新京極までやって来たので、寄ってみたわけです。ここは以前から気になってました。それは和泉式部ゆかりの寺と聞いていたからです。
余談ですが、来年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、紫式部が主人公で、吉高由里子さんが演じられます。現在、分かっているのは藤原道真には、柄本佑さん、藤原彰子を見上愛さん、赤染衛門(あかぞめえもん)に凰稀かなめさんが演じられますが、和泉式部の役は決まってないようです。決まったら加筆させて貰います。と言うのも和泉式部は・・・?。
平安中期の女流歌人。大江雅致(おおえのまさむね)の娘。和泉守橘道貞と結婚で、父の官名と夫の任国とあわせて「和泉式部」と呼ばれた。子の小式部内侍(こしきぶのないし)も平安中期の女流歌人。母とともに上東門院彰子に仕えた。第63代冷泉天皇の皇子である為尊(ためたか)親王、次いでその弟の敦道(あつみち)親王と恋に落ちますが、ともに早世してしまいます。その顛末を記した「和泉式部日記」が有名です。その後、藤原道長の娘である上東門院彰子に女官として仕え、同僚に紫式部、赤染衛門(あかぞめえもん)がいたもよう。生没年未詳。中古三十六歌仙の一人。代々の勅撰集におさめられている和歌は247首に及んでいる。
11時13分に西光寺 寅薬師を出て、誠心院には11時13分に着きました。30㍍も無かったかなぁ。
門を入ると正面に「本堂」がありますが、非公開です。毎年、3月21日の「和泉式部忌」で公開されるそうです。
本堂前には、和泉式部と娘の小式部内侍(こしきぶのないし)の写真を撮ることができる顔出しパネルがありますが、妻はやりませんでした😊。
本堂の内陣奥に本尊の阿弥陀如来像が、その手前に初代住職和泉式部像、左右に弘法大師像と藤原道長公像を安置されてるそうです。
華嶽山東北寺(かがくざんとうぼくじ)誠心院と号する真言宗泉涌寺派の寺で、才色兼備で知られる平安時代の代表的な女流歌人・和泉式部を初代住職とする。通称の和泉式部寺の名でも知られている。寺伝によれば、関白藤原道長が、娘の上東門院(じょうとうもんいん)の藤原彰子(しょうし・一条天皇中宮)に仕えていた和泉式部のために、法成寺東北院内の一庵を与えたのが当寺の起こりとされている。当所、御所の東側(荒神口の辺り)にあったが、鴨川の氾濫などにより、一条小川(上京区)に移築再建され、さらに天正年間(1573~91)豊臣秀吉の命令で、この地に移された。本堂は、小御堂と呼ばれ、堂内にはご本尊の阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部、藤原道真のそれぞれの像を安置している。境内には和泉式部の墓と伝わる宝篋印塔及び式部の歌碑が建てられている。傍らの梅の木は、式部が生前愛木した「軒端(のきば)の梅」に因んで、後に植えられたものである。
本堂の裏手を回り込むと、寺務所があって、そこで御朱印をいただきました。ただ、締め切った部屋で暑くて暑くて、待っている間に汗が噴き出しました😂。
ご本尊の阿弥陀如来を書いて貰いました。次は3月21日の「和泉式部忌」に行って見たいですね。
御朱印のあと、事前に調べて知っていた和泉式部の宝篋印塔を見に行きました。
この石塔は1313年(正和2年)に改修建立されたものです。高さ約4㍍、幅約2.4㍍もあります。江戸時代の名所絵図には、石塔と友に、傍らにあった軒端の梅が描かれてて、和泉式部を慕い多くの人が参拝したもようです。近年、整備の機会を得、新京極通りから直接参拝出来るようになり、毎日多くの女性が訪れるようになりました。
この宝篋印塔の裏には「二十五菩薩像」がありました。天正年間(1573年から1592年)に現在地に移転。和泉式部の故事により建立された阿弥陀如来と二十五菩薩像です。
ここを出る前に開運隆昌の「水かけの行者さん」に寄りました。役の行者(神変大菩薩)さんは修験道(しゅげんどう)の祖とされ、山岳仏教のある各山に役行者の伝説が残ります。
最初に、この門を入った時には気づかずにいたパネルがあって、「和泉式部縁起絵巻」が飾ってありました。もちろん本物ではありません😊。
「和泉式部縁起絵巻」は、毎年、3月21日の「和泉式部忌」での寺宝展では見られるようです。
そして、入口にあった「鈴なり輪」です。願いごとをしながら回しました。手を詰めないように気をつけて😊。
11時20分に、誠心院(和泉式部寺)を出て、直ぐの所に新京極御朱印めぐりの「誓願寺」があって、2020年(令和2年)2月27日に行ってます。ここは外から巨大なご本尊が見えるので、外国人観光客が数組来てました。私は、予約している時間・・・11時30分に近づいてきたので、このあとそちらに向かいました。
ここは、和泉式部ゆかりの寺として、以前から知ってました。この日、新京極までやって来たので、寄ってみたわけです。ここは以前から気になってました。それは和泉式部ゆかりの寺と聞いていたからです。
余談ですが、来年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、紫式部が主人公で、吉高由里子さんが演じられます。現在、分かっているのは藤原道真には、柄本佑さん、藤原彰子を見上愛さん、赤染衛門(あかぞめえもん)に凰稀かなめさんが演じられますが、和泉式部の役は決まってないようです。決まったら加筆させて貰います。と言うのも和泉式部は・・・?。
平安中期の女流歌人。大江雅致(おおえのまさむね)の娘。和泉守橘道貞と結婚で、父の官名と夫の任国とあわせて「和泉式部」と呼ばれた。子の小式部内侍(こしきぶのないし)も平安中期の女流歌人。母とともに上東門院彰子に仕えた。第63代冷泉天皇の皇子である為尊(ためたか)親王、次いでその弟の敦道(あつみち)親王と恋に落ちますが、ともに早世してしまいます。その顛末を記した「和泉式部日記」が有名です。その後、藤原道長の娘である上東門院彰子に女官として仕え、同僚に紫式部、赤染衛門(あかぞめえもん)がいたもよう。生没年未詳。中古三十六歌仙の一人。代々の勅撰集におさめられている和歌は247首に及んでいる。
11時13分に西光寺 寅薬師を出て、誠心院には11時13分に着きました。30㍍も無かったかなぁ。
門を入ると正面に「本堂」がありますが、非公開です。毎年、3月21日の「和泉式部忌」で公開されるそうです。
本堂前には、和泉式部と娘の小式部内侍(こしきぶのないし)の写真を撮ることができる顔出しパネルがありますが、妻はやりませんでした😊。
本堂の内陣奥に本尊の阿弥陀如来像が、その手前に初代住職和泉式部像、左右に弘法大師像と藤原道長公像を安置されてるそうです。
華嶽山東北寺(かがくざんとうぼくじ)誠心院と号する真言宗泉涌寺派の寺で、才色兼備で知られる平安時代の代表的な女流歌人・和泉式部を初代住職とする。通称の和泉式部寺の名でも知られている。寺伝によれば、関白藤原道長が、娘の上東門院(じょうとうもんいん)の藤原彰子(しょうし・一条天皇中宮)に仕えていた和泉式部のために、法成寺東北院内の一庵を与えたのが当寺の起こりとされている。当所、御所の東側(荒神口の辺り)にあったが、鴨川の氾濫などにより、一条小川(上京区)に移築再建され、さらに天正年間(1573~91)豊臣秀吉の命令で、この地に移された。本堂は、小御堂と呼ばれ、堂内にはご本尊の阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部、藤原道真のそれぞれの像を安置している。境内には和泉式部の墓と伝わる宝篋印塔及び式部の歌碑が建てられている。傍らの梅の木は、式部が生前愛木した「軒端(のきば)の梅」に因んで、後に植えられたものである。
本堂の裏手を回り込むと、寺務所があって、そこで御朱印をいただきました。ただ、締め切った部屋で暑くて暑くて、待っている間に汗が噴き出しました😂。
ご本尊の阿弥陀如来を書いて貰いました。次は3月21日の「和泉式部忌」に行って見たいですね。
御朱印のあと、事前に調べて知っていた和泉式部の宝篋印塔を見に行きました。
この石塔は1313年(正和2年)に改修建立されたものです。高さ約4㍍、幅約2.4㍍もあります。江戸時代の名所絵図には、石塔と友に、傍らにあった軒端の梅が描かれてて、和泉式部を慕い多くの人が参拝したもようです。近年、整備の機会を得、新京極通りから直接参拝出来るようになり、毎日多くの女性が訪れるようになりました。
この宝篋印塔の裏には「二十五菩薩像」がありました。天正年間(1573年から1592年)に現在地に移転。和泉式部の故事により建立された阿弥陀如来と二十五菩薩像です。
ここを出る前に開運隆昌の「水かけの行者さん」に寄りました。役の行者(神変大菩薩)さんは修験道(しゅげんどう)の祖とされ、山岳仏教のある各山に役行者の伝説が残ります。
最初に、この門を入った時には気づかずにいたパネルがあって、「和泉式部縁起絵巻」が飾ってありました。もちろん本物ではありません😊。
「和泉式部縁起絵巻」は、毎年、3月21日の「和泉式部忌」での寺宝展では見られるようです。
そして、入口にあった「鈴なり輪」です。願いごとをしながら回しました。手を詰めないように気をつけて😊。
11時20分に、誠心院(和泉式部寺)を出て、直ぐの所に新京極御朱印めぐりの「誓願寺」があって、2020年(令和2年)2月27日に行ってます。ここは外から巨大なご本尊が見えるので、外国人観光客が数組来てました。私は、予約している時間・・・11時30分に近づいてきたので、このあとそちらに向かいました。
この記事へのコメント
さすが京都、平安時代からの寺社も数あるのですね。
そこに和泉式部の宝篋印塔があるのがびっくり。
鎌倉時代の終わりに改修されたもとですか。
二十五菩薩像も、もとは歴史が古そうです。
来年は、大河ドラマの影響でこちらに訪れる人が増えるでしょうね。
紫式部との絡みはドラマも見所にひとつかもしれません。
ここ2週間ばかりずっと出掛けていたのでお返事遅くなりました。
来年のNHK大河ドラマ「光君へ」は紫式部が主人公。多分、和泉式部も出て来るでしょう。繁華街の片隅にある寺ですが、殆どの方は素通りされます。来年になったら脚光浴びるかもです。