第48回「京の夏の旅」~新選組結成160年&世界遺産~旧前川邸へ
新徳寺を出て、坊城通りを少しだけ北に上がり、綾小路通りの東南角にあるのが新撰組の舞台となった旧前川邸があります。「第48回 京の夏の旅」は、~新選組結成160年&世界遺産~と題して、特別公開が始まりましたうちの一つです。
この壬生寺周りの風景も、随分変わりました。ただ、綾小路通りの風景は変わってないですね。懐かしいです。八木邸や前川邸は小さい頃から知ってましたが、まさか特別拝観され、それを私が見に来るなんて、思っても見なかったです。壬生を出て40年近くになりますが、最近はGoogle ストリートビュで、時々壬生の街並みを見ています。😊
旧前川邸は知っているので、地図も見ずに行ってみると、受付がありません。よくよく看板を見ると、坊城通り側から入るように書いてあります。先程通過してました。
もちろん見てましたが、まさかここから入るなんて思っても無かったです。
10時30分に入りました。行きすぎていたので、こんな時間になりましたが、本当は新徳寺から1分程度で行けたはずです。
門を入ると、左に受付がありました。拝観料は800円、ここは東の蔵だけの公開と知っていたので、少々割高かなぁ・・・と。
旧前川邸は、1863年(文久3年)から約2年間、新選組の屯所となった建物。前川家は、八木源之丞(八木邸当主)や南部亀二(南部邸・八木邸の南側に隣接してましたが現在は取り壊されている)など、江戸時代には十家程の郷士(壬生住人士)であった一軒。名字帯刀を許され暮らし武家風でした。前川邸は掛屋(両替商)を営んでいたようです。かつての前川邸は、屋敷の総坪数が443坪、部屋数12間、146畳もある広い家であったといいます。2年間、屯所となった前川邸では、新選組にまつわる様々な出来事が起こったようです。1863年(文久3年)9月の芹沢鴨暗殺の日には、土方らはこの土蔵の二階から八木邸を見張っており、芹沢一派が島原からの帰還し、部屋の明かりが消えるのを見届けてから八木邸に討ち入ったという。1864年(元治元年)6月5日の朝、長州派の薪炭商・枡屋喜右衛門こと古高俊太郎(尊王攘夷派)が吊るされて新選組2副隊長の土方歳三らから拷問を受けたのが、前川邸「東の蔵」でした。激しい拷問だったようで、自白(諸説あり)によって1864年(元治元年)6月5日「池田屋事件」によって、新撰組の名は一躍有名になりました。サブタイトルであるように「池田屋事件の端緒 新選組屯所跡に残る土蔵」でした。
ここで、2004年(平成16年)に放送されたNHK大河ドラマ「新選組!」での演者名を参考までに調べてみました。八木源之丞(演:伊東四朗)、芹沢鴨(演:佐藤浩市)、古高俊太郎(演:中山俊)、佐々木只三郎(演:伊原剛志)。再放送されたら見たいですね😊。
拝観料を納めると、その向井にある「西の蔵」の案内がありました。ただ、こちらには入れません。
隣接して建つ2つの蔵のうち「西の蔵」は味噌蔵として使用され、「東の蔵」は貴重品として使われてました。同時期に立て始められたが、「西の蔵」が1837年(天保8年)、「東の蔵」は1839年(天保10年)に完成しており、「東の蔵」が2年遅れで完成したのは、それだけ頑丈に造られたためです。蔵の正面や止め瓦には「三重丸の刻」がは入っています。これは前川家の家紋ではなく、掛屋(両替商)を営んでいた前川家の御所出入りのための門鑑(もんかん)の印です。
東の蔵の:見学の前に、外壁に展示されている長屋門の「格子窓」を案内されました。当時は、外にあって今は外されているので、ここで見学となります。そこには刀傷がついていました。
靴を脱いで、蔵の中に入る前にガイドさんより、「三重丸の刻」を指さして教えてくれました。案内が無かったら素通りしたでしょう。
蔵の中では案内が始まっています。入ると時に蔵の扉について、案内がありました。貴重品保管庫(金庫)なので扉が四重と、凄く頑丈に作られたことが分かりますね。厚さだけで1㍍はあるかなぁ?。
蔵の中は禁止されてます。ガイドさんは1階と2階に居ますが、何れも途中からとなりました。ただ、エアコンも無い蔵の中は蒸し風呂みたいでした。案内には涼しさを感じるとありましたが、私は汗が噴き出てきました。今日は湿気が低くて、気温も真夏日じゃ無かったけど、猛暑が続いたとき38℃が続いた時は、どうだったんでしょうか、ざっと見ただけで暑さに負けて出て行きました😂。
チケットに蔵の中の写真が載せてありました。滑車は当時のままらしいけど、この縄がなんだかリアルで、見てて怖いですね。
1階部分の床板の一部を外して金庫として使用、2階の床の一部も開けると地下金庫まで通じるように、荷物昇降用の荒縄が梁から吊るされています。ここに吊されたと想像すると・・・?。
この前川邸には、壬生浪士の山南敬助が切腹したとされる仏間がありますが、今回は公開されませんでした。文武両道に秀でた新撰組の副長や総長を務めた山南敬助は、近藤勇や土方歳三との対立を深め、最終的には脱走したことで「新撰組の隊規に違反した」とされ、切腹に追い込まれました。NHK大河ドラマ「新選組!」では、堺雅人が演じられました。
この放送を見た、妻が凄く泣いてて、そんなに良かったのか?と訪ねた記憶があります。名演技だったみたいですね。VIVANTの乃良かった良かったけど、この日の訪問で、新撰組も勉強できたし、再放送されたら絶対みます😊。このあと、妻と待ち合わせしている和菓子屋さんに向かいました。
この壬生寺周りの風景も、随分変わりました。ただ、綾小路通りの風景は変わってないですね。懐かしいです。八木邸や前川邸は小さい頃から知ってましたが、まさか特別拝観され、それを私が見に来るなんて、思っても見なかったです。壬生を出て40年近くになりますが、最近はGoogle ストリートビュで、時々壬生の街並みを見ています。😊
旧前川邸は知っているので、地図も見ずに行ってみると、受付がありません。よくよく看板を見ると、坊城通り側から入るように書いてあります。先程通過してました。
もちろん見てましたが、まさかここから入るなんて思っても無かったです。
10時30分に入りました。行きすぎていたので、こんな時間になりましたが、本当は新徳寺から1分程度で行けたはずです。
門を入ると、左に受付がありました。拝観料は800円、ここは東の蔵だけの公開と知っていたので、少々割高かなぁ・・・と。
旧前川邸は、1863年(文久3年)から約2年間、新選組の屯所となった建物。前川家は、八木源之丞(八木邸当主)や南部亀二(南部邸・八木邸の南側に隣接してましたが現在は取り壊されている)など、江戸時代には十家程の郷士(壬生住人士)であった一軒。名字帯刀を許され暮らし武家風でした。前川邸は掛屋(両替商)を営んでいたようです。かつての前川邸は、屋敷の総坪数が443坪、部屋数12間、146畳もある広い家であったといいます。2年間、屯所となった前川邸では、新選組にまつわる様々な出来事が起こったようです。1863年(文久3年)9月の芹沢鴨暗殺の日には、土方らはこの土蔵の二階から八木邸を見張っており、芹沢一派が島原からの帰還し、部屋の明かりが消えるのを見届けてから八木邸に討ち入ったという。1864年(元治元年)6月5日の朝、長州派の薪炭商・枡屋喜右衛門こと古高俊太郎(尊王攘夷派)が吊るされて新選組2副隊長の土方歳三らから拷問を受けたのが、前川邸「東の蔵」でした。激しい拷問だったようで、自白(諸説あり)によって1864年(元治元年)6月5日「池田屋事件」によって、新撰組の名は一躍有名になりました。サブタイトルであるように「池田屋事件の端緒 新選組屯所跡に残る土蔵」でした。
ここで、2004年(平成16年)に放送されたNHK大河ドラマ「新選組!」での演者名を参考までに調べてみました。八木源之丞(演:伊東四朗)、芹沢鴨(演:佐藤浩市)、古高俊太郎(演:中山俊)、佐々木只三郎(演:伊原剛志)。再放送されたら見たいですね😊。
拝観料を納めると、その向井にある「西の蔵」の案内がありました。ただ、こちらには入れません。
隣接して建つ2つの蔵のうち「西の蔵」は味噌蔵として使用され、「東の蔵」は貴重品として使われてました。同時期に立て始められたが、「西の蔵」が1837年(天保8年)、「東の蔵」は1839年(天保10年)に完成しており、「東の蔵」が2年遅れで完成したのは、それだけ頑丈に造られたためです。蔵の正面や止め瓦には「三重丸の刻」がは入っています。これは前川家の家紋ではなく、掛屋(両替商)を営んでいた前川家の御所出入りのための門鑑(もんかん)の印です。
東の蔵の:見学の前に、外壁に展示されている長屋門の「格子窓」を案内されました。当時は、外にあって今は外されているので、ここで見学となります。そこには刀傷がついていました。
靴を脱いで、蔵の中に入る前にガイドさんより、「三重丸の刻」を指さして教えてくれました。案内が無かったら素通りしたでしょう。
蔵の中では案内が始まっています。入ると時に蔵の扉について、案内がありました。貴重品保管庫(金庫)なので扉が四重と、凄く頑丈に作られたことが分かりますね。厚さだけで1㍍はあるかなぁ?。
蔵の中は禁止されてます。ガイドさんは1階と2階に居ますが、何れも途中からとなりました。ただ、エアコンも無い蔵の中は蒸し風呂みたいでした。案内には涼しさを感じるとありましたが、私は汗が噴き出てきました。今日は湿気が低くて、気温も真夏日じゃ無かったけど、猛暑が続いたとき38℃が続いた時は、どうだったんでしょうか、ざっと見ただけで暑さに負けて出て行きました😂。
チケットに蔵の中の写真が載せてありました。滑車は当時のままらしいけど、この縄がなんだかリアルで、見てて怖いですね。
1階部分の床板の一部を外して金庫として使用、2階の床の一部も開けると地下金庫まで通じるように、荷物昇降用の荒縄が梁から吊るされています。ここに吊されたと想像すると・・・?。
この前川邸には、壬生浪士の山南敬助が切腹したとされる仏間がありますが、今回は公開されませんでした。文武両道に秀でた新撰組の副長や総長を務めた山南敬助は、近藤勇や土方歳三との対立を深め、最終的には脱走したことで「新撰組の隊規に違反した」とされ、切腹に追い込まれました。NHK大河ドラマ「新選組!」では、堺雅人が演じられました。
この放送を見た、妻が凄く泣いてて、そんなに良かったのか?と訪ねた記憶があります。名演技だったみたいですね。VIVANTの乃良かった良かったけど、この日の訪問で、新撰組も勉強できたし、再放送されたら絶対みます😊。このあと、妻と待ち合わせしている和菓子屋さんに向かいました。
この記事へのコメント
演技は忘れられません。実は、下の娘が
その頃大の山南ファンで、高校卒業のお祝いに、
壬生寺・八木邸などを巡る京都旅行を
家族でしたくらいなんですよ。
旧前川邸は普段非公開なんですよね。
でも、何かちょっと懐かしい気がしました。
私は見てませんでしたが2004年(平成16年)に放送されたNHK大河ドラマ「新選組!」の山南敬助切腹の時は妻が泣いていたのを覚えています。
壬生には光縁寺に、山南敬助の墓が残っており、誰でも参拝できます。旧前川邸も、今も前川さん以外の方が住まわれていので、公開は珍しいです。ただ、山南敬助切腹の居間は非公開だったのは残念です。
幕末も知れば知るほど興味が出てきました。地元、壬生に住んでいたのに、あまりにも知らなすぎです。