新撰組発祥の地 壬生屯所旧邸 八木家ゆかりの「京都都鶴屋 鶴寿庵」へ

旧前川邸を出て、坊城通りの斜め向かいにあるのが旧八木邸です。こちらは通常拝観されており、私は2005年(平成17年)1月8日に1度だけ行ったと思います。もう18年も行ってないけど、ここは1度行ったら充分で、今日も入りません。

待合せをしていたのは、旧八木邸の八木家が経営されている京都都鶴屋 鶴寿庵でした。ここで和菓子でも食べて待ってて貰ってました。

IMG_8126.jpgIMG_8127.jpgIMG_8125.jpgIMG_8124.jpg10時38分に着きました。私がついた時は、八木邸の拝観受付をされてました。前途したとおり拝観はしないので、そのまま店に入ったわけです。

IMG_8114.jpgIMG_8115.jpgIMG_8116.jpgIMG_8123.jpg入ると妻が「今、和菓子とお茶のセットを注文している」と言ったので、私の分も追加注文しました😊。

IMG_8117.jpgIMG_8118.jpgこちらが私が注文した生菓子で、お抹茶は冷やしたのが出てきました。

IMG_8119.jpgIMG_8120.jpg先に妻が注文していた生菓子です。少しへつり(京都弁で削り取る)ましたが、美味しかったです😊。

今日は壬生寺に行かないので、ここから四条大宮に行ってバスで帰ります。その前にトイレを借りました。ここでは八木邸の拝観をされているのでトレイが併設されています。拝観者用でしょうけど、和菓子をいただいからね。

IMG_8128.jpgIMG_8130.jpg八木邸の拝観は、この門から入ります。ここより先は撮影禁止でした。ですから拝観してても、写真無しです。

八木家は、壬生村きっての旧家で、かつて壬生郷土の長老をつてめていた。また、幕末には新撰組の近藤勇、土方歳三らの宿舎となり、旧壬生屯所として知られている。建物は、長屋門が東に開き、その奥に主屋が南面して建つ。当家に残る普請願いから長屋門は1804(文化元年)、主屋は1809年(文化6年)の造営と知られる。主屋は、西端に土間を奥まで通し、土間に沿って居室を三室ずつ二列に配する。入口は土間部分に開くほか、東南隅に式台を備えた本玄関を配し、その北に仏間、奥座敷を一列に並べて格式ある構成をとっている。長屋門の外観は、腰に下見板を張り、与力窓や出格子窓を開くなど、昔の面影をよく残している。壬生地区は今日市街化が著しいが、かつては洛中に近接した農村であり、当家は幕末期の農家の遺構として、また、新撰組ゆかりの建築として貴重であり、1983年(昭和58年)6月1日京都市指定有形文化座に指定された。

随分前の拝観ですが、芹沢鴨の暗殺時についた刀傷、芹沢局長がつまずいた机なんか見られます。それぐらいしか覚えてないですね。

IMG_8131.jpg子供の頃、ここはそんなに綺麗じゃなかったように覚えています。その当時も拝観されていたのかなぁ・・・?。

ここの所在地が、京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町と言います。聞くだけで懐かしいですね😊。難解な地名じゃないので、普通に読めると思います。ここから予定どおり四条大宮に行き、そこからバスに乗って帰りました。

IMG_8157.jpgIMG_8158.jpgIMG_8159.jpgIMG_8160.jpg私が来る前に妻が土産を買ってました。壬生狂言の人気の演目「炮烙割り」に使われる炮烙に見たてた京三笠。生地に抹茶を練り込んだ抹茶味の2種です。美味しかったです。

この記事へのコメント

2023年11月03日 15:58
八木家の当主が和菓子屋を
営んでるんですか。今は何代目なのか、
家が続いてるという点が京都らしいと思います。
お抹茶に生菓子、見せてもらうだけでも
何だかとても美味しそうです。
壬生里
2023年11月06日 20:47
yasuhikoさんへコメントありがとうございます。

芹沢鴨暗殺の現場となった八木邸。暗殺時に刀傷や、つまずいた机なんか残っています。
今は、和菓子店を経営されてて、生菓子いただきましたが美味しかったです。八木邸を見学するとお菓子がついてきたと思います。