京都十二薬師霊場特別公開「福勝寺」へ
10月11日(水)は、3ヶ月毎に受診している通院日。いつもなら、受診後に薬を貰って直ぐに帰るところ、10月7日(土)から22日(日)まで、京都十二薬師霊場特別公開をされていたのをX(旧Twitter)で知り、それなら何箇寺か寄って行くことにしました。
京都十二薬師霊場とは、「第1番 平等寺」「第2番 東寺」「第3番 水薬師寺」「第4番 壬生寺」「第5番 真正極楽寺」「第6番 福勝寺」「第7番 雙林寺」「第8番 大超寺」「第9番 薬師院」「第10番 大福寺」「第11番 西光寺」「第12番 永福寺」の12ヶ寺で、リンクが貼ってないのが、未訪ということです。福勝寺は訪問が古すぎてブログ記事がありません。
この日の最初の訪問は、京都十二薬師霊場 第6番 福勝寺(瓢箪寺)から。ここは洛陽三十三所観音巡礼で、2006年(平成18年)7月16日に訪れて以来の訪問です。ただ、すっかり忘れてて、行ってから思い出して、帰ってから調べて分かったことです😊。
福勝寺は高祖弘法大師空海が、唐から帰国された後に、河内国古市郡中村(現在の大阪府羽曳野市)に創建。正嘉年間(1257~59)覚済僧正(第八十世東寺長者、四十五世醍醐寺座主)によって京都に移す。第107代後陽成天皇、第111代後西天皇の勅願寺となり、後西天皇が観世音菩薩に祈願し望みが叶ったお礼に御所紫宸殿の「左近の桜」を分栽され、桜寺の別称が生まれた。また、豊臣秀吉が武運を祈願して千成瓢箪を寄進、千成瓢箪を旗印に頂いたので「瓢箪寺」とも呼ばれ、節分に瓢箪のお守りが授与されます。ご本尊の薬師如来は別名「峰の薬師」ともいわれ、京都十二薬師の一つに数えられます。ただ50年に一度の御開帳で、次回は2035年、あと12年後です。福勝寺には歓喜天(聖天)が祀られており、豊臣秀吉はその歓喜天(聖天)に厚く信仰を寄せ、出陣の度に武運長久を祈願し瓢箪を奉納しました。戦勝の後に、その瓢箪を持ち帰り「千成瓢箪」を作り、旗印にした話は有名です。当寺が「瓢箪寺」と呼ばれるのも、これより出たと言われています。
千本通りの出水通りを西に入ると、このような看板が出てました。事前に調べて、この門から入るものと思っていたら閉まってました。この門は、九条家の屋敷にあったものと伝わり、寺紋は「下り藤」で、鉄柵にありました。
なお、こに門は2月3日の「節分」の時だけ開き、多くの参拝者が訪れ賑わいます。
こちらの「玄関」が開いてました。この門を見て、「あれっ、行ったことがあるぞ・・・」と思い出した次第です。この門に架かっている看板の四隅には瓢箪のマークがあります。
普段、「本堂」には入れません。2006年(平成18年)7月16日に来た時も、開いて無かったです。
本堂前で靴を脱いで上がりました。写真は、遠目から撮ったものです。
本尊の薬師如来は別名「峰の薬師」ともいわれています。薬師如来が祀られている厨子は閉まったままです。2035年の御開帳まで待つしかないです。
この「仏間」には、洛陽三十三所観音巡礼の聖観音菩薩が祀られています。そして、特別公開の「徳川家康像」「豊臣秀吉像」「十一面観音像」「後陽成天皇筆の軸」が展示されていました。なお、ここは撮影禁止でしたので、遠目から撮りました。
お参りを済ませて、出てきました。本堂に向かって右にある「十三重石塔」横に御所より分栽され桜が植えられています。この寺が別名「桜寺」と言われる由縁です。
本堂に入ったあと、御朱印をいただきに玄関を入りました。入ると先客がお一人。少し待って、2種の御朱印いただけました。
こちらには由緒書もありました。洛陽三十三所観音巡礼の時も、多分、ここで貰ったのでしょう、覚えてないけど・・・。
この日は、もう一箇所寄ります。それで、ここから丸太町七本松のバス停まで歩いて、そこから直ぐにきた204号系統のバスに乗れました😊。
京都十二薬師霊場とは、「第1番 平等寺」「第2番 東寺」「第3番 水薬師寺」「第4番 壬生寺」「第5番 真正極楽寺」「第6番 福勝寺」「第7番 雙林寺」「第8番 大超寺」「第9番 薬師院」「第10番 大福寺」「第11番 西光寺」「第12番 永福寺」の12ヶ寺で、リンクが貼ってないのが、未訪ということです。福勝寺は訪問が古すぎてブログ記事がありません。
この日の最初の訪問は、京都十二薬師霊場 第6番 福勝寺(瓢箪寺)から。ここは洛陽三十三所観音巡礼で、2006年(平成18年)7月16日に訪れて以来の訪問です。ただ、すっかり忘れてて、行ってから思い出して、帰ってから調べて分かったことです😊。
福勝寺は高祖弘法大師空海が、唐から帰国された後に、河内国古市郡中村(現在の大阪府羽曳野市)に創建。正嘉年間(1257~59)覚済僧正(第八十世東寺長者、四十五世醍醐寺座主)によって京都に移す。第107代後陽成天皇、第111代後西天皇の勅願寺となり、後西天皇が観世音菩薩に祈願し望みが叶ったお礼に御所紫宸殿の「左近の桜」を分栽され、桜寺の別称が生まれた。また、豊臣秀吉が武運を祈願して千成瓢箪を寄進、千成瓢箪を旗印に頂いたので「瓢箪寺」とも呼ばれ、節分に瓢箪のお守りが授与されます。ご本尊の薬師如来は別名「峰の薬師」ともいわれ、京都十二薬師の一つに数えられます。ただ50年に一度の御開帳で、次回は2035年、あと12年後です。福勝寺には歓喜天(聖天)が祀られており、豊臣秀吉はその歓喜天(聖天)に厚く信仰を寄せ、出陣の度に武運長久を祈願し瓢箪を奉納しました。戦勝の後に、その瓢箪を持ち帰り「千成瓢箪」を作り、旗印にした話は有名です。当寺が「瓢箪寺」と呼ばれるのも、これより出たと言われています。
千本通りの出水通りを西に入ると、このような看板が出てました。事前に調べて、この門から入るものと思っていたら閉まってました。この門は、九条家の屋敷にあったものと伝わり、寺紋は「下り藤」で、鉄柵にありました。
なお、こに門は2月3日の「節分」の時だけ開き、多くの参拝者が訪れ賑わいます。
こちらの「玄関」が開いてました。この門を見て、「あれっ、行ったことがあるぞ・・・」と思い出した次第です。この門に架かっている看板の四隅には瓢箪のマークがあります。
普段、「本堂」には入れません。2006年(平成18年)7月16日に来た時も、開いて無かったです。
本堂前で靴を脱いで上がりました。写真は、遠目から撮ったものです。
本尊の薬師如来は別名「峰の薬師」ともいわれています。薬師如来が祀られている厨子は閉まったままです。2035年の御開帳まで待つしかないです。
この「仏間」には、洛陽三十三所観音巡礼の聖観音菩薩が祀られています。そして、特別公開の「徳川家康像」「豊臣秀吉像」「十一面観音像」「後陽成天皇筆の軸」が展示されていました。なお、ここは撮影禁止でしたので、遠目から撮りました。
お参りを済ませて、出てきました。本堂に向かって右にある「十三重石塔」横に御所より分栽され桜が植えられています。この寺が別名「桜寺」と言われる由縁です。
本堂に入ったあと、御朱印をいただきに玄関を入りました。入ると先客がお一人。少し待って、2種の御朱印いただけました。
こちらには由緒書もありました。洛陽三十三所観音巡礼の時も、多分、ここで貰ったのでしょう、覚えてないけど・・・。
この日は、もう一箇所寄ります。それで、ここから丸太町七本松のバス停まで歩いて、そこから直ぐにきた204号系統のバスに乗れました😊。
この記事へのコメント
それで、特別公開の時だけ見られるのが幾つもあるわけですから。
本当に飽きることは無いし、見尽くせませんね。
今回は、京都十二薬師霊の場特別公開でしたか。
その中でも、福勝寺は本当に縁起のいい寺号だなと思いました。
同じことを秀吉も思ったのかも。だからこそ瓢箪を奉納したのでしょう。
そこで、瓢箪寺となったわけですね。
ご本尊は50年ごとの公開ですか。2035年、まだまだですね。
京都十二薬師参りは以前から知ってましたが、今回は普段入れない本堂に入れたり、ご本尊が見られるとあって、期間は短かったですが、精力的に回りました。
岩倉があるので、一日では難しいかも知れませんが、公共交通機関を使っても充分回れると思います。楽しかったですね。