京都十二薬師霊場特別公開「大福寺」へ
10月13日(金)、京都の最低気温は、今季最低の12.7℃と冷え込みました。まだ暖房が欲しい訳ではありませんが、寒かったですね。それで、外出時には薄手のジャンバーを着て出掛けました。この日は京都十二薬師霊場特別公開の三箇寺を巡るつもりで、バスに乗り京都市役所前で下車。そして向かったのが大福寺です。ここは初訪問でした。
バスは寺町通りの手前(西側)で止まるので、そこから西に向かって御池通り沿いを歩くと、最初は御幸町通りで信号を渡ります。そして次の麩屋町通りに来たら北上します。北に向かって歩いて行くと、最初の押小路通りは通り過ぎ、次之二条通りも通り過ぎると西側にお堂が見えてきます。そこが大福寺で10時24分に着きました。ここは、拝観時間が10時からとあったので10時を回る時間に来たわけです。
ご覧のように、このような小さなお堂です。ただお堂前の扉が全開と思いきや、いつもと変わらないですね。
大福寺は、天台宗の寺で、瑠璃光山利生院大福寺という。推古天皇の時代(593~628)に大和国(現在の奈良県)宮田郷に建立されたが、平安時代の初めに勅旨により京都に移され、七堂伽藍を有した。本尊の菩提薬師如来は聖徳太子の作といわれ、京都十二薬師の一つである。朝家の尊信極めて篤かったが、天明の大火(1788年)で炎上し、今はわずかにその面影をとどめるばかりである。 幕末には勤王の志士である梅田雲濱(うんぴん)が境内に仮住まいをして、妻を迎えている。雲濱は若狭(現在の福井県小浜市)出身で、尊王攘夷の志を抱き、京都に出て同志と交え国事に奔走したが、安政の大獄で吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎らと共に捕えられた。「大福」という縁起の良い寺号により、正月には商売繁盛を祈願して商家の出納帳に寺の宝印を授与する習わしがあり、「大福帳」の名の由来となっている。安産腹帯地蔵尊と京都七福神の布袋尊も祀り、現在も広く信仰を集めている。
初めて来たので分かりませんが、お堂の南側の扉が開いてました。ここで御朱印を貰えるかどうか・・・?。
入って、御朱印をお願いすると、「今は書き手がいないので、書き置きのみです。20分ぐらいで帰って来ますが・・・。」と。残念ですが書き置きをいただきました。
特に所用は無かったけど、20分で戻って来られる保証も無いしね。仕方ないです。案内では聖徳太子の自刻と説明を受けました。
ここの由緒書は無いそうで、「表の京都市の駒札を見て欲しい」と言われたので、帰りに見ます。
肝心の特別公開されているご本尊の「薬師如来((菩提薬師(ほていやくし))」が御開帳されてました。ただし、外からの見学です。
堂内に上がれないのは、狭いから仕方ないにしても、扉は開けて欲しかったです。ガラス越しの、しかも綺麗なガラスでないので、ほぼ見えないです。残念でした。撮影禁止となっていますが、あれでは写真撮っても写らないかと思います。
10時30分に出て行きました。この日の最低気温が12.7℃と寒かったけど、上着を着ずに来ました。最初はやっぱり寒かったけど、日中は25℃まで上がったので、結構汗かきましたね。暑かったです。ただ、最初湿度が34%と、カラッとした天気でした。ここから御池通りに戻り、寺町通りまで歩いて、そこから南下します。三条通りまで行く途中の喫茶店で、外国人観光客が20名ぐらい行列されてました。「スマート珈琲店」でしたが、なんで人気があるのか分かりません😊。三条通りから新京極通りに入り、次に向かったのが新京極御朱印めぐりで、10月4日に訪れた、「蛸薬師堂 永福寺」と「西光寺 寅薬師」の再訪です。
京都十二薬師霊場特別公開で、堂内に入れるので、大福寺のついでに、再訪しました。この模様は既にアップしてます。このあと、林万昌堂で甘栗を買って、大丸京都店で買い物をして、四条烏丸からバスに乗って帰りました。
バスは寺町通りの手前(西側)で止まるので、そこから西に向かって御池通り沿いを歩くと、最初は御幸町通りで信号を渡ります。そして次の麩屋町通りに来たら北上します。北に向かって歩いて行くと、最初の押小路通りは通り過ぎ、次之二条通りも通り過ぎると西側にお堂が見えてきます。そこが大福寺で10時24分に着きました。ここは、拝観時間が10時からとあったので10時を回る時間に来たわけです。
ご覧のように、このような小さなお堂です。ただお堂前の扉が全開と思いきや、いつもと変わらないですね。
大福寺は、天台宗の寺で、瑠璃光山利生院大福寺という。推古天皇の時代(593~628)に大和国(現在の奈良県)宮田郷に建立されたが、平安時代の初めに勅旨により京都に移され、七堂伽藍を有した。本尊の菩提薬師如来は聖徳太子の作といわれ、京都十二薬師の一つである。朝家の尊信極めて篤かったが、天明の大火(1788年)で炎上し、今はわずかにその面影をとどめるばかりである。 幕末には勤王の志士である梅田雲濱(うんぴん)が境内に仮住まいをして、妻を迎えている。雲濱は若狭(現在の福井県小浜市)出身で、尊王攘夷の志を抱き、京都に出て同志と交え国事に奔走したが、安政の大獄で吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎らと共に捕えられた。「大福」という縁起の良い寺号により、正月には商売繁盛を祈願して商家の出納帳に寺の宝印を授与する習わしがあり、「大福帳」の名の由来となっている。安産腹帯地蔵尊と京都七福神の布袋尊も祀り、現在も広く信仰を集めている。
初めて来たので分かりませんが、お堂の南側の扉が開いてました。ここで御朱印を貰えるかどうか・・・?。
入って、御朱印をお願いすると、「今は書き手がいないので、書き置きのみです。20分ぐらいで帰って来ますが・・・。」と。残念ですが書き置きをいただきました。
特に所用は無かったけど、20分で戻って来られる保証も無いしね。仕方ないです。案内では聖徳太子の自刻と説明を受けました。
ここの由緒書は無いそうで、「表の京都市の駒札を見て欲しい」と言われたので、帰りに見ます。
肝心の特別公開されているご本尊の「薬師如来((菩提薬師(ほていやくし))」が御開帳されてました。ただし、外からの見学です。
堂内に上がれないのは、狭いから仕方ないにしても、扉は開けて欲しかったです。ガラス越しの、しかも綺麗なガラスでないので、ほぼ見えないです。残念でした。撮影禁止となっていますが、あれでは写真撮っても写らないかと思います。
10時30分に出て行きました。この日の最低気温が12.7℃と寒かったけど、上着を着ずに来ました。最初はやっぱり寒かったけど、日中は25℃まで上がったので、結構汗かきましたね。暑かったです。ただ、最初湿度が34%と、カラッとした天気でした。ここから御池通りに戻り、寺町通りまで歩いて、そこから南下します。三条通りまで行く途中の喫茶店で、外国人観光客が20名ぐらい行列されてました。「スマート珈琲店」でしたが、なんで人気があるのか分かりません😊。三条通りから新京極通りに入り、次に向かったのが新京極御朱印めぐりで、10月4日に訪れた、「蛸薬師堂 永福寺」と「西光寺 寅薬師」の再訪です。
京都十二薬師霊場特別公開で、堂内に入れるので、大福寺のついでに、再訪しました。この模様は既にアップしてます。このあと、林万昌堂で甘栗を買って、大丸京都店で買い物をして、四条烏丸からバスに乗って帰りました。
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